№2401 東急池上線 池上駅

 東急池上線・池上駅は、地域の中心である事に加えて、池上本門寺の最寄り駅でもあり、東急の中でも比較的ローカルな路線と言える池上線の中では、常に多くの利用者で賑わる駅です。
 その池上駅が先ごろ、前面リニューアルを終えて、完全に生まれ変わった姿を現しました。今回はこの、新生池上駅をご覧いただきます。

東急電鉄池上駅01駅ビル 20211001.jpg
 東急の公式WEBでは、2020(R2)年度の乗降人員が公表されていて、池上駅は27,763人。2019(H31~R元)年度が36,564人だったそうだから、完全にコロナ禍の影響が出ました。前年比△24.1%(池上駅に限らず、東急の駅全部がそうなのだが)。池上線の中では五反田、蒲田に次いで3位。他線の接続がない中間駅では、一番多い。駅ナンバリングIK13。
 それにしても、ずいぶん大掛かりな駅舎、というか駅ビルになりました。「エトモ池上」というのが一体になっていて、商店の他、図書館や保育所なども入っているそう。 
 駅前は、東急バスのバスターミナルとしても、機能しています。ここはまだ整備途上、か。

東京急行電鉄03-12池上.jpg
 以前もご覧頂いている、旧駅舎。どこかレトロモダン、という感じもして、このままリニューアルしても、とは思ったが、ただし、上下のホームを結んでいるのが構内横断場(踏切)で、比較的乗降の多い駅としては、安全性の問題もあった、という事でしょう。橋上駅舎化を機に、という面も、あったのではないか。

東急電鉄池上駅02北口エスカレーター 20211001.jpg
 北口のエスカレーター。

東急電鉄池上駅03北口エレベーター 20211001.jpg
 北口のエレベーター。

東急電鉄池上駅04南口エスカレーター 20211001.jpg
 新設になった南口の、エスカレーター。

東急電鉄池上駅05南口エレベーター 20211001.jpg
 南口のエレベーター。

東急電鉄池上駅99南口ポスト.jpg
 駅の機能とは直接の関係はないが、南口にある郵便ポストは、昔、池上線を走っていた旧型電車の「紺色+黄色」にデザインされています。
(現在、同色をラッピングした1000系「きになる電車」(1017F)を運行中。

東急電鉄池上駅06池上仲見世 20211001.jpg
 2Fの、駅施設につながるコンコースは「池上仲見世」と称して、店舗が入っています。

東急電鉄池上駅07券売機 20211001.jpg
 券売機。

東急電鉄池上駅08改札口 20211001.jpg
 改札口。

東急電鉄池上駅09改札内コンコース 20211001.jpg
 改札内のコンコース。コンセプトの「門前町」のイメージはここにも現れていて、WC部の囲いも、木材が使われています。

東急電鉄池上駅10模型 20211001.jpg
 この傍らには、池上線の電車の模型があります。(旧)3000系と、デハ7200形。

東急電鉄池上駅11下りホームエスカレーター 20211001.jpg
 下りホームのエスカレーター。

東急電鉄池上駅12下りホームエレベーター 20211001.jpg
 下りホームのエレベーター。

東急電鉄池上駅14上りエスカレーター 20211001.jpg
 上りホームのエスカレーター。

東急電鉄池上駅15上りエレベーター 20211001.jpg
 上りホームのエレベーター。

東急電鉄池上駅13ベンチ 20211001.jpg
 上下ともベンチは、壁面と一体のウッディなイメージ。古材「えきもく」を使用しているのだそう。

東急電鉄池上駅16ホーム発車案内表示 20211001.jpg
 発車案内表示は、基本的には五反田~蒲田間通しの各駅停車しかないから、上下とも直前の列車の表示だけ。

東急電鉄池上駅17ホーム 20211001.jpg
 最後に、ホーム。18m車×3連だから60m程度と短い。池上線と東急多摩川線は、センサー併用のホーム柵を採用しているが、どこかの機会で、他線のようなホームドアに置き換え、などという事は、あるのだろうか?

 駅周辺の活性化も狙った池上駅の全面リニューアル、だったが、頃合い悪く、コロナ禍と被ってしまいました。乗客大幅減だけでなく、池上本門寺のお会式も、万灯練供養(12日を予定していた)が中止になってしまいました(現在、蒲田駅の池上線ホーム終端部に、万灯が展示されている)。苦しい状況は続くが、それでも感染禍の状況は好転しつつあるようで、来年こそは、大規模にリニューアルされた駅にふさわしい賑わいが訪れる事が、期待されます。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


《今日のニュースから》 カッコ内は新型コロナウィルス関連
 3日 バスケットボール女子 アジアカップ 日本 大会史上初5連覇達成
(東京都内新規感染者161人確認 日曜日では今年最少)
 4日 北朝鮮 韓国との連絡ルート復旧
(ワクチン2回目接種完了 全人口の60%超達成)
 5日 飲酒運転5人死傷事故 求刑上回る懲役11年判決
(東京都 「第6波」対応「即時体制」構築検討)
 6日 岩手県沖震源の地震発生 青森県で震度5強
’(大阪府 予約なしワクチン接種 府庁新別館で開始)
 7日 日大理事・医療法人前理事長 背任容疑で逮捕
(東京都 医療提供体制警戒レベル 約10か月ぶり 2番目のレベルに引き下げ)


 作曲家のすぎやま こういちさんが亡くなられた事が明らかになりました。ご冥福をお祈りいたします。ニュース報道はほぼ「ドラクエ」一色だけれど、私の年代で言うと、ロボットアニメの「伝説巨神イデオン」(1980(S55)年)、じゃないですかね?エンディング曲も作曲されたのだけれど、当時出演していた女優の戸田 恵子さん(声優としてもアンパンマンでお馴染み、ですね)が歌っていて、10年くらい前のNHK-BSの音楽番組でも、すぎやま こういちゲスト回で、すぎやまさんの前で戸田さんが歌っていたのが、今でも印象に残っています。当時のゲーム音楽事情を反映したトークも、面白かったね。

 火曜日はお休みを頂きました。緊急事態宣言・まん延等防止措置が全て終わった事で、自主的な自粛もとりあえずはもういいだろうと、月~水の3日間をかけて東海と近畿の鉄道、特に紀勢本線に乗ってきました。紀勢本線は懐が深い路線だし、特に近年は(JR東海・JR西日本とも)特急も普通も減便傾向なので、1日で亀山から和歌山まで乗り通すのは、結構大変な作業です(普通列車限定なら、なおさら)。いずれ書くが、つくづく思ったのは、例えある程度の外出はできたとしても、近場をグルグル回るだけでは、視野が非常に狭くなってしまうという事。私のような、年がら年じゅう、遠くへ行きてぇーっ!と考えているような人間には、なおさらです。数か月ぶりにJR西日本の電車で(結局今回は227系1000番台だけで終わってしまったが)、紀勢本線を数十年ぶりに乗り通して、はっきり感じました。当分海外旅行は考えられない(少なくとも、来年いっぱいまでは)ので、その分国内再発見で、コロナ禍の状況も見据えつつ、可能な範囲で日本を訪ねてみようと考えています。それが、新たな楽しみです。

№2396 ひと昔・ふた昔前 私鉄の駅 津軽鉄道

ストーブ列車 タブレット交換.jpg
 青森県の私鉄の昔の駅、前回は弘南鉄道の駅をご覧頂きました。
 今回は、ストーブ列車で有名な、津軽鉄道です。例によって記録を残していないのは申し訳ないが、保存している乗車券の日付からして、ほとんどの画像は恐らく、1995(H7)年1月13日の撮影です。ストーブ列車にも乗りました。当時はタブレット閉塞で、タブレットの受け渡しのシーンも見られました。それが、上の画像です。

津軽鉄道01津軽五所川原01駅舎.jpg
津軽五所川原 つがるごしょがわら
 JR五能線五所川原とは駅舎は別で、駅名も違う、が、跨線橋は共用という、ここも東北地方では良く見られるスタイルです(ここは今も変わっていないよう)。

津軽鉄道01津軽五所川原05車庫.jpg
 車庫。この時点では津軽21形はまだ導入されていなくて、国鉄キハ20形に準じたキハ2400形(1段上昇窓)、JRから購入したキハ22形が主力、という時代でした。

津軽鉄道02十川.jpg
十川 とがわ

津軽鉄道03五農校前.jpg
五農校前 ごのうこうまえ

津軽鉄道04津軽飯詰.jpg
津軽飯詰 つがるいいづめ

津軽鉄道05毘沙門.jpg
毘沙門 びしゃもん

津軽鉄道06嘉瀬.jpg
嘉瀬 かせ

津軽鉄道07金木.jpg
金木 かなぎ

津軽鉄道08芦野公園.jpg
芦野公園 あしのこうえん

津軽鉄道09川倉.jpg
川倉 かわくら

津軽鉄道10大沢内.jpg
大沢内 おおさわうち

津軽鉄道11深郷田.jpg
深郷田 ふこうだ

津軽鉄道12津軽中里02改築後.jpg
津軽中里 つがるなかざと
 先に改築後をご覧いただきます。スーパーと同居する近代的なタイプになったが、このスーパーは、今はないそうです。なお、北海道新幹線開業時に、奥津軽いまべつへ行く弘南バス路線が開通したが、やはり客足が付かなかったようで、去年の11月に、予約制乗合タクシーに移行しています。

津軽鉄道12津軽中里01改築前 1990.jpg
 津軽鉄道は、先に1990(H2)年、確か2月12日に乗車しています。品川から広崎まで、今はなき高速バス〔ノクターン〕に乗った時、だったかな?この時に撮影した、改築前の駅舎です。

津軽鉄道時刻表19941101.jpg
 1994(H6)年11月1日改正の時刻表です。津軽鉄道は毎年2回ダイヤが変わるので全部を比較するのは難しいが、根本的な部分は変わっていなんじゃないですかね?

