№2395 ひと昔・ふた昔前 私鉄の駅 弘南鉄道

弘南鉄道大鰐線02.jpg
 当ブログでは、去年の夏からこれまで、平成の30年間に起きた鉄道のできごとを、都道府県別に振り返ってきました。今月は長野県まで到達、長野県のローカル私鉄3社の、平成初期~中期くらいの時期に撮影した駅をご覧頂いています。
「ひと昔・ふた昔前 私鉄の駅」は、今回からしばらくの間、これまで取り上げてきた県の鉄道の駅を、不定期・散発的にご覧頂こうと思います。残念ながら廃止になった鉄道の駅はだいぶ前、それこそ当ブログを始めた時期に取り上げているが、これからは主に、今も現役の鉄道の駅の昔の姿の画像を並べる事にします。
 まずは青森県の、弘南鉄道です。青森県は残念ながら、平成の30年の間に南部縦貫鉄道、下北交通、十和田観光電鉄が廃止になってしまい、東側の三八上北・下北はローカル私鉄が全滅してしまいました。現在の純粋なローカル私鉄は、津軽地方の2社のみです。そのうち、弘南鉄道は、元々は別々だった弘南線と大鰐線の会社が合併して成立した私鉄で、加えて旧国鉄の特定地方交通線・黒石線も引き受けていました。
 その3路線が運行されていた、1994(H6)年の撮影になります。当時はまだなかった駅もあります。また、名前を変えた駅も、いくつかあります(皆学校絡み)。

大鰐線 (大鰐~中央弘前)
 大鰐線は、大鰐が起点・中央弘前が終点です(現在の駅ナンバリングは中央弘前KW01→大鰐KW14)。戦後開業の、比較的新しい路線。だから、年季が入った木造駅舎は、大鰐線にはない。

弘南鉄道03-01大鰐 1994.jpg
大鰐 おおわに
 奥羽本線の北側に、独自の駅舎があります(跨線橋は共用)。JRの方は後に大鰐温泉と改称するが、弘南鉄道は大鰐のまま。

弘南鉄道03-02宿河原 1994.jpg
宿川原 しゅくがわら

弘南鉄道03-03鯖石 1994.jpg
鯖石 さばいし
 なお、「さば」の漢字は本当は「魚」辺に「青」なのだけれど、JIS規格になく、PCでは出せない文字みたい。IMEパッドにもなかった(弘南鉄道公式Webでもそうなっている)。

 次の石川との間には、2002(H14)年10月1日に石川プール前駅が開業しています。

弘南鉄道03-04石川 1994.jpg
石川 いしかわ

弘南鉄道03-05義塾高校前 1994.jpg
義塾高校前 ぎじゅくこうこうまえ

弘南鉄道03-06津軽大沢 1994.jpg
津軽大沢 つがるおおさわ
 車両基地があります。撮影当時はまだ旧型電車が残っていて(弘南線もだったが、ラッシュ専用だったか?)、旧西武のクハ1266形の編成が見えます。

弘南鉄道03-07松木平 1994.jpg
松木平 まつきたい
 弘南鉄道に限らないが、平を「たい」と読むのは、東北らしいと思います。

弘南鉄道03-08小栗山 1994.jpg
小栗山 こぐりやま

弘南鉄道03-09千年 1994.jpg
千年 ちとせ

弘南鉄道03-10城南 1994.jpg
城南 じょうなん
 今は改称し、聖愛中高前(せいあいちゅうこうまえ)。

弘南鉄道03-11西弘前 1994.jpg
西弘前 にしひろさき
 今は改称し、弘前学院大学前(ひろさきがくいんだいがくまえ)。

弘南鉄道03-12弘高下 1994.jpg
弘高下 ひろこうした

弘南鉄道03-13中央弘前 1994.jpg
中央弘前 ちゅうおうひろさき
 弘南線やJRの弘前駅からは、離れた位置にあります。

弘南線(弘前~黒石)

弘南鉄道01-01弘前 1994.jpg
弘前 ひろさき
 当時は、JRと弘南鉄道は、窓口・券売機は別々だったが、弘南線のホームへ行く跨線橋は共用だったはずです。北日本でよくあるスタイルだったが、現在は、JRは橋上駅舎となり、弘南鉄道は西側に独自の駅舎を立てています。11年前の2010(H22)年4月と、4年前の1997(H29)年5月に降り立った時に見ています。それぞれ№199と、№1699で書きました。

弘南鉄道01-02東工業高前 1994.jpg
東工業高前 ひがしこうぎょうこうまえ
 現在は改称し、弘前東高前(ひろさきひがしこうまえ)。

弘南鉄道01-03運動公園前 1994.jpg
運動公園前 うんどうこうえんまえ

弘南鉄道01-04新里 1994.jpg
新里 にさと

弘南鉄道01-05館田 1994.jpg
館田 たちた

弘南鉄道01-06平賀 1994.jpg
平賀 ひらか
 車両基地があり、ラッセル車を見る事もあります。近代的な駅です。1986(S61)年12月に改築オープンしたとの事。

弘南鉄道01-07柏農高校前 1994.jpg
柏農高校前 はくのうこうこうまえ

弘南鉄道01-08津軽尾上 1994.jpg
津軽尾上 つがるおのえ

 撮影当時は、津軽尾上と田舎館の間2.7㎞には、駅がありませんでした。この後1999(H11)年4月1日に尾上高校前、2013(H25)年7月27日に田んぼアート駅が開業しています。田んぼアート駅は№1699で出しています(朝晩は通過、冬季は全列車通過)。

弘南鉄道01-10田舎館 1994.jpg
田舎館 いなかだて

弘南鉄道01-11境松 1994.jpg
境松 さかいまつ

弘南鉄道01-12黒石 1994.jpg
黒石 くろいし
 国鉄時代の黒石駅とは別の場所で、弘南黒石と呼称していたが、黒石線が転換された時に路線を敷き直して弘南鉄道の駅と統合、黒石線の車庫も造られました。転換2年後の1986(S61)年4月に改称しています。現在でも弘南線の車両の留置があります。

黒石線(黒石~川部)

弘南鉄道02-01前田屋敷 1994.jpg
前田屋敷 まえだやしき

弘南鉄道02-02川部 1994.jpg
川部 かわべ
 JR東日本との共同使用駅で、弘南鉄道の駅員はいませんでした。黒石線は国鉄時代は弘前への直通列車の設定もあったそうだが、転換時に線路は分断されています。駅舎そのものは今でも変わっていないみたい。

 撮影した当時の、各線の時刻表です。

弘南鉄道大鰐線時刻表19940401.jpg
大鰐線 1994(H6)年4月1日改正

弘南鉄道弘南線時刻表19940401.jpg
弘南線 1994(H6)年4月1日改正

弘南鉄道黒石線時刻表19940418.jpg
黒石線 1994(H6)年4月18日改正

 この当時は、大鰐線と弘南線には朝夕に快速があったし、弘南線では、ラッシュ時には6連が走っていたものでした。大鰐線は快速+普通で合計36往復(区間運転・学校休校日運休含む)、弘南線は35往復、黒石線は21往復の設定がありました。
 その後黒石線は1998(H10)年3月いっぱいで廃止、弘南鉄道としては14年しか持ちませんでした(旧国鉄特定地方交通線で、他鉄道に転換された路線では一番早い廃線だった)。また大鰐線・弘南線も急速に減便が進み、快速も廃止、大鰐線に至っては(区間運転増便の実験も行われた事があるが)朝方以外は1時間間隔となり、夕方はラッシュと言えるものがなくなってしまいました。弘南線も日中は1時間間隔です。30年足らずで、大鰐線は17往復と半分以下、弘南線も23往復にまで減便されてしまいました。黒石線を代替した弘南バスも、現在は平日5往復・土休日4往復です。
 弘南線の田んぼアート駅開業など、利用者を増やす試みは見られるものの、外部から利用者を呼べるような目玉が少ない事もあって、沿線の利用が減少すると、ストレートに影響する事になります。無論、現在のコロナ禍も極めて心配な材料です。車齢50年を超えた、旧東急の7000系の代替も、現状では難しい。環境は極めて厳しいが、何とか頑張って欲しい、としか、言いようがないです。弘南線は4年前に乗っているが、大鰐線はご無沙汰が長いので、ここも早めに再訪をしたいとは思っているが、いつになるのか。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


《今日のニュースから》 カッコ内は新型コロナウィルス関連
19日 ヤクルト 村上 宗隆 史上最年少21歳7か月で100号ホームラン達成
(さいたま市 妊婦へのワクチン優先接種開始)
20日 ロシア中部ペルミ 大学で銃乱射事件 8人死亡
(八重山地方 民謡「とぅばらーま大会 オンライン開催)
21日 バスケットボール男子日本代表 トム・ホーバス氏 新ヘッドコーチ就任発表
(ワクチン接種 1回目 全人口の66.5% 2回目 54.4%達成)

 ワクチン接種は、私は2回目も終わったので、54.4%の一人という事になるが、都道府県別の接種状況も発表になっているけれど、同じ北関東で隣同士なのに、群馬県は1回目接種が70%を超えている(全都道府県では山口県に次いで高い)のに、栃木県は60%に届いていない(沖縄県に次いで低い)。職域接種などもあるので単純比較もできないが、この差はどこから来るのだろうか?感染者数は、東京都が300人を割り、国全体でも1,767人だそうだからだいぶ落ち着いてきているが、これで、緊急事態宣言は今月いっぱいで終わり、となってくれるのだろうか?3連休を含めて祝日が2日ある今週がヤマ場、か。

№2393 ひと昔・ふた昔前 私鉄の駅 上田交通 別所線

上田交通鉄橋 千曲川 上田~城下間.jpg
 長野県内の私鉄の一昔、ふた昔前くらいの駅の姿をご覧頂くシリーズ、最終回は上田交通(現上田電鉄)別所線です。
 かつては上田を中心に、いくつものローカル鉄道路線を走らせていた上田交通だったが、1969(S44)年6月以降は、今の別所線1路線だけになっていました。その直前に東急の傘下になっていた事もあり、昭和の終わり頃からは、東急の中古車両で車両の近代化が進められる事になります。
 今回撮影した画像は、基本的には1995(H7)年の撮影になります。5000系から、冷房付きの7200系に置き換えられてしばらく、という時期でした。

