「駅の時刻表から見る 私鉄ダイヤの変遷」は、4年前の西鉄天神大牟田線・花畑駅以来になってしまいました。
今回は京成線の青砥駅です。京成線は
京成上野、
公津の杜に次いで3回目になるが、京成上野はちょうど10年前、公津の杜も7年前になりました。それ以降も京成ダイヤは山あり谷あり、特に空港アクセス輸送があるので、航空需要の浮き沈みに左右されがちになります。コロナ禍の今はまさにそうで、改めて過去のダイヤを振り返ってみるのも、「アフターコロナ」のダイヤ再構築の展望の上でも、少しは意味がある事ではないかと思います。
青砥駅は本線と押上線の分岐駅、というか、先に押上線部分が開業し、上野方面へ向かう本線は、後の開業になります。それは、押上線の方が直線で、本線は急カーブで合流する、という線形からも解ります。次の京成高砂までの間は複々線で、1986(S61)年に上下を分離した立体化工事が完成し、輸送力増強と、スムーズな運行が確保される事になりました。2021(R3)年度の一日の乗降客39,535人は京成線全体で第7位、成田空港と羽田空港、首都圏の2大国際空港への中継地点としても、存在感がさらに高まっています。
今回も、京成が市販する冊子状の時刻表から、駅の時刻表を書き起こしているが、上りだけでなく、下りについても、京成上野発(本線)と押上線発を分けて作成しています。時刻表の画像数がいつも以上に多いし、サイズも大型化(3000×1415ピクセル)しているので、見るのがかったるくなるかも知れません。下りは迷ったのだけれど、京成高砂まで複々線で同時出発も多数あるのと、京成上野発と押上線発では運行系統が結構違ってくるので、分けて書き起こした方が、理解しやすくなるのではないかと考えました。
また今は違うが、昔の京成は、案内用に色で種別を区別するという事は、あまり考えていなかったように思えます。昔の京成電車の画像を見ても、そう感じられると思う。特に通勤特急は、昔の時刻表は緑で書いてあったり、一旦消滅→復活後はオレンジだったり、今は水色と、だいぶフラフラしている印象です。なのでここでは、スカイアクセス開業の2010(H22)年より前はオレンジ色で統一し、以降(アクセス特急スタートでオレンジを譲る)は水色で作成しています。あらかじめご承知おきください。
丸数字は、作成のために使用した、京成が市販する時刻表の号数です。
前半は、平成に入って最初の改正、成田空港ターミナル駅乗り入れより前から、羽田空港への直通運転開始に連なる、20世紀の時刻表を振り返ります。
1989(H元)年7月30日現在 ⑦ 青砥駅立体化完成に伴う、1985(S60)年10月に行われた白紙改正ダイヤをベースとしている。当時は、土曜日は平日と同じ時刻だった。
成田空港はターミナル新線開業前で、当時の成田空港駅は、今の東成田。駅とターミナル(現在の第1ターミナル)の間はバス連絡だった。北総線(京成高砂~新鎌ヶ谷間)、千葉急行→千原線、芝山鉄道は開業前。
基本的に日中は40分サイクルで、〔スカイライナー〕(この時点では下りは日暮里通過)・京成上野~成田空港間特急・京成上野~京成成田間急行・西馬込~成田空港間急行・西馬込~京成佐倉間急行を運行していた。本線はこれに、京成上野~京成大和田間と京成上野~千葉中央間の普通列車が加わる形になる。
優等列車の本数は少ないし、停車駅が比較的多い。かなりコマゴマ停車する急行が主役。
平日ラッシュ時のみ運行の通勤特急は、当時は特急より停車駅が少なかった。朝の上りは、西馬込行通勤特急・京成上野行急行を交互に10分間隔で運行していた。当然ここには出てこないが、加えて最ピーク時には京成佐倉→東中山間の急行2本が設定されていて、ピークが京成船橋より東にある事を表している(これが京成のラッシュ輸送の弱点であり続ける)。なお、夕方は上りにも通勤特急があるが、下りへの送り込みの性格が強いだろう。
当時は
博物館動物園駅がまだ営業中で、同駅7~17時台の間、4連の普通列車のみ停車していた。列車運用に影響されるので、停車間隔はかなりばらつきがあり、40~50分以上停車がない時間帯もある。これ以降、普通列車も6連化が進むので自然に停車回数が減少し、1時間以上停車がない時間帯が出てくる事になる。
押上線方面からは、平日のみ朝方に京成小岩、夕方に東中山折返しの設定があった。
金町線からは、朝夕は京成上野、日中は押上への直通運転があった。
京急線への直通は、京急川崎(朝ラッシュ時は一部新逗子(現逗子・葉山))行(京急線内急行)は都編成、それ以遠(京急線内特急)は京急編成で、この時点では京成編成の京急線乗り入れはなし。相互直通も現代ほどは広域化していないし、運用も複雑ではない。
