「私鉄名車列伝」、今回は函館市企業局交通部(函館市電)の30形39号車、「箱館ハイカラ號」です。
この電車、今年5月の東北・北海道旅行で函館に降り立った時、短区間ながら乗りました。その前にも乗った事があります。毎年春~秋の観光シーズンの風物詩として定着しました。
元は千葉県の成田山新勝寺(山門前)~宗吾間に1910(M19)年に開業した成宗電気軌道の、開業当時の15両の1両(車号不明)だった。8年間使われたが、(業績不振による減車、なのか?)当該車両は函館市電の前身、函館水電株式会社が引き取る事になり、1918(T7)年に渡道、以降1937(S12)年まで市内線の電車として活躍、その後はササラ式除雪車排2号に改造された。後には黄色+黒の縞模様となっている。
昭和の終わり、先の大戦中に出征した男性に代わり運転を担う事になった女性達が団体を設立、排2号の旅客車へ復元させようという運動が始まった。そして、折しも函館市市制施行70周年を迎えた1992(H4)年、記念行事の一環として旅客車当時の姿への復元が実現する事となった。復元改造は札幌交通機械が行なう事となり、明治時代製造ゆえ、残された図面や写真は少なかったが、現行の法令に合致させながらも、忠実に復元されている。外板は鋼板に難燃処理を施したなら材を貼り付け、屋根は鋼板に絶縁材を塗布した。集電装置はZビューゲル形のパンタグラフを搭載しているが、新たにダミーのポールを追加している。台車は除雪車時代の米国ブリル社製の2軸台車をそのまま使用した。床下機器は一部の保安部品を新製したが、他は除雪車時代からの物や、他車の廃車再生品を流用している。
乗降口はオープンデッキで、運転台が設けられている。雰囲気を出すため、手動のブレーキ装置やサーキットブレーカーなどをダミーで搭載しているが、運転操作自体はオーソドックスな直接制御式。左側にKR-8形コントローラー、右側にPV-3形ブレーキハンドルを配置している。
客室は、デッキとは扉で仕切られている。小型2軸車ゆえ車内は狭いが、ロングシートが並び、壁面も木目調、日よけ戸は木製、つり皮は籐製、握り棒は真鍮製。室内にはレトロ調の電球2個、車掌台灯も電球1個を設け、最大限にレトロの雰囲気を醸し出すよう復元されている。
路面電車開業80周年及び函館市営交通50周年の記念となる1993(H5)年8月1日、「箱館ハイカラ號」の名で運行を開始した。例年4月15日~10月31日の間、原則火・水曜日を除いて運行。年度により運行内容は若干異なってくるが、2017(H29)年は湯ノ川・駒場車庫~谷地頭・函館どっく前間を1日4往復する。車掌が乗務し、乗車券の発券の他、観光案内も行なっている。函館の観光資源の一つとして定着した同車は2018(H30)年、渡道100周年・復元25周年の節目を迎える。
「箱館ハイカラ號」の乗車券。現在のものは、鉄道むすめ「柏木ゆの」が描かれています。
函館市電は函館バスと共に、3月25日よりICカード「ICAS nimoca」を導入しました。ハイカラ號でも利用できます。ただし、ハイカラ號は電子マネー機能での支払いとなり、「柏木ゆの」と同じ制服の車掌がチェッカーでICカードから運賃相当額を引き去った後、乗車券を発券します。履歴印字では「物販」となります。
従って、
1.PiTaPaは利用できない。
2.ICAS nimocaでも、他の一般の市電や函館バスとの乗り継ぎ割引が適用されない。
と、一般の市電とは取り扱いが異なります。
100年を超す車暦ゆえ老朽化も懸念されるが、末永く運行が続けられる事を望みます。
今回の記事は、
「鉄道ピクトリアル10月臨時増刊号 新車年鑑1994年版」(鉄道図書刊行会)
「日本の路面電車Ⅰ 現役路線編」「ローカル私鉄車両20年」(共にJTBキャンブックス)
「週刊 歴史で巡る 鉄道全路線 公営鉄道・私鉄 №11」(朝日新聞出版)
函館市企業局交通部公式Web などを参考にさせて頂きました。
次回は江ノ島電鉄(江ノ電)2000形を予定しています。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
中央道の土砂崩れは、ともかく犠牲者が出なかったのは何よりだったけれど、瑞浪~恵那間の通行止めが続き、復旧の見込みが経たないそう。名鉄バスやJR東海バスなどの高速バスも迂回運転を行なっているとの事。
北海道の観光バス事故は、もう少し様子を見たいけれど、正直またかと思ってしまう。とりあえず犠牲者が出る所までに至らなかったのは幸いでした。
熊本では神園交通のバスがトラックに追突したそうで、こちらも気がかりです。
《今日のニュースから》
18日 巨人 山口俊投手 暴力事件で今季出場停止処分
19日 九州北部豪雨被災の2小学校 仮設校舎完成
夕方の我が町戸塚は、夕方になって激しい雨に雷と荒れ模様の天気になりました。午後は青空も広がって暑かった位なのに。今年の関東の夏は、なかなか安定した青空が広がってくれません。
№1713 私鉄名車列伝 135.新京成電鉄8800形
「私鉄の名車列伝」、今回は新京成電鉄8800形です。
デビューした1986(S61)年はVVVF制御の黎明期で、各鉄道でVVVF導入か否か模索が続いていました。一部では営業運転に就く車両もあったが、ほとんど全てが試作的な存在でした。そんな中で、都市近郊ながら一中小私鉄の新京成が、いきなり量産形式として導入し、注目されたのが8800形でした。
8800形は旧型電車の置き換えを目的として1986(S61)年より導入が進み、1991(H3)年までの6年間で96両が新造され、現在に至るまで新京成電鉄最大勢力として君臨している。
当時の新京成は輸送力増強の必要性が高まっていたが、8連はモハ200形・500形を中心とした吊り掛け駆動車で組成されており、体質改善が求められている状況だった。新車導入にあたり、8000形の8連を導入する案もあったが、当時の経営陣の決断により、1500V電車専用の長編成車両では初の、本格的なVVVF制御を採用する事になった。VVVF制御車は当時、1500V電化線区でも既に近鉄1250系(現1420系)などがデビューしていたが、いずれも試作的な短編成で、量産形式として長編成を製造したのは新京成が初めてだった。
4500V・2000A・GTOサイリスタのインバータ制御装置を各M車に1台装備し、1C4Mで135㎾の交流モーターの制御を行なう。補助電源装置などのシステム全体も、一気に交流化した。M車2両を1ユニットとして、4M4Tの8連組成とした。
当時はインバータ制御装置がまだ高価であり、全体のコスト抑制のため、車体は普通鋼製とした。8000形同様のブロック工法を採用し、腐食に強い構造になっている。前面は4面構成の大型ガラスをベースにした半流線型となり、側窓は新京成初の1段下降窓とした。塗色は8000形2次車で採用された、アイボリー+マルーン帯となり、前面には交流化のシンボルの赤帯が加えられている。台車も新京成初の空気バネを採用している。
車内は一般的なロングシートを配置。ベージュ+ワインの暖色系インテリアになっている。冷房装置は各車3台ずつの分散式で、連続キセで一体になるように見せている。天井はラインフロー併用の平天井構造。
車番は車種に関係なく、連番とした。第1編成が8801~8808、第2編成が8809~8816、となる。
1991(H3)までの間に8連×12編成が、日本車輌で製造された。当時は北総開発鉄道(現北総鉄道)と相互直通を行なっており、8800形は後に7編成が直通対応とされ、直通用の誘導無線アンテナを装備している(直通運転は1992(H4)年7月まで実施)。その後、T台車のユニットブレーキ化や、先頭車車内への車いすスペース設置などが行なわれている。先頭部には2002(H14)年より、スカートが設置された。
2006(H18)年12月10日改正で京成千葉線への直通運転が始まり、6連運用確保のため、3編成が6連×4編成に組み替えられた。在来の8連からM1及びT車各1両を抜きとって6連とし(「A編成」と呼称)、抜き取られた中間車合計6両は機器新設やT車の先頭車化改造を行なって6両編成を組成した(「B編成」と呼称)。「B編成で新設したパンタグラフは、シングルアーム式となった。その他機器類や先頭車車内の車いすスペースは、「A編成」とほぼ同様になっている。京成直通対応編成では、新規の誘導無線アンテナを設置、急行表示灯を前面に設置した。また帯色は白色帯を加えた、マルーンのグラデーションとしている。
6連化した編成は、車番を編成番号+号車表示の混合に変更した。第1編成が8801-1~8801-6、第2編成が8802-1~8802-6、となった。
後に輸送力調整の意味もあり、2014(H26)年までに全編成が6連(×16編成)に組み替えられた。うち8編成が京成直通対応になっている。
また同年より導入された新CIに対応し、「ジェントルピンク」+白のツートンカラー(ドア部は白1色)の新塗に順次塗り替えられる事になり、8月29日に8816Fが新京成全体の新塗装第1号編成として出場した。
2016(H28)年より機器更新工事が始まり、制御装置をフルSiC適用VVVFインバータ装置に変更、更新前との比較で約半分の省エネルギー化が図られた。2017(H29)年からは、車内のリニューアルも始まっている。今後、毎年度1編成ずつの更新が予定されており、長い活躍が期待される。
【編成】
←松戸方 京成津田沼方→
Tc1 8800 - M1 8800 - *M2 8800* - T2 8800 - T1 8800 - M1 8800 - *M2 8800* - Tc2 8800
(新造時)
Tc1 8800 - *M 8800* - T 8800 - M1 8800 - *M2 8800* - Tc2 8800
(6連化後)
* パンタグラフ
中小私鉄としては意欲的な8800形だったが、なら鉄道友の会の、少なくともローレル賞の受賞はありえなかったのか?対象は1987(S62)年となるが、この年のローレル賞は、北大阪急行8000系(「ポールスター」)及び近鉄7000系と、大阪市営地下鉄に直通するVVVF制御車が受賞していました。もう1形式が国鉄→JR四国のキハ185系で、3形式全てをVVVF制御の通勤車とするのも?と考えられた部分があったのだろうか。この年のVVVF制御車では一番早いデビューだった(1986(S61)年1月21日)が、技術的には優れていても、車内が通勤車としても受賞2形式と比べてやや簡素に映り、この点でソンをしたのかも知れません。デビューがあと1ヶ月早く、1985(S60)年内だったら対象が1986年となり、この年のローレル賞は東海道・山陽新幹線100系と南海10000系「サザン」の2形式だけだったので、プラスワンで受賞の可能性は大きかっただろうと思われます。
8816Fは今月1日より、船橋市のゆるキャラ「ふなっしー」をラッピングした、「ふなっしー号」として運行されています。運用は新京成電鉄公式Webで公表(京成千葉線にも入る)。
今回の記事は
「鉄道ピクトリアル 1996年6月号 【特集】新京成電鉄50年」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル 2007年7月臨時増刊号 鉄道車両名鑑2007年版」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ダイヤ情報 2011年6月号」(交通新聞社)
「とれいん 2014年2月号」(エリエィ プレス・アイゼンバーン))
などを参考にさせて頂きました。
次回は函館市電39号「箱館ハイカラ號」の予定です。先日もわずかな区間ながら乗りました。来年、渡道100周年を迎えます。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
JR北海道は昨日、新型電気式ディーゼルカーH100形(愛称「DECMO」(デクモ Diesel Electric Car with Motors)量産先行車の導入を発表しました。基本的には先日発表になったJR東日本のGV-E400系と同じで、これに北海道の気候に合わせた耐寒構造を加えます。来年2月には落成予定、その後走行試験で各種検証を行なう、としているので、本格的な量産車の製造はまだ当分先になりそう。ともあれ経営難で285系のように開発中止、なんて事も心配されたので、とりあえずはほっと一息、でしょうか?その量産車が製造できる状況になっているかはまた問題になるが、とにかくH100形がJR北海道の次代のスターになる事が大いに期待されます。
《今日のニュースから》
12日 電通違法残業事件 東京簡易裁判所 正式裁判決定
13日 性犯罪厳罰化 改正刑法施行 110年振り大幅見直し
デビューした1986(S61)年はVVVF制御の黎明期で、各鉄道でVVVF導入か否か模索が続いていました。一部では営業運転に就く車両もあったが、ほとんど全てが試作的な存在でした。そんな中で、都市近郊ながら一中小私鉄の新京成が、いきなり量産形式として導入し、注目されたのが8800形でした。
