先月、平成の30年の鉄道回顧で、長野県について書きました。
長野県の都市別人口は、県庁所在地の長野市が約37万2千人、松本市が約23万7千人、上田市が約15万5千人で、この3市のみ、人口が10万人を超えています。そして、この3市にはいずれも、私鉄の路線があります。
3回に分けて、長野県の各私鉄の、平成時代の駅の画像をご覧いただきます。1回目は、長野市から東部に路線網を持っていた長野電鉄の、30年くらい前になるだろうか、平成時代の駅の画像を並べてみました。
現在は長野と湯田中を結ぶ長野線1路線のみになってしまったが、平成が始まった当時は、屋代(信越本線→しなの鉄道)と木島を結ぶ河東線が本線的な位置づけで、長野~須坂間の長野線と、信州中野~湯田中間の山ノ内線は、河東線の支線、という格好でした。
例によっていつ頃撮った、という記録がなくて申し訳ないですが、恐らく1990年代前半、1991~1992年くらいに、撮ったのかな?
長野線 長野~須坂
長野 ながの
長野~善光寺下間は1981(S56)年3月に地下化されています。雪が多い場所なのが理由だと思うが、地方私鉄で地下線はさすがに珍しく、ここと、20年後の2001(H13)年3月に地下に移転した、北陸鉄道浅野川線の北鉄金沢のみ。
地下ホーム。2面3線。
長野~朝陽間は複線。
市役所前 しやくしょまえ
権堂 ごんどう
善光寺下 ぜんこうじした
中間の地下駅3駅はいずれも、道路を横断する地下通路の役割も兼ねています。
本郷 ほんごう
桐原 きりはら
信濃吉田 しなのよしだ
朝陽 あさひ
長野からここまでが複線。日中はここで折り返す列車の設定もありました。待避線はない普通の島式ホームだが、渡り線を活用して、特急の普通電車追い抜きも見られました。
附属中学前 ふぞくちゅうがくまえ
1985(S60)年3月14日開業の、比較的新しい駅。棒線。
柳原 やなぎはら
村山 むらやま
日野 ひの
棒線の駅。
河東線(屋代~木島)
のちの屋代線(屋代~須坂)間の駅は、9年前の№701で既に書いているが、須坂~木島間と合わせて、改めて出します。運転上は、須坂で、末期には信州中野でも運転系統が分断されていました。
屋代 やしろ
信越本線との接続駅で、営業は国鉄~JR東日本~しなの鉄道に委託していました。昭和の終わり近くまでは、上野からの急行〔志賀〕が、ここから湯田中や木島へ乗り入れていました。
東屋代 ひがしやしろ
雨宮 あめのみや
岩野 いわの
象山口 ぞうざんぐち
松代 まつだい
金井山 かないやま
大室 おおむろ
信濃川田 しなのかわだ
若穂 わかほ
綿内 わたうち
井上 いのうえ
須坂 すざか
長野線が合流、と言っても既に長野方面が本線格になっていたが。駅舎も結構大きいが、構内も広く、2面4線ありました。
車両基地もここにありました。今はなきOS系や、元東急5000系の2500系、奥には元日比谷線3000系も見られます。3000系は、営業開始前、だったか?