上田交通別所線01上田.jpg
上田 うえだ
 新幹線開業を機に高架新駅に移転する、その前の地平時代です。以前は留置線もありました。
 次の城下との間で、先日復旧した千曲川橋梁を渡ります。一番上の画像です。

上田交通別所線02城下 1995.jpg
城下 しろした
 行き違い可能駅。

上田交通別所線03三好町 1995.jpg
三好町 みよしちょう

上田交通別所線04赤坂上 1995.jpg
赤坂上 あかさかうえ

上田交通別所線05上田原 1995.jpg
上田原 うえだはら
 行き違い可能駅で、以前は青木線が分岐していました。かつてはここに車庫があったらしいが、昭和末期に下之郷に移転したのち、平成になってすぐ、駅自体が場所を変えたそうです。だから確かに、ホームも駅舎も真新しい。

上田交通別所線06寺下 1995.jpg
寺下 てらした

上田交通別所線07神畑 1995.jpg
神畑 かばたけ

上田交通別所線08大学前 1995.jpg
大学前 だいがくまえ
 長野大学、上田女子短大の近くにある駅です。ホームは真新しいが、駅自体は路線が開通した時点からあります。

上田交通別所線09下之郷 1995.jpg
下之郷 しものごう
 現在の別所線の中核となる駅で、行き違いが可能なほか、車庫があります。駅舎機能はホーム上にあります。

上田交通下之郷駅西丸子線ホーム跡 1995.jpg
 かつては西丸子線が分岐していて、ホームの跡が残っていました。西丸子線は、現在は上田バスの路線があるが、撮影当時はどうだったか解らないが、現状は、平日は下之郷発6本・丸子町発7本、土曜日は4往復、休日は運休…。

上田交通別所線10中塩田 1995.jpg
中塩田 なかしおだ
 駅舎は、別所温泉と共通した造りになっています。撮影時点では荒廃した感もありました。

上田交通別所線11塩田町 1995.jpg
塩田町 しおだまち

上田交通別所線12中野 1995.jpg
中野 なかの

上田交通別所線13舞田 1995.jpg
舞田 まいた

上田交通別所線14八木沢 1995.jpg
八木沢 やぎさわ

上田交通別所線15別所温泉 1995.jpg
別所温泉 べっしょおんせん
 別所温泉の駅舎もその後、リニューアルが行われています。

上田交通モハ5250形 1995.jpg
 別所温泉駅は急こう配を上がった所にホームがあるが、スイッチバック形態で側線があり、撮影時点では旧型電車が2両保存され、車内では資料が展示されていました。

 上田交通はその後、2005(H17)年には会社の再編成により、バス部門共々分社となって、上田電鉄として再スタートを切っています。
 その後の上田電鉄には、2009(H21)年10月、そして2か月前の7月に訪れています。12年前は当ブログスタート直後の№63で書きました。7200系→1000系へと、元東急同士で置き換えが進められている最中でした。7200系は「まるまドリーム」が最後の活躍、という所だったか。別所温泉駅は改修工事が終わり、中塩田も改修が進められている最中、という状況でした。
 親会社となった上田交通は今でも東急グループの一員であり、車両の供給の他、一昨年の水害からの復旧でも、いろいろな面で協力があったようです。上田は、東急の創始者・五島 慶太氏の出身地らしく(7月に訪問した時には、渋沢 栄一と並んだ企画展のポスターをご覧頂いています。№2377で出しました)。東急イン(現東急REIホテル)の1号店も上田(旧真田傍陽線の駅の跡地に建てられた。今は南口に移転)にオープンしており、上田とは、東急にとっても、今なお大事な場所なのでしょう。
(なお、バスは分社時の上電バスから上田バスに社名を変えた時に、東急の資本からは離れた。ただし、渋谷行の高速バスを、東急バス等と共同で運行している)

 別所線は今年6月に、開業100周年を迎えました。水害による千曲川橋梁の損壊からも立ち直り、華を添えた格好です。ここでも当然コロナ禍は心配だが、長電やアルピコに比べて、より地域の密着度が高いように思えるので、まだ影響は小さいかも知れません(むしろ北側の菅平などの方が大変かも)。7月の時は往復して、再生した鉄橋を見物しただけで終わってしまいました。その前の訪問時からの12年で、また新車両が入っている事もあるし、今一度時間を作って、撮影や乗車が出来たらな、と考えています。
 
 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


 京急は今日、10月18日より、久里浜線・京急久里浜~三崎口間で、平日11~15時台の減便を行うと発表しました。10往復削減し、基本的には20分間隔での運行。今日のリリースだけではやや判然としない部分もあるので、時刻表がPDFで配布されるのなら、それを見てみます。コロナ禍の影響なのは間違いないが、コロナ禍前の2019(H31~R元)年でも、最高で20%程度の利用しかなかったようで、観光はあっても、日常の利用はやはり少なくなる時間帯なのか。
 JR北海道の方は昨日、来年のダイヤ改正の基本線を発表しました。〔おおぞら〕は全列車261系となるが、閑散期は自由席車を1両減車し、4連で運行。H100形を根室本線・新得~釧路間(全列車)と石北本線・旭川~上川間に導入し、所要時分を短縮。学園都市線(札沼線)のロイズタウン駅が開業するが、リリースでは「最大限の約9割の停車を計画」としているから、全列車停車とはならないようだ。東風連駅は移転し、名寄高校と改称。新函館北斗では、北海道新幹線と〔北斗〕の接続を改善。〔ライラック〕2本は臨時列車化、臨時〔カムイ〕は運転日を削減。札幌圏では10本程度を土休日運休とするほか、学園都市線(札沼線)は日中・夕刻の運行本数・両数の見直し(減便・減車だろう)を実施。その他各地区で減車を実施。花咲線(根室本線・釧路~根室間)・宗谷本線・函館本線で合計7駅を廃止するが、駅名は記されていない。今回は地方のローカル列車の削減は行われないようだ。正式には(例年通りなら)12月半ば(12月17日?)のJRグループ統一リリースで詳細が発表されるだろうが、どこもコロナ禍の影響が甚大で減量が避けられなくなると思われるので、JR以外も含めて、ダイヤ改正の基本線のリリースが、早めに出される事になるのかも知れない。

《今日のニュースから》 カッコ内は新型コロナウィルス関連
15日 ゲノム編集で品種改良のトマト オンラインで販売開始
(シンガポール 「ブースター接種」開始)
16日 グーグル 提携先新聞社・通信社記事掲載サービス開始
(琉球銀行 高校生採用試験 対面で面接)

「ブースター接種」は、欧米でも視野に入っているようだが、WHOは、一方で途上国にはワクチンが全然行き渡っていないのだから、「ブースター接種」は後回しにして、途上国への供給を優先してくれ、としています。いずれ日本でも問題になるはず。今は2度目の接種までのワクチンの確保が引き続き課題だが、その先、「ブースター接種」もだし、ワクチンが十分に確保できても、接種率が下がってくる、という事も起きるでしょう。様々な事案に、どう対処すべきなのか。当然総選挙の争点になりうるが、各党は、ワクチンを確保した、その「先」の接種戦略をどう描いて、有権者に示すのか。
 感染者が減少しているとはいえコロナ禍は引き続き心配だが、それ以上に、台風14号が進路を変えて、西日本に接近しつつあります。予想進路を見ると、日曜日にかけて西~東の日本列島を横断するようで、山陽新幹線は、明日の午後から計画運休に入るという事。大事に至らなければ、良いのだが。

№2392 ひと昔・ふた昔前 私鉄の駅 松本電気鉄道 上高地線

アルピコ交通2奈良井川橋梁.jpg
 長野県内の私鉄の、一昔、ふた昔前の駅の姿をご覧頂く短期シリーズ、今回は、松本電気鉄道(松電:現アルピコ交通)上高地線の駅をご覧頂きます。
 この所何年も足が遠のいていかんなあとは思っているが、この路線は路線名の通り、上高地へのアクセスとして機能していて、終点の新島々では上高地や乗鞍高原、新穂高温泉等の山登りの基地へ向かうバスが発着し、特に登山シーズンの夏場は大いに賑わいます。無論、地域住民の足としても重要です。松本~新村間は、前身の筑摩鉄道による開業から、この10月2日で100周年を迎えます。
 今回は撮影日がキチンと解っていて、2001(H13)年8月29日です。ちょうど20年前で、元京王の3000系への置き換えが完了した、1年後となります。

アルピコ交通01松本.jpg
松本 まつもと
 無論、JR東日本で、長野と並ぶ県内随一のターミナル。松電は7番線発着、大糸線(前身は筑摩鉄道の6年前に開業した信濃鉄道)の6番線と、同じホームを左右で分け合っています。
 松電とは関係なくなるが、現在の松本~新宿間の最速は、〔あずさ18号〕の2時間23分です。

アルピコ交通02西松本.jpg
西松本 にしまつもと

アルピコ交通03渚.jpg
 なぎさ
 思えば、海のない長野県の駅で「渚」とは、どういう由来なのだろうか。

アルピコ交通04信濃荒井.jpg
信濃荒井 しなのあらい
 行き違い可能駅。

アルピコ交通05大庭.jpg
大庭 おおば

アルピコ交通06下新.jpg
下新 しもにい

アルピコ交通07北新.jpg
北新 きたにい
 現在は改称し、北新・松本大学前。なお去年の暮れには、コロナ禍に伴う「密」防止のため、松本とここの間に臨時バスが運行されたそうです。それだけ普段から鉄道の利用が多いのなら、本来は頼もしい話のはずなのだが。

アルピコ交通08新村.jpg
新村 にいむら
 開業当時の駅舎が使用されていました。この11年後には新駅舎が建ち、この駅舎は後に解体されたそう。車両基地があります。
 当時は、ここまでが松本市でした。