 結局画像は全部雪景色で、特にホームだけの無人駅なんて寒々とした印象だけれど、これはこれで、この方が津軽らしくていい、とも感じます。
 津軽鉄道は、結局21世紀になってからは一度も訪れていません。今はどうなんだろう、またいずれ乗りに行きたい、と思うが、いつの日になるのか。乗るなら、やっぱり冬、ストーブ列車(今はストーブ列車車両は有料、これが唯一、20世紀と違う点か?)が走っている時期、だろうか。他の季節も良さそうだが。
 青森県には、以前も何度か書いた南部縦貫鉄道に十和田観光電鉄、黒石線と同じく旧国鉄特定地方交通線を引き継いだ下北交通、乗った事はないが遠い昔には南部鉄道(現南部バス→岩手県北自動車南部支社)もあったけれど、21世紀になってから東北本線を転換して開業した青い森鉄道を除くと、青森県の私鉄は、津軽地方の弘南・津軽の2社のみになってしまいました。私の両親が青森出身という事もあって、ひょっとしたら他の都道府県以上に思い入れが強いのかも知れず(ただし、私自身は青森県には住んだ事がないし、まして津軽弁は全く理解不能)、それだけに、鉄道もまたその行く末を注目してしまうのかも知れません。海・山・湖という自然もまた魅力だし、鉄道だけでなく、バス・船等他の交通機関もまた魅力的なのだが。今すぐとは言えないが、いつかまた、両私鉄を含めた青森の鉄道を探訪できる日を作れればと思っています。それまで、弘南・津軽両私鉄には、コロナ禍を何とか乗り越えて、走り続けて欲しいと願います。

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《今日のニュースから》 カッコ内は新型コロナウィルス関連
22日 柏崎刈羽原発テロ対策不備 東京電力 報告書提出
(関西空港 PCR検査センター開設)
23日 栃木県農業大学校「いちご学科」 オンラインでオープンキャンパス
(札幌・すすき野で職域接種 2回目接種者には缶バッジ配布)

№2395 ひと昔・ふた昔前 私鉄の駅 弘南鉄道

弘南鉄道大鰐線02.jpg
 当ブログでは、去年の夏からこれまで、平成の30年間に起きた鉄道のできごとを、都道府県別に振り返ってきました。今月は長野県まで到達、長野県のローカル私鉄3社の、平成初期~中期くらいの時期に撮影した駅をご覧頂いています。
「ひと昔・ふた昔前 私鉄の駅」は、今回からしばらくの間、これまで取り上げてきた県の鉄道の駅を、不定期・散発的にご覧頂こうと思います。残念ながら廃止になった鉄道の駅はだいぶ前、それこそ当ブログを始めた時期に取り上げているが、これからは主に、今も現役の鉄道の駅の昔の姿の画像を並べる事にします。
 まずは青森県の、弘南鉄道です。青森県は残念ながら、平成の30年の間に南部縦貫鉄道、下北交通、十和田観光電鉄が廃止になってしまい、東側の三八上北・下北はローカル私鉄が全滅してしまいました。現在の純粋なローカル私鉄は、津軽地方の2社のみです。そのうち、弘南鉄道は、元々は別々だった弘南線と大鰐線の会社が合併して成立した私鉄で、加えて旧国鉄の特定地方交通線・黒石線も引き受けていました。
 その3路線が運行されていた、1994(H6)年の撮影になります。当時はまだなかった駅もあります。また、名前を変えた駅も、いくつかあります(皆学校絡み)。

大鰐線 (大鰐~中央弘前)
 大鰐線は、大鰐が起点・中央弘前が終点です(現在の駅ナンバリングは中央弘前KW01→大鰐KW14)。戦後開業の、比較的新しい路線。だから、年季が入った木造駅舎は、大鰐線にはない。

弘南鉄道03-01大鰐 1994.jpg
大鰐 おおわに
 奥羽本線の北側に、独自の駅舎があります(跨線橋は共用)。JRの方は後に大鰐温泉と改称するが、弘南鉄道は大鰐のまま。

弘南鉄道03-02宿河原 1994.jpg
宿川原 しゅくがわら

弘南鉄道03-03鯖石 1994.jpg
鯖石 さばいし
 なお、「さば」の漢字は本当は「魚」辺に「青」なのだけれど、JIS規格になく、PCでは出せない文字みたい。IMEパッドにもなかった(弘南鉄道公式Webでもそうなっている)。

 次の石川との間には、2002(H14)年10月1日に石川プール前駅が開業しています。

弘南鉄道03-04石川 1994.jpg
石川 いしかわ

弘南鉄道03-05義塾高校前 1994.jpg
義塾高校前 ぎじゅくこうこうまえ

弘南鉄道03-06津軽大沢 1994.jpg
津軽大沢 つがるおおさわ
 車両基地があります。撮影当時はまだ旧型電車が残っていて(弘南線もだったが、ラッシュ専用だったか?)、旧西武のクハ1266形の編成が見えます。

弘南鉄道03-07松木平 1994.jpg
松木平 まつきたい
 弘南鉄道に限らないが、平を「たい」と読むのは、東北らしいと思います。

弘南鉄道03-08小栗山 1994.jpg
小栗山 こぐりやま

弘南鉄道03-09千年 1994.jpg
千年 ちとせ

弘南鉄道03-10城南 1994.jpg
城南 じょうなん
 今は改称し、聖愛中高前(せいあいちゅうこうまえ)。

弘南鉄道03-11西弘前 1994.jpg
西弘前 にしひろさき
 今は改称し、弘前学院大学前(ひろさきがくいんだいがくまえ)。

弘南鉄道03-12弘高下 1994.jpg
弘高下 ひろこうした

弘南鉄道03-13中央弘前 1994.jpg
中央弘前 ちゅうおうひろさき
 弘南線やJRの弘前駅からは、離れた位置にあります。

弘南線(弘前~黒石)

弘南鉄道01-01弘前 1994.jpg
弘前 ひろさき
 当時は、JRと弘南鉄道は、窓口・券売機は別々だったが、弘南線のホームへ行く跨線橋は共用だったはずです。北日本でよくあるスタイルだったが、現在は、JRは橋上駅舎となり、弘南鉄道は西側に独自の駅舎を立てています。11年前の2010(H22)年4月と、4年前の1997(H29)年5月に降り立った時に見ています。それぞれ№199と、№1699で書きました。

弘南鉄道01-02東工業高前 1994.jpg
東工業高前 ひがしこうぎょうこうまえ
 現在は改称し、弘前東高前(ひろさきひがしこうまえ)。

弘南鉄道01-03運動公園前 1994.jpg
運動公園前 うんどうこうえんまえ

弘南鉄道01-04新里 1994.jpg
新里 にさと

弘南鉄道01-05館田 1994.jpg
館田 たちた

弘南鉄道01-06平賀 1994.jpg
平賀 ひらか
 車両基地があり、ラッセル車を見る事もあります。近代的な駅です。1986(S61)年12月に改築オープンしたとの事。

弘南鉄道01-07柏農高校前 1994.jpg
柏農高校前 はくのうこうこうまえ

弘南鉄道01-08津軽尾上 1994.jpg
津軽尾上 つがるおのえ

 撮影当時は、津軽尾上と田舎館の間2.7㎞には、駅がありませんでした。この後1999(H11)年4月1日に尾上高校前、2013(H25)年7月27日に田んぼアート駅が開業しています。田んぼアート駅は№1699で出しています(朝晩は通過、冬季は全列車通過)。

弘南鉄道01-10田舎館 1994.jpg
田舎館 いなかだて

弘南鉄道01-11境松 1994.jpg
境松 さかいまつ

弘南鉄道01-12黒石 1994.jpg
黒石 くろいし
 国鉄時代の黒石駅とは別の場所で、弘南黒石と呼称していたが、黒石線が転換された時に路線を敷き直して弘南鉄道の駅と統合、黒石線の車庫も造られました。転換2年後の1986(S61)年4月に改称しています。現在でも弘南線の車両の留置があります。

黒石線(黒石~川部)

弘南鉄道02-01前田屋敷 1994.jpg
前田屋敷 まえだやしき

弘南鉄道02-02川部 1994.jpg
川部 かわべ
 JR東日本との共同使用駅で、弘南鉄道の駅員はいませんでした。黒石線は国鉄時代は弘前への直通列車の設定もあったそうだが、転換時に線路は分断されています。駅舎そのものは今でも変わっていないみたい。

