「私鉄名車列伝」、今回からは西日本の地下鉄・郊外電車・路面電車・ローカル私鉄・モノレールを取り上げていきます。
今回は名古屋市営地下鉄5000形です。
5000形は、高畑~名古屋~栄~藤が丘を結ぶ名古屋市初の地下鉄である東山線の、非冷房の在来車両の置き換え用として、1980(S55)年より製造された。
東山線では、1957(S32)年の開業当時からの100形、1964(H39)年製の200形などの「黄電」が使用され続けていたが、非冷房車の上、老朽化が進行しており、置き換えによるサービス向上が求められていた。このため、東山線では初の冷房車として設計。同線では初めて6両固定、名古屋市で初めてアルミ車体となり、無塗装の車内に、東山線のラインカラーである黄色の帯を巻く。
東山線は第3軌条方式のため車体断面が小さく、薄型の冷房装置を開発した。正面は貫通扉をオフセットし、運転室の正面ガラスを大きくした左右非対称で、わずかに傾斜させている。側窓は一部固定としている。東山線では初めて、側面にも行先表示装置を設置した。3両1ユニットで制御方式は回生ブレーキ併用の電機子チョッパ。空気バネ台車を履く。
車内はオーソドックスなロングシートだが、東山線では初めて、戸袋部の座席の上部に荷物棚が設けられている(それまでの東山線車内には、荷物棚がなかった)。
第1編成は試作的な要素が多く、本格的には1982(S57)年より量産が始まった。側扉は鋼製がアルミ製となり、窓のガラス押さえも異なっている。1988(S63)年製の8次車5121Fより、車内のドア上部に3色LED方式の車内案内表示装置が設置された。1990(H2)年までに22編成132両が製造された。
以降、後継の5050系と共に東山線の主力であり続けたが、2003(H15)年、試作車的な要素の5101Fが廃車となった。N1000系がデビューした2007(H19)年より本格的な廃車が始まり、2015(H27)年8月のさよなら運転を持って、全車両退役した。このうち2013(H25)年廃車分の5編成は、ブエノスアイレス地下鉄に譲渡されている。
【編成】
←藤が丘方 高畑方→
Tc 5100 - M2 5200 - M1 5300 - M1' 5400 - M2' 5500 - Tc2 5600
上の写真は、いつ撮ったか記録がないのだけれど、行先が「藤ヶ丘」になっています。だから「藤が丘」と標記が変わった2004(H16)年10月4日以前になりますか。
今回の記事は
「鉄道ピクトリアル1999年8月号 【特集】名古屋市営地下鉄」(鉄道図書刊行会)
「市営交通70年のあゆみ」(名古屋市交通局) 等
を参考にさせて頂きました。
思うに、JRや大手私鉄、逆に路面電車やローカル鉄道は、車両に関する文献が結構あるのに、東京・大阪以外の地下鉄や郊外の通勤鉄道、モノレールや新交通システムの車両に冠しては、意外にない気がします。今回の5000形のように、ひたすら同じ路線を行き来するだけで終始した、比較的地味な系列ではなおさらです。次回は北大阪急行電鉄の8000系「POLESTAR」を予定しているが、資料が少ないかもなあ。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
いよいよ、ANAのA380-800の就航が、来年5月24日と発表になりました。成田~ホノルル路線で6月一杯までは週3便で運航、2号機が入る7月以降が週10便(デイリー+週3便)で運航とされています。同時に新サービスも発表になりました。プレミアムエコノミーに少し力が入っているように感じられます。新しい世の空の世界を飾るトップニュースとなります。
また、ジェットスター・ジャパンがA321LRの導入を発表しました。2020年予定。
東武200系「普悠瑪」色編成の運行が19日に終了したと、昨日リリースがありました。かなり素っ気ないテキストだったので、先月の事故の影響であるのは、間違いあるまい。
《今日のニュースから》
25日 イギリスEU離脱案 EU臨時首脳会議で正式承認
26日 「ラストエンペラー」など ベルナルド・ベルドルッチ監督死去
27日 プロ野球新人王発表 楽天・田中和基 DeNA・東克樹
かつて日産村山工場を閉鎖させたカルロス・ゴーンの逮捕劇が未だに世の中に衝撃を与え続けているが、アメリカでもGMが全米5ヶ所の工場を閉鎖し、1万4000人が解雇されるとニュースがありました。GM、ひいてはアメリカの自動車産業は、どういう方向へ行ってしまうのかね…。
№1888 私鉄名車列伝 145.西日本鉄道7000形
「私鉄名車列伝」、今回は西鉄7000形です。6000形・6050形から連なる4ドア通勤車だが、甘木線との共通運用が考慮された、ワンマン運転対応車両です。
7000形は2001(H13)年、天神大牟田線用の通勤車として、11編成22両が川崎重工により製作された。在来車との併結を考慮しつつ、ワンマン運転に対応、本線・支線の区別なく運用で来る汎用設計になっている。
車体は基本的に6050形と同じ普通鋼製の4ドア車だが、ドアの位置を一部変更の上、ドア間の窓は大型1枚として、一部は固定化した。ワンマン運転時の視認性を考慮し、5000形から続いてきた左右非対称から一新、車掌側もパノラミックウインドウとしたシンメトリーとなった。連結面間には転落防止柵を設けている。
VVVF制御装置は素子をIGBTに変更した上、SIVと機器箱を一体化して小型化とコストダウンを図った。1C3M制御(7100型の連結側の台車のモーターは1個)だが、モーターを1個増設した1C4M制御化も可能としている。三相かご形モーターは170㎾で、6050形より多少出力を上げている。デジタル方式の電気指令式ブレーキを備え、6000形・6050形との併結も可能。運転台はT字型ワンハンドルマスコンで、ワンマン運転時の乗務員の移動を考慮して平床式となり、旅客案内用として車外スピーカー、自動放送装置を備えている。
車内は暖色系で落ち着きのあるインテリアとしている。座席は片持ち式として1人あたり450㎜に拡大。背ずりのみをバケットタイプとして、ドア間の6人掛け座席の中間部には、着席区分を兼ねたスタンションポールを設けた。車椅子スペースは各車に1ヶ所に設けたが、折り畳みシートは省略した。非常通報装置を各車3ヶ所に設置している。2003(H15)年より、ドア上部にLED案内表示器を設置した。
2001(H13)年2月より営業運転を開始。当初は2連を2本連結した4両固定編成的な運用で本線運用に入り、元特急車1000形を置き換えた。
この年の11月10日ダイヤ改正時より、天神大牟田線の普通列車の運転形態が大きく変わり、甘木~久留米~大牟田間直通のワンマン運転を中心とした運用に就いて、600形を置き換えた。この600形が玉突きで宮地岳線(現貝塚線)に転用される事で、旧型車を一掃している。この後の増備は3ドアに戻った7050形となった。現在も7050形と共にワンマン運転に就く他、2編成併結で西鉄福岡(天神)乗り入れ運用に就く事もある。
【編成】
←大牟田方 西鉄福岡(天神)・甘木方→
*Mc 7100* - Tc 7500
* パンタグラフ
今回の記事は
「鉄道ピクトリアル2011年4月臨時増刊号 【特集】西日本鉄道」(鉄道図書刊行会)
「私鉄車両年鑑」(イカロス出版)
「週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄19 西日本鉄道」(朝日新聞出版)
「西日本鉄道 完全データ DVD BOOK」(メディアックス)
西日本鉄道発行 パンフレット 等
を参考にさせて頂きました。
次回は名古屋市営地下鉄5000形を予定しています。東山線で運用されていたアルミカーでした。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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新政府専用機(B777-300ER)は17日、千歳に到着するそうです。
今年も8月12日が過ぎました。今年のJALの公式フェイスブックには藤田直志副社長の投稿があり、夜勤前(当時は販売・営業部門担当だったらしい)に職場に戻ると車内は騒然としていて、その後藤岡市の体育館で手伝いをしたが、並べられた柩に、取り返しの付かない事をしたと自責の念に苛まれた、と綴っています。何度も書いているが、航空に限らず大惨事というものは、被害者・遺族はもちろん、まっとうな精神の持ち主なら、「加害者」の側にも重いトラウマを残しつづけるものだと思います。少なくとも日本ではこれを最後の航空惨事としなければないし、一方で日本だけが安全であれば良いわけではないのだから、海外の航空業界にも、重すぎるけれど「貴重」(という表現が適切かどうかは心許ないが)とも言える経験を発信し続ける事も、世界の空の安全のためにも、大事でしょう。
《今日のニュースから》
12日 的場文男騎手 7152勝目 地方競馬最多勝記録更新
13日 国民民主党 津村啓介衆議院議員 代表選出馬を表明
14日 慰安婦問題 少女像 台湾・台南市に設置
徳島の阿波踊りは、実行委員会と振興協会の対立を引きずったまま開催が続いています。日本有数の祭りがこのような歪んだ形で展開されるのは、哀しい。なんとか穏やかな形での解決が望まれます。
7000形は2001(H13)年、天神大牟田線用の通勤車として、11編成22両が川崎重工により製作された。在来車との併結を考慮しつつ、ワンマン運転に対応、本線・支線の区別なく運用で来る汎用設計になっている。
車体は基本的に6050形と同じ普通鋼製の4ドア車だが、ドアの位置を一部変更の上、ドア間の窓は大型1枚として、一部は固定化した。ワンマン運転時の視認性を考慮し、5000形から続いてきた左右非対称から一新、車掌側もパノラミックウインドウとしたシンメトリーとなった。連結面間には転落防止柵を設けている。
VVVF制御装置は素子をIGBTに変更した上、SIVと機器箱を一体化して小型化とコストダウンを図った。1C3M制御(7100型の連結側の台車のモーターは1個)だが、モーターを1個増設した1C4M制御化も可能としている。三相かご形モーターは170㎾で、6050形より多少出力を上げている。デジタル方式の電気指令式ブレーキを備え、6000形・6050形との併結も可能。運転台はT字型ワンハンドルマスコンで、ワンマン運転時の乗務員の移動を考慮して平床式となり、旅客案内用として車外スピーカー、自動放送装置を備えている。