アルピコ交通09三溝.jpg
三溝 さみぞ
 当時は、ここから先は東筑摩郡波田町でした。

アルピコ交通10森口.jpg
森口 もりぐち
 行き違いが可能。この駅舎も改築されているようです。

アルピコ交通11下島.jpg
下島 しもじま

アルピコ交通12波田.jpg
波田 はた

アルピコ交通13渕東.jpg
渕東 えんどう
 何の変哲もない、ホームに待合室だけの無人駅なのだが、改めて見ると、旅情をそそられるたたずまいという感じもします。後の鉄道むすめ「渕東 なぎさ」はもちろん、ここと渚駅から。

アルピコ交通14新島々.jpg
新島々 しんしまじま
 現在はここが終点で、前述の通り、夏場はここから各行楽基地へ向かうバスが、電車に接続する形で発着します。
(冬場は一部ローカル便のみ運行)
 この駅舎も後に改築され、行楽のゲートウェイにふさわしい装いになっています。

アルピコ交通旧島々駅舎.jpg
 昔はもうひと区間、島々まで路線があったが、水害の影響もあったらしく、休止の後、1984(S59)年いっぱいを持って廃止になっています。新島々のターミナル化後は、オマケみたいなものだったようだが。当時の駅舎が、新島々駅の近くに移築されています。へぇ、こんな良い駅舎だったんだ。

 この10年後、アルピコグループの中核企業だった松電は、県中央部のグループバス会社を合併して、アルピコ交通となりました。「松本電気鉄道」という社名はなくなったが、現在でも旅客案内では「松本電鉄」の名前が使われるようで、JRでも駅のサインや車内放送で「松本電鉄」が使われている事は、№1987で書きました。
 アルピコ交通成立後、先の新村や森口、あとは波田など、駅舎の改築が積極的に進められているようです。
 現在上高地線は、水害による田川橋梁(西松本~渚間)の被災により、松本~新村間(ちょうど100周年を迎える区間なのだが)でバス代行輸送が行われています。上高地への足は、自社が運行する「さわやか信州号」がメインになりそうな気配だし、もちろんコロナ禍の影響も甚大だから(インバウンドがなくなってしまった)、日常・観光の両面で非常に厳しい状況だと思われます。被災状況の写真を見ると、流出までには至らなかったが、復旧までには相当な期間を要しそうです。無理をしてもいけないが、早期の復旧により、再び登山者・観光客、そして地元の人々の足として活躍する姿が復活する事が、期待されます。
 なお、今の所アルピコからの公式な発表はなく、「噂」のレベルに過ぎないが、上高地線では車両の置き換えが予想されています。東武20000系という声も聞こえてくるが、ただ、水害+コロナ禍で、遅くなるかも知れない。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


《今日のニュースから》 カッコ内は新型コロナウィルス関連
12日 ドイツ 国際音楽コンクールバイオリン部門 岡本 誠司氏優勝 
(外国人対象 ワクチン集団接種開始 茨城県常総市)
13日 北朝鮮 長距離巡航ミサイル発射実験 成功と発表
(米ニューヨーク 飲食店・劇場など ワクチン接種証明書提示要求義務化)
14日 人工妊娠中絶の配偶者同意 法律既定の署名提出
(受験生へのワクチン優先接種 文部科学大臣 大学・自治体への要請表明)

 人工妊娠中絶は、米テキサス州ではそれどころか、中絶という行為そのものが今月になって州法で禁止され、バイデン政権が提訴するなど、政治的な分断になっているという。

№2390 ひと昔・ふた昔前 私鉄の駅 長野電鉄

山ノ内線01夜間瀬川.jpg

 先月、平成の30年の鉄道回顧で、長野県について書きました。
 長野県の都市別人口は、県庁所在地の長野市が約37万2千人、松本市が約23万7千人、上田市が約15万5千人で、この3市のみ、人口が10万人を超えています。そして、この3市にはいずれも、私鉄の路線があります。
 3回に分けて、長野県の各私鉄の、平成時代の駅の画像をご覧いただきます。1回目は、長野市から東部に路線網を持っていた長野電鉄の、30年くらい前になるだろうか、平成時代の駅の画像を並べてみました。
 現在は長野と湯田中を結ぶ長野線1路線のみになってしまったが、平成が始まった当時は、屋代(信越本線→しなの鉄道)と木島を結ぶ河東線が本線的な位置づけで、長野~須坂間の長野線と、信州中野~湯田中間の山ノ内線は、河東線の支線、という格好でした。
 例によっていつ頃撮った、という記録がなくて申し訳ないですが、恐らく1990年代前半、1991~1992年くらいに、撮ったのかな?

長野線 長野~須坂

長野電鉄01-01長野01地上出入口.jpg
長野 ながの
 長野~善光寺下間は1981(S56)年3月に地下化されています。雪が多い場所なのが理由だと思うが、地方私鉄で地下線はさすがに珍しく、ここと、20年後の2001(H13)年3月に地下に移転した、北陸鉄道浅野川線の北鉄金沢のみ。

長野電鉄01-01長野04ホーム.jpg
 地下ホーム。2面3線。
 長野~朝陽間は複線。

長野電鉄01-02市役所前.jpg
市役所前 しやくしょまえ

長野電鉄01-03権堂.jpg
権堂 ごんどう

長野電鉄01-04善光寺下.jpg
善光寺下 ぜんこうじした
 中間の地下駅3駅はいずれも、道路を横断する地下通路の役割も兼ねています。

長野電鉄01-05本郷.jpg
本郷 ほんごう

長野電鉄01-06桐原.jpg
桐原 きりはら

長野電鉄01-07信濃吉田.jpg
信濃吉田 しなのよしだ

長野電鉄01-08朝陽.jpg
朝陽 あさひ
 長野からここまでが複線。日中はここで折り返す列車の設定もありました。待避線はない普通の島式ホームだが、渡り線を活用して、特急の普通電車追い抜きも見られました。

長野電鉄01-09附属中学前.jpg
附属中学前 ふぞくちゅうがくまえ
 1985(S60)年3月14日開業の、比較的新しい駅。棒線。

長野電鉄01-10柳原.jpg
柳原 やなぎはら

長野電鉄01-11村山.jpg
村山 むらやま

長野電鉄01-12日野.jpg
日野 ひの
 棒線の駅。

河東線(屋代~木島)

 のちの屋代線(屋代~須坂)間の駅は、9年前の№701で既に書いているが、須坂~木島間と合わせて、改めて出します。運転上は、須坂で、末期には信州中野でも運転系統が分断されていました。

長野電鉄02-01屋代.jpg
屋代 やしろ
 信越本線との接続駅で、営業は国鉄~JR東日本~しなの鉄道に委託していました。昭和の終わり近くまでは、上野からの急行〔志賀〕が、ここから湯田中や木島へ乗り入れていました。

長野電鉄02-02東屋代.jpg
東屋代 ひがしやしろ

長野電鉄02-03雨宮.jpg
雨宮 あめのみや

長野電鉄02-04岩野.jpg
岩野 いわの

長野電鉄02-05象山口.jpg
象山口 ぞうざんぐち

長野電鉄02-06松代.jpg
松代 まつだい

長野電鉄02-07金井山.jpg
金井山 かないやま

長野電鉄02-08大室.jpg
大室 おおむろ

長野電鉄02-09信濃川田.jpg
信濃川田 しなのかわだ

長野電鉄02-10若穂.jpg
若穂 わかほ

長野電鉄02-11綿内.jpg
綿内 わたうち

長野電鉄02-12井上.jpg
井上 いのうえ

長野電鉄02-12須坂.jpg
須坂 すざか
 長野線が合流、と言っても既に長野方面が本線格になっていたが。駅舎も結構大きいが、構内も広く、2面4線ありました。

長野電鉄須坂車庫.jpg
 車両基地もここにありました。今はなきOS系や、元東急5000系の2500系、奥には元日比谷線3000系も見られます。3000系は、営業開始前、だったか?

長野電鉄02-13北須坂.jpg
北須坂 きたすざか
 撮影当時は棒線でした。後に須坂~信州中野間の増発のため待避線が増設されるが、若干移転します。

長野電鉄02-14小布施.jpg
小布施 おぶせ

長野電鉄ながでん電車の広場.jpg
 駅の構内には、「ながでん電車の広場」があります。

長野電鉄02-15都住.jpg
都住 つすみ
 棒線の駅。

長野電鉄02-16桜沢.jpg
桜沢 さくらざわ

長野電鉄02-17延徳.jpg
延徳 えんとく
 ここも撮影当時は棒線で、後に北須坂同様待避線を新設し、行き違いが可能になります。一時は須坂~信州中野間で、普通電車毎時4本運転を行っていた事もありました。

長野電鉄02-18信州中野.jpg
信州中野 しんしゅうなかの
 山ノ内線分岐駅。中野市の中心だけあって、須坂同様、大きな駅で2面4線ありました。
 信州中野~木島間は、「木島線」と呼ばれていたものでした。2002(H14)年3月いっぱいで廃止になっています。早くももうすぐ20年です。末期は「木島線」内折り返し運転で、他区間に先駆けてワンマン運転を行っていました。

長野電鉄02-19中野北.jpg
中野北 なかのきた

長野電鉄02-20四ヶ郷.jpg
四ヶ郷 しかごう

長野電鉄02-21赤岩.jpg
赤岩 あかいわ

長野電鉄02-22柳沢.jpg
柳沢 やなぎさわ
「木島線」の中間駅では唯一、行き違いが可能でした。駅舎はホームの上にありました。

長野電鉄02-23田上.jpg
田上 たがみ

長野電鉄02-24信濃安田.jpg
信濃安田 しなのやすだ

長野電鉄02-25木島.jpg
木島 きじま
 飯山に近く、バス路線もあります。

山ノ内線 (信州中野~湯田中)
 かなりの急こう配路線で、このため今の元東急8500系は入線できない、との事。

長野電鉄03-01中野松川.jpg
中野松川 なかのまつかわ

長野電鉄03-02信濃竹原.jpg
信濃竹原 しなのたけはら
 山ノ内線では唯一、行き違いが可能な駅です。

長野電鉄03-03夜間瀬.jpg
夜間瀬 よませ

長野電鉄03-04上条.jpg
上条 かみじょう

長野電鉄03-05湯田中.jpg
湯田中 ゆだなか
 温泉の駅だし、夏はハイキング、冬はスキーで賑わう所でした。長電バスも志賀高原・白根火山などへの路線があり、夏場だけ、国鉄~JRバスとの相互乗り入れで、群馬県の長野原への直通運転もあったものでした。構内は、当時は変則的なスイッチバックで、3連だけ一旦ホームをやり過ごしたのち、バックしてホームに収まっていました。今は棒線化されています。