8800形は旧型電車の置き換えを目的として1986(S61)年より導入が進み、1991(H3)年までの6年間で96両が新造され、現在に至るまで新京成電鉄最大勢力として君臨している。
当時の新京成は輸送力増強の必要性が高まっていたが、8連はモハ200形・500形を中心とした吊り掛け駆動車で組成されており、体質改善が求められている状況だった。新車導入にあたり、8000形の8連を導入する案もあったが、当時の経営陣の決断により、1500V電車専用の長編成車両では初の、本格的なVVVF制御を採用する事になった。VVVF制御車は当時、1500V電化線区でも既に近鉄1250系(現1420系)などがデビューしていたが、いずれも試作的な短編成で、量産形式として長編成を製造したのは新京成が初めてだった。
4500V・2000A・GTOサイリスタのインバータ制御装置を各M車に1台装備し、1C4Mで135㎾の交流モーターの制御を行なう。補助電源装置などのシステム全体も、一気に交流化した。M車2両を1ユニットとして、4M4Tの8連組成とした。
当時はインバータ制御装置がまだ高価であり、全体のコスト抑制のため、車体は普通鋼製とした。8000形同様のブロック工法を採用し、腐食に強い構造になっている。前面は4面構成の大型ガラスをベースにした半流線型となり、側窓は新京成初の1段下降窓とした。塗色は8000形2次車で採用された、アイボリー+マルーン帯となり、前面には交流化のシンボルの赤帯が加えられている。台車も新京成初の空気バネを採用している。
車内は一般的なロングシートを配置。ベージュ+ワインの暖色系インテリアになっている。冷房装置は各車3台ずつの分散式で、連続キセで一体になるように見せている。天井はラインフロー併用の平天井構造。
車番は車種に関係なく、連番とした。第1編成が8801~8808、第2編成が8809~8816、となる。
1991(H3)までの間に8連×12編成が、日本車輌で製造された。当時は北総開発鉄道(現北総鉄道)と相互直通を行なっており、8800形は後に7編成が直通対応とされ、直通用の誘導無線アンテナを装備している(直通運転は1992(H4)年7月まで実施)。その後、T台車のユニットブレーキ化や、先頭車車内への車いすスペース設置などが行なわれている。先頭部には2002(H14)年より、スカートが設置された。
2006(H18)年12月10日改正で京成千葉線への直通運転が始まり、6連運用確保のため、3編成が6連×4編成に組み替えられた。在来の8連からM1及びT車各1両を抜きとって6連とし(「A編成」と呼称)、抜き取られた中間車合計6両は機器新設やT車の先頭車化改造を行なって6両編成を組成した(「B編成」と呼称)。「B編成で新設したパンタグラフは、シングルアーム式となった。その他機器類や先頭車車内の車いすスペースは、「A編成」とほぼ同様になっている。京成直通対応編成では、新規の誘導無線アンテナを設置、急行表示灯を前面に設置した。また帯色は白色帯を加えた、マルーンのグラデーションとしている。
6連化した編成は、車番を編成番号+号車表示の混合に変更した。第1編成が8801-1~8801-6、第2編成が8802-1~8802-6、となった。
後に輸送力調整の意味もあり、2014(H26)年までに全編成が6連(×16編成)に組み替えられた。うち8編成が京成直通対応になっている。
また同年より導入された新CIに対応し、「ジェントルピンク」+白のツートンカラー(ドア部は白1色)の新塗に順次塗り替えられる事になり、8月29日に8816Fが新京成全体の新塗装第1号編成として出場した。
2016(H28)年より機器更新工事が始まり、制御装置をフルSiC適用VVVFインバータ装置に変更、更新前との比較で約半分の省エネルギー化が図られた。2017(H29)年からは、車内のリニューアルも始まっている。今後、毎年度1編成ずつの更新が予定されており、長い活躍が期待される。
【編成】
←松戸方 京成津田沼方→
Tc1 8800 - M1 8800 - *M2 8800* - T2 8800 - T1 8800 - M1 8800 - *M2 8800* - Tc2 8800
(新造時)
Tc1 8800 - *M 8800* - T 8800 - M1 8800 - *M2 8800* - Tc2 8800
(6連化後)
* パンタグラフ
中小私鉄としては意欲的な8800形だったが、なら鉄道友の会の、少なくともローレル賞の受賞はありえなかったのか?対象は1987(S62)年となるが、この年のローレル賞は、北大阪急行8000系(「ポールスター」)及び近鉄7000系と、大阪市営地下鉄に直通するVVVF制御車が受賞していました。もう1形式が国鉄→JR四国のキハ185系で、3形式全てをVVVF制御の通勤車とするのも?と考えられた部分があったのだろうか。この年のVVVF制御車では一番早いデビューだった(1986(S61)年1月21日)が、技術的には優れていても、車内が通勤車としても受賞2形式と比べてやや簡素に映り、この点でソンをしたのかも知れません。デビューがあと1ヶ月早く、1985(S60)年内だったら対象が1986年となり、この年のローレル賞は東海道・山陽新幹線100系と南海10000系「サザン」の2形式だけだったので、プラスワンで受賞の可能性は大きかっただろうと思われます。
8816Fは今月1日より、船橋市のゆるキャラ「ふなっしー」をラッピングした、「ふなっしー号」として運行されています。運用は新京成電鉄公式Webで公表(京成千葉線にも入る)。
今回の記事は
「鉄道ピクトリアル 1996年6月号 【特集】新京成電鉄50年」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル 2007年7月臨時増刊号 鉄道車両名鑑2007年版」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ダイヤ情報 2011年6月号」(交通新聞社)
「とれいん 2014年2月号」(エリエィ プレス・アイゼンバーン))
などを参考にさせて頂きました。
次回は函館市電39号「箱館ハイカラ號」の予定です。先日もわずかな区間ながら乗りました。来年、渡道100周年を迎えます。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
JR北海道は昨日、新型電気式ディーゼルカーH100形(愛称「DECMO」(デクモ Diesel Electric Car with Motors)量産先行車の導入を発表しました。基本的には先日発表になったJR東日本のGV-E400系と同じで、これに北海道の気候に合わせた耐寒構造を加えます。来年2月には落成予定、その後走行試験で各種検証を行なう、としているので、本格的な量産車の製造はまだ当分先になりそう。ともあれ経営難で285系のように開発中止、なんて事も心配されたので、とりあえずはほっと一息、でしょうか?その量産車が製造できる状況になっているかはまた問題になるが、とにかくH100形がJR北海道の次代のスターになる事が大いに期待されます。
《今日のニュースから》
12日 電通違法残業事件 東京簡易裁判所 正式裁判決定
13日 性犯罪厳罰化 改正刑法施行 110年振り大幅見直し
№1693 私鉄名車列伝 134.東京地下鉄05系(8~13次車)
もう7年近く前になってしまったが、№373で、東京メトロ05系の内、前期タイプの1~7次車について書きました。
7次車が1994(H6)年に製造された後、5年の間を置いて1999(H11)年の8次車より製造が再開されました。7次車と比較して変更点が数多くなっています。今回は後期タイプの8~13次車について記します。
アルミ車体は変わらないが、正面はデザインを一新、スピード感ある角形となり、スカートが着いた。帯色はスカイブルー・紺・白の3色としている。運転台は東西線で初めて左手操作形のワンハンドルマスコンを採用。制御装置はIGBT素子の大容量化により、ベクトル制御の2レベルVVVF制御となった。
ドア配置は6・7次車から引き続き、06・07系と同様で等間隔になっていない。座席幅は1人あたり450㎜、4-6-7-6-4の配置になっている。大型の脇仕切り付の片持ち式となった。
9・10次車はほぼ同仕様で製造されたが、10次車では冷房装置が大容量化され、電源がSIVに変更された。8次車は川崎重工、9次車は近畿車輌、10次車は東急車輌で3編成ずつ製造された。
2002(H14)年製の11次車は、半蔵門線08系と同一の仕様となり、1C4M制御の5M5T組成となって、最高速度が120㎞/hに引き上げられた。パンタグラフはシングルアーム化。
ドア配置は再び等間隔となり、座席配置は3-7-7-7-3となった。また、床面高さを10㎜下げている。
12次車もほぼ同仕様で製造されたが、蓄電池の容量を増大し、編成で削減した。11・12次車とも川崎重工で3編成ずつ製造された。
13次車は、2004(H16)年4月1日に営団地下鉄から民営化された東京メトロにとって初の新造車輌となっった。今後の標準車輌と位置づけられ、コストダウンと安全性の向上が図られている。日立製作所の「A-train」がベースとなり、車体はオールダブルスキン構体として強度が向上。雨樋の位置が高くなり、側面は屋根の位置まで高くなった。また、前年(2003(H15)年2月)発生の韓国・大邱市の地下鉄火災を踏まえて、火災対策強化のため、合成樹脂系材料の使用を中止した。パンタグラフ数は5→3基へ削減している。
車内は座席の一人当たりの幅を10㎜広げ460㎜とし、車イススペースとは別に、他の中間車の車端部に多目的スペースを新設している。
4編成が製造された。東葉高速鉄道との共同開発で、同鉄道2000系と共通設計になっている。
05系はこの後2005(H17)年にも最終増備車を製造する構想だったが、有楽町線用の07系を転用して5000系を置き換える事となり、13次車を持って製造は終了した。
05系は、8~13次車は19編成、トータルでは43編成430両が製造された。7次車以前の標準ドアチョッパ制御車は15000系に置き換えられ淘汰が進んだが、8次車以降は全車輌が健在で、東西線からJR中央本線三鷹・JR総武本線津田沼・東葉高速鉄道東葉勝田台まで、快速・通勤快速・各駅停車の各列車で運行を行なっている。
05系は1988(S63)年に1次車が製造されてから、16年の長きに渡って製造されました。この間、外観でも、車内でも、システム的にも変化を繰り返してきて、1次車と13次車では、全く別物と言って良いほどの違いを数多く確認できます。
今回、全43編成の形態分類表を、簡単ながら作ってみました。
(全て新製時のデータ)
東西線はこの後07系転籍によって5000系が淘汰された後、15000系導入によって、05系も前期形はワイドドア車を除いて東西線からは消えました。ただ、15000系が2012(H24)年までに13編成が出そろって以降、東西線の車輌には動きがありません。中期経営計画や今年度の事業計画においても、車輌面では千代田線や日比谷線の置き換えが優先となりそうで、東西線もまもなく15000系3編成が追加導入されるようだが、次に本格的な変化が訪れるとしたら、現在進行中の九段下や南砂町の改良工事の完成にメドが立った頃になるかと思われます。今回書いた05系後期形も、8次車は既に18年経っており、今後更新なども行なわれるだろうと思われます。路線そのものの行方と合わせて注目です。
今回の記事は
「鉄道ピクトリアル2000年10月臨時増刊号 新車年鑑」「同2003年10月臨時増刊号 鉄道車両年鑑」「同2005年10月臨時増刊号 鉄道車両年鑑」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2005年3月臨時増刊号 【特集】東京地下鉄」「同2016年12月号臨時増刊号 【特集】東京地下鉄」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ダイヤ情報2011年9月号」「同2017年3月号」(交通新聞社)
「東京メトロの世界」(交通新聞社)
「東京メトロ 完全データ DVD BOX」(メディアックス) など
を参考にさせて頂きました。
次回は新京成電鉄8800系を予定しています。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
《今日のニュースから》
26日 日本受注 ベトナム初の地下鉄 建設工事開始
27日 バスケットボールBリーグ 栃木ブレックス初代王者
7次車が1994(H6)年に製造された後、5年の間を置いて1999(H11)年の8次車より製造が再開されました。7次車と比較して変更点が数多くなっています。今回は後期タイプの8~13次車について記します。
アルミ車体は変わらないが、正面はデザインを一新、スピード感ある角形となり、スカートが着いた。帯色はスカイブルー・紺・白の3色としている。運転台は東西線で初めて左手操作形のワンハンドルマスコンを採用。制御装置はIGBT素子の大容量化により、ベクトル制御の2レベルVVVF制御となった。