車内は暖色系で落ち着きのあるインテリアとしている。座席は片持ち式として1人あたり450㎜に拡大。背ずりのみをバケットタイプとして、ドア間の6人掛け座席の中間部には、着席区分を兼ねたスタンションポールを設けた。車椅子スペースは各車に1ヶ所に設けたが、折り畳みシートは省略した。非常通報装置を各車3ヶ所に設置している。2003(H15)年より、ドア上部にLED案内表示器を設置した。
2001(H13)年2月より営業運転を開始。当初は2連を2本連結した4両固定編成的な運用で本線運用に入り、元特急車1000形を置き換えた。
この年の11月10日ダイヤ改正時より、天神大牟田線の普通列車の運転形態が大きく変わり、甘木~久留米~大牟田間直通のワンマン運転を中心とした運用に就いて、600形を置き換えた。この600形が玉突きで宮地岳線(現貝塚線)に転用される事で、旧型車を一掃している。この後の増備は3ドアに戻った7050形となった。現在も7050形と共にワンマン運転に就く他、2編成併結で西鉄福岡(天神)乗り入れ運用に就く事もある。
【編成】
←大牟田方 西鉄福岡(天神)・甘木方→
*Mc 7100* - Tc 7500
* パンタグラフ
今回の記事は
「鉄道ピクトリアル2011年4月臨時増刊号 【特集】西日本鉄道」(鉄道図書刊行会)
「私鉄車両年鑑」(イカロス出版)
「週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄19 西日本鉄道」(朝日新聞出版)
「西日本鉄道 完全データ DVD BOOK」(メディアックス)
西日本鉄道発行 パンフレット 等
を参考にさせて頂きました。
次回は名古屋市営地下鉄5000形を予定しています。東山線で運用されていたアルミカーでした。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
新政府専用機(B777-300ER)は17日、千歳に到着するそうです。
今年も8月12日が過ぎました。今年のJALの公式フェイスブックには藤田直志副社長の投稿があり、夜勤前(当時は販売・営業部門担当だったらしい)に職場に戻ると車内は騒然としていて、その後藤岡市の体育館で手伝いをしたが、並べられた柩に、取り返しの付かない事をしたと自責の念に苛まれた、と綴っています。何度も書いているが、航空に限らず大惨事というものは、被害者・遺族はもちろん、まっとうな精神の持ち主なら、「加害者」の側にも重いトラウマを残しつづけるものだと思います。少なくとも日本ではこれを最後の航空惨事としなければないし、一方で日本だけが安全であれば良いわけではないのだから、海外の航空業界にも、重すぎるけれど「貴重」(という表現が適切かどうかは心許ないが)とも言える経験を発信し続ける事も、世界の空の安全のためにも、大事でしょう。
《今日のニュースから》
12日 的場文男騎手 7152勝目 地方競馬最多勝記録更新
13日 国民民主党 津村啓介衆議院議員 代表選出馬を表明
14日 慰安婦問題 少女像 台湾・台南市に設置
徳島の阿波踊りは、実行委員会と振興協会の対立を引きずったまま開催が続いています。日本有数の祭りがこのような歪んだ形で展開されるのは、哀しい。なんとか穏やかな形での解決が望まれます。
№1869 私鉄名車列伝 144.南海電気鉄道50000系
1994(H6)年9月4日、大阪府南部の泉南沖に、関西国際空港が開港しました。海上に人工島を建設してその上に造られた、日本初の海上空港で、伊丹空港に発着していた国際線全便と、国内線の一部の便が就航、国内線⇔国際線相互の乗換が便利な空港としてPRされていました。
対岸の泉佐野市とは連絡橋で結ばれ、鉄道も建設されました。鉄道アクセスはJR西日本と南海が担う事となり、両社とも新線を建設の上、空港アクセス用の特急車両を新造しました。今回の名車列伝は、南海が新造した空港アクセス特急「ラピート」50000系です。デビュー当時、そのスタイルは多くの人々の度肝を抜き、魅了しました。
南海電気鉄道50000系は、難波~関西空港間を結ぶ空港アクセス特急車。愛称の「ラピート」(rapid)は、ドイツ語で「速い」の意味。1995(H7)年、南海初のブルーリボン賞を受賞した。
設計に当たっては、①難波~空港間を30分以内で結ぶ ②南海のイメージリーダーとする ③空港アクセスにふさわしい機能とデザイン があげられ、車体デザインに関しては、外部からプランナーとデザイナーが起用された。「レトロフューチャー」をコンセプトとして、力強さが印象的な前頭部を持つ車体は普通鋼製で、車体幅2,850㎜、先頭車の車体長21,570㎜は、いずれも南海では最大となり、裾絞りの形状をなしている。側窓は航空機を連想させる楕円形が並び、前頭部と共に強烈な印象を与えた。ドアはプラグ式を採用、開口部1,000㎜を確保している。「ラピートブルー」と称される、マイカ分を含有した深みのある青一色のカラーリングも印象的である。
6連のうち難波方2両(5・6号車)はスーパーシート、その他4両(1~4号車)をレギュラーシートとした2クラス制を採用。
スーパーシートは2-1配置の3列シート、シートピッチは1,200㎜、サービスコーナーが1ヶ所あり、運行開始当初はパーサーが乗務し、飲料の提供を行っていた。
レギュラーシートは2-2配置の4列シート、シートピッチは1,030㎜。足下を広く取り、荷物類を置ける様に配慮されている。
天井部も楕円を模していて、屋根には電球色の蛍光灯、航空機タイプの、ふたがあるストウェッジスタイルの荷物棚には間接照明がある。出入口と客室の間には、3段式の荷物スペースが確保されている。客室は全車両禁煙となったが、当初はデッキ部を喫煙スペースとしていた(現在は完全に禁煙)。客室仕切り扉の上部には、LEDで日英2ヶ国語による案内表示装置が設けられた。
なお、4号車の一角には、CAT荷物室が設けられている。運行開始当初は、難波駅にある航空会社のカウンターで搭乗手続きを済ませた乗客の荷物を搭載、空港到着後に荷物捌き所に移送するサービスを行っていた。しかし利用が少なかった上、同時多発テロ発生の影響もあってサービスは中止、荷物室も現在は使用を停止している。
システム的には、南海の特急車両では初めてのVVVF制御を採用、3M3Tで、180㎾の三相かご型誘導電動機を、GTO素子のVVVF制御装置が1C4Mで制御する。空港連絡橋上で南海初の120㎞/h行っており、当初のラピートα(難波~関西空港間完全ノンストップ)は難波~空港間を29分で結んでいた。運行区間が限定されるため、抑速ブレーキは備えられていない。台車はボルスタレス式で、運行開始後にヨーダンパを設置した。
6連×6本、合計36両全車両東急車輌によって製造、空港開港前に全編成が揃った。当初はラピートαと、主要駅停車のラピートβを交互に運転する形態だった。その後、朝方の空港行を除いてβに統一された時期があったが、2014(H26)年改正より、夜間の空港発がαに戻されている(現在は天下茶屋~泉佐野間がノンストップ)。2015(H27)年より行先種別表示のフルカラーLED化、VVVF制御装置のIGBT素子への換装、車内案内表示を、4ヶ国語対応の液晶ディスプレイに交換などのリニューアルが行われている。
近年は人気アニメや航空会社とコラボしたラッピングが多く、近年では2015(H27)~2016(H28)年にかけ、映画「スターウォーズ」のラッピングが、第5編成に施されていた。
【編成】
←難波方 関西空港方→
Tc1 50501 - *M1 50001* - M2 50101 - T1 50601 - *M2 50201* - Tc2 50701
* パンタグラフ
「難波~関西空港間29分運転」が目標の一つだった「ラピート」だが、現行のダイヤでは、αの最速が34分、日中のβは36分運転になっています。
今の所、車内のアコモデーションに関しては大きく手をつけていないが、間もなくデビューから四半世紀を迎える事となり(小田急EXE(→EXEα)より古いし)、大幅なリニューアルもあるかも知れません。50000系そのものはそれでいいとして、関西空港は一時減少傾向だった利用が昨今は再び増加傾向にあり、それは結構だが、当初想定されていたのとは利用者層が若干異なってきているようでもあります。特にLCCが国内線や近距離国際線で多数就航し、それが利用増に繋がっているようです。なので、鉄道アクセスに関しても、(JRもだが)、ダイヤ体系を見直すべき時期が来ているかも知れません。今の所はまだないようだが、成田空港のような、都心と空港を低運賃で走る空港バスの開設も今後充分予想されるので、対抗の意味でも、もっと低コストで乗れる列車(南海で言えば空港急行になるが)の量・質両面での充実が図られるべきでしょう。本線もあるからダイヤ構成も難しくなりそうだが。近いうちに、関西空港の時刻の検証もやります。
今回の記事は
「鉄道ピクトリアル1994年10月臨時増刊号 新車年鑑1994年版」「同1995年12月臨時増刊号 【特集】南海電気鉄道」「同2008年8月臨時増刊号 【特集】南海電気鉄道」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ダイヤ情報2014年10月号」(交通新聞社)
「私鉄車両年鑑2017」「同2018」(イカロス出版)
「南海電車」(高橋 修/JTBキャンブックス)
「南海電気鉄道 完全データDVDBOOK」「南海電気鉄道 130周年DVDBOOK」(メディアックス) 等
を参考にさせて頂きました。
楕円系の窓もラピートの特徴だが、「鉄道ピクトリアル1995年12月臨時増刊号」の、「50000系“ラピート”構想から完成まで」を読むと、初めに楕円窓ありきという訳ではなく、最初は連続窓を想定していたが、車体形状見直しでデザインのバランスが取れなくなり、楕円窓になった、という事です。
次回は西鉄の通勤車7000形を予定しています。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
ANAのB787が、エンジンの点検の追加が必要になったため、明日からの一週間で合計113便を欠航すると発表しました。欠航になるのは比較的便数が多い幹線が中心になるが、とはいえビジネスユースが多い伊丹路線とかだと、旅客に与える影響は深刻ではないか。そろそろ夏休み輸送が視野に入ってきているし、早いうちに事態が収束すると良いが。
NCAは、今日から1機のみだが、運航を再開しました。
東武東上線は送電トラブルで、6時間30分に渡って止まったとか。朝ラッシュの真っ只中で混乱も大きかったよう。東武も大小様々トラブルが多い気がするが、どうだろう?