長野電鉄長野駅時刻表 1994年10月15日改正.jpg
 これらの写真を撮った後だろう、1994(H6)年10月改正の、長野駅の時刻表です。
 普通電車が日中毎時4本、しかも全てが信州中野までの運行(うち毎時1本は湯田中行)、特急も1時間間隔で毎時20分発のパターンダイヤで、朝陽で普通の追い抜きを行っていました。
 皮肉にも、新幹線が長野まで到達したあたりから、長電の凋落が始まったように思います。特急は小田急ロマンスカーやJR成田エクスプレスの導入で観光輸送に活路を見出そうとするが、普通電車は、「木島線」「屋代線」廃止のみならず、残存の「長野線」でも改正の度に減便が繰り返されます。現行ダイヤでは、長野を出発する列車は特急10本(1本(ゆけむり~のんびり号~は特定日運転)・普通36本(2本は土休日等運休)で、合計で最大46本にしかなりません。27年前は特急14本・普通62本(7本は土休日運休)、合計78本だから、40%以上の減少になっています。日中の普通電車は、ほぼ半減です。
「木島線」「屋代線」はローカル色がより濃く、「屋代線」は恐らく、人の流れに合わなくなっていただろうから、廃線もやむ無しかも知れないが、残存の長野線が、県庁所在地の長野を基点として、須坂・中野と言ったある程度は有力な都市を結び、観光地の玄関口の湯田中を結ぶ路線でありながら、急激な便の減少は、正直懸念される事態だと思う。一度は交換設備の増設で大増発までやっていたのだから、なおさら。今の長電は特急を主力に据えた観光輸送が、営業の中心になるのだろうが、もう少し日常の利用が増えないと、廃線にはならないだろうが、いずれどこかで行き詰ってしまうのではないか?むろん長電自身の経営努力も求められるが、もう少し沿線の自治体も、利用を促進する方策を立てて、長電を盛り立てていく方向に向かってほしい。
 
 今回の撮影は30年も前の話で現状は正直見ていないから解らない部分もあるし(長野~信濃吉田間のみ、10年前に乗っているが)、一方で近年、メトロ03系の導入もあるので、早いうちに再度、全線を訪れ、長電の「今」を見直したいと思います。7月の長野行では長電にまでは手が回らなかったので、次の長野行では、必ず乗ると宣言しておきます。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


《今日のニュースから》 カッコ内は新型コロナウィルス関連
 8日 GACKT 芸能活動無期限休止発表 
(障害者対象のワクチン接種 相模原市 専用の会場解説)
 9日 香港 天安門事件資料展示記念館 警察が捜索 展示品など欧州
(東京都 感染者1,675人 7月以来の2,000人以下)


 という状況ではあるが、宮城・岡山を除く19都道府県は、緊急事態宣言が今月一杯まで延長される事になりました。ここまでくると、なるようにしかならないのか。ワクチン接種の加速が望まれるが、実は私は昨日、2回目のワクチン接種(ファイザー)を受けました。接種痕が若干痛むが、体調は全く問題ないです。これでパンデミック前の日常の生活が今すぐ帰ってくるわけでもなく、様々ガマンが続くが、それでもほんの少しでも、世界の正常化に貢献できているのかなあ、と思っています。

№2369 福井鉄道の駅 たぶん2009年

福井鉄道 日野川.jpg
 先週は、福井県のえちぜん鉄道の、京福電気鉄道(福井支社)時代の駅の画像をご覧頂きました。
 今回は、福井鉄道です。
 福井鉄道も昔は他にローカル路線がいくつかあったが、現在は福井と武生を結ぶ福武線のみです。福井市の中心部は、併用軌道になっているのが特徴的です。全線北陸本線と並走しているが、昔の北陸本線は長距離列車偏重でローカル列車は少なかったから競争力があって、福井市と鯖江市・越前市(旧武生市)を結ぶインターバンとして機能し、急行電車も走っていました。北陸本線が国鉄末期の普通列車強化策に出た事で地域輸送に方向が転換されていくが、それでもえちぜん鉄道との相直開始時には急行運転が復活し、福井駅も移転して、再度都市鉄道としての体裁も整えられていくようです。
 そんな福井鉄道福武線の、地域輸送が中心になっていた頃(むろん、今でもそうだが)の画像になります。福井鉄道も、近年になって結構駅の新設や改称が多くなっています。例によって撮影年月日を特定できないのはお恥ずかしいが、別の記録から恐らく、大半の画像は、2009(H21)年5月の撮影になるかと思われます。
 武生新→田原町・福井駅方向が下りです。

福井鉄道01-01武生新.jpg
武生新 たけふしん
 2010(H22)年3月25日に越前武生と改称。JRの武生駅からはやや離れた場所にあります。なお、北陸本線を挟んだ反対側の社武生駅からは南越線という路線が粟田部まで走っていたが、40年前に廃線になっています。

福井鉄道01-02西武生.jpg
西武生 にしたけふ
 武生新→越前武生と同じ日に、北府と改称。

 次の家久との間に、やはり同じ日にスポーツ公園駅が開業しています。

福井鉄道01-03家久.jpg
家久 いえひさ

福井鉄道01-04上鯖江.jpg
上鯖江 かみさばえ
 やはり同日、サンドーム西と改称しています。

福井鉄道01-05西鯖江.jpg
西鯖江 にしさばえ
 福井鉄道としては、ここが鯖江市の中心となる駅で、福井鉄道バスの発着もありました(今はコミュニティバスに移行しているようだ)。

福井鉄道01-06西山公園.jpg
西山公園 にしやまこうえん

福井鉄道01-07水落.jpg
水落 みずおち
 この駅からは鯖浦(せいほ)線が分岐し、織田まで走っていたが、1972(S47)年10月に廃線になっています。

福井鉄道01-08神明.jpg
神明 しんめい

福井鉄道01-09鳥羽中.jpg
鳥羽中 とばなか

福井鉄道01-10三十八社.jpg
三十八社 さんじゅうはっしゃ

福井鉄道01-11浅水.jpg
浅水 あさみず

福井鉄道01-12ハーモニーホール.jpg
ハーモニーホール
 1997(H9)年9月20日に開業した、新しい駅です。待合所の屋根の形がユニーク。

福井鉄道01-13江端.jpg
江端 えばた

福井鉄道01-14ベル前.jpg
ベル前 べるまえ
 この駅は1989(H元)年10月1日に花堂南(はなんどみなみ)として開業し、4年後の1993(H5)年4月15日に改称しています。「ベル」とは、ショッピングシティBellから。


福井鉄道01-15花堂.jpg
花堂 はなんど
 ここから、複線になります。

福井鉄道01-16福井新.jpg
 やはり2010(H22)年3月25日、赤十字前と改称。

 この先で併用軌道となり、法規が鉄道→軌道になります。

福井鉄道02-01木田四ッ辻.jpg
木田四ッ辻 きだよつつじ
 2016(H28)年3月27日(北海道新幹線開業と同じ日)、商工会議所前と改称。

福井鉄道02-02公園口.jpg
 同じ日、足羽山公園口と改称。

 ここと市役所前の間に、上り(福井→武生方向)のみ停車する、本町通り(ほんまちどおり)という電停があったが、2002(H14)年7月14日を持って、廃止になっています。

福井鉄道02-03市役所前.jpg
市役所前 しやくしょまえ
 武生方向から福井駅前を経由する電車は、ここでスイッチバックして、福井駅前への区間に入っていきました。だから少々効率が悪い。2018(H30)年3月4日、福井城址大名町と改称。

福井鉄道02-06福井駅前.jpg
福井駅前 ふくいえきまえ
 当時は、商店街の中の棒線の駅でした。(№1239でも出しています。2016(H28)年3月27日に路線を延伸して駅前バスターミナル脇に移転、福井駅と改称しました。新しい福井駅電停は、去年見て撮っています

福井鉄道02-04裁判所前.jpg
裁判所前 さいばんしょまえ
 2010(H22)年3月25日に新ホームになり、仁愛女子高校と改称(えちぜん鉄道三国芦原線にある臨時駅を使用する「仁愛」ですかね?)。これも№1239で出しています。

福井鉄道02-05田原町.jpg
田原町 たわらまち
 えちぜん鉄道三国芦原線の乗換駅。三国芦原線のホームの反対側に発着していました。
 その後、直通運転が行われる事になり、線路の形態も変わっていきます。工事中の様子は、これも№1239で出しました。

 こうしてみると、平成の30年間の福井鉄道は、駅も車両も変遷が非常に多くなりました。今回、電車と一緒に撮った画像が多いが(特に軌道線区間では意識的にそうした)、撮影時点では、「600V」区間を追われた名鉄車が旧型車両を大方一層していた時期だったが、一方でクロスシートの200形連接車や、名鉄車より前に入線していた、元名古屋市営地下鉄車両と言った、床が高い車両が、まだ主役でした。無論軌道線区間ではタラップを用意しているが、特に高齢者にとっては、相当難儀なものになっていた事は、間違いありませんでした。ひいては、電車の利用が敬遠される元にもなり得たはずです。だから、「田原町フェニックスライン」開通を機に、超低床車両に置き換えられていくというのは、利用を繋ぎとめるという点では、必然的な流れでした。そしてそれは、駅の形態もまた変えていく事になります。
 残念ながら去年の福井はJRの乗り換えのみ、福井鉄道もえちぜん鉄道も乗る事なく終わってしまったのは、残念な事でした。今の福井の2大私鉄はどのような姿になっているのだろうか。遅くとも、新幹線が延伸するより前には、行っておきたいと考えています。新幹線を迎える両鉄道には、また新しい変化が見えているだろうか。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


 中国河南省が洪水被害に遭っているが、地下鉄が浸水し、犠牲者も出ているそう。日本の地下鉄も、考えないと。
 中部横断自動車道の南部IC~下部温泉早川IC間が、8月29日に開通すると、国土交通省から発表になりました。これで全線開通になるが、当初の予定から4年遅れという事。さて、この開通は、JR身延線、特に特急〔ふじかわ〕には、どの程度の影響を与える事になるのだろうか?静岡~甲府間の高速バスの開通も、あり得ますかね?