ドア配置は6・7次車から引き続き、06・07系と同様で等間隔になっていない。座席幅は1人あたり450㎜、4-6-7-6-4の配置になっている。大型の脇仕切り付の片持ち式となった。
9・10次車はほぼ同仕様で製造されたが、10次車では冷房装置が大容量化され、電源がSIVに変更された。8次車は川崎重工、9次車は近畿車輌、10次車は東急車輌で3編成ずつ製造された。
2002(H14)年製の11次車は、半蔵門線08系と同一の仕様となり、1C4M制御の5M5T組成となって、最高速度が120㎞/hに引き上げられた。パンタグラフはシングルアーム化。
ドア配置は再び等間隔となり、座席配置は3-7-7-7-3となった。また、床面高さを10㎜下げている。
12次車もほぼ同仕様で製造されたが、蓄電池の容量を増大し、編成で削減した。11・12次車とも川崎重工で3編成ずつ製造された。
13次車は、2004(H16)年4月1日に営団地下鉄から民営化された東京メトロにとって初の新造車輌となっった。今後の標準車輌と位置づけられ、コストダウンと安全性の向上が図られている。日立製作所の「A-train」がベースとなり、車体はオールダブルスキン構体として強度が向上。雨樋の位置が高くなり、側面は屋根の位置まで高くなった。また、前年(2003(H15)年2月)発生の韓国・大邱市の地下鉄火災を踏まえて、火災対策強化のため、合成樹脂系材料の使用を中止した。パンタグラフ数は5→3基へ削減している。
車内は座席の一人当たりの幅を10㎜広げ460㎜とし、車イススペースとは別に、他の中間車の車端部に多目的スペースを新設している。
4編成が製造された。東葉高速鉄道との共同開発で、同鉄道2000系と共通設計になっている。
05系はこの後2005(H17)年にも最終増備車を製造する構想だったが、有楽町線用の07系を転用して5000系を置き換える事となり、13次車を持って製造は終了した。
05系は、8~13次車は19編成、トータルでは43編成430両が製造された。7次車以前の標準ドアチョッパ制御車は15000系に置き換えられ淘汰が進んだが、8次車以降は全車輌が健在で、東西線からJR中央本線三鷹・JR総武本線津田沼・東葉高速鉄道東葉勝田台まで、快速・通勤快速・各駅停車の各列車で運行を行なっている。
05系は1988(S63)年に1次車が製造されてから、16年の長きに渡って製造されました。この間、外観でも、車内でも、システム的にも変化を繰り返してきて、1次車と13次車では、全く別物と言って良いほどの違いを数多く確認できます。
今回、全43編成の形態分類表を、簡単ながら作ってみました。
(全て新製時のデータ)
東西線はこの後07系転籍によって5000系が淘汰された後、15000系導入によって、05系も前期形はワイドドア車を除いて東西線からは消えました。ただ、15000系が2012(H24)年までに13編成が出そろって以降、東西線の車輌には動きがありません。中期経営計画や今年度の事業計画においても、車輌面では千代田線や日比谷線の置き換えが優先となりそうで、東西線もまもなく15000系3編成が追加導入されるようだが、次に本格的な変化が訪れるとしたら、現在進行中の九段下や南砂町の改良工事の完成にメドが立った頃になるかと思われます。今回書いた05系後期形も、8次車は既に18年経っており、今後更新なども行なわれるだろうと思われます。路線そのものの行方と合わせて注目です。
今回の記事は
「鉄道ピクトリアル2000年10月臨時増刊号 新車年鑑」「同2003年10月臨時増刊号 鉄道車両年鑑」「同2005年10月臨時増刊号 鉄道車両年鑑」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2005年3月臨時増刊号 【特集】東京地下鉄」「同2016年12月号臨時増刊号 【特集】東京地下鉄」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ダイヤ情報2011年9月号」「同2017年3月号」(交通新聞社)
「東京メトロの世界」(交通新聞社)
「東京メトロ 完全データ DVD BOX」(メディアックス) など
を参考にさせて頂きました。
次回は新京成電鉄8800系を予定しています。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
《今日のニュースから》
26日 日本受注 ベトナム初の地下鉄 建設工事開始
27日 バスケットボールBリーグ 栃木ブレックス初代王者
№1651 私鉄名車列伝 133.相模鉄道(新)7000系
4年以上も前になってしまったが、2012年12月の№862で、相模鉄道7000系について取り上げました。7000系は相鉄では初の新造によるアルミカーで、沿線の開発やいずみ野線の開通などで急激に利用者数を増やしていた1970~80年代の相鉄を支え、後の車両の基本となりました。
新造は1988(S63)年まで続けられたが、1986(S61)年製の12次車からは、前面のデザインを中心にしたマイナーチェンジが行なわれ、さらに14次車からは相鉄初のVVVF制御も導入されました。今回は(新)7000系とも呼称される、このグループについて記します。
12・13次車は、性能的には11次車までと変わらない抵抗制御車だが、6連と4連を併結した10連(4M2T+2M2T)を組成している。貫通扉は非常用とされ、先頭車間の通り抜けは出来なかった。前面は額縁状となり、上部はブラックフェイスとなった。行先・運行表示は黒地+白文字になっている。また前照灯と後部灯が直列に並び、一体のケースに収められて近代的なイメージとなった。貫通扉は非常用となり、先頭車の連結部の通り抜けは出来なくなった。前面と側面には赤とオレンジの太い帯を窓の下に通し、「S」の形状をあしらっている。車体はアルミ製で変わらない。なお、同じ7000系ながら11次車までと連結して運用した実績はない。
車内は引き続き暖色系で、貫通扉及び客用ドア(中央部)の上部に合計4ヶ所、マップ式の停車駅案内表示装置を初めて設置した。この他、引き続き油圧式のパワーウィンドが採用されている。新製時より集中式冷房を搭載、クハについては、当初はヒートポンプ式を試用していた。13次車では天井の扇風機がラインフローに変わり、貫通扉上部の停車駅案内表示装置は省略された。
1988(S63)年製の14次車より、3000系で試用されていたVVVF制御が本格的に採用になり、新たに50番台が付与された。M車は1M方式となり、新形式モハ7300形となった。主電動機は180㎾に増強され、1C4M制御となっている。5連×2(2M3T×2)で製造されたが、15次車の3編成は相鉄初の10両固定編成で製造された。相鉄初である。
車内は基本的には13次車と変わらないが、最終編成(7755F)のサハ7600形の内2両(7662・7664)はセミクロスシートが試用され、注目を集めた。後の8000系・9000系にも受け継がれている。
(新)7000系は最終的に10連×6本、60両が日立製作所によって製造されて終了した。
21世紀に入ると、後続の系列に合わせて、各種改造工事が行なわれている。バリアフリー対策として、先頭車に車イススペースが設けられ、座席端部の仕切り棒には握り棒を設置、ドアチャイムも設けられた。中間に組み込まれた先頭車は通り抜けが出来るよう改造され、運転機能は喪失してT車化された(番号は変わっていない)。パンタグラフはシングルアーム化された。
2006(H18)年以降はEB装置を設置、さらにJR線直通事業に合わせてATS-Pとデジタル列車無線の準備工事を行なった。外見では円筒状のアンテナが目立つ。ATS-P設置により、先頭車の非常扉は閉鎖され、本来の目的では使用できなくなった。さらに2007(H19)年以降は新CI導入による新塗装化が始まり、全体をグレーに塗装し、上部と前面窓下に「相鉄ブルー」、下部に「相鉄オレンジ」の帯をあしらった。2014(H26)年度までに全6編成が完了している。
現在13次車の7156-7157は編成から外れて休車となり、厚木駅構内に留置されている(この2両は新塗装になっていない)。その他の(新)7000系は10連×4本、8連×1本が他系列と共通で、特急から各駅停車まで、各種列車に運用されている。
【編成】
←横浜方 海老名・湘南台方→
Tc2 7700 - M1 7100* - M2 7100* - M1 7100* - M2 7100* - Tc1 7500 + Tc2 7700 - M1 7100* - M2 7100* - Tc1 7500
(12・13次車)
Tc2 7700 - M 7300* - T1 7600* - M 7300* - Tc1 7500 + Tc2 7700 - M 7300* - T2 7600* - M 7300* - Tc1 7500
(14次車)
Tc2 7700 - M 7300* - T1 7600 - M 7300* - T2 7600 + T1 7600 - M 7300* - T2 7600* - M 7300* - Tc1 7500
(15次車 7755Fは 車がセミクロスシート)
* パンタグラフ
※ 全て新造時の編成 現在12~14次車の中間のTc1 7500→T3 7500 Tc2 7700→T4 7700
これ以前、7000系11次車までの相鉄は、増加する輸送量の後追いになったためか、短い編成の中間に新規に車両を組み込む事で、最大10連の長大編成を組成していました。(新)7000系で初めて、編成単位で長大編成を製造するようになります。
解らないのは、12~14次車では中間に先頭車(7500形・7700形)を組み込んでいた事。製造当時、相鉄は既に8連・10連のみになっていて、4・5・6連で運用する列車はもうありませんでした。国鉄→JR相模線への直通を想定していたとの噂もあるが(ただし当時は非電化)、真相は不明。通り抜けも出来なかったわけだし、12次車では一時、中間の先頭車を抜いた6M2Tも確認しています。結局旅客列車では分割して運用する事はないまま終わって中間車化改造をされている訳で、理由は未だ謎のままです。
今回の記事は
「私鉄の車両20 相模鉄道」(保育社) ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻
「鉄道ピクトリアル1986年8月臨時増刊号 【特集】相模鉄道」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル1999年7月臨時増刊号 【特集】相模鉄道」(鉄道図書刊行会)
「相模鉄道完全データ DVD BOOK」(メディアックス)
「私鉄車両年鑑2016」(イカロス出版)
などを参考にさせて頂きました。
次回は東京メトロ東西線05系、相鉄(新)7000系同様、前面デザインなどを中心に変更があった8次車以降を取り上げます。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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********************
《今日見た・聞いた・思った事》
4日前の16日リリースなのでやや遅くなったが、相鉄は3月18日(土)にダイヤ改正を行ないます。
今回は星川駅付近の下り線の高架化によるものだが、この工事、10年以上も前に着手されているのに、ずいぶん時間がかかっているなあとの印象が否めません。それでも下り線が切り替わってしまえば、あとの上り線は1~2年程度で切り替わるでしょう。
今回のポイントは、
1.平日朝ラッシュ時の特急の運行時間帯拡大 海老名発6時01分~7時31分の間15分間隔、以降9時11分まで20分間隔で運転。他列車も含め横浜7時30分~8時30分は2本増加。
2.日中時間帯の横浜・海老名両駅の折返し時間を延長 ホームの混雑を緩和するため。
合わせてパターンを変更し、本線快速は急行に変更。湘南台特急の横浜発は3番線に変更。
3.横浜0時35分発海老名行急行を新設 二俣川で湘南台行各停(海老名行から変更)に接続。
4.その他、平日大和始発8時台の急行を海老名始発に変更、夜間の快速は、平日…湘南台行を30分間隔に変更し時間帯を延長・土休日…海老名行急行を快速に変更し、湘南台行快速を増発、など。
今日は箱根まで山登りに行ってきたのだけれど、昼前から天候が荒れ模様になり、途中でコースを変更して早めに下山する事となりました。それに加え、小田原に戻ってみたら東海道線が強風で運転見合わせ、小田急~相鉄~バスと乗り継いで帰る事となって、いつもの倍掛かってしまいました。来月書きます。
《今日のニュースから》
19日 自衛隊「日本人保護」訓練 タイで実施 海外では初
20日 外国人女流プロ棋士誕生 将棋界初