《今日のニュースから》
4日 大飯原発訴訟 名古屋高裁 1審判決取り消し
5日 ギャンブル依存症対策法案 参議院内閣委員会で可決
また大雨…。岩国の錦川で氾濫危険水位に達したと言うから錦川鉄道、大丈夫か?と心配したが、その後水位が下がり、夜になって徐行ながら運転を再開したというので、まずは一安心。九州北部豪雨からまだ1年経っていないのに、今年もまた「記録的豪雨」の文言が、連日ニュースを騒がせるようになりました。とにかく人的な被害が出ない事、鉄道を中心とした交通で長期間の不通を招く事態が起きない事、この2点だけはなんとかお願いしたい。
対岸の泉佐野市とは連絡橋で結ばれ、鉄道も建設されました。鉄道アクセスはJR西日本と南海が担う事となり、両社とも新線を建設の上、空港アクセス用の特急車両を新造しました。今回の名車列伝は、南海が新造した空港アクセス特急「ラピート」50000系です。デビュー当時、そのスタイルは多くの人々の度肝を抜き、魅了しました。
南海電気鉄道50000系は、難波~関西空港間を結ぶ空港アクセス特急車。愛称の「ラピート」(rapid)は、ドイツ語で「速い」の意味。1995(H7)年、南海初のブルーリボン賞を受賞した。
設計に当たっては、①難波~空港間を30分以内で結ぶ ②南海のイメージリーダーとする ③空港アクセスにふさわしい機能とデザイン があげられ、車体デザインに関しては、外部からプランナーとデザイナーが起用された。「レトロフューチャー」をコンセプトとして、力強さが印象的な前頭部を持つ車体は普通鋼製で、車体幅2,850㎜、先頭車の車体長21,570㎜は、いずれも南海では最大となり、裾絞りの形状をなしている。側窓は航空機を連想させる楕円形が並び、前頭部と共に強烈な印象を与えた。ドアはプラグ式を採用、開口部1,000㎜を確保している。「ラピートブルー」と称される、マイカ分を含有した深みのある青一色のカラーリングも印象的である。
6連のうち難波方2両(5・6号車)はスーパーシート、その他4両(1~4号車)をレギュラーシートとした2クラス制を採用。
スーパーシートは2-1配置の3列シート、シートピッチは1,200㎜、サービスコーナーが1ヶ所あり、運行開始当初はパーサーが乗務し、飲料の提供を行っていた。
レギュラーシートは2-2配置の4列シート、シートピッチは1,030㎜。足下を広く取り、荷物類を置ける様に配慮されている。
天井部も楕円を模していて、屋根には電球色の蛍光灯、航空機タイプの、ふたがあるストウェッジスタイルの荷物棚には間接照明がある。出入口と客室の間には、3段式の荷物スペースが確保されている。客室は全車両禁煙となったが、当初はデッキ部を喫煙スペースとしていた(現在は完全に禁煙)。客室仕切り扉の上部には、LEDで日英2ヶ国語による案内表示装置が設けられた。
なお、4号車の一角には、CAT荷物室が設けられている。運行開始当初は、難波駅にある航空会社のカウンターで搭乗手続きを済ませた乗客の荷物を搭載、空港到着後に荷物捌き所に移送するサービスを行っていた。しかし利用が少なかった上、同時多発テロ発生の影響もあってサービスは中止、荷物室も現在は使用を停止している。
システム的には、南海の特急車両では初めてのVVVF制御を採用、3M3Tで、180㎾の三相かご型誘導電動機を、GTO素子のVVVF制御装置が1C4Mで制御する。空港連絡橋上で南海初の120㎞/h行っており、当初のラピートα(難波~関西空港間完全ノンストップ)は難波~空港間を29分で結んでいた。運行区間が限定されるため、抑速ブレーキは備えられていない。台車はボルスタレス式で、運行開始後にヨーダンパを設置した。
6連×6本、合計36両全車両東急車輌によって製造、空港開港前に全編成が揃った。当初はラピートαと、主要駅停車のラピートβを交互に運転する形態だった。その後、朝方の空港行を除いてβに統一された時期があったが、2014(H26)年改正より、夜間の空港発がαに戻されている(現在は天下茶屋~泉佐野間がノンストップ)。2015(H27)年より行先種別表示のフルカラーLED化、VVVF制御装置のIGBT素子への換装、車内案内表示を、4ヶ国語対応の液晶ディスプレイに交換などのリニューアルが行われている。
近年は人気アニメや航空会社とコラボしたラッピングが多く、近年では2015(H27)~2016(H28)年にかけ、映画「スターウォーズ」のラッピングが、第5編成に施されていた。
【編成】
←難波方 関西空港方→
Tc1 50501 - *M1 50001* - M2 50101 - T1 50601 - *M2 50201* - Tc2 50701
* パンタグラフ
「難波~関西空港間29分運転」が目標の一つだった「ラピート」だが、現行のダイヤでは、αの最速が34分、日中のβは36分運転になっています。
今の所、車内のアコモデーションに関しては大きく手をつけていないが、間もなくデビューから四半世紀を迎える事となり(小田急EXE(→EXEα)より古いし)、大幅なリニューアルもあるかも知れません。50000系そのものはそれでいいとして、関西空港は一時減少傾向だった利用が昨今は再び増加傾向にあり、それは結構だが、当初想定されていたのとは利用者層が若干異なってきているようでもあります。特にLCCが国内線や近距離国際線で多数就航し、それが利用増に繋がっているようです。なので、鉄道アクセスに関しても、(JRもだが)、ダイヤ体系を見直すべき時期が来ているかも知れません。今の所はまだないようだが、成田空港のような、都心と空港を低運賃で走る空港バスの開設も今後充分予想されるので、対抗の意味でも、もっと低コストで乗れる列車(南海で言えば空港急行になるが)の量・質両面での充実が図られるべきでしょう。本線もあるからダイヤ構成も難しくなりそうだが。近いうちに、関西空港の時刻の検証もやります。
今回の記事は
「鉄道ピクトリアル1994年10月臨時増刊号 新車年鑑1994年版」「同1995年12月臨時増刊号 【特集】南海電気鉄道」「同2008年8月臨時増刊号 【特集】南海電気鉄道」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ダイヤ情報2014年10月号」(交通新聞社)
「私鉄車両年鑑2017」「同2018」(イカロス出版)
「南海電車」(高橋 修/JTBキャンブックス)
「南海電気鉄道 完全データDVDBOOK」「南海電気鉄道 130周年DVDBOOK」(メディアックス) 等
を参考にさせて頂きました。
楕円系の窓もラピートの特徴だが、「鉄道ピクトリアル1995年12月臨時増刊号」の、「50000系“ラピート”構想から完成まで」を読むと、初めに楕円窓ありきという訳ではなく、最初は連続窓を想定していたが、車体形状見直しでデザインのバランスが取れなくなり、楕円窓になった、という事です。
次回は西鉄の通勤車7000形を予定しています。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
ANAのB787が、エンジンの点検の追加が必要になったため、明日からの一週間で合計113便を欠航すると発表しました。欠航になるのは比較的便数が多い幹線が中心になるが、とはいえビジネスユースが多い伊丹路線とかだと、旅客に与える影響は深刻ではないか。そろそろ夏休み輸送が視野に入ってきているし、早いうちに事態が収束すると良いが。
NCAは、今日から1機のみだが、運航を再開しました。
東武東上線は送電トラブルで、6時間30分に渡って止まったとか。朝ラッシュの真っ只中で混乱も大きかったよう。東武も大小様々トラブルが多い気がするが、どうだろう?
《今日のニュースから》
4日 大飯原発訴訟 名古屋高裁 1審判決取り消し
5日 ギャンブル依存症対策法案 参議院内閣委員会で可決
また大雨…。岩国の錦川で氾濫危険水位に達したと言うから錦川鉄道、大丈夫か?と心配したが、その後水位が下がり、夜になって徐行ながら運転を再開したというので、まずは一安心。九州北部豪雨からまだ1年経っていないのに、今年もまた「記録的豪雨」の文言が、連日ニュースを騒がせるようになりました。とにかく人的な被害が出ない事、鉄道を中心とした交通で長期間の不通を招く事態が起きない事、この2点だけはなんとかお願いしたい。
№1844 私鉄名車列伝 143.阪神電気鉄道8000系
「私鉄名車列伝」、今回は阪神電気鉄道の急行車、8000系です。
8000系は、1984(S59)年から製作された急行系専用系列、いわゆる「赤胴車」である。「赤胴車」では7001・7101形(後に改造されて2000系)以来14年振りの新形式となった。阪神初の新機軸が数多く盛り込まれたが、第1編成と第2編成以降では大きくスタイルが異なり、以降も仕様の変更を繰り返しつつ、同社の最大勢力となった。
「赤胴車」では初めて他系列との連結を想定しない6両固定編成となった。Tc―M-Mの固定ユニット2本の片側を反転させて組成している。制御装置は回生ブレーキ併用の界磁チョッパ、ブレーキは電気指令式、補助電源装置はSIVとなった。運転台には故障情報を表示できるモニターも装備されている。
第1編成は武庫川線延伸に伴う車両増備の目的で製造された。3901-3801形に始まる当時の阪神標準スタイルで、側窓は2段サッシだが、正面扉の連結用の貫通幌と渡り板は設けられず、のっぺりした印象を与える。このスタイルは1編成のみに終わった。
1985(S60)年製造の第2編成は、特に外観が大幅にモデルチェンジされ、番号が8010番台に飛んでいる。正面の窓は上方に拡大、行先と種別の表示は分離して、正面窓の内部に納めた。前照灯は貫通扉の上部に配置、窓下に急行灯と標識灯を一体のケースに収めて配置した。また、初めてスカートを装着している。側面は天井方向に拡大して断面が変わり、側窓は独立した一段下降式となった。車内では化粧板がそれまでの緑系から灰色系に変わり、座席端の仕切りの形状も変わっている。3編成が製造された。
翌1986(S61)年製造の第5編成からは冷房が集約分散型に変更され、天井は冷房ダクトを納めた平天井となっている。8編成が製造されている。
1991(H3)年製造の第13編成は、8000系の完成形と位置づける事ができる。側窓は連続窓風の黒色サッシとなり上下に拡大、側窓と側面表示に使われていたHゴムを廃したため、スッキリした印象を受ける。
車内は1人ずつの着席位置を区分したバケットシートを採用、荷棚の形状も変更された。ドア上にはマップタイプとLEDを併用した車内案内表示装置も設置された。8241F以降は当初から車イススペースも設けられ、表記類がピクトグラム化している。9編成が製造されたが、8249Fのユニットの片側(下2けたが「50」の3両)は、阪神・淡路大震災直後の竣工である。
1995(H17)年1月17日の阪神・淡路大震災では大多数の車両が被災、8000系では当時竣工していた123両中15両が被災して廃車となった。このため代替新造車両3両が製造された他、8201号車は8502に改番・方向転換を行っている。代替新造・方向転換車両は車号に300を加えている。また編成替えにより仕様が異なる編成が生まれ、第1編成の残存3両は、車体形状が異なる3両と編成を組んでいる。
この結果、8000系は126両(21編成)+代替3両、合計129両全車両が武庫川車両で製造され、現在は19編成114両が在籍し、阪神の最大勢力となっている。
その後1998(H10)年より、阪神梅田~山陽姫路間の直通特急が運行を開始する事になり、8000系も充当される事となった(8502Fは対象外)。
2002(H14)年からは大規模リニューアル工事がスタートした。中間車は9300系に合わせて、転換クロスシートを備えたセミクロス構造となり、ロングシートもバケット化、どちらも一般席は赤系・優先席は青系の柄模様になっている。セミクロスは2両のみ改造された編成があり、13編成以降は全車がロングシートのままになっている。この他車イススペース未設置編成への設置や、非常通報装置の新設も行われている。車外では外幌が設けられた。リニューアル更新車はカラーリングが9300系と同じ「プレストオレンジ+シルキーホワイト」のツートンカラーに改められた。更新工事は2015(H27)年に終了、本線からは「赤胴車」が姿を消す事となった。この他、行先・種別表示のフルカラーLED化、正面の急行灯・標識灯が兼用のLED表示一灯への交換も、順次進められている。
(本線の)急行系では最古参となったが、現在も本線の直通特急や急行の主力として活躍している。
【編成】
←梅田e方 元町方→
Tc1 8201 -* M' 8001 - *M 8001 - M2 8101* - M' 8001* - Tc2 8201
* パンタグラフ