 撮影した当時の、各線の時刻表です。

弘南鉄道大鰐線時刻表19940401.jpg
大鰐線 1994(H6)年4月1日改正

弘南鉄道弘南線時刻表19940401.jpg
弘南線 1994(H6)年4月1日改正

弘南鉄道黒石線時刻表19940418.jpg
黒石線 1994(H6)年4月18日改正

 この当時は、大鰐線と弘南線には朝夕に快速があったし、弘南線では、ラッシュ時には6連が走っていたものでした。大鰐線は快速+普通で合計36往復(区間運転・学校休校日運休含む)、弘南線は35往復、黒石線は21往復の設定がありました。
 その後黒石線は1998(H10)年3月いっぱいで廃止、弘南鉄道としては14年しか持ちませんでした(旧国鉄特定地方交通線で、他鉄道に転換された路線では一番早い廃線だった)。また大鰐線・弘南線も急速に減便が進み、快速も廃止、大鰐線に至っては(区間運転増便の実験も行われた事があるが)朝方以外は1時間間隔となり、夕方はラッシュと言えるものがなくなってしまいました。弘南線も日中は1時間間隔です。30年足らずで、大鰐線は17往復と半分以下、弘南線も23往復にまで減便されてしまいました。黒石線を代替した弘南バスも、現在は平日5往復・土休日4往復です。
 弘南線の田んぼアート駅開業など、利用者を増やす試みは見られるものの、外部から利用者を呼べるような目玉が少ない事もあって、沿線の利用が減少すると、ストレートに影響する事になります。無論、現在のコロナ禍も極めて心配な材料です。車齢50年を超えた、旧東急の7000系の代替も、現状では難しい。環境は極めて厳しいが、何とか頑張って欲しい、としか、言いようがないです。弘南線は4年前に乗っているが、大鰐線はご無沙汰が長いので、ここも早めに再訪をしたいとは思っているが、いつになるのか。

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《今日のニュースから》 カッコ内は新型コロナウィルス関連
19日 ヤクルト 村上 宗隆 史上最年少21歳7か月で100号ホームラン達成
(さいたま市 妊婦へのワクチン優先接種開始)
20日 ロシア中部ペルミ 大学で銃乱射事件 8人死亡
(八重山地方 民謡「とぅばらーま大会 オンライン開催)
21日 バスケットボール男子日本代表 トム・ホーバス氏 新ヘッドコーチ就任発表
(ワクチン接種 1回目 全人口の66.5% 2回目 54.4%達成)

 ワクチン接種は、私は2回目も終わったので、54.4%の一人という事になるが、都道府県別の接種状況も発表になっているけれど、同じ北関東で隣同士なのに、群馬県は1回目接種が70%を超えている(全都道府県では山口県に次いで高い)のに、栃木県は60%に届いていない(沖縄県に次いで低い)。職域接種などもあるので単純比較もできないが、この差はどこから来るのだろうか?感染者数は、東京都が300人を割り、国全体でも1,767人だそうだからだいぶ落ち着いてきているが、これで、緊急事態宣言は今月いっぱいで終わり、となってくれるのだろうか?3連休を含めて祝日が2日ある今週がヤマ場、か。

№2393 ひと昔・ふた昔前 私鉄の駅 上田交通 別所線

上田交通鉄橋 千曲川 上田~城下間.jpg
 長野県内の私鉄の一昔、ふた昔前くらいの駅の姿をご覧頂くシリーズ、最終回は上田交通(現上田電鉄)別所線です。
 かつては上田を中心に、いくつものローカル鉄道路線を走らせていた上田交通だったが、1969(S44)年6月以降は、今の別所線1路線だけになっていました。その直前に東急の傘下になっていた事もあり、昭和の終わり頃からは、東急の中古車両で車両の近代化が進められる事になります。
 今回撮影した画像は、基本的には1995(H7)年の撮影になります。5000系から、冷房付きの7200系に置き換えられてしばらく、という時期でした。

上田交通別所線01上田.jpg
上田 うえだ
 新幹線開業を機に高架新駅に移転する、その前の地平時代です。以前は留置線もありました。
 次の城下との間で、先日復旧した千曲川橋梁を渡ります。一番上の画像です。

上田交通別所線02城下 1995.jpg
城下 しろした
 行き違い可能駅。

上田交通別所線03三好町 1995.jpg
三好町 みよしちょう

上田交通別所線04赤坂上 1995.jpg
赤坂上 あかさかうえ

上田交通別所線05上田原 1995.jpg
上田原 うえだはら
 行き違い可能駅で、以前は青木線が分岐していました。かつてはここに車庫があったらしいが、昭和末期に下之郷に移転したのち、平成になってすぐ、駅自体が場所を変えたそうです。だから確かに、ホームも駅舎も真新しい。

上田交通別所線06寺下 1995.jpg
寺下 てらした

上田交通別所線07神畑 1995.jpg
神畑 かばたけ

上田交通別所線08大学前 1995.jpg
大学前 だいがくまえ
 長野大学、上田女子短大の近くにある駅です。ホームは真新しいが、駅自体は路線が開通した時点からあります。

上田交通別所線09下之郷 1995.jpg
下之郷 しものごう
 現在の別所線の中核となる駅で、行き違いが可能なほか、車庫があります。駅舎機能はホーム上にあります。

上田交通下之郷駅西丸子線ホーム跡 1995.jpg
 かつては西丸子線が分岐していて、ホームの跡が残っていました。西丸子線は、現在は上田バスの路線があるが、撮影当時はどうだったか解らないが、現状は、平日は下之郷発6本・丸子町発7本、土曜日は4往復、休日は運休…。

上田交通別所線10中塩田 1995.jpg
中塩田 なかしおだ
 駅舎は、別所温泉と共通した造りになっています。撮影時点では荒廃した感もありました。

上田交通別所線11塩田町 1995.jpg
塩田町 しおだまち

上田交通別所線12中野 1995.jpg
中野 なかの

上田交通別所線13舞田 1995.jpg
舞田 まいた

上田交通別所線14八木沢 1995.jpg
八木沢 やぎさわ

上田交通別所線15別所温泉 1995.jpg
別所温泉 べっしょおんせん
 別所温泉の駅舎もその後、リニューアルが行われています。

上田交通モハ5250形 1995.jpg
 別所温泉駅は急こう配を上がった所にホームがあるが、スイッチバック形態で側線があり、撮影時点では旧型電車が2両保存され、車内では資料が展示されていました。

 上田交通はその後、2005(H17)年には会社の再編成により、バス部門共々分社となって、上田電鉄として再スタートを切っています。
 その後の上田電鉄には、2009(H21)年10月、そして2か月前の7月に訪れています。12年前は当ブログスタート直後の№63で書きました。7200系→1000系へと、元東急同士で置き換えが進められている最中でした。7200系は「まるまドリーム」が最後の活躍、という所だったか。別所温泉駅は改修工事が終わり、中塩田も改修が進められている最中、という状況でした。
 親会社となった上田交通は今でも東急グループの一員であり、車両の供給の他、一昨年の水害からの復旧でも、いろいろな面で協力があったようです。上田は、東急の創始者・五島 慶太氏の出身地らしく(7月に訪問した時には、渋沢 栄一と並んだ企画展のポスターをご覧頂いています。№2377で出しました)。東急イン(現東急REIホテル)の1号店も上田(旧真田傍陽線の駅の跡地に建てられた。今は南口に移転)にオープンしており、上田とは、東急にとっても、今なお大事な場所なのでしょう。
(なお、バスは分社時の上電バスから上田バスに社名を変えた時に、東急の資本からは離れた。ただし、渋谷行の高速バスを、東急バス等と共同で運行している)

 別所線は今年6月に、開業100周年を迎えました。水害による千曲川橋梁の損壊からも立ち直り、華を添えた格好です。ここでも当然コロナ禍は心配だが、長電やアルピコに比べて、より地域の密着度が高いように思えるので、まだ影響は小さいかも知れません(むしろ北側の菅平などの方が大変かも)。7月の時は往復して、再生した鉄橋を見物しただけで終わってしまいました。その前の訪問時からの12年で、また新車両が入っている事もあるし、今一度時間を作って、撮影や乗車が出来たらな、と考えています。
 
 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


 京急は今日、10月18日より、久里浜線・京急久里浜~三崎口間で、平日11~15時台の減便を行うと発表しました。10往復削減し、基本的には20分間隔での運行。今日のリリースだけではやや判然としない部分もあるので、時刻表がPDFで配布されるのなら、それを見てみます。コロナ禍の影響なのは間違いないが、コロナ禍前の2019(H31~R元)年でも、最高で20%程度の利用しかなかったようで、観光はあっても、日常の利用はやはり少なくなる時間帯なのか。
 JR北海道の方は昨日、来年のダイヤ改正の基本線を発表しました。〔おおぞら〕は全列車261系となるが、閑散期は自由席車を1両減車し、4連で運行。H100形を根室本線・新得~釧路間(全列車)と石北本線・旭川~上川間に導入し、所要時分を短縮。学園都市線(札沼線)のロイズタウン駅が開業するが、リリースでは「最大限の約9割の停車を計画」としているから、全列車停車とはならないようだ。東風連駅は移転し、名寄高校と改称。新函館北斗では、北海道新幹線と〔北斗〕の接続を改善。〔ライラック〕2本は臨時列車化、臨時〔カムイ〕は運転日を削減。札幌圏では10本程度を土休日運休とするほか、学園都市線(札沼線)は日中・夕刻の運行本数・両数の見直し(減便・減車だろう)を実施。その他各地区で減車を実施。花咲線(根室本線・釧路~根室間)・宗谷本線・函館本線で合計7駅を廃止するが、駅名は記されていない。今回は地方のローカル列車の削減は行われないようだ。正式には(例年通りなら)12月半ば(12月17日?)のJRグループ統一リリースで詳細が発表されるだろうが、どこもコロナ禍の影響が甚大で減量が避けられなくなると思われるので、JR以外も含めて、ダイヤ改正の基本線のリリースが、早めに出される事になるのかも知れない。