新造は1988(S63)年まで続けられたが、1986(S61)年製の12次車からは、前面のデザインを中心にしたマイナーチェンジが行なわれ、さらに14次車からは相鉄初のVVVF制御も導入されました。今回は(新)7000系とも呼称される、このグループについて記します。
12・13次車は、性能的には11次車までと変わらない抵抗制御車だが、6連と4連を併結した10連(4M2T+2M2T)を組成している。貫通扉は非常用とされ、先頭車間の通り抜けは出来なかった。前面は額縁状となり、上部はブラックフェイスとなった。行先・運行表示は黒地+白文字になっている。また前照灯と後部灯が直列に並び、一体のケースに収められて近代的なイメージとなった。貫通扉は非常用となり、先頭車の連結部の通り抜けは出来なくなった。前面と側面には赤とオレンジの太い帯を窓の下に通し、「S」の形状をあしらっている。車体はアルミ製で変わらない。なお、同じ7000系ながら11次車までと連結して運用した実績はない。
車内は引き続き暖色系で、貫通扉及び客用ドア(中央部)の上部に合計4ヶ所、マップ式の停車駅案内表示装置を初めて設置した。この他、引き続き油圧式のパワーウィンドが採用されている。新製時より集中式冷房を搭載、クハについては、当初はヒートポンプ式を試用していた。13次車では天井の扇風機がラインフローに変わり、貫通扉上部の停車駅案内表示装置は省略された。
1988(S63)年製の14次車より、3000系で試用されていたVVVF制御が本格的に採用になり、新たに50番台が付与された。M車は1M方式となり、新形式モハ7300形となった。主電動機は180㎾に増強され、1C4M制御となっている。5連×2(2M3T×2)で製造されたが、15次車の3編成は相鉄初の10両固定編成で製造された。相鉄初である。
車内は基本的には13次車と変わらないが、最終編成(7755F)のサハ7600形の内2両(7662・7664)はセミクロスシートが試用され、注目を集めた。後の8000系・9000系にも受け継がれている。
(新)7000系は最終的に10連×6本、60両が日立製作所によって製造されて終了した。
21世紀に入ると、後続の系列に合わせて、各種改造工事が行なわれている。バリアフリー対策として、先頭車に車イススペースが設けられ、座席端部の仕切り棒には握り棒を設置、ドアチャイムも設けられた。中間に組み込まれた先頭車は通り抜けが出来るよう改造され、運転機能は喪失してT車化された(番号は変わっていない)。パンタグラフはシングルアーム化された。
2006(H18)年以降はEB装置を設置、さらにJR線直通事業に合わせてATS-Pとデジタル列車無線の準備工事を行なった。外見では円筒状のアンテナが目立つ。ATS-P設置により、先頭車の非常扉は閉鎖され、本来の目的では使用できなくなった。さらに2007(H19)年以降は新CI導入による新塗装化が始まり、全体をグレーに塗装し、上部と前面窓下に「相鉄ブルー」、下部に「相鉄オレンジ」の帯をあしらった。2014(H26)年度までに全6編成が完了している。
現在13次車の7156-7157は編成から外れて休車となり、厚木駅構内に留置されている(この2両は新塗装になっていない)。その他の(新)7000系は10連×4本、8連×1本が他系列と共通で、特急から各駅停車まで、各種列車に運用されている。
【編成】
←横浜方 海老名・湘南台方→
Tc2 7700 - M1 7100* - M2 7100* - M1 7100* - M2 7100* - Tc1 7500 + Tc2 7700 - M1 7100* - M2 7100* - Tc1 7500
(12・13次車)
Tc2 7700 - M 7300* - T1 7600* - M 7300* - Tc1 7500 + Tc2 7700 - M 7300* - T2 7600* - M 7300* - Tc1 7500
(14次車)
Tc2 7700 - M 7300* - T1 7600 - M 7300* - T2 7600 + T1 7600 - M 7300* - T2 7600* - M 7300* - Tc1 7500
(15次車 7755Fは 車がセミクロスシート)
* パンタグラフ
※ 全て新造時の編成 現在12~14次車の中間のTc1 7500→T3 7500 Tc2 7700→T4 7700
これ以前、7000系11次車までの相鉄は、増加する輸送量の後追いになったためか、短い編成の中間に新規に車両を組み込む事で、最大10連の長大編成を組成していました。(新)7000系で初めて、編成単位で長大編成を製造するようになります。
解らないのは、12~14次車では中間に先頭車(7500形・7700形)を組み込んでいた事。製造当時、相鉄は既に8連・10連のみになっていて、4・5・6連で運用する列車はもうありませんでした。国鉄→JR相模線への直通を想定していたとの噂もあるが(ただし当時は非電化)、真相は不明。通り抜けも出来なかったわけだし、12次車では一時、中間の先頭車を抜いた6M2Tも確認しています。結局旅客列車では分割して運用する事はないまま終わって中間車化改造をされている訳で、理由は未だ謎のままです。
今回の記事は
「私鉄の車両20 相模鉄道」(保育社) ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻
「鉄道ピクトリアル1986年8月臨時増刊号 【特集】相模鉄道」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル1999年7月臨時増刊号 【特集】相模鉄道」(鉄道図書刊行会)
「相模鉄道完全データ DVD BOOK」(メディアックス)
「私鉄車両年鑑2016」(イカロス出版)
などを参考にさせて頂きました。
次回は東京メトロ東西線05系、相鉄(新)7000系同様、前面デザインなどを中心に変更があった8次車以降を取り上げます。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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********************
《今日見た・聞いた・思った事》
4日前の16日リリースなのでやや遅くなったが、相鉄は3月18日(土)にダイヤ改正を行ないます。
今回は星川駅付近の下り線の高架化によるものだが、この工事、10年以上も前に着手されているのに、ずいぶん時間がかかっているなあとの印象が否めません。それでも下り線が切り替わってしまえば、あとの上り線は1~2年程度で切り替わるでしょう。
今回のポイントは、
1.平日朝ラッシュ時の特急の運行時間帯拡大 海老名発6時01分~7時31分の間15分間隔、以降9時11分まで20分間隔で運転。他列車も含め横浜7時30分~8時30分は2本増加。
2.日中時間帯の横浜・海老名両駅の折返し時間を延長 ホームの混雑を緩和するため。
合わせてパターンを変更し、本線快速は急行に変更。湘南台特急の横浜発は3番線に変更。
3.横浜0時35分発海老名行急行を新設 二俣川で湘南台行各停(海老名行から変更)に接続。
4.その他、平日大和始発8時台の急行を海老名始発に変更、夜間の快速は、平日…湘南台行を30分間隔に変更し時間帯を延長・土休日…海老名行急行を快速に変更し、湘南台行快速を増発、など。
今日は箱根まで山登りに行ってきたのだけれど、昼前から天候が荒れ模様になり、途中でコースを変更して早めに下山する事となりました。それに加え、小田原に戻ってみたら東海道線が強風で運転見合わせ、小田急~相鉄~バスと乗り継いで帰る事となって、いつもの倍掛かってしまいました。来月書きます。
《今日のニュースから》
19日 自衛隊「日本人保護」訓練 タイで実施 海外では初
20日 外国人女流プロ棋士誕生 将棋界初
№1518 私鉄名車列伝 132.京浜急行電鉄(新)1000形
「私鉄名車列伝」、今回は京浜急行電鉄の(新)1000形です。
(旧)1000形・700形・800形置き換え用として2002(H14)年より増備が続く、最新の標準通勤車両であり、快特・浅草線直通から普通電車まで幅広く活躍しています。ステンレス車体に移行して現在もなお尚も増備が続いているが、ここではまず、2006(H18)年まで4次に渡って製作された、アルミ車体のグループについて記します。
形式は浅草線直通の規格から1000番台に収める必要があり、2代目1000形を襲名、2010(H22)年までは新旧の1000形が併存する事となった。車号は車種に関わらない連番となり、4連は1400番台としている。
車体は2100形を3ドアにした形となり、アルミ車体ながら赤+白の塗り分けに塗装している。ドア間は複層ガラスの固定窓、センターピラーで2分割されている。正面はワイパーカバーに形式名を打ち抜き、非常扉に車号の下三桁を記した。MT比=1:1は2100形と同じ、8連は4両を1ユニット、4連は6連運用を想定し、パンタグラフとSIVを中間のT車2両に1基ずつ装備した。2両ずつに分割し、8連のユニットと連結する事で6連の組成を想定していた。主制御器は2100形と同じく、GTO素子のドイツ・シーメンス社製が採用され、通称「ドレミファインバータ」で、起動時の独特のサウンドを聞く事が出来た。
車内は1500形以来のロングシート主体となったが、連結面に4人分のクロスシートを設置している。ロングシートは暖色系となり、中間部に仕切りを設け、5-3人掛けに分けて着席定員を促している。クロスシート部は補助席が設けられた。ドア上部には、3色LEDによる旅客案内用表示装置が設けられている。
1次車は8連×3本・4連×2本の32両。
2004(H16)年導入の2次車では、側窓の上下方向が拡大され、大型1枚窓となった。ガラスは厚さを増し、色をグレーに変更した。正面の行先・種別表示は英文を併記、行先は白地+黒文字とした。4連は6連への編成替えを考慮しない事になり、パンタグラフ2器とSIVはTp車1両に集約された。
8連×2本・4連×2本の24両が製造された。
2005(H17)年導入の3次車では、大きな変更が行われた。M:T比を1:1→3:1に変更、雨天時の空転・滑走を抑えて、乗り心地の向上を図っている。主電動機の出力(190kw)は変わらず、出力を落として使用している。VVVFインバータ制御装置はIGBT素子となり、独特の起動時のサウンドは聞く事ができなくなった。台車の軸ダンパ受けと、先頭の砂撒き装置が省略された。車内ではクロスシート部の補助椅子の形状を変更することでシートピッチを拡大。新たな防火対策基準の制定に伴い、貫通扉を各貫通路間に増設したほか、天井の冷風吹き出し口と、排気扇清風板の素材をアルミ合金製に変更している。乗務員室はC-ATS導入に備え、車上装置を対応品とした(C-ATSは2009(H21)年2月に使用を開始)。4次車からは、行き先・種別表示がフルカラーLED化された。
3・4次車は8連×4本・4連×8本の64両が製造され、アルミ車では最大勢力となった。アルミ車は合計120両が、東急車輛と川崎重工によって製造され、以降はステンレス製に移行する事になる。
8連は都営地下鉄浅草線直通列車を中心に運用されて北総線印旛日本医大まで、平日は京成線佐倉まで乗り入れる事がある。4連は単独で普通列車の他、2編成併結でエアポート急行に、また快特・特急の12連運転増結運用に就いている。インバータ装置は順次国産に交換された。
1057Fは2014(H26)年より、西武鉄道とのタイアップで、全体を黄色・ドア部を銀色とした「KEIKYU YELLOW TRAIN」として運行されている。同年より、1~3次車も正面の行先・種別表示がフルカラーLED化されている。
【編成】
←三崎口・浦賀・羽田空港方 品川方→
8連 1・2次車
Muc1 1000 - *Tpu1 1000* - Tu 1000 - Mu 1000 - Ms 1000 - Ts 1000 - *Tps 1000* - Msc1 1000
8連 3・4次車
Muc1 1000 - *Tpu1 1000* - M2u 1000 - M1u 1000 - M1s 1000 - M2s 1000 - *Tps 1000* - Msc1 1000
4連 1次車
Muc1 1000 - Tpu1 1000* - Tps 1000* - Msc1 1000
4連 2次車
Muc1 1000 - T 1000 - *Tp 1000* - Msc1 1000
4連 3・4次車
Muc1 1000 - M2u 1000 - *Tp 1000* - Msc1 1000
「KEIKYU YELLOW TRAIN」は、今月18日の撮影時点では、AIR DOの広告ラッピングを施されていました。
1次車は8連と4連を組み替え、
Muc1 1000 - *Tpu1 1000* - Tu 1000 - Mu 1000 - Tps 1000* - Msc1 1000 と、
Muc1 1000 - Tpu1 1000* - Ms 1000 - Ts 1000 - *Tps 1000* - Msc1 1000