2000系が2011(H23)年7月までに全車廃車となって以降、本線の急行用車両の最古参は8000系となりました。いつの間に?という感もあります。それだけ阪神の車両が(特に関西では)若い、という事でしょう。8201改め8502号車は、色は変わったけれど本線用急行車では最後の「阪神顔」(または最後の2段サッシ窓車)でもあります。この第1編成の生き残り3両はデビューから34年となり、いつまで?の感もあるが、最近山陽電鉄姫路まで乗り入れの試運転を行ったとの情報もあり、当分は活躍が続くのではないでしょうか。
今回の記事は
「鉄道ピクトリアル1997年7月臨時増刊号 【特集】阪神電気鉄道」「同2017年12月臨時増刊号 【特集】阪神電気鉄道」(鉄道図書刊行会)
「私鉄の車両21 阪神電気鉄道」(保育社 ※後にネコ・パブリッシングによって復刻
「私鉄車両年鑑2017」(イカロス出版)
「週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄12 阪神電気鉄道 阪急電鉄2」(朝日新聞出版) など
「阪神電気鉄道完全データ DVDBOOK」(メディアックス) 等
を参考にさせて頂きました。
次回は南海の関西空港アクセス特急「ラピート」50000系です。関西空港は来年9月に開港25周年を迎えるが、それは同時に、「ラピート」のデビューも25周年の節目を迎える、という事でもあります。早いものだと思います。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
《今日のニュースから》
4日 スウェーデン・アカデミー 今年のノーベル文学賞発表見送りを発表
5日 こどもの本総選挙 「ざんねんないきもの辞典」1位
なんだか、文学を巡って対照的。一昨年はボブ・デュラン、去年はカズオ・イシグロが受賞したノーベル文学賞だが、セクハラ問題がここまで影響するとは。「残念」というのは、決して特定の動物そのものを劣ったものとして見るのではなくて、様々な動物を巡る「弱点」について取り上げられた本、のようです。
8000系は、1984(S59)年から製作された急行系専用系列、いわゆる「赤胴車」である。「赤胴車」では7001・7101形(後に改造されて2000系)以来14年振りの新形式となった。阪神初の新機軸が数多く盛り込まれたが、第1編成と第2編成以降では大きくスタイルが異なり、以降も仕様の変更を繰り返しつつ、同社の最大勢力となった。
「赤胴車」では初めて他系列との連結を想定しない6両固定編成となった。Tc―M-Mの固定ユニット2本の片側を反転させて組成している。制御装置は回生ブレーキ併用の界磁チョッパ、ブレーキは電気指令式、補助電源装置はSIVとなった。運転台には故障情報を表示できるモニターも装備されている。
第1編成は武庫川線延伸に伴う車両増備の目的で製造された。3901-3801形に始まる当時の阪神標準スタイルで、側窓は2段サッシだが、正面扉の連結用の貫通幌と渡り板は設けられず、のっぺりした印象を与える。このスタイルは1編成のみに終わった。
1985(S60)年製造の第2編成は、特に外観が大幅にモデルチェンジされ、番号が8010番台に飛んでいる。正面の窓は上方に拡大、行先と種別の表示は分離して、正面窓の内部に納めた。前照灯は貫通扉の上部に配置、窓下に急行灯と標識灯を一体のケースに収めて配置した。また、初めてスカートを装着している。側面は天井方向に拡大して断面が変わり、側窓は独立した一段下降式となった。車内では化粧板がそれまでの緑系から灰色系に変わり、座席端の仕切りの形状も変わっている。3編成が製造された。
翌1986(S61)年製造の第5編成からは冷房が集約分散型に変更され、天井は冷房ダクトを納めた平天井となっている。8編成が製造されている。
1991(H3)年製造の第13編成は、8000系の完成形と位置づける事ができる。側窓は連続窓風の黒色サッシとなり上下に拡大、側窓と側面表示に使われていたHゴムを廃したため、スッキリした印象を受ける。
車内は1人ずつの着席位置を区分したバケットシートを採用、荷棚の形状も変更された。ドア上にはマップタイプとLEDを併用した車内案内表示装置も設置された。8241F以降は当初から車イススペースも設けられ、表記類がピクトグラム化している。9編成が製造されたが、8249Fのユニットの片側(下2けたが「50」の3両)は、阪神・淡路大震災直後の竣工である。
1995(H17)年1月17日の阪神・淡路大震災では大多数の車両が被災、8000系では当時竣工していた123両中15両が被災して廃車となった。このため代替新造車両3両が製造された他、8201号車は8502に改番・方向転換を行っている。代替新造・方向転換車両は車号に300を加えている。また編成替えにより仕様が異なる編成が生まれ、第1編成の残存3両は、車体形状が異なる3両と編成を組んでいる。
この結果、8000系は126両(21編成)+代替3両、合計129両全車両が武庫川車両で製造され、現在は19編成114両が在籍し、阪神の最大勢力となっている。
その後1998(H10)年より、阪神梅田~山陽姫路間の直通特急が運行を開始する事になり、8000系も充当される事となった(8502Fは対象外)。
2002(H14)年からは大規模リニューアル工事がスタートした。中間車は9300系に合わせて、転換クロスシートを備えたセミクロス構造となり、ロングシートもバケット化、どちらも一般席は赤系・優先席は青系の柄模様になっている。セミクロスは2両のみ改造された編成があり、13編成以降は全車がロングシートのままになっている。この他車イススペース未設置編成への設置や、非常通報装置の新設も行われている。車外では外幌が設けられた。リニューアル更新車はカラーリングが9300系と同じ「プレストオレンジ+シルキーホワイト」のツートンカラーに改められた。更新工事は2015(H27)年に終了、本線からは「赤胴車」が姿を消す事となった。この他、行先・種別表示のフルカラーLED化、正面の急行灯・標識灯が兼用のLED表示一灯への交換も、順次進められている。
(本線の)急行系では最古参となったが、現在も本線の直通特急や急行の主力として活躍している。
【編成】
←梅田e方 元町方→
Tc1 8201 -* M' 8001 - *M 8001 - M2 8101* - M' 8001* - Tc2 8201
* パンタグラフ
2000系が2011(H23)年7月までに全車廃車となって以降、本線の急行用車両の最古参は8000系となりました。いつの間に?という感もあります。それだけ阪神の車両が(特に関西では)若い、という事でしょう。8201改め8502号車は、色は変わったけれど本線用急行車では最後の「阪神顔」(または最後の2段サッシ窓車)でもあります。この第1編成の生き残り3両はデビューから34年となり、いつまで?の感もあるが、最近山陽電鉄姫路まで乗り入れの試運転を行ったとの情報もあり、当分は活躍が続くのではないでしょうか。
今回の記事は
「鉄道ピクトリアル1997年7月臨時増刊号 【特集】阪神電気鉄道」「同2017年12月臨時増刊号 【特集】阪神電気鉄道」(鉄道図書刊行会)
「私鉄の車両21 阪神電気鉄道」(保育社 ※後にネコ・パブリッシングによって復刻
「私鉄車両年鑑2017」(イカロス出版)
「週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄12 阪神電気鉄道 阪急電鉄2」(朝日新聞出版) など
「阪神電気鉄道完全データ DVDBOOK」(メディアックス) 等
を参考にさせて頂きました。
次回は南海の関西空港アクセス特急「ラピート」50000系です。関西空港は来年9月に開港25周年を迎えるが、それは同時に、「ラピート」のデビューも25周年の節目を迎える、という事でもあります。早いものだと思います。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
《今日のニュースから》
4日 スウェーデン・アカデミー 今年のノーベル文学賞発表見送りを発表
5日 こどもの本総選挙 「ざんねんないきもの辞典」1位
なんだか、文学を巡って対照的。一昨年はボブ・デュラン、去年はカズオ・イシグロが受賞したノーベル文学賞だが、セクハラ問題がここまで影響するとは。「残念」というのは、決して特定の動物そのものを劣ったものとして見るのではなくて、様々な動物を巡る「弱点」について取り上げられた本、のようです。
№1829 私鉄名車列伝 142.阪急電鉄5300系
「私鉄名車列伝」、今回は阪急です。
阪急はその生い立ちや線路条件の違いから、神戸・宝塚線(まとめて「神宝線」)と京都線で、一見同系列も、実際は別々に用意されています。阪急ではこれまで神宝線と京都線を交互に書いてきていて、前回は神宝線9000系だったから、今回は京都線です。
阪急電鉄5300系は、京都線向け初の新造量産冷房車として、1972(S47)年より製造が始まった。
車体の形態や基本的な性能は3300系に準じ、車体の寸法は大阪市営堺筋線直通に対応するため、標準車体より長さは100㎜短く、幅は100㎜広い。駆動装置は、京都線では初の中実軸TDカルダン方式として神宝線と共通とし、ブレーキは電気指令式HRD-1Dを採用した。電動機は140㎾(3300系は130kw)に増強され、パンタグラフはMc・Mに下枠交差式2機を装備している。正面左側車掌窓上部には手動式の行先表示装置を設置しているが、通常は運転区間・種別を書いた標識板を正面窓下に掲げていた。2ハンドルの運転台も、阪急では最後となった。
なお、京都線では初めて、トップナンバーが1ではなく0から始まっていて、この点でも神宝線と共通になった。
車内は引き続き阪急伝統の木目化粧板+オリーブグリーンのロングシートの配色を踏襲している。日よけは伝統のヨロイ戸。冷房装置は8,000kcal/hを4機搭載した集約分散型。
1次車は22両、1973(S48)年からの2次車は32両が製造されたが、当初は堺筋線には乗り入れず、MT比率半々の8連を基本として、急行を中心に地上線で運用されていた。この間、5863号車には電機子チョッパ制御装置が装備され、新造から2年間試用された。また5408・5409号車はユニット運転台試作車として製造された(現在継ぎ目は埋められている)。1975(S50)年からの3次車から、冷房装置が10,500kcal/h×3に変更されている。その後堺筋線直通運用に備えて8連(6M2T組成)のため、4・5次車合計31両、特に中間車が1978(S53)~1984(S59)年の間に製造され、105両全車両が出そろった。1979(S54)年3月ダイヤ改正で堺筋線直通急行(通称「堺筋急行」)の運行が始まり、5300系が就役して、初期の目的が達せられた。
1987(S62)年より、正面の行先表示装置を電動化し、運転台上部には種別幕を別に設けた。標識灯と急行灯は分離され、並んで窓下に配置され、6000系に似た顔つきに変化した。側面も電動の種別・方向幕を設置している。正面の種別・方向幕は5317Fから天地方向に大型化されている。2001(H13)年までには、銭湯に出る機会が無い車両を除き、電動化が完了した。同時に車イススペース・非常通報装置・ドア開閉予告装置(チャイム)も設置されている。改造の最終2編成では、案内情報装置も設置された。
さらに2002(H14)年には5300F・5302Fの2編成に、5000系等と同様の大規模工事(更新工事)が施された。外観上では、下方に拡大されたドア部の窓が目立つ。車内では化粧板・床敷物の色彩が改められ、座席のオリーブグリーンも濃くなって、袖仕切りが変更されている。このインテリアは、後の9000系に受け継がれる事になる。日よけはヨロイ戸からフリーストップ方式のカーテンに交換されている。冷房装置の改良も行なわれた。
現在も105両全車が健在、8連×7本・7連×7本が組成され、8連は堺筋線直通運用を中心にして、7連共々、特急を除く京都・千里線各種列車で運用されている。なお、8連は2両を切り離し、6連で嵐山線直通運用にも入れるが、最近はほとんど例がないようだ。1次車は車齢45年を越え、経年化はすすんでいるが、当分は活躍が続くと思われる。
【編成】
←梅田・天神橋筋六丁目方 河原町・北千住方→
*Mc 5300* - M'c 5400 + *Mc 5300* - M' 5800 - T 5850 - T5850 - *M 5900* - Mc 5400
*Mc 5300* - M' 5800 - T 5850 - T5850 - T5850 - *M 5900* - Mc 5400
*Mc 5300* - T5850 - M'c 5400 + *Mc 5300* - T 5850 - T5850 - Mc 5400
*Mc 5300* - T5850 - T5850 - M'c 5400 + *Mc 5300* - T5850 - Mc 5400
* パンタグラフ