北須坂 きたすざか
撮影当時は棒線でした。後に須坂~信州中野間の増発のため待避線が増設されるが、若干移転します。
小布施 おぶせ
駅の構内には、「ながでん電車の広場」があります。
都住 つすみ
棒線の駅。
桜沢 さくらざわ
延徳 えんとく
ここも撮影当時は棒線で、後に北須坂同様待避線を新設し、行き違いが可能になります。一時は須坂~信州中野間で、普通電車毎時4本運転を行っていた事もありました。
信州中野 しんしゅうなかの
山ノ内線分岐駅。中野市の中心だけあって、須坂同様、大きな駅で2面4線ありました。
信州中野~木島間は、「木島線」と呼ばれていたものでした。2002(H14)年3月いっぱいで廃止になっています。早くももうすぐ20年です。末期は「木島線」内折り返し運転で、他区間に先駆けてワンマン運転を行っていました。
中野北 なかのきた
四ヶ郷 しかごう
赤岩 あかいわ
柳沢 やなぎさわ
「木島線」の中間駅では唯一、行き違いが可能でした。駅舎はホームの上にありました。
田上 たがみ
信濃安田 しなのやすだ
木島 きじま
飯山に近く、バス路線もあります。
山ノ内線 (信州中野~湯田中)
かなりの急こう配路線で、このため今の元東急8500系は入線できない、との事。
中野松川 なかのまつかわ
信濃竹原 しなのたけはら
山ノ内線では唯一、行き違いが可能な駅です。
夜間瀬 よませ
上条 かみじょう
湯田中 ゆだなか
温泉の駅だし、夏はハイキング、冬はスキーで賑わう所でした。長電バスも志賀高原・白根火山などへの路線があり、夏場だけ、国鉄~JRバスとの相互乗り入れで、群馬県の長野原への直通運転もあったものでした。構内は、当時は変則的なスイッチバックで、3連だけ一旦ホームをやり過ごしたのち、バックしてホームに収まっていました。今は棒線化されています。
これらの写真を撮った後だろう、1994(H6)年10月改正の、長野駅の時刻表です。
普通電車が日中毎時4本、しかも全てが信州中野までの運行(うち毎時1本は湯田中行)、特急も1時間間隔で毎時20分発のパターンダイヤで、朝陽で普通の追い抜きを行っていました。
皮肉にも、新幹線が長野まで到達したあたりから、長電の凋落が始まったように思います。特急は小田急ロマンスカーやJR成田エクスプレスの導入で観光輸送に活路を見出そうとするが、普通電車は、「木島線」「屋代線」廃止のみならず、残存の「長野線」でも改正の度に減便が繰り返されます。現行ダイヤでは、長野を出発する列車は特急10本(1本(ゆけむり~のんびり号~は特定日運転)・普通36本(2本は土休日等運休)で、合計で最大46本にしかなりません。27年前は特急14本・普通62本(7本は土休日運休)、合計78本だから、40%以上の減少になっています。日中の普通電車は、ほぼ半減です。
「木島線」「屋代線」はローカル色がより濃く、「屋代線」は恐らく、人の流れに合わなくなっていただろうから、廃線もやむ無しかも知れないが、残存の長野線が、県庁所在地の長野を基点として、須坂・中野と言ったある程度は有力な都市を結び、観光地の玄関口の湯田中を結ぶ路線でありながら、急激な便の減少は、正直懸念される事態だと思う。一度は交換設備の増設で大増発までやっていたのだから、なおさら。今の長電は特急を主力に据えた観光輸送が、営業の中心になるのだろうが、もう少し日常の利用が増えないと、廃線にはならないだろうが、いずれどこかで行き詰ってしまうのではないか?むろん長電自身の経営努力も求められるが、もう少し沿線の自治体も、利用を促進する方策を立てて、長電を盛り立てていく方向に向かってほしい。
今回の撮影は30年も前の話で現状は正直見ていないから解らない部分もあるし(長野~信濃吉田間のみ、10年前に乗っているが)、一方で近年、メトロ03系の導入もあるので、早いうちに再度、全線を訪れ、長電の「今」を見直したいと思います。7月の長野行では長電にまでは手が回らなかったので、次の長野行では、必ず乗ると宣言しておきます。
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《今日のニュースから》 カッコ内は新型コロナウィルス関連
8日 GACKT 芸能活動無期限休止発表
(障害者対象のワクチン接種 相模原市 専用の会場解説)
9日 香港 天安門事件資料展示記念館 警察が捜索 展示品など欧州
(東京都 感染者1,675人 7月以来の2,000人以下)
という状況ではあるが、宮城・岡山を除く19都道府県は、緊急事態宣言が今月一杯まで延長される事になりました。ここまでくると、なるようにしかならないのか。ワクチン接種の加速が望まれるが、実は私は昨日、2回目のワクチン接種(ファイザー)を受けました。接種痕が若干痛むが、体調は全く問題ないです。これでパンデミック前の日常の生活が今すぐ帰ってくるわけでもなく、様々ガマンが続くが、それでもほんの少しでも、世界の正常化に貢献できているのかなあ、と思っています。