の、2種類の6連を作る事を想定していたようです。
ただ、4連・8連とも中間部は全て棒連結器だから、それほど頻繁な組み替えは行われない事になったはずです。
VVVF制御装置の国産への交換は終わったが、2100形の更新が終わると、次は新1000形の更新が始まる事になるかと思われます。
今回の記事は、
「鉄道ピクトリアル2002年10月臨時増刊号 鉄道車両年鑑2002年版」
「同 2003年10月臨時増刊号 鉄道車両年鑑2003年版」
「同 2005年10月臨時増刊号 鉄道車両年鑑2005年版」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ダイヤ情報2013年3月号」
「トラベルMOOK 京急電鉄の世界」(交通新聞社)
「京浜急行電鉄 完全データ DVD BOOK」(メディアックス) など
を参考にさせて頂きました。
次回は、相鉄7000系の内、正面の形態を中心にマイナーチェンジが行われた、12次車以降について取り上げます。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
九州新幹線が全線で運行を再開しました。私はGWには間に合わないと勝手に思っていたのだが。しばらくは〔つばめ〕のみの折り返し運転になると思われるが、ともあれ何よりな事だと思います。在来線は豊肥線の肥後大津~豊後竹田間は、再開が長引きそうです。
心配なのは南阿蘇鉄道で、義援金を募っているという事だが、公式Webの写真を見る限り、小規模第3セクターが復旧させるのはかなりの困難を伴うのではないか、というのが率直な印象でした。なんとか立ち直れると良いが。
《今日のニュースから》
26日 「ヒルズボロの悲劇」 警察に原因と陪審員評決
27日 なでしこジャパン 高倉麻子新監督就任を発表
(旧)1000形・700形・800形置き換え用として2002(H14)年より増備が続く、最新の標準通勤車両であり、快特・浅草線直通から普通電車まで幅広く活躍しています。ステンレス車体に移行して現在もなお尚も増備が続いているが、ここではまず、2006(H18)年まで4次に渡って製作された、アルミ車体のグループについて記します。
形式は浅草線直通の規格から1000番台に収める必要があり、2代目1000形を襲名、2010(H22)年までは新旧の1000形が併存する事となった。車号は車種に関わらない連番となり、4連は1400番台としている。
車体は2100形を3ドアにした形となり、アルミ車体ながら赤+白の塗り分けに塗装している。ドア間は複層ガラスの固定窓、センターピラーで2分割されている。正面はワイパーカバーに形式名を打ち抜き、非常扉に車号の下三桁を記した。MT比=1:1は2100形と同じ、8連は4両を1ユニット、4連は6連運用を想定し、パンタグラフとSIVを中間のT車2両に1基ずつ装備した。2両ずつに分割し、8連のユニットと連結する事で6連の組成を想定していた。主制御器は2100形と同じく、GTO素子のドイツ・シーメンス社製が採用され、通称「ドレミファインバータ」で、起動時の独特のサウンドを聞く事が出来た。
車内は1500形以来のロングシート主体となったが、連結面に4人分のクロスシートを設置している。ロングシートは暖色系となり、中間部に仕切りを設け、5-3人掛けに分けて着席定員を促している。クロスシート部は補助席が設けられた。ドア上部には、3色LEDによる旅客案内用表示装置が設けられている。
1次車は8連×3本・4連×2本の32両。
2004(H16)年導入の2次車では、側窓の上下方向が拡大され、大型1枚窓となった。ガラスは厚さを増し、色をグレーに変更した。正面の行先・種別表示は英文を併記、行先は白地+黒文字とした。4連は6連への編成替えを考慮しない事になり、パンタグラフ2器とSIVはTp車1両に集約された。
8連×2本・4連×2本の24両が製造された。
2005(H17)年導入の3次車では、大きな変更が行われた。M:T比を1:1→3:1に変更、雨天時の空転・滑走を抑えて、乗り心地の向上を図っている。主電動機の出力(190kw)は変わらず、出力を落として使用している。VVVFインバータ制御装置はIGBT素子となり、独特の起動時のサウンドは聞く事ができなくなった。台車の軸ダンパ受けと、先頭の砂撒き装置が省略された。車内ではクロスシート部の補助椅子の形状を変更することでシートピッチを拡大。新たな防火対策基準の制定に伴い、貫通扉を各貫通路間に増設したほか、天井の冷風吹き出し口と、排気扇清風板の素材をアルミ合金製に変更している。乗務員室はC-ATS導入に備え、車上装置を対応品とした(C-ATSは2009(H21)年2月に使用を開始)。4次車からは、行き先・種別表示がフルカラーLED化された。
3・4次車は8連×4本・4連×8本の64両が製造され、アルミ車では最大勢力となった。アルミ車は合計120両が、東急車輛と川崎重工によって製造され、以降はステンレス製に移行する事になる。
8連は都営地下鉄浅草線直通列車を中心に運用されて北総線印旛日本医大まで、平日は京成線佐倉まで乗り入れる事がある。4連は単独で普通列車の他、2編成併結でエアポート急行に、また快特・特急の12連運転増結運用に就いている。インバータ装置は順次国産に交換された。
1057Fは2014(H26)年より、西武鉄道とのタイアップで、全体を黄色・ドア部を銀色とした「KEIKYU YELLOW TRAIN」として運行されている。同年より、1~3次車も正面の行先・種別表示がフルカラーLED化されている。
【編成】
←三崎口・浦賀・羽田空港方 品川方→
8連 1・2次車
Muc1 1000 - *Tpu1 1000* - Tu 1000 - Mu 1000 - Ms 1000 - Ts 1000 - *Tps 1000* - Msc1 1000
8連 3・4次車
Muc1 1000 - *Tpu1 1000* - M2u 1000 - M1u 1000 - M1s 1000 - M2s 1000 - *Tps 1000* - Msc1 1000
4連 1次車
Muc1 1000 - Tpu1 1000* - Tps 1000* - Msc1 1000
4連 2次車
Muc1 1000 - T 1000 - *Tp 1000* - Msc1 1000
4連 3・4次車
Muc1 1000 - M2u 1000 - *Tp 1000* - Msc1 1000
「KEIKYU YELLOW TRAIN」は、今月18日の撮影時点では、AIR DOの広告ラッピングを施されていました。
1次車は8連と4連を組み替え、
Muc1 1000 - *Tpu1 1000* - Tu 1000 - Mu 1000 - Tps 1000* - Msc1 1000 と、
Muc1 1000 - Tpu1 1000* - Ms 1000 - Ts 1000 - *Tps 1000* - Msc1 1000
の、2種類の6連を作る事を想定していたようです。
ただ、4連・8連とも中間部は全て棒連結器だから、それほど頻繁な組み替えは行われない事になったはずです。
VVVF制御装置の国産への交換は終わったが、2100形の更新が終わると、次は新1000形の更新が始まる事になるかと思われます。
今回の記事は、
「鉄道ピクトリアル2002年10月臨時増刊号 鉄道車両年鑑2002年版」
「同 2003年10月臨時増刊号 鉄道車両年鑑2003年版」
「同 2005年10月臨時増刊号 鉄道車両年鑑2005年版」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ダイヤ情報2013年3月号」
「トラベルMOOK 京急電鉄の世界」(交通新聞社)
「京浜急行電鉄 完全データ DVD BOOK」(メディアックス) など
を参考にさせて頂きました。
次回は、相鉄7000系の内、正面の形態を中心にマイナーチェンジが行われた、12次車以降について取り上げます。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
九州新幹線が全線で運行を再開しました。私はGWには間に合わないと勝手に思っていたのだが。しばらくは〔つばめ〕のみの折り返し運転になると思われるが、ともあれ何よりな事だと思います。在来線は豊肥線の肥後大津~豊後竹田間は、再開が長引きそうです。
心配なのは南阿蘇鉄道で、義援金を募っているという事だが、公式Webの写真を見る限り、小規模第3セクターが復旧させるのはかなりの困難を伴うのではないか、というのが率直な印象でした。なんとか立ち直れると良いが。
《今日のニュースから》
26日 「ヒルズボロの悲劇」 警察に原因と陪審員評決
27日 なでしこジャパン 高倉麻子新監督就任を発表
№1492 私鉄名車列伝 131.東京急行電鉄2000系
「私鉄名車列伝」、今回は東急田園都市線の2000系です。
2000系は、旅客が急増していた田園都市線(2000(H12)年8月までの新玉川線を含む)の増発用として、1992(H4)年より製造された。9000系をベースとしつつ、細かな改良がくわえられた他、特に車内のアメニティ向上を図る新しい試みが、一部の車両でなされた。後の新系列で本格的に取り入れられたものも多い。
9000系と同型の切妻タイプの軽量ステンレス車体で、外見上は分散クーラー2個を一つのケースにまとめている点が識別点となる。M車・T車で屋根上の見付を統一した。また、側窓上に車外スピーカーが設けられた。
9000系との決定的な違いとしては、10両固定編成となってM-Mユニットの1C8Mとなり、8500系の8M2Tから6M4Tとなった。M1車には9000系とは異なる、GTOサイリスタのVVVF制御装置が1基設けられている。中間T車2両を外して8連で運行する事も可能。台車は軸箱指示方式をペデスタルすり板式から、新たに円筒積層ゴム式としたボルスタレス台車となった。乗務員室は9000系・1000系と同様のワンハンドル式で、半蔵門線用の機器を追加している。保安装置はCS-ATC。
車内も基本的には9000系と同じロングシートで、端部もクロスシートではなく、通常のロングシートとなっている。ドア間の座席は3-4配置で中間に仕切りを設けている点は9000系も同じ。天井はクーラーの吹き出しが、1000系と同じラインデリア併用のダクト方式として、平天井となった。
3・9号車に関しては、新たな試みが行われた。座席のモケットは、3号車は縦縞・9号車は花柄となり、座席下の蹴り込み板を後退させて、小荷物を置けるよう配慮した。座席の仕切りには握り棒を設けている。カーテンは東急沿線の名所(渋谷109・田園調布駅旧駅舎・ランドマークタワー)をプリント。貫通扉は三角形を点対称に配置し、ファッション性と共に見通しを改善した。また、新造車両では初めて車椅子スペースを設けている。標記類はピクトグラム化されている。
合計3編成30両が東急車輛で製造された。田園都市線は2001F・2002Fが投入された1992(H4)年9月11日改正で朝ラッシュ時間帯の運転間隔を短縮、鷺沼始発の急行2本を増発した。この2編成は当初より10両編成で田園都市線に直接導入されたが、1993(H5)年3月に増備された2003Fは当初は8連で東横線に投入、11月にT車2両を組み込み、10連化されて田園都市線に転用されている。2003Fは行先・種別表示が3色LED化され、全車両で柄入りモケットが採用された。
田園都市線は2003(H15)年3月19日の半蔵門線押上延伸時より、東武伊勢崎線・日光線南栗橋までの相互直通運転を開始したが、2000系は東武直通対応とはならなかった。先頭部非常扉窓部に、東武非乗り入れを表す○Kマークを貼っている。座席の柄入りモケットは2004(H16)年までに、全て標準のオレンジ・ブラウンのモケットに交換されている。また、車内ドア上部に3色LEDの車内案内表示装置が千鳥状に設けられた。正面にはスカートが設けられ、行先・種別表示は3編成全てが、フルカラーLEDに交換・統一されている。
現在も田園都市線・半蔵門線の中央林間~渋谷~押上間で、限定した運用に就いている。現状では7000系(21両)に次ぐ少数派で、目に触れる機会は多くはない。
【編成】
←渋谷方 中央林間方→
Tc2 2000 - *M1 2250 - M2 2200 - T2 2700 - *M1 2350 - M2 2300 - T1 2800 - *M1 2450 - M2 2400 - Tc1 2100
* パンタグラフ
2000系は、両数としては2番目に少ないが、7000系(7編成)と比較しても3編成しかなく、東武に入らないとはいえ運用距離自体は比較的長いので見かける機会は少なく、実質的には東急では最少勢力と言えるのではないか。正直9000系とどこがどう違うのか、相違点を見つけ出すのは少々難しい、地味な系列でもあります。ただ、柄入りの座席は2000系では終わったが、その後の5000系シリーズや6000系、7000系でも本格的に採用されているし、車椅子スペースもこの後、在来の系列でも設置工事が行われています。という事で、9000・1000系までの流れを受け継ぎつつ、3000系以降の新系列への橋渡し役となった系列、と評して良いのではないでしょうか。