地元の電車ではないから軽々しい評価は下せないが、電気指令式ブレーキ・中空軸カルダン採用と、後の阪急電車(特に京都線)の基礎となる一方、2000系・2300系に始まる、標識板の使用を前提とした高性能車両の車体デザイン、及び2ハンドルの運転台は、阪急では最後となりました。地味な印象もある5300系だが、結果的に、2200系に始まる次世代阪急車両への橋渡しとなる系列と位置づける事ができそうです。
今回の記事は
「私鉄の車両5 阪急電鉄」(保育社 ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻)
「鉄道ピクトリアル1998年12月臨時増刊号 【特集】阪急電鉄」「同2010年8月臨時増刊号 【特集】阪急電鉄」(鉄道図書刊行会)
「HANKYU MAROON WORLD 阪急電車のすべて2010」(阪急コミュニケーションズ)
「鉄道ダイヤ情報 2014年2月号」(交通新聞社)
「阪急電車」(山口益生/JTBキャンブックス)
「私鉄車両年鑑2017」(イカロス出版) 等
を参考にさせて頂きました。
このうち、「阪急電車」に関しては、元阪急電鉄取締役・山口益生氏の筆によるもので、阪急の経営陣の一員にしては(一員だからか)、自社の鉄道車両、ひいては鉄道事業に関して、案外辛辣な評価を下している部分もあって、興味深く読めました(一部「鉄道ピクトリアル臨時増刊」への寄稿と被る部分も)。
次回のこのシリーズは、阪神8000系を予定しています。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
阪急・阪神・能勢・北大阪急行の関西4社は、JR西日本のICカードICOCA及びICOCA定期券の発売の開始と、同時に昨年発売を開始したばかりの磁気カード「レールウェイカード」の発売の終了発表しました。時期はどちらも2019年春(ダイヤ改正・おおさか東線新大阪延伸時か)、レールウェイカードの運用終了は同年秋としています。さしもの阪急も、ついにプリペイド式ICカード化への流れには抗いきれなくなった、そんな印象がしました。これで本当に、鉄道業界の磁気カード時代は、終わりの時を迎えたと思います。
《今日のニュースから》
28日 新幹線台車亀裂 有識者会議が最終報告書提出
29日 「冬のソナタ」ヒロイン チェ・ジウ 結婚発表
阪急はその生い立ちや線路条件の違いから、神戸・宝塚線(まとめて「神宝線」)と京都線で、一見同系列も、実際は別々に用意されています。阪急ではこれまで神宝線と京都線を交互に書いてきていて、前回は神宝線9000系だったから、今回は京都線です。
阪急電鉄5300系は、京都線向け初の新造量産冷房車として、1972(S47)年より製造が始まった。
車体の形態や基本的な性能は3300系に準じ、車体の寸法は大阪市営堺筋線直通に対応するため、標準車体より長さは100㎜短く、幅は100㎜広い。駆動装置は、京都線では初の中実軸TDカルダン方式として神宝線と共通とし、ブレーキは電気指令式HRD-1Dを採用した。電動機は140㎾(3300系は130kw)に増強され、パンタグラフはMc・Mに下枠交差式2機を装備している。正面左側車掌窓上部には手動式の行先表示装置を設置しているが、通常は運転区間・種別を書いた標識板を正面窓下に掲げていた。2ハンドルの運転台も、阪急では最後となった。
なお、京都線では初めて、トップナンバーが1ではなく0から始まっていて、この点でも神宝線と共通になった。
車内は引き続き阪急伝統の木目化粧板+オリーブグリーンのロングシートの配色を踏襲している。日よけは伝統のヨロイ戸。冷房装置は8,000kcal/hを4機搭載した集約分散型。
1次車は22両、1973(S48)年からの2次車は32両が製造されたが、当初は堺筋線には乗り入れず、MT比率半々の8連を基本として、急行を中心に地上線で運用されていた。この間、5863号車には電機子チョッパ制御装置が装備され、新造から2年間試用された。また5408・5409号車はユニット運転台試作車として製造された(現在継ぎ目は埋められている)。1975(S50)年からの3次車から、冷房装置が10,500kcal/h×3に変更されている。その後堺筋線直通運用に備えて8連(6M2T組成)のため、4・5次車合計31両、特に中間車が1978(S53)~1984(S59)年の間に製造され、105両全車両が出そろった。1979(S54)年3月ダイヤ改正で堺筋線直通急行(通称「堺筋急行」)の運行が始まり、5300系が就役して、初期の目的が達せられた。
1987(S62)年より、正面の行先表示装置を電動化し、運転台上部には種別幕を別に設けた。標識灯と急行灯は分離され、並んで窓下に配置され、6000系に似た顔つきに変化した。側面も電動の種別・方向幕を設置している。正面の種別・方向幕は5317Fから天地方向に大型化されている。2001(H13)年までには、銭湯に出る機会が無い車両を除き、電動化が完了した。同時に車イススペース・非常通報装置・ドア開閉予告装置(チャイム)も設置されている。改造の最終2編成では、案内情報装置も設置された。
さらに2002(H14)年には5300F・5302Fの2編成に、5000系等と同様の大規模工事(更新工事)が施された。外観上では、下方に拡大されたドア部の窓が目立つ。車内では化粧板・床敷物の色彩が改められ、座席のオリーブグリーンも濃くなって、袖仕切りが変更されている。このインテリアは、後の9000系に受け継がれる事になる。日よけはヨロイ戸からフリーストップ方式のカーテンに交換されている。冷房装置の改良も行なわれた。
現在も105両全車が健在、8連×7本・7連×7本が組成され、8連は堺筋線直通運用を中心にして、7連共々、特急を除く京都・千里線各種列車で運用されている。なお、8連は2両を切り離し、6連で嵐山線直通運用にも入れるが、最近はほとんど例がないようだ。1次車は車齢45年を越え、経年化はすすんでいるが、当分は活躍が続くと思われる。
【編成】
←梅田・天神橋筋六丁目方 河原町・北千住方→
*Mc 5300* - M'c 5400 + *Mc 5300* - M' 5800 - T 5850 - T5850 - *M 5900* - Mc 5400
*Mc 5300* - M' 5800 - T 5850 - T5850 - T5850 - *M 5900* - Mc 5400
*Mc 5300* - T5850 - M'c 5400 + *Mc 5300* - T 5850 - T5850 - Mc 5400
*Mc 5300* - T5850 - T5850 - M'c 5400 + *Mc 5300* - T5850 - Mc 5400
* パンタグラフ
地元の電車ではないから軽々しい評価は下せないが、電気指令式ブレーキ・中空軸カルダン採用と、後の阪急電車(特に京都線)の基礎となる一方、2000系・2300系に始まる、標識板の使用を前提とした高性能車両の車体デザイン、及び2ハンドルの運転台は、阪急では最後となりました。地味な印象もある5300系だが、結果的に、2200系に始まる次世代阪急車両への橋渡しとなる系列と位置づける事ができそうです。
今回の記事は
「私鉄の車両5 阪急電鉄」(保育社 ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻)
「鉄道ピクトリアル1998年12月臨時増刊号 【特集】阪急電鉄」「同2010年8月臨時増刊号 【特集】阪急電鉄」(鉄道図書刊行会)
「HANKYU MAROON WORLD 阪急電車のすべて2010」(阪急コミュニケーションズ)
「鉄道ダイヤ情報 2014年2月号」(交通新聞社)
「阪急電車」(山口益生/JTBキャンブックス)
「私鉄車両年鑑2017」(イカロス出版) 等
を参考にさせて頂きました。
このうち、「阪急電車」に関しては、元阪急電鉄取締役・山口益生氏の筆によるもので、阪急の経営陣の一員にしては(一員だからか)、自社の鉄道車両、ひいては鉄道事業に関して、案外辛辣な評価を下している部分もあって、興味深く読めました(一部「鉄道ピクトリアル臨時増刊」への寄稿と被る部分も)。
次回のこのシリーズは、阪神8000系を予定しています。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
阪急・阪神・能勢・北大阪急行の関西4社は、JR西日本のICカードICOCA及びICOCA定期券の発売の開始と、同時に昨年発売を開始したばかりの磁気カード「レールウェイカード」の発売の終了発表しました。時期はどちらも2019年春(ダイヤ改正・おおさか東線新大阪延伸時か)、レールウェイカードの運用終了は同年秋としています。さしもの阪急も、ついにプリペイド式ICカード化への流れには抗いきれなくなった、そんな印象がしました。これで本当に、鉄道業界の磁気カード時代は、終わりの時を迎えたと思います。
《今日のニュースから》
28日 新幹線台車亀裂 有識者会議が最終報告書提出
29日 「冬のソナタ」ヒロイン チェ・ジウ 結婚発表
№1812 私鉄名車列伝 141.京阪電気鉄道13000系
「私鉄名車列伝」、今回は、京阪の最新鋭通勤車13000系です。
13000系は、2600系置き換えを主な目的として、2012(H24)年より製造が開始された通勤車両である。快速急行車3000系の兄弟車といえ、在来車と比較し、ソフト・ハード両面で、グレードアップが図られた。
3000系に始まる「風流の今様」をコンセプトとして、同系と、通勤車10000系をベースにして設計されている。正面は「スラッシュムーン」状の標識灯など、3000系に酷似しているが、前照灯は2灯となり、屋根のカーブが浅い。側面の寸法は10000系と同じで、6000系に始まる、大型一段下降窓2枚をドア間に配置している。車体はアルミ製のセミダブルスキン構造で、オフセット衝突対策として車端部が三角形断面構造となっている。当初は2M2Tの4連で製造されたが、本線8連運用への充当が考慮されており、8連時は奇数編成の淀屋橋方と、偶数編成の出町柳方を連結、併結後は貫通路を構成できる構造になっている。前面・側面の行先・種別表示はフルカラーLED化。冷房装置も3000系と同じ集約分散型。
走行装置は3000系と共通で、200㎾の三相誘導モーターを、IGBT素子のVVVFインバーター制御装置を用いて、1C2Mで制御する。台車とブレーキシステムも3000系と同じだが、パンタグラフは2600系の再用の下枠交差型で、昨今の新造車両では珍しく、シングルアームではない。
車内は京都を連想させる,独特の色彩でまとめられている。化粧板は萌黄色、床や扉、衝撃緩和のため大型化された座席の仕切り板は墨色、座席は背ずりがオレンジのワンポイントをあしらった黒、座面は緑としている。座席は、ドア間は京阪で初めての片持ち式となり、一人あたりの寸法を470㎜まで拡大している。腰掛け中間部には手すりを2本設けた。荷物棚も従来より低く配置、ドア上部には液晶ディスプレイを1台ずつ設けている。先頭部の運転台背後は車イススペースとした。
当初は支線の宇治・交野線向けに製造された。ワンマン対応になっており、交野線運用時はワンマン運用を行なっている(2013(H25)年より宇治線もワンマン化)。
一方2014(H26)年には、本線向けにも展開が始まった。3M4Tの7連が製造され、20番台で区別されている。京阪で初めて室内灯・前照灯がLED化され、ドア開閉時のチャイムが新設されるなど、小規模な変化が見られる。中間車の増減で4~8連を組成する事が可能になっている。
2017(H29)年4月現在では4連×7本・7連×5本、合計63両が、全車両川崎重工で製造され、4連は引き続き宇治・交野線で、7連は本線の急行以下各列車で運用されている。今後は2600系に加えて5000系の置き換えも視野に入ってきており、さらに製造が推進されると思われる。
【編成】
←出町柳方 淀屋橋・中之島方→
Mc1(Mc3) 13000* - T0 13500 - T1 13600 - *Mc4(Mc2)13000
※ カッコ内は偶数編成
Mc1 13000* - T0 13500 - T2 13700 - M1 13100* - T3 13500 - T4 13700 - *Mc2 13000
インテリアの色調は独特だが、バケットシートや手すり、大型の仕切り板を見ると、関西の通勤電車も変わってきたなあ、と改めて思います。京阪に限った事ではないが、車内の仕様はかなり関東の通勤車のそれに近づいてきました。
面白い事に、京阪のロングシート通勤車は10000系、13000系と、2系列連続して支線向けから始まりました。他の鉄道では基本的に、経年化した本線車両を改造して転用するのが普通なのだが。
今回の記事は
「鉄道ピクトリアル2012年10月臨時増刊号 鉄道車両年鑑2012年版」
「京阪電気鉄道 完全データ」(メディアックス)
「京阪電車」(清水祥史/JTBパブリッシング) 等