1991(H3)年3月19日改正(3月31日北総線相互直通開始) ⑧ 成田空港ターミナル(現第1ターミナル)直下に、本来成田新幹線用として造られていた駅施設があったが、この駅にJR東日本共々新線を建設して乗り入れ。新スカイライナー
AE100形も導入され、本格的な空港アクセス鉄道としてもう一段成長を図る事になった。旧成田空港は東成田と改称。
また、31日には北総開発鉄道(現北総鉄道)・京成高砂~新鎌ヶ谷間が開業し、北総~京成~都営浅草線~京急の相直ルートが確立した(北総線は、この時点では千葉ニュータウン中央まで)。
特急は停車駅を減らし、青砥~成田空港・東成田間の停車駅は通勤特急と同じになった。このため両者は、ラッシュ時に都営浅草線と直通する列車が通勤特急、京成上野発着が特急、というだけの違いとなった。
日中の京成上野~京成成田間の急行は京成上野~成田空港間の特急に格上げされ、特急は約20分間隔運転となった。浅草線直通の急行は、基本的に京成成田発着に統一されている。
この改正では、京成編成の京急線三崎口乗り入れが1往復設定された。京成高砂発19時09分(青砥発19時11分)→三崎口21時06分着1950K・三崎口発21時17分発→(青砥発23時04分)京成成田着23時57分2151K。
このあと8月31日には、千葉線の幕張本郷駅が開業しているが、青砥駅に関しては、各列車の時刻・行先等に変化はない。
1992(H4)年4月1日改正 ⑩ 千葉急行電鉄の千葉中央~大森台間が開業、京成線と相互直通という形になり、一部の普通列車が大森台まで延長した。
また、月~金曜日のみ、西馬込発23時37分→京成佐倉着24時59分の通勤特急が新設された。当時はバブルの末期で、各鉄道とも最終電車の繰り下げが強く要請されていた時期だった。京急線直通も、京急側で行先の延長が行われている。
京成上野発18時00分の〔スカイライナー〕が、17時56分発〔イブニングライナー〕に変更になり、青砥に停車。
この後7月17日には、宗吾参道~京成成田間の線形改良に伴う修正があり、〔スカイライナー〕のスピードアップが行われている。
12月3日には、成田空港第2ターミナルに隣接する空港第2ビル駅が開業し、成田空港発着の全列車が停車。時刻も変更になっているが、いずれもダイヤパターンの大きな変化はない。
1993(H5)年4月1日現在 ⑬ 京急空港線の羽田(現天空橋)地下駅完成で、京成線からも羽田直通運転が開始された。平日は日中のみ(京急蒲田駅構内の配線が本格的な直通にはまだ対応できていなかった)、休日はほぼ終日、在来の京急川崎行を立て替える形で直通するが、羽田駅のホームが当時は6連分しかなく、既に8連化されていた北総(及び旧住宅都市整備公団)編成は乗り入れできず、京成・東京都営・京急の3者の6両編成が運用される事になった。京成編成の京急線への本格的な直通運用は、かなり久しぶりになる。
また、この時刻表では解らないが、北総線では朝方の上りで急行2本が設定された。いずれも京成線内は普通で走る。青砥発は8時02分・22分が該当。
1994(H6)年4月1日現在 ⑭ 公津の杜駅が開業(宗吾参道~京成成田間の線形改良区間上に位置する)。
土曜日は、休日と同じ時刻表になった。土休日ダイヤでも上り通勤特急5本が設定されているが、土曜日の通勤客の利用を想定したものだろう。〔モーニングライナー〕は、平日とほぼ同じ時刻になった。
1995(H7)年4月1日改正 ⑮ 北総線・千葉ニュータウン中央~印西牧の原間、千葉急行線・大森台~ちはら台間が同時に開業した。
北総線は、下り夕方の帰宅時間帯にも急行が設定された。下りも京成線内は普通列車。上りは4本に増強されている。
この改正で、京成編成の京急線三崎口乗り入れは消滅している。
1996(H8)年7月20日改正 ⑯ 京成佐倉→東中山間区間運転の急行の廃止(直前開業の東葉高速鉄道への旅客転移を見込んで)、ユーカリが丘上り待避線供用開始に伴う退避パターンの変更で、通勤特急の所要時間が短縮された。京成佐倉→日本橋間は改正前68~72分→66~67分に短縮されている。
日中のパターンが変わった。特急は、2本に1本が京成高砂で〔スカイライナー〕退避となった。一方で急行の東中山での〔スカイライナー〕退避は八千代台に変更になり、急行と普通の接続が東中山に統一されている。
押上線~金町線直通は、日中は取りやめになって、早朝・深夜のみとなった。日中の金町線は線内折り返し運転。
博物館動物園駅は、翌1997(H9)年3月を持って、営業を休止した(2004(H16)年に正式に廃止)。