今回の記事は
「鉄道ピクトリアル1992年10月臨時増刊号 新車年鑑1992年版」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル1994年12月臨時増刊号 【特集】東京急行電鉄」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2004年7月臨時増刊号 【特集】東京急行電鉄」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2015年12月臨時増刊号 【特集】東京急行電鉄」(鉄道図書刊行会)
「東急ステンレスカーのあゆみ」(萩原俊夫/JTBキャンブックス)
「私鉄車両年鑑2015」(イカロス出版)
「東急電鉄の世界」(交通出版社)
「鉄道ダイヤ情報№383(2016年3月号)(交通出版社)
「東急時刻表」 等
を参考にさせて頂きました。
「新車年鑑1992年版」を読むと、2000系の他、西武6000系・京王8000系がここで出てきていて、先行してデビューした小田急1000形も10両固定編成がデビューしていました。JRでも東日本で試作901系がデビューしたほか、西日本の207系も量産車がデビューしています。無論東急はもっと早く、昭和の終わりには9000系・1000系をデビューさせていた訳だが、この時期に、全国的にVVVFの通勤車が一気に花開いた感があります。
次回のこのシリーズは、京浜急行電鉄の(新)1000形の内、5次車までのアルミ車体のグループについて取り上げます。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
小田急のダイヤ改正は既に№1481で書いたが、先頃入手したロマンスカーの新ダイヤの時刻表から目についた、リリースでは触れられていない所を3点。既にご存じだろうとは思いますが。
1.VSEが平日のみ、江ノ島線〔ホームウェイ〕(85号藤沢行)に運用。VSEの定期〔ホームウェイ〕は初。
(6年前のHiSE・LSE一時離脱時に多摩線〔ホームウェイ〕で代走の実績はある)
2.平日の19時台以降新百合ヶ丘停車〔ホームウェイ〕は、3番線(多摩線ホーム)着発。
3.〔えのしま〕は、平日は夜間の藤沢始発90号は取り止め。土休日は1往復増発。
《今日のニュースから》
2日 米「スポーツオーソリティ」 経営破綻
3日 「爆買い」ガイド中国人 不法就労で国外退去処分
2000系は、旅客が急増していた田園都市線(2000(H12)年8月までの新玉川線を含む)の増発用として、1992(H4)年より製造された。9000系をベースとしつつ、細かな改良がくわえられた他、特に車内のアメニティ向上を図る新しい試みが、一部の車両でなされた。後の新系列で本格的に取り入れられたものも多い。
9000系と同型の切妻タイプの軽量ステンレス車体で、外見上は分散クーラー2個を一つのケースにまとめている点が識別点となる。M車・T車で屋根上の見付を統一した。また、側窓上に車外スピーカーが設けられた。
9000系との決定的な違いとしては、10両固定編成となってM-Mユニットの1C8Mとなり、8500系の8M2Tから6M4Tとなった。M1車には9000系とは異なる、GTOサイリスタのVVVF制御装置が1基設けられている。中間T車2両を外して8連で運行する事も可能。台車は軸箱指示方式をペデスタルすり板式から、新たに円筒積層ゴム式としたボルスタレス台車となった。乗務員室は9000系・1000系と同様のワンハンドル式で、半蔵門線用の機器を追加している。保安装置はCS-ATC。
車内も基本的には9000系と同じロングシートで、端部もクロスシートではなく、通常のロングシートとなっている。ドア間の座席は3-4配置で中間に仕切りを設けている点は9000系も同じ。天井はクーラーの吹き出しが、1000系と同じラインデリア併用のダクト方式として、平天井となった。
3・9号車に関しては、新たな試みが行われた。座席のモケットは、3号車は縦縞・9号車は花柄となり、座席下の蹴り込み板を後退させて、小荷物を置けるよう配慮した。座席の仕切りには握り棒を設けている。カーテンは東急沿線の名所(渋谷109・田園調布駅旧駅舎・ランドマークタワー)をプリント。貫通扉は三角形を点対称に配置し、ファッション性と共に見通しを改善した。また、新造車両では初めて車椅子スペースを設けている。標記類はピクトグラム化されている。
合計3編成30両が東急車輛で製造された。田園都市線は2001F・2002Fが投入された1992(H4)年9月11日改正で朝ラッシュ時間帯の運転間隔を短縮、鷺沼始発の急行2本を増発した。この2編成は当初より10両編成で田園都市線に直接導入されたが、1993(H5)年3月に増備された2003Fは当初は8連で東横線に投入、11月にT車2両を組み込み、10連化されて田園都市線に転用されている。2003Fは行先・種別表示が3色LED化され、全車両で柄入りモケットが採用された。
田園都市線は2003(H15)年3月19日の半蔵門線押上延伸時より、東武伊勢崎線・日光線南栗橋までの相互直通運転を開始したが、2000系は東武直通対応とはならなかった。先頭部非常扉窓部に、東武非乗り入れを表す○Kマークを貼っている。座席の柄入りモケットは2004(H16)年までに、全て標準のオレンジ・ブラウンのモケットに交換されている。また、車内ドア上部に3色LEDの車内案内表示装置が千鳥状に設けられた。正面にはスカートが設けられ、行先・種別表示は3編成全てが、フルカラーLEDに交換・統一されている。
現在も田園都市線・半蔵門線の中央林間~渋谷~押上間で、限定した運用に就いている。現状では7000系(21両)に次ぐ少数派で、目に触れる機会は多くはない。
【編成】
←渋谷方 中央林間方→
Tc2 2000 - *M1 2250 - M2 2200 - T2 2700 - *M1 2350 - M2 2300 - T1 2800 - *M1 2450 - M2 2400 - Tc1 2100
* パンタグラフ
2000系は、両数としては2番目に少ないが、7000系(7編成)と比較しても3編成しかなく、東武に入らないとはいえ運用距離自体は比較的長いので見かける機会は少なく、実質的には東急では最少勢力と言えるのではないか。正直9000系とどこがどう違うのか、相違点を見つけ出すのは少々難しい、地味な系列でもあります。ただ、柄入りの座席は2000系では終わったが、その後の5000系シリーズや6000系、7000系でも本格的に採用されているし、車椅子スペースもこの後、在来の系列でも設置工事が行われています。という事で、9000・1000系までの流れを受け継ぎつつ、3000系以降の新系列への橋渡し役となった系列、と評して良いのではないでしょうか。
今回の記事は
「鉄道ピクトリアル1992年10月臨時増刊号 新車年鑑1992年版」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル1994年12月臨時増刊号 【特集】東京急行電鉄」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2004年7月臨時増刊号 【特集】東京急行電鉄」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2015年12月臨時増刊号 【特集】東京急行電鉄」(鉄道図書刊行会)
「東急ステンレスカーのあゆみ」(萩原俊夫/JTBキャンブックス)
「私鉄車両年鑑2015」(イカロス出版)
「東急電鉄の世界」(交通出版社)
「鉄道ダイヤ情報№383(2016年3月号)(交通出版社)
「東急時刻表」 等
を参考にさせて頂きました。
「新車年鑑1992年版」を読むと、2000系の他、西武6000系・京王8000系がここで出てきていて、先行してデビューした小田急1000形も10両固定編成がデビューしていました。JRでも東日本で試作901系がデビューしたほか、西日本の207系も量産車がデビューしています。無論東急はもっと早く、昭和の終わりには9000系・1000系をデビューさせていた訳だが、この時期に、全国的にVVVFの通勤車が一気に花開いた感があります。
次回のこのシリーズは、京浜急行電鉄の(新)1000形の内、5次車までのアルミ車体のグループについて取り上げます。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
小田急のダイヤ改正は既に№1481で書いたが、先頃入手したロマンスカーの新ダイヤの時刻表から目についた、リリースでは触れられていない所を3点。既にご存じだろうとは思いますが。
1.VSEが平日のみ、江ノ島線〔ホームウェイ〕(85号藤沢行)に運用。VSEの定期〔ホームウェイ〕は初。
(6年前のHiSE・LSE一時離脱時に多摩線〔ホームウェイ〕で代走の実績はある)
2.平日の19時台以降新百合ヶ丘停車〔ホームウェイ〕は、3番線(多摩線ホーム)着発。
3.〔えのしま〕は、平日は夜間の藤沢始発90号は取り止め。土休日は1往復増発。
《今日のニュースから》
2日 米「スポーツオーソリティ」 経営破綻
3日 「爆買い」ガイド中国人 不法就労で国外退去処分
№1487 私鉄名車列伝 130.小田急電鉄50000形
久しぶりに「私鉄名車列伝」、やります。
今回は小田急のロマンスカー、50000形「VSE」です。
私鉄特急の最高峰の一つだが、気づけばデビューからもう10年以上経ちました。今でもロマンスカー一の人気を博しています。
50000形は、7代目ロマンスカーとして、小田急のフラッグシップの任を担うべく、2005(H17)年に就役した。小田急のみならず、日本の鉄道の特急車両としても最高峰の1つに上げられる。2006(H18)年ブルーリボン賞受賞。他、多数の賞を受賞している。
20世紀末~21世紀初頭のロマンスカーは輸送力増強の必要もあって、汎用的な用途に用いられる30000形「EXE」の増備が続けられてきたが、観光輸送に特化したアコモデーション、特にロマンスカー伝統の展望席を設置したハイグレードな車両が望まれ、箱根特急専用車両として開発された。
著名な建築家をデザイナーに迎え、車内は全体的に、2,550㎜の高いドーム状の天井も持つ事から、
「VSE」(=Vault Super Express)
の愛称を与えられている。
10車体の連接構造となり、M5-M6間を中心に点対称に編成が組成されている。車体はアルミ製、展望室はシングルスキン、他はダブルスキン構造となっていて、シルキーホワイトに、ロマンスカー伝統のオレンジの帯をまく。展望席と運転席に大型曲面ガラスを使用した前頭部は、ドイツの高速列車を髣髴させる。
アンクルチルドリクライニング機構を採用した座席のピッチは中間車1,050㎜・先頭車1,010㎜・展望室1,150㎜に拡大され、全体の定員は358名(含む「サルーン」)と、HiSE(432名)の82.8%に抑えられている。展望席は16席設けられ、12席は向かい合わせにして、ラウンジ風にする事ができる。オレンジ系統の一般席は窓側に5度向けた点が目新しく、通路側からも展望をより楽しめるようになった。床面にはグレー系のカーペットを敷いている。
M3・M8にはVSEのもうひとつの魅力、「ロマンスカーカフェ」が設置され、オーダーエントリー方式のシートデリバリサービスの基点となっているほか、弁当やおつまみ、デザート、記念品などを販売して、カフェコーナーとして利用できる。隣接して、M8(3号車)には4人掛けコンパート「サルーン」、M3(8号車)にはバリアフリー対応の一般席を設けているほか、両車両には「ゆったりトイレ」・洗面所・喫煙ブースを集中して配置している。デッキ部仕切りには液晶モニター「情報パネル」が設けられ、TVOS(Train Vision Odakyu System)を使用して列車や観光案内などを4ヶ国語で提供する他、運転席から前方の映像も適宜放映される。「VSE」ロゴマークも、両車両の側面に大きく描かれている。床はフローリング。
制御方式はIGBT素子のVVVF制御で、台車単位で8M3Tとなった。135kwの密閉式モーターに加えて床下全体をカバーで覆い、騒音防止を図っている。連接車体と、通常より約1m高い空気ばね(連接部の中央部分に見える)方式により、最大2度の車体傾斜制御が実現した。設定最高速度130㎞/hは、ロマンスカー史上最速である。2階の運転台はマスコンを左側に配置、メーター類は液晶画面2面にデジタル表示とした。