を参考にさせて頂きました。
次回は阪急5300系を予定しています。京都線向けでは初の新造冷房車です。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
本日発売の「JTB時刻表2018年3月号」、購入しました。JR新ダイヤの分析はこれから行なうが、一つだけビックリしたのが、日豊本線・重岡~延岡間の下りで唯一の普通列車となる2761Mは特急車両運用(787系らしい)で、グリーン車も営業するという事(グリーン券は当日車内で発売)。延岡から〔ひゅうが9号〕あたりになるのか。
(上りはグリーン車連結の列車はない。回送扱いか)
《今日のニュースから》
23日 覚醒剤密輸 初の2年連続1000㎏超え 財務省発表
24日 石巻市大川小学校 閉校式
高木菜那選手、金メダルおめでとうございます。更新時点では、女子カーリングは試合中。でももう、明日で終わりなんだなあ。
13000系は、2600系置き換えを主な目的として、2012(H24)年より製造が開始された通勤車両である。快速急行車3000系の兄弟車といえ、在来車と比較し、ソフト・ハード両面で、グレードアップが図られた。
3000系に始まる「風流の今様」をコンセプトとして、同系と、通勤車10000系をベースにして設計されている。正面は「スラッシュムーン」状の標識灯など、3000系に酷似しているが、前照灯は2灯となり、屋根のカーブが浅い。側面の寸法は10000系と同じで、6000系に始まる、大型一段下降窓2枚をドア間に配置している。車体はアルミ製のセミダブルスキン構造で、オフセット衝突対策として車端部が三角形断面構造となっている。当初は2M2Tの4連で製造されたが、本線8連運用への充当が考慮されており、8連時は奇数編成の淀屋橋方と、偶数編成の出町柳方を連結、併結後は貫通路を構成できる構造になっている。前面・側面の行先・種別表示はフルカラーLED化。冷房装置も3000系と同じ集約分散型。
走行装置は3000系と共通で、200㎾の三相誘導モーターを、IGBT素子のVVVFインバーター制御装置を用いて、1C2Mで制御する。台車とブレーキシステムも3000系と同じだが、パンタグラフは2600系の再用の下枠交差型で、昨今の新造車両では珍しく、シングルアームではない。
車内は京都を連想させる,独特の色彩でまとめられている。化粧板は萌黄色、床や扉、衝撃緩和のため大型化された座席の仕切り板は墨色、座席は背ずりがオレンジのワンポイントをあしらった黒、座面は緑としている。座席は、ドア間は京阪で初めての片持ち式となり、一人あたりの寸法を470㎜まで拡大している。腰掛け中間部には手すりを2本設けた。荷物棚も従来より低く配置、ドア上部には液晶ディスプレイを1台ずつ設けている。先頭部の運転台背後は車イススペースとした。
当初は支線の宇治・交野線向けに製造された。ワンマン対応になっており、交野線運用時はワンマン運用を行なっている(2013(H25)年より宇治線もワンマン化)。
一方2014(H26)年には、本線向けにも展開が始まった。3M4Tの7連が製造され、20番台で区別されている。京阪で初めて室内灯・前照灯がLED化され、ドア開閉時のチャイムが新設されるなど、小規模な変化が見られる。中間車の増減で4~8連を組成する事が可能になっている。
2017(H29)年4月現在では4連×7本・7連×5本、合計63両が、全車両川崎重工で製造され、4連は引き続き宇治・交野線で、7連は本線の急行以下各列車で運用されている。今後は2600系に加えて5000系の置き換えも視野に入ってきており、さらに製造が推進されると思われる。
【編成】
←出町柳方 淀屋橋・中之島方→
Mc1(Mc3) 13000* - T0 13500 - T1 13600 - *Mc4(Mc2)13000
※ カッコ内は偶数編成
Mc1 13000* - T0 13500 - T2 13700 - M1 13100* - T3 13500 - T4 13700 - *Mc2 13000
インテリアの色調は独特だが、バケットシートや手すり、大型の仕切り板を見ると、関西の通勤電車も変わってきたなあ、と改めて思います。京阪に限った事ではないが、車内の仕様はかなり関東の通勤車のそれに近づいてきました。
面白い事に、京阪のロングシート通勤車は10000系、13000系と、2系列連続して支線向けから始まりました。他の鉄道では基本的に、経年化した本線車両を改造して転用するのが普通なのだが。
今回の記事は
「鉄道ピクトリアル2012年10月臨時増刊号 鉄道車両年鑑2012年版」
「京阪電気鉄道 完全データ」(メディアックス)
「京阪電車」(清水祥史/JTBパブリッシング) 等
を参考にさせて頂きました。
次回は阪急5300系を予定しています。京都線向けでは初の新造冷房車です。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
本日発売の「JTB時刻表2018年3月号」、購入しました。JR新ダイヤの分析はこれから行なうが、一つだけビックリしたのが、日豊本線・重岡~延岡間の下りで唯一の普通列車となる2761Mは特急車両運用(787系らしい)で、グリーン車も営業するという事(グリーン券は当日車内で発売)。延岡から〔ひゅうが9号〕あたりになるのか。
(上りはグリーン車連結の列車はない。回送扱いか)
《今日のニュースから》
23日 覚醒剤密輸 初の2年連続1000㎏超え 財務省発表
24日 石巻市大川小学校 閉校式
高木菜那選手、金メダルおめでとうございます。更新時点では、女子カーリングは試合中。でももう、明日で終わりなんだなあ。
№1800 私鉄名車列伝 140.近畿日本鉄道8810・9000・9200系
当ブログも、更新1800回になりました。1000回を越えると、100回単位は(500を除いて)あまり意味がなくなってくるけれど、それでも2009(H21)年8月スタートから、8年と5ヶ月でここまでやってこれました。駄文ばかりでお見苦しいのは申し訳ないですが、それでも少しづつでも改善しつつ、あくまで自分の言葉で知った事、考えた事、言いたい事を綴っていきたいと、いつもながら思っています。
このペースをこのまま維持できれば、来年には更新2000回を達成します。また来年は10周年を達成します。この時点で、かなり大がかりな企画を考えています。お楽しみに。
「私鉄名車列伝」、今回は近鉄です。前回の近鉄は2610系について書いたが、2013(H25)年11月24日更新だったから、もう4年以上経ってしまいました。
今回は奈良線・京都線向けに製作された界磁チョッパ制御車、8810系・9000系・9200系です。編成の両数や車種の構成に違いがあるが、事実上同じ系列と言えます。まとめて書きます。
近畿日本鉄8810系は奈良・京都線用の界磁チョッパ制御通勤車である。省エネが図られたほか、車体もモデルチェンジし、21世紀に至るまでの基礎となった。後に派生形の9000系・9200系も製造された。
近鉄では次期省エネルギー車の模索として、界磁位相制御の8810系、電機子チョッパ制御の3000系が製造されていたが、今後の省エネ車としては、各種比較検討の結果、量産車両では、コスト面で有利な界磁チョッパ制御が採用される事となり、1981(S56)年2月の大阪線用1400系に続いて、3月に8810系がデビューする事となった。界磁チョッパ制御とは、分巻界磁を持つ直流複巻モーターに流れる電流をチョッパで制御する方式で、、回生ブレーキを使用できるのが特徴である。
8810系は1C8M制御、モーターは160㎾の大容量となった。1400系とは基本的には同一性能だが、当時の大阪線と奈良線の建築限界の違いから、8810系は車体幅が広く、裾絞りとなった。制御装置は1400系の三菱製に対して、日立製を採用している。
車体は形の丸みを小さくして角張った形となり、正面は切妻となった。前照灯回りにステンレス板を張り、行先・種別表示器を同一平面上に置いている。急行灯・標識灯は横3列の長方形として、近代的なイメージとなった。正面デザインはこの後、「シリーズ21」デビューまで、近鉄通勤車の基本となった。乗務員室のすぐ後ろに窓1つ分の座席があり、側面が左右非対称となっているのは、在来車両と同じ。
当初はマルーン1色だったが、後に3200系デビューに合わせて、マルーン+白のツートンカラーに移行した。
車内は一般的なロングシートだが、化粧板は白を基調とした新デザインとなったほか、座席形状の変更も行なわれている。
1次車4連×4本の後、翌1982(S57)年に製造された2次車は、コンピューターによる強度計算技術の活用により、最大1.5tの軽量化が図られた。最終3次車はクーラーの形式が変更され、当初から側面に行先種別表示装置を設けた。
1983(S58)年には2連形の9000系、3連形の9200系が製造された。どちらも車体は8810系と同じで、軽量化設計になっている。9000系は1C4M制御のため、モーターの定格が8810系の約2倍の675Vとなった。9200系は1C8M制御で、モーターは8810系と同じ。両者とも、後の製造車は8810系と同様の変更点がある。
奈良・京都線の界磁チョッパ制御車グループは1984(S59)年まで製造、8810系は3次に渡って9編成36両、9000系は4次に渡って8編成16両、9200系は2次に渡って4編成12両が、全て近畿車輛によって製造、合計64両の所帯となった。
この3系列はこの後、奈良線・京都線各系統の一般列車に運用された。8925Fは大阪線車両更新工事の間、1987(S62)~1989(H元)の短期間、小改造・方向転換の上、大阪線で運用されている。9200系は京都線の3連運用減少により、1991(H3)年にサ9350形を組み込んで4連化された。この頃の近鉄通勤車は全線共通のアルミ車体に移行していて、サ9350形も同様のアルミ車体で製造された。このため、在来他車と比較して車体の裾が長く、すぐに見分けが付く。側面は左右対称となった。
21世紀に入ると、「シリーズ21」導入により、他線への転出が始まった。8810系は8911Fの1編成が、9200系は9208Fを残して他3編成が大阪線に転じ、上本町~青山町間の各種列車に運用されている。同時にサ9350形は全てサ9310形に形式を改めた。9000系は全て名古屋線に異動し、明星区に5編成、富吉区に3編成が配置された。明星区の編成は全てワンマン化改造されて山田・鳥羽・志摩線ローカルに、富吉区の編成は名古屋口の各列車で運用されている。
【編成】
←近鉄難波・京都方 近鉄奈良・橿原神宮前方→
Tc 8910 - M 8810 - *M 8810* - Tc 8910
*Mc 9000* - Tc 9100
Mc 9200 - *M 9200 - (T 9350) - Tc 9300
* パンタグラフ
新製当時の編成で、9200系のサ9350号車は後から組み込み
大阪・名古屋線転属車両は方向を転換している サ9350はサ9310に形式変更
界磁チョッパ制御は、1980年代の私鉄の省エネ車両としては標準的な仕様で、このシリーズで取り上げた中では、東武10000系、西武3000系、東急8000系・8500系、京急800形・2000形、阪急7300系、小田急9000形、芝山鉄道(京成)3600形、南海8200系など、大手私鉄の大半が導入し、量産を重ねてきました。
近鉄はその中でも比較的早い方だったが(一番早かったのは東急8000系)、近鉄では界磁チョッパ制御車の最終投入が行なわれた1984(S59)年には、早くも1500V線区用では初のVVVF制御車となる1250系(現1420系)が製造され、その後3200系を皮切りにVVVF制御車の量産が始まるため、界磁チョッパ制御車は、近鉄においては案外地味な位置に置かれた感もあります。むしろ正面のデザインが、この後15年位の間、近鉄通勤車の「顔」として定着していく事になります。
今回の記事は
「鉄道ピクトリアル1992年12月臨時増刊号 【特集】近畿日本鉄道」「同2003年1月臨時増刊号 【特集】近畿日本鉄道」(鉄道図書刊行会)
「私鉄の車両13 近畿日本鉄道Ⅱ」(保育社 ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻)
「信頼のネットワーク 楽しい仲間たち きんてつの電車」(近畿日本鉄道)
「近畿日本鉄道完全データ DVDBOX」「近畿日本鉄道 DVDBOX2013SPECIAL」(メディアックス)
「近鉄電車」(三好好三/JTBキャンブックス) 等
を参考にさせて頂きました。
次回は京阪13000系を予定しています。支線から導入、後に本線に展開した珍しい系列です。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
********************
《今日見た・聞いた・思った事》