《今日のニュースから》 カッコ内は新型コロナウィルス関連
15日 ゲノム編集で品種改良のトマト オンラインで販売開始
(シンガポール 「ブースター接種」開始)
16日 グーグル 提携先新聞社・通信社記事掲載サービス開始
(琉球銀行 高校生採用試験 対面で面接)

「ブースター接種」は、欧米でも視野に入っているようだが、WHOは、一方で途上国にはワクチンが全然行き渡っていないのだから、「ブースター接種」は後回しにして、途上国への供給を優先してくれ、としています。いずれ日本でも問題になるはず。今は2度目の接種までのワクチンの確保が引き続き課題だが、その先、「ブースター接種」もだし、ワクチンが十分に確保できても、接種率が下がってくる、という事も起きるでしょう。様々な事案に、どう対処すべきなのか。当然総選挙の争点になりうるが、各党は、ワクチンを確保した、その「先」の接種戦略をどう描いて、有権者に示すのか。
 感染者が減少しているとはいえコロナ禍は引き続き心配だが、それ以上に、台風14号が進路を変えて、西日本に接近しつつあります。予想進路を見ると、日曜日にかけて西~東の日本列島を横断するようで、山陽新幹線は、明日の午後から計画運休に入るという事。大事に至らなければ、良いのだが。

№2392 ひと昔・ふた昔前 私鉄の駅 松本電気鉄道 上高地線

アルピコ交通2奈良井川橋梁.jpg
 長野県内の私鉄の、一昔、ふた昔前の駅の姿をご覧頂く短期シリーズ、今回は、松本電気鉄道(松電:現アルピコ交通)上高地線の駅をご覧頂きます。
 この所何年も足が遠のいていかんなあとは思っているが、この路線は路線名の通り、上高地へのアクセスとして機能していて、終点の新島々では上高地や乗鞍高原、新穂高温泉等の山登りの基地へ向かうバスが発着し、特に登山シーズンの夏場は大いに賑わいます。無論、地域住民の足としても重要です。松本~新村間は、前身の筑摩鉄道による開業から、この10月2日で100周年を迎えます。
 今回は撮影日がキチンと解っていて、2001(H13)年8月29日です。ちょうど20年前で、元京王の3000系への置き換えが完了した、1年後となります。

アルピコ交通01松本.jpg
松本 まつもと
 無論、JR東日本で、長野と並ぶ県内随一のターミナル。松電は7番線発着、大糸線(前身は筑摩鉄道の6年前に開業した信濃鉄道)の6番線と、同じホームを左右で分け合っています。
 松電とは関係なくなるが、現在の松本~新宿間の最速は、〔あずさ18号〕の2時間23分です。

アルピコ交通02西松本.jpg
西松本 にしまつもと

アルピコ交通03渚.jpg
 なぎさ
 思えば、海のない長野県の駅で「渚」とは、どういう由来なのだろうか。

アルピコ交通04信濃荒井.jpg
信濃荒井 しなのあらい
 行き違い可能駅。

アルピコ交通05大庭.jpg
大庭 おおば

アルピコ交通06下新.jpg
下新 しもにい

アルピコ交通07北新.jpg
北新 きたにい
 現在は改称し、北新・松本大学前。なお去年の暮れには、コロナ禍に伴う「密」防止のため、松本とここの間に臨時バスが運行されたそうです。それだけ普段から鉄道の利用が多いのなら、本来は頼もしい話のはずなのだが。

アルピコ交通08新村.jpg
新村 にいむら
 開業当時の駅舎が使用されていました。この11年後には新駅舎が建ち、この駅舎は後に解体されたそう。車両基地があります。
 当時は、ここまでが松本市でした。

アルピコ交通09三溝.jpg
三溝 さみぞ
 当時は、ここから先は東筑摩郡波田町でした。

アルピコ交通10森口.jpg
森口 もりぐち
 行き違いが可能。この駅舎も改築されているようです。

アルピコ交通11下島.jpg
下島 しもじま

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波田 はた

アルピコ交通13渕東.jpg
渕東 えんどう
 何の変哲もない、ホームに待合室だけの無人駅なのだが、改めて見ると、旅情をそそられるたたずまいという感じもします。後の鉄道むすめ「渕東 なぎさ」はもちろん、ここと渚駅から。

アルピコ交通14新島々.jpg
新島々 しんしまじま
 現在はここが終点で、前述の通り、夏場はここから各行楽基地へ向かうバスが、電車に接続する形で発着します。
(冬場は一部ローカル便のみ運行)
 この駅舎も後に改築され、行楽のゲートウェイにふさわしい装いになっています。

アルピコ交通旧島々駅舎.jpg
 昔はもうひと区間、島々まで路線があったが、水害の影響もあったらしく、休止の後、1984(S59)年いっぱいを持って廃止になっています。新島々のターミナル化後は、オマケみたいなものだったようだが。当時の駅舎が、新島々駅の近くに移築されています。へぇ、こんな良い駅舎だったんだ。

 この10年後、アルピコグループの中核企業だった松電は、県中央部のグループバス会社を合併して、アルピコ交通となりました。「松本電気鉄道」という社名はなくなったが、現在でも旅客案内では「松本電鉄」の名前が使われるようで、JRでも駅のサインや車内放送で「松本電鉄」が使われている事は、№1987で書きました。
 アルピコ交通成立後、先の新村や森口、あとは波田など、駅舎の改築が積極的に進められているようです。
 現在上高地線は、水害による田川橋梁(西松本~渚間)の被災により、松本~新村間(ちょうど100周年を迎える区間なのだが)でバス代行輸送が行われています。上高地への足は、自社が運行する「さわやか信州号」がメインになりそうな気配だし、もちろんコロナ禍の影響も甚大だから(インバウンドがなくなってしまった)、日常・観光の両面で非常に厳しい状況だと思われます。被災状況の写真を見ると、流出までには至らなかったが、復旧までには相当な期間を要しそうです。無理をしてもいけないが、早期の復旧により、再び登山者・観光客、そして地元の人々の足として活躍する姿が復活する事が、期待されます。
 なお、今の所アルピコからの公式な発表はなく、「噂」のレベルに過ぎないが、上高地線では車両の置き換えが予想されています。東武20000系という声も聞こえてくるが、ただ、水害+コロナ禍で、遅くなるかも知れない。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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《今日のニュースから》 カッコ内は新型コロナウィルス関連
12日 ドイツ 国際音楽コンクールバイオリン部門 岡本 誠司氏優勝 
(外国人対象 ワクチン集団接種開始 茨城県常総市)
13日 北朝鮮 長距離巡航ミサイル発射実験 成功と発表
(米ニューヨーク 飲食店・劇場など ワクチン接種証明書提示要求義務化)
14日 人工妊娠中絶の配偶者同意 法律既定の署名提出
(受験生へのワクチン優先接種 文部科学大臣 大学・自治体への要請表明)

 人工妊娠中絶は、米テキサス州ではそれどころか、中絶という行為そのものが今月になって州法で禁止され、バイデン政権が提訴するなど、政治的な分断になっているという。

№2390 ひと昔・ふた昔前 私鉄の駅 長野電鉄

山ノ内線01夜間瀬川.jpg

 先月、平成の30年の鉄道回顧で、長野県について書きました。
 長野県の都市別人口は、県庁所在地の長野市が約37万2千人、松本市が約23万7千人、上田市が約15万5千人で、この3市のみ、人口が10万人を超えています。そして、この3市にはいずれも、私鉄の路線があります。
 3回に分けて、長野県の各私鉄の、平成時代の駅の画像をご覧いただきます。1回目は、長野市から東部に路線網を持っていた長野電鉄の、30年くらい前になるだろうか、平成時代の駅の画像を並べてみました。
 現在は長野と湯田中を結ぶ長野線1路線のみになってしまったが、平成が始まった当時は、屋代(信越本線→しなの鉄道)と木島を結ぶ河東線が本線的な位置づけで、長野~須坂間の長野線と、信州中野~湯田中間の山ノ内線は、河東線の支線、という格好でした。
 例によっていつ頃撮った、という記録がなくて申し訳ないですが、恐らく1990年代前半、1991~1992年くらいに、撮ったのかな?