2編成が日本車両で製造され、2005(H17)年3月19日より営業運転を開始した。一部の例外的運用を除き、「スーパーはこね」「はこね」に専用されている。なおVSEは当初から客室完全禁煙だったが、2008(H20)年のロマンスカー完全禁煙実施に伴い、喫煙コーナーはフリースペースに転用された。同時期にM8デッキ部にAEDを設置した。2014(H26)年12月には無料Wi-Fiサービスを開始している。
運行開始当初、小田急が作成したVSE運行開始時の、予約開始告知のチラシ。
裏面には当時のVSE運用の時刻が記されています。新宿~箱根湯本間最大6往復は今も変わらないが、平日は5往復だった他、ノンストップの〔スーパーはこね〕が、当時は土休日下り3本・下り2本、平日下り2本設定されていました。
(現行ダイヤは土休日2往復、平日は下り1本のみ)
〔はこね〕は、本厚木は通過でした。
既に何度か記している通り、VSEの「売り」だったはずのシートサービスは、次回3月26日のダイヤ改正時により、他のロマンスカー同様のワゴンサービスに転換される事になっています。
私が見聞きする限りでは、小田急のダイヤ改正のリリースの末文に記されているだけで、具体的な理由などを記した文献などは見当たりません。だから想像だけでしかないが、〔スーパーはこね〕の本数が減り、〔はこね〕の停車駅が増えているので(次回改正からは、本厚木または海老名のどちらかに停車する)、シートサービスがやりにくくなっているのかも知れません。ただ、ロマンスカーは車両そのもののハード面だけでなく、シートサービスのようなソフト面も売りで、これがVSEデビューが待望された理由の一つでもあったと思います。なので、やや残念という感はあります。「ロマンスカーカフェ」は残るのだが。
VSE自体、2編成がデビューした後、あとが続きませんでした。私は勝手に、この後も増備が続いて、HiSEだけでなく、LSEも全部置き換えていくのだろうと思っていたのだが。コストの問題もあるだろうが、デビュー直後に発生した、JR福知山線の大惨事が影響していると見ています。無論あんな事は二度と起きてはいけないが、万が一あのような事が起きると、展望席のお客さんが真っ先に危険にさらされる事になるので。
(現にJR北海道の「クリスタルエクスプレス」は、踏切事故を契機に展望室を閉鎖している)
といって、LSE7000形はデビューから35年以上、小田急全体でも最古参の状況では、看板列車でもあればいつまでもこのままとはいかず、早期の置き換えも望まれる状況にあるかと思います。展望席がロマンスカーに不可欠なら、名鉄「パノラマスーパー」のような、運転室と展望席を上下入れ換えた構造も、考えられなくはないが、ロマンスカーの長年のファンからはどう受け止められるか、小型車体の連接構造で可能なのか、という問題もあるでしょう。
この数年、ロマンスカーの増備はMSEのみ続いています。この状況はなんとなく、EXEがNSEを次々に置き換えて行った20年前と似ている気がします。あの時は箱根の観光が伸び悩んだ一方、会社帰りや買い物客の利用など、ロマンスカーの利用が多角化していた事が理由でした。秦野や大和への新規停車があったのも、次回改正で海老名・伊勢原に新規停車するのと似ています。
とはいえ箱根が小田急グループを支える大観光地である事は変わらず、現在は観光の訪問も安定しているし(大涌谷は懸念だが)、まして外国人の訪問が増えているので、20年前と全く同じではない。となると、MSEと共に、次世代のフラッグシップとなるべきロマンスカーのデビューが、そろそろ望まれるのではないかと思います。10年経ってしまったから今更VSEの増備ともいかないだろうし。多くの観光客やファンを唸らせる、新ロマンスカーのデビューを待望したいと思います。
今回の記事は
「鉄道ピクトリアル2006年10月臨時増刊号 鉄道車両年鑑2005年版」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2010年1月臨時増刊号 【特集】小田急電鉄」(鉄道図書刊行会)
「小田急電鉄完全データ DVDBOOK」(メディアックス)
「小田急電鉄の世界」(交通新聞社) 等
を参考にさせて頂きました。
次回は東急田園都市線の2000系です。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
《今日のニュースから》
21日 千葉ロッテ・ナバーロ選手 実弾所持の疑いで逮捕
22日 新築マンション平均発売価格4618万円 調査開始以降最高額
今回は小田急のロマンスカー、50000形「VSE」です。
私鉄特急の最高峰の一つだが、気づけばデビューからもう10年以上経ちました。今でもロマンスカー一の人気を博しています。
50000形は、7代目ロマンスカーとして、小田急のフラッグシップの任を担うべく、2005(H17)年に就役した。小田急のみならず、日本の鉄道の特急車両としても最高峰の1つに上げられる。2006(H18)年ブルーリボン賞受賞。他、多数の賞を受賞している。
20世紀末~21世紀初頭のロマンスカーは輸送力増強の必要もあって、汎用的な用途に用いられる30000形「EXE」の増備が続けられてきたが、観光輸送に特化したアコモデーション、特にロマンスカー伝統の展望席を設置したハイグレードな車両が望まれ、箱根特急専用車両として開発された。
著名な建築家をデザイナーに迎え、車内は全体的に、2,550㎜の高いドーム状の天井も持つ事から、
「VSE」(=Vault Super Express)
の愛称を与えられている。
10車体の連接構造となり、M5-M6間を中心に点対称に編成が組成されている。車体はアルミ製、展望室はシングルスキン、他はダブルスキン構造となっていて、シルキーホワイトに、ロマンスカー伝統のオレンジの帯をまく。展望席と運転席に大型曲面ガラスを使用した前頭部は、ドイツの高速列車を髣髴させる。
アンクルチルドリクライニング機構を採用した座席のピッチは中間車1,050㎜・先頭車1,010㎜・展望室1,150㎜に拡大され、全体の定員は358名(含む「サルーン」)と、HiSE(432名)の82.8%に抑えられている。展望席は16席設けられ、12席は向かい合わせにして、ラウンジ風にする事ができる。オレンジ系統の一般席は窓側に5度向けた点が目新しく、通路側からも展望をより楽しめるようになった。床面にはグレー系のカーペットを敷いている。
M3・M8にはVSEのもうひとつの魅力、「ロマンスカーカフェ」が設置され、オーダーエントリー方式のシートデリバリサービスの基点となっているほか、弁当やおつまみ、デザート、記念品などを販売して、カフェコーナーとして利用できる。隣接して、M8(3号車)には4人掛けコンパート「サルーン」、M3(8号車)にはバリアフリー対応の一般席を設けているほか、両車両には「ゆったりトイレ」・洗面所・喫煙ブースを集中して配置している。デッキ部仕切りには液晶モニター「情報パネル」が設けられ、TVOS(Train Vision Odakyu System)を使用して列車や観光案内などを4ヶ国語で提供する他、運転席から前方の映像も適宜放映される。「VSE」ロゴマークも、両車両の側面に大きく描かれている。床はフローリング。
制御方式はIGBT素子のVVVF制御で、台車単位で8M3Tとなった。135kwの密閉式モーターに加えて床下全体をカバーで覆い、騒音防止を図っている。連接車体と、通常より約1m高い空気ばね(連接部の中央部分に見える)方式により、最大2度の車体傾斜制御が実現した。設定最高速度130㎞/hは、ロマンスカー史上最速である。2階の運転台はマスコンを左側に配置、メーター類は液晶画面2面にデジタル表示とした。
2編成が日本車両で製造され、2005(H17)年3月19日より営業運転を開始した。一部の例外的運用を除き、「スーパーはこね」「はこね」に専用されている。なおVSEは当初から客室完全禁煙だったが、2008(H20)年のロマンスカー完全禁煙実施に伴い、喫煙コーナーはフリースペースに転用された。同時期にM8デッキ部にAEDを設置した。2014(H26)年12月には無料Wi-Fiサービスを開始している。
運行開始当初、小田急が作成したVSE運行開始時の、予約開始告知のチラシ。
裏面には当時のVSE運用の時刻が記されています。新宿~箱根湯本間最大6往復は今も変わらないが、平日は5往復だった他、ノンストップの〔スーパーはこね〕が、当時は土休日下り3本・下り2本、平日下り2本設定されていました。
(現行ダイヤは土休日2往復、平日は下り1本のみ)
〔はこね〕は、本厚木は通過でした。
既に何度か記している通り、VSEの「売り」だったはずのシートサービスは、次回3月26日のダイヤ改正時により、他のロマンスカー同様のワゴンサービスに転換される事になっています。
私が見聞きする限りでは、小田急のダイヤ改正のリリースの末文に記されているだけで、具体的な理由などを記した文献などは見当たりません。だから想像だけでしかないが、〔スーパーはこね〕の本数が減り、〔はこね〕の停車駅が増えているので(次回改正からは、本厚木または海老名のどちらかに停車する)、シートサービスがやりにくくなっているのかも知れません。ただ、ロマンスカーは車両そのもののハード面だけでなく、シートサービスのようなソフト面も売りで、これがVSEデビューが待望された理由の一つでもあったと思います。なので、やや残念という感はあります。「ロマンスカーカフェ」は残るのだが。
VSE自体、2編成がデビューした後、あとが続きませんでした。私は勝手に、この後も増備が続いて、HiSEだけでなく、LSEも全部置き換えていくのだろうと思っていたのだが。コストの問題もあるだろうが、デビュー直後に発生した、JR福知山線の大惨事が影響していると見ています。無論あんな事は二度と起きてはいけないが、万が一あのような事が起きると、展望席のお客さんが真っ先に危険にさらされる事になるので。
(現にJR北海道の「クリスタルエクスプレス」は、踏切事故を契機に展望室を閉鎖している)
といって、LSE7000形はデビューから35年以上、小田急全体でも最古参の状況では、看板列車でもあればいつまでもこのままとはいかず、早期の置き換えも望まれる状況にあるかと思います。展望席がロマンスカーに不可欠なら、名鉄「パノラマスーパー」のような、運転室と展望席を上下入れ換えた構造も、考えられなくはないが、ロマンスカーの長年のファンからはどう受け止められるか、小型車体の連接構造で可能なのか、という問題もあるでしょう。
この数年、ロマンスカーの増備はMSEのみ続いています。この状況はなんとなく、EXEがNSEを次々に置き換えて行った20年前と似ている気がします。あの時は箱根の観光が伸び悩んだ一方、会社帰りや買い物客の利用など、ロマンスカーの利用が多角化していた事が理由でした。秦野や大和への新規停車があったのも、次回改正で海老名・伊勢原に新規停車するのと似ています。
とはいえ箱根が小田急グループを支える大観光地である事は変わらず、現在は観光の訪問も安定しているし(大涌谷は懸念だが)、まして外国人の訪問が増えているので、20年前と全く同じではない。となると、MSEと共に、次世代のフラッグシップとなるべきロマンスカーのデビューが、そろそろ望まれるのではないかと思います。10年経ってしまったから今更VSEの増備ともいかないだろうし。多くの観光客やファンを唸らせる、新ロマンスカーのデビューを待望したいと思います。
今回の記事は
「鉄道ピクトリアル2006年10月臨時増刊号 鉄道車両年鑑2005年版」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2010年1月臨時増刊号 【特集】小田急電鉄」(鉄道図書刊行会)
「小田急電鉄完全データ DVDBOOK」(メディアックス)
「小田急電鉄の世界」(交通新聞社) 等
を参考にさせて頂きました。
次回は東急田園都市線の2000系です。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
《今日のニュースから》
21日 千葉ロッテ・ナバーロ選手 実弾所持の疑いで逮捕
22日 新築マンション平均発売価格4618万円 調査開始以降最高額
№1440 私鉄名車列伝 129.京王電鉄7000系
「私鉄名車列伝」、今回は京王電鉄7000系です。
地味な系列だと思っていたのだが、この十数年で外も中も大きく変わりました。
7000系は、1984(S59)年より製造された通勤車である。各駅停車で運用されていた非冷房の「グリーン車」2010系置き換えを当初の目的として製造された。
京王線系統では初の全ステンレス車体となったが、基本的な寸法は6000系に準じており、戸袋窓も残されている。前面は車掌側も窓を拡大して左右対称となった。前面と側面を突き合わせる淵部はFRP整形としている。前照灯は京王では初の角形シールドビームとなり、標識灯と一体のケースに収められた。
性能的には6000系を踏襲していて、150kwの電動機を1C8Mで制御する電力回生ブレーキ併用の界磁チョッパ制御・電気指令式ブレーキを採用している。運転台も6000系同様のワンハンドルマスコンだが、分割・併合運用は想定しておらず、貫通路として仕切る事が出来る構造にはなっていない。