というか、25日にはリリースが出ていたので、遅くとも昨日のうちに書くべきだったのだが、西鉄が、前々から予告していた観光列車「THE RAIL KITCHEN CHIKUGO」の導入を発表しました。
今はやりのレストランスタイルの列車で、詳細は公式Webページに譲るが、意外だ!と思ったのは、6050形3連をベースにするという事。「旅人」の運用を終えた8000形から改造されると確信していたから。
確かに6050形は1995(H17)年デビューと「比較的」新しいし、VVVF制御なので長く使えるでしょう(ちなみに西鉄は界磁チョッパ制御は導入した事がない)。また4ドアは西鉄福岡(天神)駅の大改良の過程で2線になってしまうため、折返し時間の短縮を図るべく採用された経緯があり、現状ではあまり必要とされなくなった、という事もあるかも知れません。いろいろな点で、今後長く観光列車として運用するに適した車両、と判断された、という事でしょう。
しかし近鉄「青の交響曲」もそうで、通勤電車を改造して豪華観光列車に…というのは、正直ため息が出る部分もあります。JR九州の「D&S列車」もだが、それだけ、特に西日本では通勤車の余剰が出ているという事でしょうか。
北から南まで、同じようなコンセプトの観光列車が未だあちらこちらの鉄道でデビューしているが、そろそろ飽和状態になって、客の奪い合いが発生しそうな気がしています。列車そのものだけでなく、列車の走る路線、目的地まで含めて、どれだけ他線区より魅力を出せるのか、が勝負になりそうです。乗車スタイルは様々だが、いずれにしろ私としては、編成全体が豪華に過ぎると、少々敷居が高く感じられます。男の一人旅で乗るような列車は空くなさそうだし。1両、いや半室で良いから、もう少し気軽に、ふらっと立ち寄って一息つけるスペースがあると良いんじゃないかなあと思っています。昔の特急〔つばめ〕のビュッフェのような。
ANAの東京オリンピック・パラリンピックスペシャルカラー機(JA741A・B777-200ER)が、羽田空港でお披露目されました。明日の羽田8時20分発福岡行243便から就航。
《今日のニュースから》
28日 世界最高水準の大型望遠鏡 兵庫県播磨町東亜外業東播工場で公開
この望遠鏡はこの後一度解体し、南米チリに輸送して再組み立て、2019年初に試験運用との事。
このペースをこのまま維持できれば、来年には更新2000回を達成します。また来年は10周年を達成します。この時点で、かなり大がかりな企画を考えています。お楽しみに。
「私鉄名車列伝」、今回は近鉄です。前回の近鉄は2610系について書いたが、2013(H25)年11月24日更新だったから、もう4年以上経ってしまいました。
今回は奈良線・京都線向けに製作された界磁チョッパ制御車、8810系・9000系・9200系です。編成の両数や車種の構成に違いがあるが、事実上同じ系列と言えます。まとめて書きます。
近畿日本鉄8810系は奈良・京都線用の界磁チョッパ制御通勤車である。省エネが図られたほか、車体もモデルチェンジし、21世紀に至るまでの基礎となった。後に派生形の9000系・9200系も製造された。
近鉄では次期省エネルギー車の模索として、界磁位相制御の8810系、電機子チョッパ制御の3000系が製造されていたが、今後の省エネ車としては、各種比較検討の結果、量産車両では、コスト面で有利な界磁チョッパ制御が採用される事となり、1981(S56)年2月の大阪線用1400系に続いて、3月に8810系がデビューする事となった。界磁チョッパ制御とは、分巻界磁を持つ直流複巻モーターに流れる電流をチョッパで制御する方式で、、回生ブレーキを使用できるのが特徴である。
8810系は1C8M制御、モーターは160㎾の大容量となった。1400系とは基本的には同一性能だが、当時の大阪線と奈良線の建築限界の違いから、8810系は車体幅が広く、裾絞りとなった。制御装置は1400系の三菱製に対して、日立製を採用している。
車体は形の丸みを小さくして角張った形となり、正面は切妻となった。前照灯回りにステンレス板を張り、行先・種別表示器を同一平面上に置いている。急行灯・標識灯は横3列の長方形として、近代的なイメージとなった。正面デザインはこの後、「シリーズ21」デビューまで、近鉄通勤車の基本となった。乗務員室のすぐ後ろに窓1つ分の座席があり、側面が左右非対称となっているのは、在来車両と同じ。
当初はマルーン1色だったが、後に3200系デビューに合わせて、マルーン+白のツートンカラーに移行した。
車内は一般的なロングシートだが、化粧板は白を基調とした新デザインとなったほか、座席形状の変更も行なわれている。
1次車4連×4本の後、翌1982(S57)年に製造された2次車は、コンピューターによる強度計算技術の活用により、最大1.5tの軽量化が図られた。最終3次車はクーラーの形式が変更され、当初から側面に行先種別表示装置を設けた。
1983(S58)年には2連形の9000系、3連形の9200系が製造された。どちらも車体は8810系と同じで、軽量化設計になっている。9000系は1C4M制御のため、モーターの定格が8810系の約2倍の675Vとなった。9200系は1C8M制御で、モーターは8810系と同じ。両者とも、後の製造車は8810系と同様の変更点がある。
奈良・京都線の界磁チョッパ制御車グループは1984(S59)年まで製造、8810系は3次に渡って9編成36両、9000系は4次に渡って8編成16両、9200系は2次に渡って4編成12両が、全て近畿車輛によって製造、合計64両の所帯となった。
この3系列はこの後、奈良線・京都線各系統の一般列車に運用された。8925Fは大阪線車両更新工事の間、1987(S62)~1989(H元)の短期間、小改造・方向転換の上、大阪線で運用されている。9200系は京都線の3連運用減少により、1991(H3)年にサ9350形を組み込んで4連化された。この頃の近鉄通勤車は全線共通のアルミ車体に移行していて、サ9350形も同様のアルミ車体で製造された。このため、在来他車と比較して車体の裾が長く、すぐに見分けが付く。側面は左右対称となった。
21世紀に入ると、「シリーズ21」導入により、他線への転出が始まった。8810系は8911Fの1編成が、9200系は9208Fを残して他3編成が大阪線に転じ、上本町~青山町間の各種列車に運用されている。同時にサ9350形は全てサ9310形に形式を改めた。9000系は全て名古屋線に異動し、明星区に5編成、富吉区に3編成が配置された。明星区の編成は全てワンマン化改造されて山田・鳥羽・志摩線ローカルに、富吉区の編成は名古屋口の各列車で運用されている。
【編成】
←近鉄難波・京都方 近鉄奈良・橿原神宮前方→
Tc 8910 - M 8810 - *M 8810* - Tc 8910
*Mc 9000* - Tc 9100
Mc 9200 - *M 9200 - (T 9350) - Tc 9300
* パンタグラフ
新製当時の編成で、9200系のサ9350号車は後から組み込み
大阪・名古屋線転属車両は方向を転換している サ9350はサ9310に形式変更
界磁チョッパ制御は、1980年代の私鉄の省エネ車両としては標準的な仕様で、このシリーズで取り上げた中では、東武10000系、西武3000系、東急8000系・8500系、京急800形・2000形、阪急7300系、小田急9000形、芝山鉄道(京成)3600形、南海8200系など、大手私鉄の大半が導入し、量産を重ねてきました。
近鉄はその中でも比較的早い方だったが(一番早かったのは東急8000系)、近鉄では界磁チョッパ制御車の最終投入が行なわれた1984(S59)年には、早くも1500V線区用では初のVVVF制御車となる1250系(現1420系)が製造され、その後3200系を皮切りにVVVF制御車の量産が始まるため、界磁チョッパ制御車は、近鉄においては案外地味な位置に置かれた感もあります。むしろ正面のデザインが、この後15年位の間、近鉄通勤車の「顔」として定着していく事になります。
今回の記事は
「鉄道ピクトリアル1992年12月臨時増刊号 【特集】近畿日本鉄道」「同2003年1月臨時増刊号 【特集】近畿日本鉄道」(鉄道図書刊行会)
「私鉄の車両13 近畿日本鉄道Ⅱ」(保育社 ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻)
「信頼のネットワーク 楽しい仲間たち きんてつの電車」(近畿日本鉄道)
「近畿日本鉄道完全データ DVDBOX」「近畿日本鉄道 DVDBOX2013SPECIAL」(メディアックス)
「近鉄電車」(三好好三/JTBキャンブックス) 等
を参考にさせて頂きました。
次回は京阪13000系を予定しています。支線から導入、後に本線に展開した珍しい系列です。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
********************
《今日見た・聞いた・思った事》
というか、25日にはリリースが出ていたので、遅くとも昨日のうちに書くべきだったのだが、西鉄が、前々から予告していた観光列車「THE RAIL KITCHEN CHIKUGO」の導入を発表しました。
今はやりのレストランスタイルの列車で、詳細は公式Webページに譲るが、意外だ!と思ったのは、6050形3連をベースにするという事。「旅人」の運用を終えた8000形から改造されると確信していたから。
確かに6050形は1995(H17)年デビューと「比較的」新しいし、VVVF制御なので長く使えるでしょう(ちなみに西鉄は界磁チョッパ制御は導入した事がない)。また4ドアは西鉄福岡(天神)駅の大改良の過程で2線になってしまうため、折返し時間の短縮を図るべく採用された経緯があり、現状ではあまり必要とされなくなった、という事もあるかも知れません。いろいろな点で、今後長く観光列車として運用するに適した車両、と判断された、という事でしょう。
しかし近鉄「青の交響曲」もそうで、通勤電車を改造して豪華観光列車に…というのは、正直ため息が出る部分もあります。JR九州の「D&S列車」もだが、それだけ、特に西日本では通勤車の余剰が出ているという事でしょうか。
北から南まで、同じようなコンセプトの観光列車が未だあちらこちらの鉄道でデビューしているが、そろそろ飽和状態になって、客の奪い合いが発生しそうな気がしています。列車そのものだけでなく、列車の走る路線、目的地まで含めて、どれだけ他線区より魅力を出せるのか、が勝負になりそうです。乗車スタイルは様々だが、いずれにしろ私としては、編成全体が豪華に過ぎると、少々敷居が高く感じられます。男の一人旅で乗るような列車は空くなさそうだし。1両、いや半室で良いから、もう少し気軽に、ふらっと立ち寄って一息つけるスペースがあると良いんじゃないかなあと思っています。昔の特急〔つばめ〕のビュッフェのような。
ANAの東京オリンピック・パラリンピックスペシャルカラー機(JA741A・B777-200ER)が、羽田空港でお披露目されました。明日の羽田8時20分発福岡行243便から就航。
《今日のニュースから》
28日 世界最高水準の大型望遠鏡 兵庫県播磨町東亜外業東播工場で公開
この望遠鏡はこの後一度解体し、南米チリに輸送して再組み立て、2019年初に試験運用との事。
№1769 私鉄名車列伝 139.名古屋鉄道6000系
「私鉄名車列伝」、今回から西日本に移ります。まず、名鉄6000系です。
「パノラマカー」に代表されるように、40~50年前位の名鉄の本線系統の電車は、ほとんど全てが2ドアクロスシート車、毎日毎日ロングシート通勤車にスシ詰めにされる、特に関東の鉄道ファンにとっては垂涎の的でした。しかし、その2ドアクロス車がもたらすラッシュ時の混雑は、関東や関西よりも酷い状況に陥っているのではないか?そんな疑問が、実は名鉄内部にもあったようでした。6000系は、そんな意識が生み出した車両ともいえます。名鉄の車両面における大きな転換点となった系列でした。
6000系は名鉄初の高性能通勤車で、名古屋近郊の混雑緩和のため、1976(S51)年デビューの後、1985(S60)年まで、毎年増備が行なわれた。初期の車両は通勤輸送と、日中の居住性の向上の両立を狙ったユニークな座席配置が評価され、1977(S52)年の鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞。
名鉄では昭和40年代、「パノラマカー」の導入が続いていたが、オイルショック以降の混雑の激化に対応できなくなってきており、本格的通勤車の導入が待望された。東急から購入した3ドア車両の実績により、名鉄でも自社開発の通勤車の製造に踏み切る事となり、6000系が開発される事となった。