千葉急行電鉄は1998(H10)年10月1日より、京成千原線となった。
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1998(H10)年11月18日修正 ⑱ 京急空港線羽田空港新ターミナル駅(今の羽田空港第1・第2ターミナル駅)延伸に伴う新ダイヤで、「修正」と謳っているものの、京成としても重要な新ダイヤとなった。新たなビジネスチャンスでもあり、大々的な宣伝を行っている。
都営浅草線内で特急運転を行う直通列車「エアポート特急」が設定された。
①羽田空港~成田空港間運行・京急線内は「エアポート快特」として運行されるタイプ
②羽田空港~青砥・京成高砂間運行・京急線内も「エアポート特急」として運行されるタイプ
の2種類をいずれも80分間隔、交互に合わせて40分間隔で運行する。京成線内では、①のタイプに接続する、京成上野~京成高砂間区間運転の特急も設定されている。
この「エアポート特急」は京成・東京都・京急の3者の車両が使用され、特に京急(600形を使用)は、青砥~京成高砂間以外の京成本線の営業運行は、(いつ以来になるかわからないが)かなり久しぶりの事になった。また、コミの運用で、京成上野にも入線している。青砥では、平日上りは12時19分(京成高砂発普通1202H)・12時56分(成田空港発特急1100H)、下りは12時59分(成田空港行特急1203H)・13時50分(京成高砂行普通1301H)、土休日上りは9時28分(京成高砂発普通904H)・12時56分(成田空港発特急1100H)、下りは10時20分(成田空港行1005H)・13時51分(京成高砂行普通1301H)だった。
なお、従来の羽田直通の普通列車(京急線内急行)の一部は、京急川崎発着に変更になっている(京急蒲田で直通列車と干渉するため)。
通勤特急は特急と統合され、名称は一旦消滅。
次の1999(H11)年7月31日の修正は、京成線内に関しては、若干の修正にとどまった。京急側の方が大きな改正で、「エアポート特急」は「エアポート快特」に、京急川崎発着の京急線内急行は、羽田空港発着に変更になった。京急蒲田以南は、日中は快特と普通の二本立てに整理されている。
2000(H12)年7月22日改正 ㉒ 北総線・印西牧の原~印旛日本医大間が開通し、第一期開業(1979(S54)年3月29日 北初富~小室間)から21年で、全線開業となった。
早朝の北総線からの直通2本が、西馬込行普通→羽田空港行京成線内特急(土休日1本は急行)に変更になった(押上から京急線は急行)。
平日朝ラッシュ時の特急の所要時間が、京成佐倉→日本橋間で64~65分に短縮されている。
2001(H13)年9月15日改正 ㉑ 押上線荒川橋梁架け替えとセットで行われていた八広駅の高架駅化が完成した。同駅は2面3線の退避駅で、平日ラッシュ時には追い抜きも行われる事になった(下りは夜間のみ、上りは朝方のみ)。
平日朝ラッシュ時の北総線内急行5本が、特急に格上げになった。京成押上線内も特急運転になり、千葉ニュータウン中央→日本橋間の所要時間が50分→46~47分に短縮されている。青砥からの朝ラッシュ時の特急は、北総線発が純増となった。
平日の夜間・土休日に押上線の特急が増発されている。
この他、〔スカイライナー〕が1往復増発され、土休日〔モーニングライナー〕の時刻が変更になっている。
前半はここまで。次回は、スカイアクセス開業を中心に急激に変わっていく、21世紀の青砥駅(そして京成)の時刻を振り返ります。
(なお現行のダイヤでは、八広での快速の普通追い抜きが、朝方の下り(9・10時台)でも2回あります)
当ブログでは直接のコメントは受け付けません。何かありましたら、引き続き本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。 台風14号の被害だが、交通で一番心配なのはやはりJR九州で、具体的な被害状況はまだ明らかではないが、明日の運行計画を見ても、特に南部では、明日も始発から見合わせ、という路線が相当数あります。「安全を確認するために時間を要する見込み」の文言が、何ともイヤな予感を与えます。日豊本線でさえ、佐伯~延岡間は終日の運休が決定しています。久大本線・日田~由布院間も、去年再開したばかりなのに。西九州新幹線開業を3日後に控えているのに、JR以外も含めて、九州の鉄道網はどうなってしまうのか。岩国では錦帯橋も一部が流出したらしい(橋の外観には影響なく、安全確保の上通行を再開したという事)。
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