車内は平天井となり、冷房はラインデリアを併用している。座席は当初は茶色系で、ミシン目を入れて座席区分を明確にした。床は茶色とオレンジ色のツートンカラーとして、脚の投げ出し防止のため、フットラインを設けていた。
当初は3M2Tの5連で製造され、1987(H62)年にデハ7050型1両を増結して6連化された。1986(S61)年には8連も製造されている。
1987(S62)年より製造された車両は、車号が20番台に飛び、車体がビードプレス仕上げとなり、前面の形態も若干変わった。前面下部と淵部はアイボリー塗装となり、0番台車両も同様に塗装された。1993(H5)年には4連、1994(H6)年には2連が製造された他、6連の一部は8連化、8連の10連化のための中間車両も製造され、最終的には1995(H7)年までに190両が日本車両・東急車両により製造された。
2001(H13)年より車内のリニューアルが始まり、帯の色はエンジ一色→8000系・9000系に合わせたピンク+紺色のコーポレートカラーに改められている。車内は化粧板が張り替えられ、座席は区分を示す模様を入れた紫地(優先席は青地)に改められた。車椅子スペースも設けられている。ドア上にはLEDによる案内表示装置が設置された。
この年から特急・急行の運用にも入るようになり、2連は9000系(0番台)に増結する10連運用も見られるようになった。
2003(H15)年より、VVVF制御改造工事が始まった。改造は2期に分かれており、1期は6連・8連のMT比率の変更を伴い、M車の電装解除が行われている。同時に2連×2本・4連×2本がワンマン化改造され、2連は競馬場線、4連は動物園線で運用されている。
車内のリニューアルも深度化し、袖仕切りの設置、座席の色の変更、UVカットガラスの採用も行われている。
2010(H22)年に始まった第2期は、編成替えや改番も伴う大規模なものとなり、6連×1本・8連×6本→4連1本・10連5本に組み替えられた。車内は座席がバケットシートとなり、10連の5本はドア上にLCDモニターを設置、また4連の1本では、LED表示のスペースのままでLCD化を行っている。
2012(H24)年10月の7803Fを持って改造は終了し、京王電鉄は全営業車両のVVVF制御化を大手私鉄では初めて達成した。
動物園線用の7801Fは2011(H23)年に「Tama Zoo Train」と称して動物のイラストのラッピングが施され、さらに2015(H23)年には車内も改装され、1両毎に異なる動物をテーマとした内装が施されている。ワンマン車以外の編成は京王線内系統の各種列車で、8000系・9000系と共に運用されている。
【編成】
Tc1 7700 - M1 7000* - M2 7050 - M 7000* - Tc2 7750 (新造当初の5連)
Mc 7400* - Tc-7750*
Tc1 7700 - M1 7000* - M2 7050* - Tc2 7750
Tc1 7700 - M1 7000* - T 7550 - M1 7000* - M2 7050* - Tc2 7750
Tc1 7700 - M1 7000* - M2 7050* - T1 7500 - T2 7550 - M1 7000* - M2 7050* - Tc2 7750
Tc1 7700 - M1 7000* - M2 7050* - T1 7500 - M1 7000* - T2 7550 - T2 7550 - M1 7000* - M2 7050* - Tc2 7750
前後期2タイプがたまたま並びました。やや見づらいかも知れないが、正面の形態や、側面の外板の違いが分かって頂けるかなあと思います。
一番上は8連時代の7713Fで、この後2両を他編成から組み込み、10連化の上7727Fに改番しています。
「地味な系列だな」と繰り返してしまうのはデビュー当時の外観からくるイメージもあって、撮影はしていないのだが、趣味誌などの参考文献などを見ると、正面は銀色地にエンジの帯のみ、スカートもなくて、アイボリー地の5000系・6000系に混じると、ステンレス車ながら今一つ目立たなかったかもなあという印象がありました。20番台から正面下部とFRP製の淵部をアイボリーに着色したのは、京王自身もそう感じたのかも知れません。
「Tama Zoo Train」は、現状では編成単位での撮影が極めて困難です。動物園線を乗られた方は解ると思うが、高台を走る上に、線路際に立ち入れる場所がありません(踏切もない)。また、高幡不動駅は改築により大きな橋上駅舎となったため、ホーム上に地盤が広がって暗く、多摩動物公園駅は島式ホームのため編成全体を見る事がほぼ無理です。可能性があるとしたら、多摩都市モノレールの程久保駅からでしょうかね?
今回の記事は
「私鉄の車両17 京王帝都電鉄」(保育社) ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻
「鉄道ピクトリアル1993年7月臨時増刊号 【特集】京王帝都電鉄」
「鉄道ピクトリアル2003年7月臨時増刊号 【特集】京王電鉄」
「鉄道ピクトリアル2014年7月臨時増刊号 【特集】京王電鉄」
(いずれも鉄道図書刊行会)
「トラベルMOOK 京王電鉄の世界」(交通新聞社)
「京王電鉄完全データ」(メディアックス)
小冊子「京王の電車」(京王電鉄広報部2001年3月発行)
などを参考にさせて頂きました。
次回は小田急のロマンスカー、VSE50000形です。気づけばデビューからちょうど10年になりました。ロマンスカーのフラッグシップ、ではあるのだが、数が増えないですね…。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
明日の晩、本体の更新を行います。旧明石市営バスの画像を再公開します。末期の時刻表と路線図も追加しました。東急バスでエルガミオの画像を追加した他、「ア・ラ・カルト」の「県庁所在地を走るJRバス」を再公開します。福岡市のJRバスも公開を始めます。
《今日のニュースから》
18日 丸川環境大臣 福島第一原発を視察
19日 教育関係NPO法人 自民党支部に献金 政治資金収支報告書が公表
地味な系列だと思っていたのだが、この十数年で外も中も大きく変わりました。
7000系は、1984(S59)年より製造された通勤車である。各駅停車で運用されていた非冷房の「グリーン車」2010系置き換えを当初の目的として製造された。
京王線系統では初の全ステンレス車体となったが、基本的な寸法は6000系に準じており、戸袋窓も残されている。前面は車掌側も窓を拡大して左右対称となった。前面と側面を突き合わせる淵部はFRP整形としている。前照灯は京王では初の角形シールドビームとなり、標識灯と一体のケースに収められた。
性能的には6000系を踏襲していて、150kwの電動機を1C8Mで制御する電力回生ブレーキ併用の界磁チョッパ制御・電気指令式ブレーキを採用している。運転台も6000系同様のワンハンドルマスコンだが、分割・併合運用は想定しておらず、貫通路として仕切る事が出来る構造にはなっていない。
車内は平天井となり、冷房はラインデリアを併用している。座席は当初は茶色系で、ミシン目を入れて座席区分を明確にした。床は茶色とオレンジ色のツートンカラーとして、脚の投げ出し防止のため、フットラインを設けていた。
当初は3M2Tの5連で製造され、1987(H62)年にデハ7050型1両を増結して6連化された。1986(S61)年には8連も製造されている。
1987(S62)年より製造された車両は、車号が20番台に飛び、車体がビードプレス仕上げとなり、前面の形態も若干変わった。前面下部と淵部はアイボリー塗装となり、0番台車両も同様に塗装された。1993(H5)年には4連、1994(H6)年には2連が製造された他、6連の一部は8連化、8連の10連化のための中間車両も製造され、最終的には1995(H7)年までに190両が日本車両・東急車両により製造された。
2001(H13)年より車内のリニューアルが始まり、帯の色はエンジ一色→8000系・9000系に合わせたピンク+紺色のコーポレートカラーに改められている。車内は化粧板が張り替えられ、座席は区分を示す模様を入れた紫地(優先席は青地)に改められた。車椅子スペースも設けられている。ドア上にはLEDによる案内表示装置が設置された。
この年から特急・急行の運用にも入るようになり、2連は9000系(0番台)に増結する10連運用も見られるようになった。
2003(H15)年より、VVVF制御改造工事が始まった。改造は2期に分かれており、1期は6連・8連のMT比率の変更を伴い、M車の電装解除が行われている。同時に2連×2本・4連×2本がワンマン化改造され、2連は競馬場線、4連は動物園線で運用されている。
車内のリニューアルも深度化し、袖仕切りの設置、座席の色の変更、UVカットガラスの採用も行われている。
2010(H22)年に始まった第2期は、編成替えや改番も伴う大規模なものとなり、6連×1本・8連×6本→4連1本・10連5本に組み替えられた。車内は座席がバケットシートとなり、10連の5本はドア上にLCDモニターを設置、また4連の1本では、LED表示のスペースのままでLCD化を行っている。
2012(H24)年10月の7803Fを持って改造は終了し、京王電鉄は全営業車両のVVVF制御化を大手私鉄では初めて達成した。
動物園線用の7801Fは2011(H23)年に「Tama Zoo Train」と称して動物のイラストのラッピングが施され、さらに2015(H23)年には車内も改装され、1両毎に異なる動物をテーマとした内装が施されている。ワンマン車以外の編成は京王線内系統の各種列車で、8000系・9000系と共に運用されている。
【編成】
Tc1 7700 - M1 7000* - M2 7050 - M 7000* - Tc2 7750 (新造当初の5連)
Mc 7400* - Tc-7750*
Tc1 7700 - M1 7000* - M2 7050* - Tc2 7750
Tc1 7700 - M1 7000* - T 7550 - M1 7000* - M2 7050* - Tc2 7750
Tc1 7700 - M1 7000* - M2 7050* - T1 7500 - T2 7550 - M1 7000* - M2 7050* - Tc2 7750
Tc1 7700 - M1 7000* - M2 7050* - T1 7500 - M1 7000* - T2 7550 - T2 7550 - M1 7000* - M2 7050* - Tc2 7750
前後期2タイプがたまたま並びました。やや見づらいかも知れないが、正面の形態や、側面の外板の違いが分かって頂けるかなあと思います。
一番上は8連時代の7713Fで、この後2両を他編成から組み込み、10連化の上7727Fに改番しています。
「地味な系列だな」と繰り返してしまうのはデビュー当時の外観からくるイメージもあって、撮影はしていないのだが、趣味誌などの参考文献などを見ると、正面は銀色地にエンジの帯のみ、スカートもなくて、アイボリー地の5000系・6000系に混じると、ステンレス車ながら今一つ目立たなかったかもなあという印象がありました。20番台から正面下部とFRP製の淵部をアイボリーに着色したのは、京王自身もそう感じたのかも知れません。
「Tama Zoo Train」は、現状では編成単位での撮影が極めて困難です。動物園線を乗られた方は解ると思うが、高台を走る上に、線路際に立ち入れる場所がありません(踏切もない)。また、高幡不動駅は改築により大きな橋上駅舎となったため、ホーム上に地盤が広がって暗く、多摩動物公園駅は島式ホームのため編成全体を見る事がほぼ無理です。可能性があるとしたら、多摩都市モノレールの程久保駅からでしょうかね?
今回の記事は
「私鉄の車両17 京王帝都電鉄」(保育社) ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻
「鉄道ピクトリアル1993年7月臨時増刊号 【特集】京王帝都電鉄」
「鉄道ピクトリアル2003年7月臨時増刊号 【特集】京王電鉄」
「鉄道ピクトリアル2014年7月臨時増刊号 【特集】京王電鉄」
(いずれも鉄道図書刊行会)
「トラベルMOOK 京王電鉄の世界」(交通新聞社)
「京王電鉄完全データ」(メディアックス)
小冊子「京王の電車」(京王電鉄広報部2001年3月発行)
などを参考にさせて頂きました。
次回は小田急のロマンスカー、VSE50000形です。気づけばデビューからちょうど10年になりました。ロマンスカーのフラッグシップ、ではあるのだが、数が増えないですね…。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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