《今日のニュースから》 カッコ内は新型コロナウィルス関連
18日 奥多摩・峰谷橋付近で土砂崩れ 1人ケガ 周辺で停電
(韓国軍駆逐艦 集団感染)
19日 カルロス・ゴーン逃亡ほう助 元米軍兵士親子に実刑判決
(プロ野球・Jリーグ ワクチン接種でルール見直し 検討の考え提示)
20日 やまゆり園障害者殺害事件から5年 追悼式典
(北海道 まん延防止措置適用 政府に要請)
21日 セブン&アイHD参加「Francfranc」 株式25%の売却発表
(星稜高校 野球部員複数感染 県大会準々決勝辞退)


 東京オリンピックは、未だ賛否が拮抗する中、開会式に先駆けて今日から競技が始まりました。今日の日本勢は女子チームが先陣を切り、ソフトボールはオーストラリアに8vs1で勝利、サッカーはカナダ相手に1vs1の引き分けでした。ところで、2032(R14)年のオリ・パラがオーストラリアのブリスベンに決まりました。11年も先で、パリもLAもまだだというのに。ブリスベン以外に名乗りを上げたところがなかったみたいだけれど。東京の一連のゴタゴタを機に、コロナウィルス云々関係なく、この先のオリ・パラの在り方そのものが再度問われる事になるのではないでしょうか。政治はヌキにして欲しいけれどね…。

 次回は土曜日に更新します。

№2367 京福電鉄(福井)の駅 1990’s≪後≫

兵庫川.jpg
 前回と今回の2回に分けて、現在のえちぜん鉄道の駅の、京福電気鉄道時代の姿をご覧頂いています。2回目は、三国芦原線です。転換後も永平寺口(旧東古市)以外は変化が少なかった勝山永平寺線(旧越前本線)とは対照的に、新駅の開業や、在来の駅名の改称がかなり行われる事になります。

三国芦原線 福井口~三国

 えちぜん鉄道転換後、2015(H27)年9月27日に、福井口と西別院の間に、まつもと町屋駅が開業しています。

京福電気鉄道03-01西別院 1995.jpg
西別院 にしべついん

京福電気鉄道03-02田原町 1995.jpg
田原町 たわらまち
 福井鉄道接続駅。この構図では解らないが、ホームの反対側に、福井鉄道の線路がありました。後に線路が繋がり、直通運転が開始される事になります。

京福電気鉄道03-03西福井.jpg
西福井 にしふくい
 ホームがスーパーの中に取り込まれています。えちぜん鉄道転換後改称して、現在は福大前西福井。
 次の新田塚まで2.1㎞と比較的駅間が長かったが、えちぜん鉄道転換後の2007(H9)年9月1日、日華化学前と八ッ島、2駅が一気に開業しました。

京福電気鉄道03-04新田塚 1995.jpg
新田塚 にったづか

京福電気鉄道03-05中角 1995.jpg
中角 なかつの
 九頭竜川を渡った先の駅。今の所、福井鉄道直通電車は停車しません。

 中角と鷲塚針原の間に、仁愛グランド前の臨時駅があります。1992(H4)年9月10日と、平成になって間もなくの開業だが、学校関係者だけの駅で、通常は電車は停車しないし、一般の旅客は利用できない。

京福電気鉄道03-06鷲塚針原 1995.jpg
鷲塚針原 わしづかはりばら
 現状は解らないのだが、福井鉄道からの直通電車の終点になっています。

京福電気鉄道03-07太郎丸 1995.jpg
太郎丸 たろうまる
 えちぜん鉄道転換後改称して、現在は太郎丸エンゼルランド。

京福電気鉄道03-08西春江 1995.jpg
西春江 にしはるえ
 えちぜん鉄道転換後改称して、現在は西春江ハートピア。

京福電気鉄道03-09西長田 1995.jpg
西長田 にしながた
 かつて丸岡線が分岐していた駅です。丸岡線は、北陸本線の金津(現芦原温泉)~永平寺間を結んでいた永平寺線にあった本丸岡とを結んでいた路線です。1968(S43)年7月に廃線となったが、名残の線路が残っていました。えちぜん鉄道転換後改称して、現在は西長田ゆりの里。

京福電気鉄道03-10下兵庫 1995.jpg
下兵庫 しもひょうご
 えちぜん鉄道転換後改称して、現在は下兵庫こうふく。

京福電気鉄道03-11大関 1995.jpg
大関 おおぜき

京福電気鉄道03-12本荘 1995.jpg
本荘 ほんじょう

京福電気鉄道03-13番田 1995.jpg
番田 ばんでん
 JR東日本相模線に同名の駅があるが、読み方が違う。

京福電気鉄道03-14芦原湯町 1995.jpg
芦原湯町 あわらゆのまち
 かなり近代的な駅舎です。下りホームとは跨線橋で結ばれていました。えちぜん鉄道転換後改称して、現在はあわら湯のまちと、柔らかい表記になりました。 

京福電気鉄道03-15水居 1995.jpg
水居 みずい

京福電気鉄道03-16三国神社 1995.jpg
三国神社 みくにじんじゃ

京福電気鉄道03-17三国 1995.jpg
三国 みくに

京福電気鉄道03-18三国港.jpg
三国港 みくにこう
 他の画像は1995(H7)年撮影だが、この画像だけ、もっと前の撮影だったはずです。天気が露骨に違うし。

 という感じで、四半世紀くらい前の、当時の旧京福電気鉄道福井支社の路線の駅を、(新福井を除いて)全部ご覧頂きました。
 えちぜん鉄道転換後も一応乗る機会はあったが、福井鉄道との相互直通が始まって以降は乗っていない。福井自体は、近年では2014(H26)年9月に行って福井鉄道には乗っているし、去年も北陸本線の乗り継ぎの最中に立ち寄ってはいるが、どちらもえちぜん鉄道にまでは手が回りませんでした。既に北陸新幹線延伸を待たずに変化は起きているし、何より相互直通(田原町フェニックスライン)が走り出して久しい。旧JR東海119系の7000系も、むろん直通用LRT車両もあります。ここも早いうちに、できれば新幹線延伸前には訪れて、駅・車両の両面で、変化を見届けたいと思っています。
 来週火曜日は、福井鉄道の駅を出す予定です。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


《今日のニュースから》 カッコ内は新型コロナウィルス関連
14日 最低賃金 全都道府県で28円引き上げ 厚生労働省審議会 目安提示
(インドネシア 過去最多1日5万4517人感染 死者991人)
15日 池袋暴走事故裁判 被告に禁固9年 検察求刑 
(自民党 穴見 陽一衆議院議員 役職停止処分 まん延防止等重点措置下で多人数の会食)

№2366 京福電鉄(福井)の駅 1990’s≪前≫

京福電気鉄道01-01福井08ホーム 1995.jpg
 先週、「平成の鉄道回顧」で、福井県について書きました。
 福井県は、北陸本線を中心としたJR西日本の路線の他、福井市を中心に、私鉄が2社あります。そのうちの1社、えちぜん鉄道は、元々は京都に本社を置き、「嵐電」の愛称で親しまれている京福電気鉄道が、福井に支社を置いて運営していました。昭和の頃はもっと路線があったが、平成が始まった時点では3路線に集約されていました。
 20世紀の終わりになって、乗客の減少から路線の廃止を打診していたところ、2000(H12)年と翌2001(H13)年に連続正面衝突事故を起こして全線の運行を停止。しかし、代行バスが交通渋滞にたびたび巻き込まれた事から鉄道の必要性が再認識され、沿線の自治体などが出資したえちぜん鉄道に、鉄道事業が引き継がれる事になります。永平寺線は廃線となり、残る2線・越前本線と三国芦原線がえちぜん鉄道に引き継がれ、2003(H15)年10月19日までに、全線の運行を再開した所です。なお、京福電鉄の資本は、京福バスとして、福井の地に残っています。
 今回は、今のえちぜん鉄道の駅の、京福電気鉄道時代の姿をご覧頂こうと思います。例によって撮影日の記録を残していないので資料性に欠けるが、曇り空の画像は、1995(H7)年の撮影と思って頂いていいです。晴れの日の画像は、違う年ではなかったかと。

 えちぜん鉄道になって、三国芦原線では駅も増えたが、当時から駅の数が割とありました。なので、2回に分けます。今回は越前本線(現在のえちぜん鉄道勝山永平寺線)と、引き継がれる事なく廃線になった、永平寺線の各駅の画像を並べました。と言いながら、今回改めてチェックしたら、新福井がない!撮り忘れたのか、写真をなくしてしまったのか?この辺は申し訳ないです。その点、ご了承ください。

越前本線 福井~勝山

京福電気鉄道01-01福井01駅舎 1995.jpg
福井 ふくい
 北陸新幹線の工事の前まで、こんな小ぶりで古い駅舎でした。

京福電気鉄道01-01福井03沿線案内.jpg
 駅舎内には案内図があります。が、よく見ると、福井鉄道は書かれていない。
 ホームは、一番上に出しました。独立した駅だが、ホームの番号はJRからの通しです。

 新福井は、ゴメンナサイです。

京福電気鉄道01-03福井口 1995.jpg
福井口 ふくいぐち
 三国芦原線は、ここで分岐します。駅舎は、2路線のホームに挟まれた位置にありました。

京福電気鉄道01-04越前開発 1995.jpg
越前開発 えちぜんかいほつ
 以前は、福井からここまでは複線でした(今の複線区間は福井口まで)。

京福電気鉄道01-05越前新保 1995.jpg
越前新保 えちぜんしんぼ

京福電気鉄道01-06追分口 1995.jpg
追分口 おいわけぐち
 252号が映っている。永平寺線専用と思っていたのだが、本線の運用もあったようでした。

京福電気鉄道01-07東藤島 1995.jpg
東藤島 ひがしふじしま

京福電気鉄道01-08越前島橋 1995.jpg
越前島橋 えちぜんしまばし

京福電気鉄道01-09観音町 1995.jpg
観音町 かんのんまち

京福電気鉄道01-10松岡 1992.jpg
松岡 まつおか
 駅舎そのものが見ものなのだが、駅前の、映画の看板も注目、かも。こんな形の宣伝、今はやらないよね?映画のタイトルからして、この画像は1992(H4)年の撮影だったと思う。