長野線 長野~須坂

長野電鉄01-01長野01地上出入口.jpg
長野 ながの
 長野~善光寺下間は1981(S56)年3月に地下化されています。雪が多い場所なのが理由だと思うが、地方私鉄で地下線はさすがに珍しく、ここと、20年後の2001(H13)年3月に地下に移転した、北陸鉄道浅野川線の北鉄金沢のみ。

長野電鉄01-01長野04ホーム.jpg
 地下ホーム。2面3線。
 長野~朝陽間は複線。

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市役所前 しやくしょまえ

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権堂 ごんどう

長野電鉄01-04善光寺下.jpg
善光寺下 ぜんこうじした
 中間の地下駅3駅はいずれも、道路を横断する地下通路の役割も兼ねています。

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本郷 ほんごう

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桐原 きりはら

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信濃吉田 しなのよしだ

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朝陽 あさひ
 長野からここまでが複線。日中はここで折り返す列車の設定もありました。待避線はない普通の島式ホームだが、渡り線を活用して、特急の普通電車追い抜きも見られました。

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附属中学前 ふぞくちゅうがくまえ
 1985(S60)年3月14日開業の、比較的新しい駅。棒線。

長野電鉄01-10柳原.jpg
柳原 やなぎはら

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村山 むらやま

長野電鉄01-12日野.jpg
日野 ひの
 棒線の駅。

河東線(屋代~木島)

 のちの屋代線(屋代~須坂)間の駅は、9年前の№701で既に書いているが、須坂~木島間と合わせて、改めて出します。運転上は、須坂で、末期には信州中野でも運転系統が分断されていました。

長野電鉄02-01屋代.jpg
屋代 やしろ
 信越本線との接続駅で、営業は国鉄~JR東日本~しなの鉄道に委託していました。昭和の終わり近くまでは、上野からの急行〔志賀〕が、ここから湯田中や木島へ乗り入れていました。

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東屋代 ひがしやしろ

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雨宮 あめのみや

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岩野 いわの

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象山口 ぞうざんぐち

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松代 まつだい

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金井山 かないやま

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大室 おおむろ

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信濃川田 しなのかわだ

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若穂 わかほ

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綿内 わたうち

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井上 いのうえ

長野電鉄02-12須坂.jpg
須坂 すざか
 長野線が合流、と言っても既に長野方面が本線格になっていたが。駅舎も結構大きいが、構内も広く、2面4線ありました。

長野電鉄須坂車庫.jpg
 車両基地もここにありました。今はなきOS系や、元東急5000系の2500系、奥には元日比谷線3000系も見られます。3000系は、営業開始前、だったか?

長野電鉄02-13北須坂.jpg
北須坂 きたすざか
 撮影当時は棒線でした。後に須坂~信州中野間の増発のため待避線が増設されるが、若干移転します。

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小布施 おぶせ

長野電鉄ながでん電車の広場.jpg
 駅の構内には、「ながでん電車の広場」があります。

長野電鉄02-15都住.jpg
都住 つすみ
 棒線の駅。

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桜沢 さくらざわ

長野電鉄02-17延徳.jpg
延徳 えんとく
 ここも撮影当時は棒線で、後に北須坂同様待避線を新設し、行き違いが可能になります。一時は須坂~信州中野間で、普通電車毎時4本運転を行っていた事もありました。

長野電鉄02-18信州中野.jpg
信州中野 しんしゅうなかの
 山ノ内線分岐駅。中野市の中心だけあって、須坂同様、大きな駅で2面4線ありました。
 信州中野~木島間は、「木島線」と呼ばれていたものでした。2002(H14)年3月いっぱいで廃止になっています。早くももうすぐ20年です。末期は「木島線」内折り返し運転で、他区間に先駆けてワンマン運転を行っていました。

長野電鉄02-19中野北.jpg
中野北 なかのきた

長野電鉄02-20四ヶ郷.jpg
四ヶ郷 しかごう

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赤岩 あかいわ

長野電鉄02-22柳沢.jpg
柳沢 やなぎさわ
「木島線」の中間駅では唯一、行き違いが可能でした。駅舎はホームの上にありました。

長野電鉄02-23田上.jpg
田上 たがみ

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信濃安田 しなのやすだ

長野電鉄02-25木島.jpg
木島 きじま
 飯山に近く、バス路線もあります。

山ノ内線 (信州中野~湯田中)
 かなりの急こう配路線で、このため今の元東急8500系は入線できない、との事。

長野電鉄03-01中野松川.jpg
中野松川 なかのまつかわ

長野電鉄03-02信濃竹原.jpg
信濃竹原 しなのたけはら
 山ノ内線では唯一、行き違いが可能な駅です。

長野電鉄03-03夜間瀬.jpg
夜間瀬 よませ

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上条 かみじょう

長野電鉄03-05湯田中.jpg
湯田中 ゆだなか
 温泉の駅だし、夏はハイキング、冬はスキーで賑わう所でした。長電バスも志賀高原・白根火山などへの路線があり、夏場だけ、国鉄~JRバスとの相互乗り入れで、群馬県の長野原への直通運転もあったものでした。構内は、当時は変則的なスイッチバックで、3連だけ一旦ホームをやり過ごしたのち、バックしてホームに収まっていました。今は棒線化されています。

長野電鉄長野駅時刻表 1994年10月15日改正.jpg
 これらの写真を撮った後だろう、1994(H6)年10月改正の、長野駅の時刻表です。
 普通電車が日中毎時4本、しかも全てが信州中野までの運行(うち毎時1本は湯田中行)、特急も1時間間隔で毎時20分発のパターンダイヤで、朝陽で普通の追い抜きを行っていました。
 皮肉にも、新幹線が長野まで到達したあたりから、長電の凋落が始まったように思います。特急は小田急ロマンスカーやJR成田エクスプレスの導入で観光輸送に活路を見出そうとするが、普通電車は、「木島線」「屋代線」廃止のみならず、残存の「長野線」でも改正の度に減便が繰り返されます。現行ダイヤでは、長野を出発する列車は特急10本(1本(ゆけむり~のんびり号~は特定日運転)・普通36本(2本は土休日等運休)で、合計で最大46本にしかなりません。27年前は特急14本・普通62本(7本は土休日運休)、合計78本だから、40%以上の減少になっています。日中の普通電車は、ほぼ半減です。
「木島線」「屋代線」はローカル色がより濃く、「屋代線」は恐らく、人の流れに合わなくなっていただろうから、廃線もやむ無しかも知れないが、残存の長野線が、県庁所在地の長野を基点として、須坂・中野と言ったある程度は有力な都市を結び、観光地の玄関口の湯田中を結ぶ路線でありながら、急激な便の減少は、正直懸念される事態だと思う。一度は交換設備の増設で大増発までやっていたのだから、なおさら。今の長電は特急を主力に据えた観光輸送が、営業の中心になるのだろうが、もう少し日常の利用が増えないと、廃線にはならないだろうが、いずれどこかで行き詰ってしまうのではないか?むろん長電自身の経営努力も求められるが、もう少し沿線の自治体も、利用を促進する方策を立てて、長電を盛り立てていく方向に向かってほしい。
 
 今回の撮影は30年も前の話で現状は正直見ていないから解らない部分もあるし(長野~信濃吉田間のみ、10年前に乗っているが)、一方で近年、メトロ03系の導入もあるので、早いうちに再度、全線を訪れ、長電の「今」を見直したいと思います。7月の長野行では長電にまでは手が回らなかったので、次の長野行では、必ず乗ると宣言しておきます。

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《今日のニュースから》 カッコ内は新型コロナウィルス関連
 8日 GACKT 芸能活動無期限休止発表 
(障害者対象のワクチン接種 相模原市 専用の会場解説)
 9日 香港 天安門事件資料展示記念館 警察が捜索 展示品など欧州
(東京都 感染者1,675人 7月以来の2,000人以下)


 という状況ではあるが、宮城・岡山を除く19都道府県は、緊急事態宣言が今月一杯まで延長される事になりました。ここまでくると、なるようにしかならないのか。ワクチン接種の加速が望まれるが、実は私は昨日、2回目のワクチン接種(ファイザー)を受けました。接種痕が若干痛むが、体調は全く問題ないです。これでパンデミック前の日常の生活が今すぐ帰ってくるわけでもなく、様々ガマンが続くが、それでもほんの少しでも、世界の正常化に貢献できているのかなあ、と思っています。

№2369 福井鉄道の駅 たぶん2009年

福井鉄道 日野川.jpg
 先週は、福井県のえちぜん鉄道の、京福電気鉄道(福井支社)時代の駅の画像をご覧頂きました。
 今回は、福井鉄道です。
 福井鉄道も昔は他にローカル路線がいくつかあったが、現在は福井と武生を結ぶ福武線のみです。福井市の中心部は、併用軌道になっているのが特徴的です。全線北陸本線と並走しているが、昔の北陸本線は長距離列車偏重でローカル列車は少なかったから競争力があって、福井市と鯖江市・越前市(旧武生市)を結ぶインターバンとして機能し、急行電車も走っていました。北陸本線が国鉄末期の普通列車強化策に出た事で地域輸送に方向が転換されていくが、それでもえちぜん鉄道との相直開始時には急行運転が復活し、福井駅も移転して、再度都市鉄道としての体裁も整えられていくようです。
 そんな福井鉄道福武線の、地域輸送が中心になっていた頃(むろん、今でもそうだが)の画像になります。福井鉄道も、近年になって結構駅の新設や改称が多くなっています。例によって撮影年月日を特定できないのはお恥ずかしいが、別の記録から恐らく、大半の画像は、2009(H21)年5月の撮影になるかと思われます。
 武生新→田原町・福井駅方向が下りです。