京福電気鉄道01-11志比堺 1995.jpg
志比堺 しいざかい

京福電気鉄道01-12東古市 1995.jpg
東古市 ひがしふるいち
 かつての永平寺線分岐駅。廃線後、えちぜん鉄道転換時に永平寺口駅となりました。

京福電気鉄道01-13下志比.jpg
下志比 しもしい

京福電気鉄道01-14光明寺 1995.jpg
光明寺 こうみょうじ

京福電気鉄道01-15轟 1995.jpg
 どめき

京福電気鉄道01-16越前野中 1995.jpg
野中 のなか

京福電気鉄道01-17山王 1995.jpg
山王 さんのう

京福電気鉄道01-18越前竹原 1995.jpg
竹原 たけはら

京福電気鉄道01-19小舟渡 1995.jpg
小舟渡 こぶなと

京福電気鉄道01-20保田 1995.jpg
保田 ほた

京福電気鉄道01-21発坂 1995.jpg
発坂 ほっさか

京福電気鉄道01-22比島 1995.jpg
比島 ひしま

京福電気鉄道01-23勝山 1995.jpg
勝山 かつやま
 終着駅だが、かつてはここからさらに京福大野まで路線が延びていました。この京福バスは、定期バスではない、何だったっけ…?

永平寺線 東古市~永平寺
 この当時は越前本線の支線に過ぎなかったが、かつては芦原温泉から丸岡を経由し、東古市で越前本線と平面交差する構造でした(今でも少ないながら、京福バス路線がある)。当時の永平寺線は、日中は電車とバスが交互に運行される形態で、電車は1時間毎でした。 

京福電気鉄道02-01諏訪間.jpg
諏訪間 すわま

京福電気鉄道02-02京善 1995.jpg
京善 きょうぜん

京福電気鉄道02-03市野々.jpg
市野々 いちのの

京福電気鉄道02-04永平寺 1995.jpg
永平寺 えいへいじ

 正直、永平寺線も残ってくれていたらなあ、とは思っています。
 次回木曜日に、三国芦原線の駅を出します。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


《今日のニュースから》 カッコ内は新型コロナウィルス関連
11日 立憲民主党枝野代表 村山富市元首相と面会
(受験生対応のワクチン接種開始 広島県坂町)
12日 香港区議会 民主派議員200人以上辞職 
(酒類販売団体 自民党下村政務調査会長と面会 経済産業大臣発言の説明を要求)
13日 防衛白書公表 台湾情勢の緊張感ある注視の必要を指摘
(国税庁職員7人感染判明 3人以上の飲み会に参加)

 イングランドではサッカーEUROの決勝が行われて、イタリアが地元イングランドを破って優勝しました。この試合、それとウィンブルドン男子決勝は、観客の入場制限をしなかったほか、サッカーの試合終了後には各地でサポーターが密集して大騒ぎになったそうです。東京オリンピックが、大半の会場を無観客にして、それでもなお開催自体への批判・反発が根強くあるが、ではイングランドのケースはどう考えたら良いのだろうか。英ジョンソン首相は、イングランドでは19日からほとんどすべての規制を撤廃すると発表しています(公共交通利用には引き続きマスク着用が必須になるが)。ワクチン接種が日本より遥かに進んでいるからそう言えるのだろう、観客も多数動員できるのだろう。うらやましい話、とも言えるが、一方彼の地では、今後感染者数が8月には10万人に達する可能性があるという指摘もあるそう。感染者数が増えても、ワクチン効果で重症者・死者が減ればいい、という判断なのだろうが、裏目に出なければ良いが、出てしまったら、事はイングランドだけに留まらなくなる。日本よりウィルス対策が進んでいるとされていた韓国でも感染が拡大、プロ野球の試合が今日から一週間、全て中止になるそうで(その後オリンピックの中断に入る)、ウィルス(デルタ株)に四苦八苦するのは、日本だけではないなあ。
(サッカーに関しては、ウィルス対策とは別に、また人種差別問題が頭をもたげて、不快)

№2357 小田急小田原線 代々木八幡駅

 新宿から小田急線の各駅停車に乗って10分弱、3つ目の駅が代々木八幡です。2年前の3月に新駅舎と新ホームがオープン、これによって、新宿発着の各駅停車の10連運転が始まる事になりました。今回は、新装開店(と言ってももう2年経つが)の代々木八幡駅の「今」を、ご覧頂こうと思いまs。

小田急電鉄代々木八幡駅01橋上駅舎 20210621.jpg
 代々木八幡駅の、2019(H31~R元)年度の乗降人員は20,580人。各停のみ停車の駅としては少なくはないと思うが、小田急全体では50位で、真ん中より下。ただ、前年度比で1%の増加だったそうです。この駅は渋谷区にあるが、小田急で渋谷区とは、どこかピンと来ない部分も(小田急の駅で新宿区にあるのは新宿だけ。)。駅ナンバリングOH04。

小田急電鉄01-04代々木八幡.jpg
 もう30年くらい前、の撮影、だったかなあ?改築前の代々木上原駅です。当時は相対式ホームで、下りホーム側に駅舎があり、上りホームとは跨線橋で結ばれていました。「自動改札をご利用ください」の看板が、時代だなあ。
 画像でいうと、この右側100mくらい先に、地下鉄千代田線の代々木公園駅の入り口があります。代々木公園まで到達したのが1972(S47)年10月20日だが、代々木上原まで延伸したのは1978(S53)年3月31日で、この間の5年半は、平日朝ラッシュ時の新宿行準急が代々木八幡に停車して、乗り換えの便を図っていました。


小田急電鉄代々木八幡駅02南口エントランス 20210621.jpg
 この旧駅舎があったあたりの、南口のエントランス。

小田急電鉄代々木八幡駅03南口階段 20210621.jpg
 新橋上駅舎は心持ち高い位置にあるようで、階段・エスカレーターは、踊場で折り返すような形態になっています。

小田急電鉄代々木八幡駅04南口エスカレーター 20210621.jpg
 踊り場からの階段と、エスカレーター。

小田急電鉄代々木八幡駅05南口エレベーター 20210621.jpg
 南口のエレベーター。これも他の駅より、若干高く感じられる。

千代田線代々木公園駅案内.jpg
 上がりきったところに、先述した通りの、千代田線代々木上原駅への案内の簡単な表記がありました。

小田急電鉄代々木八幡駅06北口エスカレーター 20210621.jpg
 一方、新たにできた、北口のエスカレーター。以前はホームだった場所。

小田急電鉄代々木八幡駅07北口エレベーター 20210621.jpg
 北口のエレベーター。

小田急電鉄代々木八幡駅08山手通り連絡通路 20210621.jpg
 橋上駅舎がやや高いと思われる位置にあるのは、西側を高架橋で跨ぐ山手通りと、連絡通路で結ばれるようになっているからかも知れません(西口と呼称)。この背後に京王電鉄バスの「代々木八幡駅入口」バス停があり、渋谷駅へ行く京王電鉄バスが頻発しています。

小田急電鉄代々木八幡駅09コンコース 20210621.jpg
 駅舎内のコンコース。

小田急電鉄代々木八幡駅10ロッカー 20210621.jpg
 コンコースのロッカー。左が普通のコインロッカー、真ん中がAmazonの代品受け取り用。右はレンタル傘の「アイカサ」。

小田急電鉄代々木八幡駅11券売機・時刻表 20210621.jpg
 券売機。定期券も、特急券も買える。こういうのが小駅でも普及すると、駅の無人化もさらに進んだりするんだろう(代々木八幡は終日駅員がいる)。

小田急電鉄代々木八幡駅12改札口 20210621.jpg
 改札口。もちろん全部自動改札で、IC専用機も。

小田急電鉄代々木八幡駅13改札口発車案内表示 20210621.jpg
 改札口の上野、発車案内表示。

小田急電鉄代々木八幡駅14ICカードチャージ機 20210621.jpg
 普通の精算機はなく、ICカードのチャージ機のみある。ロマンスカーミュージアムのPRポスターが貼られているスペースにもう一台設置できそうだが、そうはならないだろう。

小田急電鉄代々木八幡駅15サイネージ広告 20210621.jpg
 改札内コンコースの、サイネージ広告。

小田急電鉄代々木八幡駅16構内案内図 20210621.jpg
 駅の構内案内図。

小田急電鉄代々木八幡駅17改札内コンコース1 20210621.jpg
 改札内コンコース。改札側から見る。

小田急電鉄代々木八幡駅18改札内コンコース2 20210621.jpg
 これは反対側、階段・エスカレーター側から。南側はガラス張り。
 この駅には、いわゆる「エキナカ」はない。コンビニ・売店もない。

小田急電鉄代々木八幡駅19ホームエスカレーター 20210621.jpg
 ホームの新宿側にある、エスカレーター。

小田急電鉄代々木八幡駅20ホームエレベーター 20210621.jpg
 ホーム中央のエレベーター。

小田急電鉄代々木八幡駅21ホームベンチ 20210621.jpg
 ベンチは、エレベーターの前の1器のみ、枕木方向に設けられている。

小田急電鉄代々木八幡駅22ホーム時刻表 20210621.jpg
 時刻表。現在の代々木八幡駅は各駅停車のみ停車。日中は10分間隔で停車。

小田急電鉄代々木八幡駅23ホーム発車案内表示 20210621.jpg
 ホームの、発車案内表示。下りに「(次の電車は)11時11分発各駅停車本厚木行です」とスクロール表示されているが、2本しか表示できないところ、通過電車の方が圧倒的に多くて(特急・快速急行・急行の3本連続通過も少なくない)、停車する列車の表示がなかなか出ない事があるので、こうしているのだろう。

小田急電鉄代々木八幡駅24ホーム 20210621.jpg
 最後に、代々木八幡駅改良の最大のポイントとなった、ホーム。元々このすぐ先で千代田線が割り込んでくるので、上下線の間が若干開いていました。このスペースを活用したわけで、南側に行くにつれて広くなっていくが、やはり少々狭いだろうか。乗降がそれほど多くはなく、しかも最初からホームドアを整備しているので、十分カバーできるという事だろう(日中は駅員が常駐している)。10連対応で、このホームの完成により、各停の10連化が達成できたわけです。通常の複線区間では唯一、小田急の駅では異例の島式ホームになりました。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


 オリ・パラは制限付きながら観客を入れる事になりました。専門家が「無観客」を提言していただけに当然否定的な意見が数多く出されていて、海外メディアも皆疑問的な論調だが(一つ間違うと、国際問題にもなりかねないし)、感染状況がこのままなら(東京都はまた増加傾向らしいが)、これで開幕を迎える事になりそうです。これを受けて、各交通機関は観客輸送の計画の立案を開始しました。元々の想定からは大幅な縮小になってしまうはずだが、ともかく無事に開幕し、無事に輸送が完遂される事を、今の時点では願いたいと思います。小田急も江ノ島海岸のセーリングがあるが、どうするのか。

《今日のニュースから》 カッコ内は新型コロナウィルス関連
20日 大谷 翔平 23号ホームラン メジャーリーグ自己最多更新
(中国シノファーム製ワクチン ベトナムに到着)
21日 大相撲名古屋場所 番付発表 宇良 序二段106枚目から幕内復帰
(原爆資料館・五稜郭タワーなど 緊急事態宣言終了で再開)
22日 財務省決裁文書改ざん事件 「赤木ファイル」開示
(上皇ご夫妻ら皇族方 二度目のワクチン接種)

 メジャーリーグでは今、投手が付ける「滑り止め」が問題になっていて、MLBは取り締まりを強化するとしているが、かなり混乱しているらしい。MLBのボールは日本と比べてかなり滑りやすくなっているらしく、ダルビッシュ 有は「ボールそのものの方を何とかしろ」と苦言を呈しているが、極端な「投高打低」の中ホームランを量産する大谷 翔平は、投手・打者、双方の立場として、どう感じているのだろうか。
 静岡県知事選挙は、現職の川勝氏が再選されました。リニア中央新幹線はどうなる?
 昨日から、ワクチンの職域接種が本格的に始まりました。交通事業者でも報道があったJR東日本などに加え、確認した所では、京成や西武などがリリースを出しています。

№2340 小田急江ノ島線 片瀬江ノ島駅

小田急電鉄片瀬江ノ島01駅舎 20210305.jpg
 小田急江ノ島線の終点、片瀬江ノ島駅は、年間を通じて、数多くの観光客が訪れます。今はコロナ禍で減少はしているが、それでも休日の昼間は、賑わいが絶える事はありません。
 この片瀬江ノ島駅は、昔から竜宮城を模した駅舎が有名だったが、近年全面的に立て替えられ、昨年7月30日に全面オープンしました。竜宮城スタイルを活かしつつ、一回り大きな駅舎となりました。これには、オリンピックの対策もあったと思う。江ノ島海岸がセーリングの会場になっているので。
 今回はこの、新生片瀬江ノ島駅をご覧いただきます。
 片瀬江ノ島駅は、言うまでもなく、江ノ島の最寄り駅。江ノ電や湘南モノレールを含めても、江ノ島に一番近い駅、でもあります。箱根に次ぐ、小田急グループの代表的な観光資源がいくつもあります。しかし、2019(H31~R元)年度の1日平均乗降人員は19,828人。前年度比-6.5%、2018(H30)年度は21,217人だったそうだからかなりの減少になりました。年度末となる2020(R2)年1~3月の、新型コロナウィルス感染禍の影響が相当出たと考えられます。駅ナンバリングOE16。

小田急電鉄03-16片瀬江ノ島.jpg
 駅舎建て替え前の、片瀬江ノ島駅です。30年近く前の撮影、ですかね?駅名標は、当時の小田急の標準仕様。

小田急電鉄片瀬江ノ島02駅舎 20210305.jpg
 駅舎上部は、神殿風。

小田急電鉄片瀬江ノ島03江ノ島水族館 20210305.jpg
 新江ノ島水族館の、「クラゲ水槽」が造られました。新駅舎の最大の目玉。

小田急電鉄片瀬江ノ島04セブンイレブン 20210305.jpg
 駅にはセブン・イレブンが入りました。駅の売店の発展形、ではなく、本格的なコンビニスタイル。

小田急電鉄片瀬江ノ島05エントランス 20210305.jpg
 エントランス。

小田急電鉄片瀬江ノ島06窓口20210311.jpg
 窓口。ロマンスカーの特急券も買えます。なお、この画像は後日(3月11日・他は3月5日)の撮影です。だからほかの画像とは天気が違ってしまっています。ご承知おき願います。

小田急電鉄片瀬江ノ島07券売機 20210305.jpg
 券売機。しかし普通の乗車券が買えるのは右側の2台で、3番はICカードのチャージ専用。

小田急電鉄片瀬江ノ島08改札口1 20210305.jpg
 改札口は、以前は中央部の1か所だけだったものが2か所に分かれて、通路がトータルで増設になりました。これは南側で、駅員の窓口もあります。

小田急電鉄片瀬江ノ島09改札口2 20210305.jpg
 北側にも新設されています。

小田急電鉄片瀬江ノ島10精算機 20210305.jpg
 精算機と、ICカードチャージ機、ロマンスカーの特急券販売機。 

小田急電鉄片瀬江ノ島11改札内コンコース 20210305.jpg
 改札内のコンコース。頭端式ホームなので、階段がなくてラク。

小田急電鉄片瀬江ノ島12発車案内表示 20210305.jpg
 コンコースの、発車案内表示。この駅は2面3線で、2番ホームと3番ホームは、同じ線路の左と右。

小田急電鉄片瀬江ノ島13待合室 20210305.jpg
 ホームの待合室。

小田急電鉄片瀬江ノ島14時刻表 20210305.jpg
 時刻表。3月13日改正前の旧ダイヤだが、基本線は変わっていません。終電の繰り上げも、片瀬江ノ島では上下とも行われていない(平日5時台の新宿行急行の時刻が変わった)。観光で賑わう片瀬江ノ島ではあるが、一般的な輸送に関しては、藤沢~片瀬江ノ島間に関しては支線化しつつあり、平日の快速急行・急行はほとんど全てが藤沢始終着になって、ロマンスカーは朝夕に数本あるものの、ほとんどが各駅停車になりました。土休日は快速急行が延長して乗り入れ、日中のロマンスカーもあり、近年は〔メトロえのしま〕の設定もあります。だから、平日と土休日では相当な差があります。土休日は行楽重視か。

小田急電鉄片瀬江ノ島15ホーム発車案内表示 20210305.jpg
 各ホームの、発車案内表示。

小田急電鉄片瀬江ノ島16ホーム 20210305.jpg
 最後にホーム。1番ホームのみ10連対応。急行の全線10連対応化工事で延伸されたもの(他のホームは、渡り線のポイントがあるので延伸できない)だが、平日は前述の通り、優等列車の発着自体がほとんどなくなったので、10連の発着もわずかになりました。

 以前は、インバウンドの利用も相当数あったはずの片瀬江ノ島。コロナ禍がいつ終息するか見通しが立たないが、いつか終わりが来て、外国の方々が戻ってくると、初めて真新しい片瀬江ノ島の駅舎を目の当たりにする事になります。どのように評価してくれるだろうか。いつか、あの賑わいが戻ってくる事を信じたいと思います。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


********************

 京急が昨日、西武が今日、今年度の設備投資計画を発表しました。

京急 … 車両面では、1800形(1890番台)3編成を新造(2編成は既にデビュー済み)、8連1編成を更新。平和島・京急東神奈川・日ノ出町・追浜・汐入の各駅で、引き続きホームドアを整備。前年(2020(R2)年)度の計画の時にも書いたが、これらのどの駅よりも乗降が多い快特停車駅、横須賀中央が後回しになっているが、ホームが狭いところを優先させるという事だろう。特に日ノ出町と追浜はホームがカーブ上にあるので、この点も考慮に入っているはずだ。いよいよ品川付近の連続立体交差工事事業が本格着手になり、大師橋(旧産業道路)の立体化は残存工事を進める。その他の安全対策として、運行管理支援システム・発光信号機増設・踏切障害物検知装置改良が挙げられていて、2年前の神奈川新町事故を踏まえたものと見ていいのでしょう。投資総額206億円は、昨年度に比べて、31億円の増加になりました。
 なお京急は別に、「三浦半島のエリアマネジメントを加速する」とするリリースを別途出していて、城ヶ島の高級温泉旅館オープン、油壷は大手デベロッパーと共同で開発を検討、長井はソレイユの丘のリニューアル、三浦海岸は「街づくりによる沿線活性化」の検討を推進するとしてます。
 そして油壷に関して、マリンパークが今年の9月いっぱいを持って、閉館する事になりました。これにはさらに別のリリースが出ていて、「建物や施設の老朽化が著しく、これ以上の維持管理は困難」である事を、直接の理由に挙げています。1968(S43)年4月オープン以来、53年余りの歴史に終止符が打たれる事になりました。今後はこの跡地も含めた観光再開発が進める事になります(2025(R7)年度を目標)。これらの事項は、京急グループの電車・バスには、どのような影響が現れるのでしょうか。でもまずは、今のコロナ禍がどうにか好転しないと…。

西武 … 車両面では、40000系3編成を新造。全てロングシート仕様。ひばりが丘駅「エミオひばりが丘」は今夏のオープンを目指し、多摩駅の橋上駅舎化工事も、今年度中に完了の予定。西武園ゆうえんち(旧遊園地西)駅は、西武園ゆうえんちのグランドオープン(19日)に合わせてリニューアルを実施。なお別リリースで、山口線で、旧塗装(黄色+茶色)を模したラッピング編成を15日より運行すると発表している。連続立体交差事業は、中井~野方間と東村山駅付近で引き続き推進する他、野方~井荻・井荻~西武柳沢間の事業の早期開始に向けた準備を進める。ホームドアは、今年度は「設置を検討する」とあるだけで、具体的な駅名は掲げられていない(ここまで乗降10万人以上の池袋・練馬・西武新宿・高田馬場・所沢・国分寺が整備済み)。投資総額214億円は、昨年度と比べて16億円の増。