福井鉄道01-01武生新.jpg
武生新 たけふしん
 2010(H22)年3月25日に越前武生と改称。JRの武生駅からはやや離れた場所にあります。なお、北陸本線を挟んだ反対側の社武生駅からは南越線という路線が粟田部まで走っていたが、40年前に廃線になっています。

福井鉄道01-02西武生.jpg
西武生 にしたけふ
 武生新→越前武生と同じ日に、北府と改称。

 次の家久との間に、やはり同じ日にスポーツ公園駅が開業しています。

福井鉄道01-03家久.jpg
家久 いえひさ

福井鉄道01-04上鯖江.jpg
上鯖江 かみさばえ
 やはり同日、サンドーム西と改称しています。

福井鉄道01-05西鯖江.jpg
西鯖江 にしさばえ
 福井鉄道としては、ここが鯖江市の中心となる駅で、福井鉄道バスの発着もありました(今はコミュニティバスに移行しているようだ)。

福井鉄道01-06西山公園.jpg
西山公園 にしやまこうえん

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水落 みずおち
 この駅からは鯖浦(せいほ)線が分岐し、織田まで走っていたが、1972(S47)年10月に廃線になっています。

福井鉄道01-08神明.jpg
神明 しんめい

福井鉄道01-09鳥羽中.jpg
鳥羽中 とばなか

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三十八社 さんじゅうはっしゃ

福井鉄道01-11浅水.jpg
浅水 あさみず

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ハーモニーホール
 1997(H9)年9月20日に開業した、新しい駅です。待合所の屋根の形がユニーク。

福井鉄道01-13江端.jpg
江端 えばた

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ベル前 べるまえ
 この駅は1989(H元)年10月1日に花堂南(はなんどみなみ)として開業し、4年後の1993(H5)年4月15日に改称しています。「ベル」とは、ショッピングシティBellから。


福井鉄道01-15花堂.jpg
花堂 はなんど
 ここから、複線になります。

福井鉄道01-16福井新.jpg
 やはり2010(H22)年3月25日、赤十字前と改称。

 この先で併用軌道となり、法規が鉄道→軌道になります。

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木田四ッ辻 きだよつつじ
 2016(H28)年3月27日(北海道新幹線開業と同じ日)、商工会議所前と改称。

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 同じ日、足羽山公園口と改称。

 ここと市役所前の間に、上り(福井→武生方向)のみ停車する、本町通り(ほんまちどおり)という電停があったが、2002(H14)年7月14日を持って、廃止になっています。

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市役所前 しやくしょまえ
 武生方向から福井駅前を経由する電車は、ここでスイッチバックして、福井駅前への区間に入っていきました。だから少々効率が悪い。2018(H30)年3月4日、福井城址大名町と改称。

福井鉄道02-06福井駅前.jpg
福井駅前 ふくいえきまえ
 当時は、商店街の中の棒線の駅でした。(№1239でも出しています。2016(H28)年3月27日に路線を延伸して駅前バスターミナル脇に移転、福井駅と改称しました。新しい福井駅電停は、去年見て撮っています

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裁判所前 さいばんしょまえ
 2010(H22)年3月25日に新ホームになり、仁愛女子高校と改称(えちぜん鉄道三国芦原線にある臨時駅を使用する「仁愛」ですかね?)。これも№1239で出しています。

福井鉄道02-05田原町.jpg
田原町 たわらまち
 えちぜん鉄道三国芦原線の乗換駅。三国芦原線のホームの反対側に発着していました。
 その後、直通運転が行われる事になり、線路の形態も変わっていきます。工事中の様子は、これも№1239で出しました。

 こうしてみると、平成の30年間の福井鉄道は、駅も車両も変遷が非常に多くなりました。今回、電車と一緒に撮った画像が多いが(特に軌道線区間では意識的にそうした)、撮影時点では、「600V」区間を追われた名鉄車が旧型車両を大方一層していた時期だったが、一方でクロスシートの200形連接車や、名鉄車より前に入線していた、元名古屋市営地下鉄車両と言った、床が高い車両が、まだ主役でした。無論軌道線区間ではタラップを用意しているが、特に高齢者にとっては、相当難儀なものになっていた事は、間違いありませんでした。ひいては、電車の利用が敬遠される元にもなり得たはずです。だから、「田原町フェニックスライン」開通を機に、超低床車両に置き換えられていくというのは、利用を繋ぎとめるという点では、必然的な流れでした。そしてそれは、駅の形態もまた変えていく事になります。
 残念ながら去年の福井はJRの乗り換えのみ、福井鉄道もえちぜん鉄道も乗る事なく終わってしまったのは、残念な事でした。今の福井の2大私鉄はどのような姿になっているのだろうか。遅くとも、新幹線が延伸するより前には、行っておきたいと考えています。新幹線を迎える両鉄道には、また新しい変化が見えているだろうか。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


 中国河南省が洪水被害に遭っているが、地下鉄が浸水し、犠牲者も出ているそう。日本の地下鉄も、考えないと。
 中部横断自動車道の南部IC~下部温泉早川IC間が、8月29日に開通すると、国土交通省から発表になりました。これで全線開通になるが、当初の予定から4年遅れという事。さて、この開通は、JR身延線、特に特急〔ふじかわ〕には、どの程度の影響を与える事になるのだろうか?静岡~甲府間の高速バスの開通も、あり得ますかね?

《今日のニュースから》 カッコ内は新型コロナウィルス関連
18日 奥多摩・峰谷橋付近で土砂崩れ 1人ケガ 周辺で停電
(韓国軍駆逐艦 集団感染)
19日 カルロス・ゴーン逃亡ほう助 元米軍兵士親子に実刑判決
(プロ野球・Jリーグ ワクチン接種でルール見直し 検討の考え提示)
20日 やまゆり園障害者殺害事件から5年 追悼式典
(北海道 まん延防止措置適用 政府に要請)
21日 セブン&アイHD参加「Francfranc」 株式25%の売却発表
(星稜高校 野球部員複数感染 県大会準々決勝辞退)


 東京オリンピックは、未だ賛否が拮抗する中、開会式に先駆けて今日から競技が始まりました。今日の日本勢は女子チームが先陣を切り、ソフトボールはオーストラリアに8vs1で勝利、サッカーはカナダ相手に1vs1の引き分けでした。ところで、2032(R14)年のオリ・パラがオーストラリアのブリスベンに決まりました。11年も先で、パリもLAもまだだというのに。ブリスベン以外に名乗りを上げたところがなかったみたいだけれど。東京の一連のゴタゴタを機に、コロナウィルス云々関係なく、この先のオリ・パラの在り方そのものが再度問われる事になるのではないでしょうか。政治はヌキにして欲しいけれどね…。

 次回は土曜日に更新します。

№2367 京福電鉄(福井)の駅 1990’s≪後≫

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 前回と今回の2回に分けて、現在のえちぜん鉄道の駅の、京福電気鉄道時代の姿をご覧頂いています。2回目は、三国芦原線です。転換後も永平寺口(旧東古市)以外は変化が少なかった勝山永平寺線(旧越前本線)とは対照的に、新駅の開業や、在来の駅名の改称がかなり行われる事になります。

三国芦原線 福井口~三国

 えちぜん鉄道転換後、2015(H27)年9月27日に、福井口と西別院の間に、まつもと町屋駅が開業しています。

京福電気鉄道03-01西別院 1995.jpg
西別院 にしべついん

京福電気鉄道03-02田原町 1995.jpg
田原町 たわらまち
 福井鉄道接続駅。この構図では解らないが、ホームの反対側に、福井鉄道の線路がありました。後に線路が繋がり、直通運転が開始される事になります。

京福電気鉄道03-03西福井.jpg
西福井 にしふくい
 ホームがスーパーの中に取り込まれています。えちぜん鉄道転換後改称して、現在は福大前西福井。
 次の新田塚まで2.1㎞と比較的駅間が長かったが、えちぜん鉄道転換後の2007(H9)年9月1日、日華化学前と八ッ島、2駅が一気に開業しました。

京福電気鉄道03-04新田塚 1995.jpg
新田塚 にったづか

京福電気鉄道03-05中角 1995.jpg
中角 なかつの
 九頭竜川を渡った先の駅。今の所、福井鉄道直通電車は停車しません。

 中角と鷲塚針原の間に、仁愛グランド前の臨時駅があります。1992(H4)年9月10日と、平成になって間もなくの開業だが、学校関係者だけの駅で、通常は電車は停車しないし、一般の旅客は利用できない。

京福電気鉄道03-06鷲塚針原 1995.jpg
鷲塚針原 わしづかはりばら
 現状は解らないのだが、福井鉄道からの直通電車の終点になっています。

京福電気鉄道03-07太郎丸 1995.jpg
太郎丸 たろうまる
 えちぜん鉄道転換後改称して、現在は太郎丸エンゼルランド。

京福電気鉄道03-08西春江 1995.jpg
西春江 にしはるえ
 えちぜん鉄道転換後改称して、現在は西春江ハートピア。

京福電気鉄道03-09西長田 1995.jpg
西長田 にしながた
 かつて丸岡線が分岐していた駅です。丸岡線は、北陸本線の金津(現芦原温泉)~永平寺間を結んでいた永平寺線にあった本丸岡とを結んでいた路線です。1968(S43)年7月に廃線となったが、名残の線路が残っていました。えちぜん鉄道転換後改称して、現在は西長田ゆりの里。

京福電気鉄道03-10下兵庫 1995.jpg
下兵庫 しもひょうご
 えちぜん鉄道転換後改称して、現在は下兵庫こうふく。

京福電気鉄道03-11大関 1995.jpg
大関 おおぜき

京福電気鉄道03-12本荘 1995.jpg
本荘 ほんじょう

京福電気鉄道03-13番田 1995.jpg
番田 ばんでん
 JR東日本相模線に同名の駅があるが、読み方が違う。

京福電気鉄道03-14芦原湯町 1995.jpg
芦原湯町 あわらゆのまち
 かなり近代的な駅舎です。下りホームとは跨線橋で結ばれていました。えちぜん鉄道転換後改称して、現在はあわら湯のまちと、柔らかい表記になりました。 

京福電気鉄道03-15水居 1995.jpg
水居 みずい

京福電気鉄道03-16三国神社 1995.jpg
三国神社 みくにじんじゃ

京福電気鉄道03-17三国 1995.jpg
三国 みくに

京福電気鉄道03-18三国港.jpg
三国港 みくにこう
 他の画像は1995(H7)年撮影だが、この画像だけ、もっと前の撮影だったはずです。天気が露骨に違うし。

 という感じで、四半世紀くらい前の、当時の旧京福電気鉄道福井支社の路線の駅を、(新福井を除いて)全部ご覧頂きました。
 えちぜん鉄道転換後も一応乗る機会はあったが、福井鉄道との相互直通が始まって以降は乗っていない。福井自体は、近年では2014(H26)年9月に行って福井鉄道には乗っているし、去年も北陸本線の乗り継ぎの最中に立ち寄ってはいるが、どちらもえちぜん鉄道にまでは手が回りませんでした。既に北陸新幹線延伸を待たずに変化は起きているし、何より相互直通(田原町フェニックスライン)が走り出して久しい。旧JR東海119系の7000系も、むろん直通用LRT車両もあります。ここも早いうちに、できれば新幹線延伸前には訪れて、駅・車両の両面で、変化を見届けたいと思っています。
 来週火曜日は、福井鉄道の駅を出す予定です。

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 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


《今日のニュースから》 カッコ内は新型コロナウィルス関連
14日 最低賃金 全都道府県で28円引き上げ 厚生労働省審議会 目安提示
(インドネシア 過去最多1日5万4517人感染 死者991人)
15日 池袋暴走事故裁判 被告に禁固9年 検察求刑 
(自民党 穴見 陽一衆議院議員 役職停止処分 まん延防止等重点措置下で多人数の会食)

№2366 京福電鉄(福井)の駅 1990’s≪前≫

京福電気鉄道01-01福井08ホーム 1995.jpg
 先週、「平成の鉄道回顧」で、福井県について書きました。
 福井県は、北陸本線を中心としたJR西日本の路線の他、福井市を中心に、私鉄が2社あります。そのうちの1社、えちぜん鉄道は、元々は京都に本社を置き、「嵐電」の愛称で親しまれている京福電気鉄道が、福井に支社を置いて運営していました。昭和の頃はもっと路線があったが、平成が始まった時点では3路線に集約されていました。
 20世紀の終わりになって、乗客の減少から路線の廃止を打診していたところ、2000(H12)年と翌2001(H13)年に連続正面衝突事故を起こして全線の運行を停止。しかし、代行バスが交通渋滞にたびたび巻き込まれた事から鉄道の必要性が再認識され、沿線の自治体などが出資したえちぜん鉄道に、鉄道事業が引き継がれる事になります。永平寺線は廃線となり、残る2線・越前本線と三国芦原線がえちぜん鉄道に引き継がれ、2003(H15)年10月19日までに、全線の運行を再開した所です。なお、京福電鉄の資本は、京福バスとして、福井の地に残っています。
 今回は、今のえちぜん鉄道の駅の、京福電気鉄道時代の姿をご覧頂こうと思います。例によって撮影日の記録を残していないので資料性に欠けるが、曇り空の画像は、1995(H7)年の撮影と思って頂いていいです。晴れの日の画像は、違う年ではなかったかと。

 えちぜん鉄道になって、三国芦原線では駅も増えたが、当時から駅の数が割とありました。なので、2回に分けます。今回は越前本線(現在のえちぜん鉄道勝山永平寺線)と、引き継がれる事なく廃線になった、永平寺線の各駅の画像を並べました。と言いながら、今回改めてチェックしたら、新福井がない!撮り忘れたのか、写真をなくしてしまったのか?この辺は申し訳ないです。その点、ご了承ください。

越前本線 福井~勝山

京福電気鉄道01-01福井01駅舎 1995.jpg
福井 ふくい
 北陸新幹線の工事の前まで、こんな小ぶりで古い駅舎でした。

京福電気鉄道01-01福井03沿線案内.jpg
 駅舎内には案内図があります。が、よく見ると、福井鉄道は書かれていない。
 ホームは、一番上に出しました。独立した駅だが、ホームの番号はJRからの通しです。

 新福井は、ゴメンナサイです。

京福電気鉄道01-03福井口 1995.jpg
福井口 ふくいぐち
 三国芦原線は、ここで分岐します。駅舎は、2路線のホームに挟まれた位置にありました。

京福電気鉄道01-04越前開発 1995.jpg
越前開発 えちぜんかいほつ
 以前は、福井からここまでは複線でした(今の複線区間は福井口まで)。

京福電気鉄道01-05越前新保 1995.jpg
越前新保 えちぜんしんぼ

京福電気鉄道01-06追分口 1995.jpg
追分口 おいわけぐち
 252号が映っている。永平寺線専用と思っていたのだが、本線の運用もあったようでした。

京福電気鉄道01-07東藤島 1995.jpg
東藤島 ひがしふじしま

京福電気鉄道01-08越前島橋 1995.jpg
越前島橋 えちぜんしまばし

京福電気鉄道01-09観音町 1995.jpg
観音町 かんのんまち

京福電気鉄道01-10松岡 1992.jpg
松岡 まつおか
 駅舎そのものが見ものなのだが、駅前の、映画の看板も注目、かも。こんな形の宣伝、今はやらないよね?映画のタイトルからして、この画像は1992(H4)年の撮影だったと思う。

京福電気鉄道01-11志比堺 1995.jpg
志比堺 しいざかい

京福電気鉄道01-12東古市 1995.jpg
東古市 ひがしふるいち
 かつての永平寺線分岐駅。廃線後、えちぜん鉄道転換時に永平寺口駅となりました。

京福電気鉄道01-13下志比.jpg
下志比 しもしい

京福電気鉄道01-14光明寺 1995.jpg
光明寺 こうみょうじ

京福電気鉄道01-15轟 1995.jpg
 どめき

京福電気鉄道01-16越前野中 1995.jpg
野中 のなか

京福電気鉄道01-17山王 1995.jpg
山王 さんのう

京福電気鉄道01-18越前竹原 1995.jpg
竹原 たけはら

京福電気鉄道01-19小舟渡 1995.jpg
小舟渡 こぶなと

京福電気鉄道01-20保田 1995.jpg
保田 ほた

京福電気鉄道01-21発坂 1995.jpg
発坂 ほっさか

京福電気鉄道01-22比島 1995.jpg
比島 ひしま

京福電気鉄道01-23勝山 1995.jpg
勝山 かつやま
 終着駅だが、かつてはここからさらに京福大野まで路線が延びていました。この京福バスは、定期バスではない、何だったっけ…?

永平寺線 東古市~永平寺
 この当時は越前本線の支線に過ぎなかったが、かつては芦原温泉から丸岡を経由し、東古市で越前本線と平面交差する構造でした(今でも少ないながら、京福バス路線がある)。当時の永平寺線は、日中は電車とバスが交互に運行される形態で、電車は1時間毎でした。 

京福電気鉄道02-01諏訪間.jpg
諏訪間 すわま

京福電気鉄道02-02京善 1995.jpg
京善 きょうぜん

京福電気鉄道02-03市野々.jpg
市野々 いちのの

京福電気鉄道02-04永平寺 1995.jpg
永平寺 えいへいじ

 正直、永平寺線も残ってくれていたらなあ、とは思っています。
 次回木曜日に、三国芦原線の駅を出します。

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《今日のニュースから》 カッコ内は新型コロナウィルス関連
11日 立憲民主党枝野代表 村山富市元首相と面会
(受験生対応のワクチン接種開始 広島県坂町)
12日 香港区議会 民主派議員200人以上辞職 
(酒類販売団体 自民党下村政務調査会長と面会 経済産業大臣発言の説明を要求)
13日 防衛白書公表 台湾情勢の緊張感ある注視の必要を指摘
(国税庁職員7人感染判明 3人以上の飲み会に参加)