 近鉄は今日、7月3日のダイヤ改正を発表しました(近鉄は「ダイヤ変更」と呼称)。ダイヤを相当数減量した厳しい内容になっていて、主要線区では22時台以降の深夜帯で減便(種別変更を行う列車が多い)、大阪線・京都線・南大阪線では最終を繰り上げ。22時以降の利用が、この2年で約1/3に減少しているそう。日中は大阪線・橿原線・田原本線・南大阪線・御所線・名古屋線・志摩線で普通列車の減便を行い、大阪線・青山町~伊勢中川間の中間各駅・志摩線各駅の一般列車は毎時2→1本、南大阪線・古市~尺土間の中間各駅・御所線の一般列車は毎時4→2本に半減する(南大阪線の急行は区間急行に変更)。特急は全線合計で、定期列車が平日51本・土休日59本を削減、この内平日25本・土休日29本は「お客さまの需要に応じて運転する」として、運行計画は決定の都度発表する、としている(JRでいう所の「臨時列車」という所だろうか?)。名阪特急は変わらないので、やはり観光需要の減退があるのは、間違いないだろう。土休日の大阪上本町9時50分発宇治山田行特急は大阪難波9時45分発鳥羽行に変更。途中停車駅は大阪上本町・鶴橋・大和八木・伊勢市・宇治山田のみ(「しまかぜ」と同じになる)。さて、時刻表は発売されるのだろうか?(今日の時点では一切記載がない)

《今日のニュースから》 カッコ内は新型コロナウィルス関連
12日 ソフトバンクグループ 最終利益4兆9879億円
(WHO独立委員会 新型コロナ禍最終報告書 初期対応の問題指摘)
13日 韓国脱北者団体 ムン・ジェイン大統領を告発
(ワクチン「職場接種」「休暇」 河野大臣 経団連に要請)

№2332 相鉄線 羽沢横浜国大駅

相模鉄道羽沢横浜国大駅01駅舎.jpg
 先週の木曜日、「平成の鉄道回顧」の続きで、令和の世になってからの神奈川県の鉄道も振り返ってみたが、この2年間の神奈川の鉄道で一番大きな出来事は、間違いなく、相鉄線とJR線の相互直通運転の開始でした。
 両鉄道は、横浜市神奈川区の、羽沢貨物駅に隣接する羽沢横浜国大駅で接続します。今回、開業後初めて同駅に降り立って観察してみたので(通過はあったが)、ここで現状をご覧頂こうと思います。

相模鉄道羽沢横浜国大駅51駅舎.jpg
 現在、駅の西側では、交通広場と思われるものを整備している段階、と思われる工事が進行中です。
 今の所、駅の周辺には、コンビニなどの類はありません。三枚町まで行かないとないようだ。
 地下ホームの上に駅舎があるので、改札までは階段などの段差はありません。この点はラク。

相模鉄道羽沢横浜国大駅02入口駅名標.jpg
 入口の駅名標。JRのマークが同居するのが、共同使用駅らしいところ。相鉄の駅で、他社のマークが入り口で並ぶのは、初めてのケースになりました。

相模鉄道羽沢横浜国大駅03コンコース.jpg
 コンコース。広いです。

相模鉄道羽沢横浜国大駅04周辺案内図.jpg
 周辺の案内図もあります。地図の上の方、緑が広がっているあたりが横浜国大になるのだが、はっきり言って、遠そう。貨物駅の真上の橋を渡って、さらにどのくらい歩くのだろう。今の時点では、横浜駅からのバスの方が、間違いなく便利。大学生の通学の利用がどれだけあるかは解らないが、駅名は普通に「羽沢」で良かったような気がする。

相模鉄道羽沢横浜国大駅05時刻表.jpg
 時刻表。今の所は、日中は30分間隔。3月13日改正で、日中は全部、相鉄線内も各駅停車になりました。

相模鉄道羽沢横浜国大駅52駅名標.jpg
 注目したいのは、朝方の、初電~7時台くらいまでの相鉄線方面行(ここ始発)は、本来JR線新宿方面が出発する2番線からの発車になるという事。羽沢横浜国大~西谷間の区間運転は開業時より設定されているが、当初は勝手に、JRの編成の海老名への送り込み(深夜は逆に返却)だと考えていた。そうではないらしい。現場を見ていないから断定はできないが、1編成による折り返し運転(片道は回送)になっているようです(他社様のサイトの動画には、引退済みの新7000系による「羽沢横浜国大」行が見られたが、時間が?)。
 なお、今改正より土休日の朝方に、新宿始発大和止まりが設定されています(223M→6223)。8時06分発。

相模鉄道羽沢横浜国大駅06券売機.jpg
 券売機。相鉄管理駅ながら、JRの方が運賃表が広い。鶴見まで170円とあるが、JRだけで鶴見に行こうとしたら、武蔵小杉→横浜と乗り換え、鶴見駅を2度素通りする事になる(特例がある)。スムーズに乗り換えができても、45分くらいはかかるようだ。なんだか馬鹿馬鹿しい。

相模鉄道羽沢横浜国大駅07改札口.jpg
 改札口と、係員のブース。

相模鉄道羽沢横浜国大駅08発車案内表示.jpg
 改札口上の、発車案内表示。

相模鉄道羽沢横浜国大駅09精算機.jpg
 精算機。

相模鉄道羽沢横浜国大駅10改札内コンコース.jpg
 改札内のコンコース。

相模鉄道羽沢横浜国大駅11ホームエスカレーター.jpg
 ホームのエスカレーター。

相模鉄道羽沢横浜国大駅12ホームエレベーター.jpg
 ホームのエレベーター。
 本数が少ない駅なのだが、待合室は両ホームともありません。

相模鉄道羽沢横浜国大駅13ホーム案内板.jpg
 ホーム壁面の案内板。やはりJR色はほとんどなくて、武蔵小杉の駅ナンバリングのみ(「JS15」は湘南新宿ライン)が、JRへの直通を意識させるようです。

相模鉄道羽沢横浜国大駅15ホーム.jpg
 ホーム。相対式。当然ここで、相鉄とJRの乗務員が後退します。最初は、JRの乗務員がそのまま西谷まで乗務、という形態も想像したのだが(中途半端な位置なので)。
 当然最初からホームドアだが、一部が内側に引っ込んでいます。8連の乗り入れを想定しているもので、現在のJR直通は当然全部10連だが、数年後に東急からの直通運転が始まった場合、目黒線からの8連の直通が予想されます。ただ、相鉄の20000系は全部10連なので、東横線からも、来るのでしょうかねえ?

相模鉄道羽沢横浜国大駅53列車進入.jpg
 最後に、新宿方面から来た相鉄12000系。JRの貨物線から分かれて、相鉄線の線路に割り込むような形で入線します。ご覧の通り、上下線間に渡り線があり、本来相鉄方面行の1番線で、JR線への折返しができるようになっています。逆に反対側にもわたり線があり、先に記した、西谷までの区間運転も、この渡り線を使用して、本来JR方面行の2番線で折り返していくものと思われます。
 相鉄の新線は、正式には「相鉄新横浜線」と称し、数年後には新横浜まで延びて、東急が建設する「東急新横浜線」と接続する事になります(去年環状2号線で陥没事故があったから、予定より遅れると思う)。その相鉄新横浜線の線路が、トンネル(羽沢トンネル)に向かって延びています。トンネルにはロープが貼ってあるのだが、ただ、新横浜線の出発に対応する信号機が、既に使用されています(赤信号だが)。既にトンネル内のどこかへ、列車が走っているのだろうか?でなければ、信号は使用停止のままで良いはずなので。

 30分弱の短い時間の滞在だったので、全体的な利用の状況は解らないのが、まだだいぶ少ないなあ、というのが正直なところ。ここに来るために乗車した列車も、往復ともガラガラだったし。直通線が開通して1年以上経つが、利用はまだまだらしい。だから今改正で、日中の相鉄線内は全部各駅停車にしてテコ入れしたんだ、という話も聞いている。ただ、この日は他の相鉄の列車も空いていたし、今のコロナ禍を考えたら、現状は仕方がない部分もあるだろう。羽沢横浜国大駅に関しては、未だ地域の交通の拠点には、なれていないなあ、という印象。バス路線も、相変わらず神奈中バス(121系統・新横浜駅~保土ヶ谷駅西口)が1時間に1~2本、駅の脇を素通りするだけで(保土ヶ谷→新横浜からだと、陸橋を渡らなければならない)、肝心の相鉄バスは、駅前を通過はするが回送車だけ、というのが現状。交通広場が出来ればバス路線の新設もありうるかもしれないが、そのためには、やはり列車の本数が少ない。今の羽沢横浜国大駅の発着本数は、横浜市内の駅では、JR鶴見線の一部の駅を除けば一番少ないと思われる。無論、JR側の容量を考えると増発は難しく、やはり、東急との相互直通の開始を、今はおとなしく待つ、という所でしょうかねえ。ただそうなると今度は、異常時対策が大変になりそうで、この辺は懸念材料になるが。
 ともあれ、せっかくの相鉄史上に残る大プロジェクトの末に生まれた駅であり、いつか駅も列車も、賑わいを見せる日が来る事が、期待されると思います。そのためにも、コロナ禍の早期収束も望まれるが。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


《今日のニュースから》 カッコ内は新型コロナウィルス関連
25日 桜島で爆発的噴火 警戒レベルは「3」維持
(商店街で飲食店支援のテイクアウト販売「お弁当パラダイス」 盛岡市)

 今日は、福知山線脱線事故から16年。追悼式は、今年も行われませんでした。私の立場で言える事は、いつも同じになってしまうのだけれど、亡くなられた方々にお悔やみを、遺族の方々、負傷された方々にお見舞いを申し上げる事、そしてこのような、100人以上も犠牲になるような大惨事は、少なくとも日本ではもう絶対に起こしてはならない、この2点です。