 イングランドではサッカーEUROの決勝が行われて、イタリアが地元イングランドを破って優勝しました。この試合、それとウィンブルドン男子決勝は、観客の入場制限をしなかったほか、サッカーの試合終了後には各地でサポーターが密集して大騒ぎになったそうです。東京オリンピックが、大半の会場を無観客にして、それでもなお開催自体への批判・反発が根強くあるが、ではイングランドのケースはどう考えたら良いのだろうか。英ジョンソン首相は、イングランドでは19日からほとんどすべての規制を撤廃すると発表しています(公共交通利用には引き続きマスク着用が必須になるが)。ワクチン接種が日本より遥かに進んでいるからそう言えるのだろう、観客も多数動員できるのだろう。うらやましい話、とも言えるが、一方彼の地では、今後感染者数が8月には10万人に達する可能性があるという指摘もあるそう。感染者数が増えても、ワクチン効果で重症者・死者が減ればいい、という判断なのだろうが、裏目に出なければ良いが、出てしまったら、事はイングランドだけに留まらなくなる。日本よりウィルス対策が進んでいるとされていた韓国でも感染が拡大、プロ野球の試合が今日から一週間、全て中止になるそうで(その後オリンピックの中断に入る)、ウィルス(デルタ株)に四苦八苦するのは、日本だけではないなあ。
(サッカーに関しては、ウィルス対策とは別に、また人種差別問題が頭をもたげて、不快)

№2357 小田急小田原線 代々木八幡駅

 新宿から小田急線の各駅停車に乗って10分弱、3つ目の駅が代々木八幡です。2年前の3月に新駅舎と新ホームがオープン、これによって、新宿発着の各駅停車の10連運転が始まる事になりました。今回は、新装開店(と言ってももう2年経つが)の代々木八幡駅の「今」を、ご覧頂こうと思いまs。

小田急電鉄代々木八幡駅01橋上駅舎 20210621.jpg
 代々木八幡駅の、2019(H31~R元)年度の乗降人員は20,580人。各停のみ停車の駅としては少なくはないと思うが、小田急全体では50位で、真ん中より下。ただ、前年度比で1%の増加だったそうです。この駅は渋谷区にあるが、小田急で渋谷区とは、どこかピンと来ない部分も(小田急の駅で新宿区にあるのは新宿だけ。)。駅ナンバリングOH04。

小田急電鉄01-04代々木八幡.jpg
 もう30年くらい前、の撮影、だったかなあ?改築前の代々木上原駅です。当時は相対式ホームで、下りホーム側に駅舎があり、上りホームとは跨線橋で結ばれていました。「自動改札をご利用ください」の看板が、時代だなあ。
 画像でいうと、この右側100mくらい先に、地下鉄千代田線の代々木公園駅の入り口があります。代々木公園まで到達したのが1972(S47)年10月20日だが、代々木上原まで延伸したのは1978(S53)年3月31日で、この間の5年半は、平日朝ラッシュ時の新宿行準急が代々木八幡に停車して、乗り換えの便を図っていました。


小田急電鉄代々木八幡駅02南口エントランス 20210621.jpg
 この旧駅舎があったあたりの、南口のエントランス。

小田急電鉄代々木八幡駅03南口階段 20210621.jpg
 新橋上駅舎は心持ち高い位置にあるようで、階段・エスカレーターは、踊場で折り返すような形態になっています。

小田急電鉄代々木八幡駅04南口エスカレーター 20210621.jpg
 踊り場からの階段と、エスカレーター。

小田急電鉄代々木八幡駅05南口エレベーター 20210621.jpg
 南口のエレベーター。これも他の駅より、若干高く感じられる。

千代田線代々木公園駅案内.jpg
 上がりきったところに、先述した通りの、千代田線代々木上原駅への案内の簡単な表記がありました。

小田急電鉄代々木八幡駅06北口エスカレーター 20210621.jpg
 一方、新たにできた、北口のエスカレーター。以前はホームだった場所。

小田急電鉄代々木八幡駅07北口エレベーター 20210621.jpg
 北口のエレベーター。

小田急電鉄代々木八幡駅08山手通り連絡通路 20210621.jpg
 橋上駅舎がやや高いと思われる位置にあるのは、西側を高架橋で跨ぐ山手通りと、連絡通路で結ばれるようになっているからかも知れません(西口と呼称)。この背後に京王電鉄バスの「代々木八幡駅入口」バス停があり、渋谷駅へ行く京王電鉄バスが頻発しています。

小田急電鉄代々木八幡駅09コンコース 20210621.jpg
 駅舎内のコンコース。

小田急電鉄代々木八幡駅10ロッカー 20210621.jpg
 コンコースのロッカー。左が普通のコインロッカー、真ん中がAmazonの代品受け取り用。右はレンタル傘の「アイカサ」。

小田急電鉄代々木八幡駅11券売機・時刻表 20210621.jpg
 券売機。定期券も、特急券も買える。こういうのが小駅でも普及すると、駅の無人化もさらに進んだりするんだろう(代々木八幡は終日駅員がいる)。

小田急電鉄代々木八幡駅12改札口 20210621.jpg
 改札口。もちろん全部自動改札で、IC専用機も。

小田急電鉄代々木八幡駅13改札口発車案内表示 20210621.jpg
 改札口の上野、発車案内表示。

小田急電鉄代々木八幡駅14ICカードチャージ機 20210621.jpg
 普通の精算機はなく、ICカードのチャージ機のみある。ロマンスカーミュージアムのPRポスターが貼られているスペースにもう一台設置できそうだが、そうはならないだろう。

小田急電鉄代々木八幡駅15サイネージ広告 20210621.jpg
 改札内コンコースの、サイネージ広告。

小田急電鉄代々木八幡駅16構内案内図 20210621.jpg
 駅の構内案内図。

小田急電鉄代々木八幡駅17改札内コンコース1 20210621.jpg
 改札内コンコース。改札側から見る。

小田急電鉄代々木八幡駅18改札内コンコース2 20210621.jpg
 これは反対側、階段・エスカレーター側から。南側はガラス張り。
 この駅には、いわゆる「エキナカ」はない。コンビニ・売店もない。

小田急電鉄代々木八幡駅19ホームエスカレーター 20210621.jpg
 ホームの新宿側にある、エスカレーター。

小田急電鉄代々木八幡駅20ホームエレベーター 20210621.jpg
 ホーム中央のエレベーター。

小田急電鉄代々木八幡駅21ホームベンチ 20210621.jpg
 ベンチは、エレベーターの前の1器のみ、枕木方向に設けられている。

小田急電鉄代々木八幡駅22ホーム時刻表 20210621.jpg
 時刻表。現在の代々木八幡駅は各駅停車のみ停車。日中は10分間隔で停車。

小田急電鉄代々木八幡駅23ホーム発車案内表示 20210621.jpg
 ホームの、発車案内表示。下りに「(次の電車は)11時11分発各駅停車本厚木行です」とスクロール表示されているが、2本しか表示できないところ、通過電車の方が圧倒的に多くて(特急・快速急行・急行の3本連続通過も少なくない)、停車する列車の表示がなかなか出ない事があるので、こうしているのだろう。

小田急電鉄代々木八幡駅24ホーム 20210621.jpg
 最後に、代々木八幡駅改良の最大のポイントとなった、ホーム。元々このすぐ先で千代田線が割り込んでくるので、上下線の間が若干開いていました。このスペースを活用したわけで、南側に行くにつれて広くなっていくが、やはり少々狭いだろうか。乗降がそれほど多くはなく、しかも最初からホームドアを整備しているので、十分カバーできるという事だろう(日中は駅員が常駐している)。10連対応で、このホームの完成により、各停の10連化が達成できたわけです。通常の複線区間では唯一、小田急の駅では異例の島式ホームになりました。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


 オリ・パラは制限付きながら観客を入れる事になりました。専門家が「無観客」を提言していただけに当然否定的な意見が数多く出されていて、海外メディアも皆疑問的な論調だが(一つ間違うと、国際問題にもなりかねないし)、感染状況がこのままなら(東京都はまた増加傾向らしいが)、これで開幕を迎える事になりそうです。これを受けて、各交通機関は観客輸送の計画の立案を開始しました。元々の想定からは大幅な縮小になってしまうはずだが、ともかく無事に開幕し、無事に輸送が完遂される事を、今の時点では願いたいと思います。小田急も江ノ島海岸のセーリングがあるが、どうするのか。

《今日のニュースから》 カッコ内は新型コロナウィルス関連
20日 大谷 翔平 23号ホームラン メジャーリーグ自己最多更新
(中国シノファーム製ワクチン ベトナムに到着)
21日 大相撲名古屋場所 番付発表 宇良 序二段106枚目から幕内復帰
(原爆資料館・五稜郭タワーなど 緊急事態宣言終了で再開)
22日 財務省決裁文書改ざん事件 「赤木ファイル」開示
(上皇ご夫妻ら皇族方 二度目のワクチン接種)

 メジャーリーグでは今、投手が付ける「滑り止め」が問題になっていて、MLBは取り締まりを強化するとしているが、かなり混乱しているらしい。MLBのボールは日本と比べてかなり滑りやすくなっているらしく、ダルビッシュ 有は「ボールそのものの方を何とかしろ」と苦言を呈しているが、極端な「投高打低」の中ホームランを量産する大谷 翔平は、投手・打者、双方の立場として、どう感じているのだろうか。
 静岡県知事選挙は、現職の川勝氏が再選されました。リニア中央新幹線はどうなる?
 昨日から、ワクチンの職域接種が本格的に始まりました。交通事業者でも報道があったJR東日本などに加え、確認した所では、京成や西武などがリリースを出しています。