車体は「パノラマカー」グループの7700系を3ドア化したような印象の18m級車体で、正面も共通性が高い貫通形となったが、名鉄では初めて貫通扉上部に行先・種別表示装置を設けた。側窓もパノラマカー風の連続窓で、塗装もスカーレット一色が踏襲された。抵抗制御で主電動機は150kwと大型化、MT比を1:1としている。当初は4連で製造され、3次車からは中間2両を抜いた形の2連も製造された。特徴的なのはドア配置で、先頭車と中間車でドアの間隔が異なっている。この他、名鉄が独自に開発した自動解結装置を、当初から標準装備とした。台車はS型ミンデン。
車内は、当初は集団離反型の小型クロスシートを、扉間に先頭車は4脚、中間車は5脚配置、着席定員の確保を図った。7次車まで引き続いて採用され、瀬戸線向け6000系にも採用された。クロスシート通勤への名鉄のこだわりを感じさせたが、後に全車輌ロングシート化改造が行なわれている。4次車まで4連×11本・2連×6本の56両が製造。製作次数毎に小変化が見られ、4次車では床面高さを下げた。
1980(S55)年製の5次車にして、大きな仕様変更が行なわれた。省エネを指向し、クーラーを3→2台に削減してロスナイを併用する方式となり、即窓が上昇式の独立窓となった。扉の間隔は変わっていないので、先頭車と中間車では側窓の寸法が異なる。8次車まで4連×15本・2連×12本の84両が製造された。
この内合計36両が瀬戸線に転出している。瀬戸線用編成では不燃化対策や非常梯子の搭載、自動解結装置の撤去や自動案内放送の設置など、瀬戸線の環境に合わせた改造を行なっている。中間車の一部は改番を行なった。
1984(S59)年製以降、4連は界磁チョッパ制御の6500系に移行したが、9次車となった2連は支線での単独運用も多く、回生が有効ではないと判断され、引き続き抵抗制御の6000系として製造された。しかし、車体は6500系と共通の非貫通型車体に移行した。前面窓下部には社章付のステンレス飾り帯を貼り、前面窓上部と側ドア上側をグレーに塗装(側ドアは1~8次車にも波及したが、後に全車両スカーレットに戻している)。ドア間隔は、6500系が先頭車と中間車で均等となったことで、先頭車のドア配置が6000系にも踏襲されている。台車はSU型ミンデンとなった。
車内は本格的なクロスシートを集団離反型に配置(ドア間に3脚ずつ)、中央扉の両側がロングシートのセミクロス配置となった。なお、後にロングシート化改造を行なった編成がある。2次に渡り2連×8本の16両が製造され、その後は界磁添加励磁制御の6800系に移行した。
6000系は10次に渡って156両が全て日本車輌によって製造され、一時は名鉄の最大勢力に君臨した。
5次車以降のクーラー2台+ロスナイ併用車は、1993(H5)年より冷房装置の交換を行ない、能力の強化を行なった(一部例外あり)。1997(H9)年からは、車齢が20年に達した初期車両の特別整備を行ない、車体の補修の他、車イススペースや、側面への行先種別表示装置の設置などを行なっている。
1998(H10)年より、一部支線で開始されたワンマン運転に対応した改造を行なった編成が現れた。路線によって改造内容が異なり、蒲郡線・広見線向けは運賃箱や整理券発行機を搭載。扉部に扉扱い表示器を設けている。三河線向けはホームセンサーシステムに対応した扉開閉情報伝達装置を搭載し、2016(H28)年からは大規模なリニューアル工事を行なっている。一方で瀬戸線転属車両は4000系導入により、2014(H26)年までに全車輌廃車となった。その後本線でも置き換えが始まり、2017(H29)年4月1日の時点では、112両にまで減少している。今後は本線の運用はさらに減少、ワンマン運転路線を中心とした支線運用が中心になると思われる。
【編成】
←豊橋・常滑方 名鉄岐阜・新鵜沼方→
Tc 6000 - *M 6300 - T 6100 - *Mc 6200
Tc 6000 - *Mc 6200
* パンタグラフ
クロスシート時代の6000系には中学生だった頃に犬山線で乗った事はあったが、混雑していたので、座席に座る事はありませんでした。2人掛けで825㎜とは市内バスとほとんど変わらず、長距離の乗車ではさすがに辛いと思います。ラッシュ輸送と日中の快適性の両立は昔も今も、名鉄に限らず日本の各鉄道会社の課題としてあり続けているが、私個人の意見としては、クロスシートを導入するのなら、通勤車であってもゆったりしたものを入れて欲しい。できないなら、ロングシートの方がまだ良いでしょう。
今回の記事は、
「鉄道ピクトリアル 1996年7月臨時増刊号 【特集】名古屋鉄道」
「同 2006年1月臨時増刊号 【特集】名古屋鉄道」
「同 2009年3月臨時増刊号 【特集】名古屋鉄道」
「同 アーカイブスセレクション31 名古屋鉄道 1970~80」(以上 鉄道図書刊行会)
「私鉄の車両11 名古屋鉄道」(保育社 ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻)
「とれいん 2014年1月号」(エリエィ プレス・アイゼンバーン)
「私鉄車両年鑑2017」(イカロス出版)
などを参考にさせて頂きました。
次回は近鉄奈良・京都線の界磁チョッパ車、8810系・9000系・9200系について書きます。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
小田急バスの電柱衝突事故は、他車との絡みとか、ドライバー自身の健康問題、とかいうのではなさそうだが、現状ではまだ何とも言えないと思います。
《今日のニュースから》
24日 港区エレベーター事故 和解成立
25日 ソフトバンク選手 九州北部豪雨被災小学校を訪問
「パノラマカー」に代表されるように、40~50年前位の名鉄の本線系統の電車は、ほとんど全てが2ドアクロスシート車、毎日毎日ロングシート通勤車にスシ詰めにされる、特に関東の鉄道ファンにとっては垂涎の的でした。しかし、その2ドアクロス車がもたらすラッシュ時の混雑は、関東や関西よりも酷い状況に陥っているのではないか?そんな疑問が、実は名鉄内部にもあったようでした。6000系は、そんな意識が生み出した車両ともいえます。名鉄の車両面における大きな転換点となった系列でした。
6000系は名鉄初の高性能通勤車で、名古屋近郊の混雑緩和のため、1976(S51)年デビューの後、1985(S60)年まで、毎年増備が行なわれた。初期の車両は通勤輸送と、日中の居住性の向上の両立を狙ったユニークな座席配置が評価され、1977(S52)年の鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞。
名鉄では昭和40年代、「パノラマカー」の導入が続いていたが、オイルショック以降の混雑の激化に対応できなくなってきており、本格的通勤車の導入が待望された。東急から購入した3ドア車両の実績により、名鉄でも自社開発の通勤車の製造に踏み切る事となり、6000系が開発される事となった。
車体は「パノラマカー」グループの7700系を3ドア化したような印象の18m級車体で、正面も共通性が高い貫通形となったが、名鉄では初めて貫通扉上部に行先・種別表示装置を設けた。側窓もパノラマカー風の連続窓で、塗装もスカーレット一色が踏襲された。抵抗制御で主電動機は150kwと大型化、MT比を1:1としている。当初は4連で製造され、3次車からは中間2両を抜いた形の2連も製造された。特徴的なのはドア配置で、先頭車と中間車でドアの間隔が異なっている。この他、名鉄が独自に開発した自動解結装置を、当初から標準装備とした。台車はS型ミンデン。
車内は、当初は集団離反型の小型クロスシートを、扉間に先頭車は4脚、中間車は5脚配置、着席定員の確保を図った。7次車まで引き続いて採用され、瀬戸線向け6000系にも採用された。クロスシート通勤への名鉄のこだわりを感じさせたが、後に全車輌ロングシート化改造が行なわれている。4次車まで4連×11本・2連×6本の56両が製造。製作次数毎に小変化が見られ、4次車では床面高さを下げた。
1980(S55)年製の5次車にして、大きな仕様変更が行なわれた。省エネを指向し、クーラーを3→2台に削減してロスナイを併用する方式となり、即窓が上昇式の独立窓となった。扉の間隔は変わっていないので、先頭車と中間車では側窓の寸法が異なる。8次車まで4連×15本・2連×12本の84両が製造された。
この内合計36両が瀬戸線に転出している。瀬戸線用編成では不燃化対策や非常梯子の搭載、自動解結装置の撤去や自動案内放送の設置など、瀬戸線の環境に合わせた改造を行なっている。中間車の一部は改番を行なった。
1984(S59)年製以降、4連は界磁チョッパ制御の6500系に移行したが、9次車となった2連は支線での単独運用も多く、回生が有効ではないと判断され、引き続き抵抗制御の6000系として製造された。しかし、車体は6500系と共通の非貫通型車体に移行した。前面窓下部には社章付のステンレス飾り帯を貼り、前面窓上部と側ドア上側をグレーに塗装(側ドアは1~8次車にも波及したが、後に全車両スカーレットに戻している)。ドア間隔は、6500系が先頭車と中間車で均等となったことで、先頭車のドア配置が6000系にも踏襲されている。台車はSU型ミンデンとなった。
車内は本格的なクロスシートを集団離反型に配置(ドア間に3脚ずつ)、中央扉の両側がロングシートのセミクロス配置となった。なお、後にロングシート化改造を行なった編成がある。2次に渡り2連×8本の16両が製造され、その後は界磁添加励磁制御の6800系に移行した。
6000系は10次に渡って156両が全て日本車輌によって製造され、一時は名鉄の最大勢力に君臨した。
5次車以降のクーラー2台+ロスナイ併用車は、1993(H5)年より冷房装置の交換を行ない、能力の強化を行なった(一部例外あり)。1997(H9)年からは、車齢が20年に達した初期車両の特別整備を行ない、車体の補修の他、車イススペースや、側面への行先種別表示装置の設置などを行なっている。
1998(H10)年より、一部支線で開始されたワンマン運転に対応した改造を行なった編成が現れた。路線によって改造内容が異なり、蒲郡線・広見線向けは運賃箱や整理券発行機を搭載。扉部に扉扱い表示器を設けている。三河線向けはホームセンサーシステムに対応した扉開閉情報伝達装置を搭載し、2016(H28)年からは大規模なリニューアル工事を行なっている。一方で瀬戸線転属車両は4000系導入により、2014(H26)年までに全車輌廃車となった。その後本線でも置き換えが始まり、2017(H29)年4月1日の時点では、112両にまで減少している。今後は本線の運用はさらに減少、ワンマン運転路線を中心とした支線運用が中心になると思われる。
【編成】
←豊橋・常滑方 名鉄岐阜・新鵜沼方→
Tc 6000 - *M 6300 - T 6100 - *Mc 6200
Tc 6000 - *Mc 6200
* パンタグラフ
クロスシート時代の6000系には中学生だった頃に犬山線で乗った事はあったが、混雑していたので、座席に座る事はありませんでした。2人掛けで825㎜とは市内バスとほとんど変わらず、長距離の乗車ではさすがに辛いと思います。ラッシュ輸送と日中の快適性の両立は昔も今も、名鉄に限らず日本の各鉄道会社の課題としてあり続けているが、私個人の意見としては、クロスシートを導入するのなら、通勤車であってもゆったりしたものを入れて欲しい。できないなら、ロングシートの方がまだ良いでしょう。
今回の記事は、
「鉄道ピクトリアル 1996年7月臨時増刊号 【特集】名古屋鉄道」
「同 2006年1月臨時増刊号 【特集】名古屋鉄道」
「同 2009年3月臨時増刊号 【特集】名古屋鉄道」
「同 アーカイブスセレクション31 名古屋鉄道 1970~80」(以上 鉄道図書刊行会)
「私鉄の車両11 名古屋鉄道」(保育社 ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻)
「とれいん 2014年1月号」(エリエィ プレス・アイゼンバーン)
「私鉄車両年鑑2017」(イカロス出版)
などを参考にさせて頂きました。
次回は近鉄奈良・京都線の界磁チョッパ車、8810系・9000系・9200系について書きます。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
小田急バスの電柱衝突事故は、他車との絡みとか、ドライバー自身の健康問題、とかいうのではなさそうだが、現状ではまだ何とも言えないと思います。
《今日のニュースから》
24日 港区エレベーター事故 和解成立
25日 ソフトバンク選手 九州北部豪雨被災小学校を訪問
№1756 私鉄名車列伝 138.いすみ鉄道いすみ200(100)形
「私鉄名車列伝」、今回は初めて関東地方の第3セクター鉄道の車両を取り上げます。
国鉄が民営化され、JRがスタートした1987(S62)年の前後は、同時に特定地方交通線の転換が強力に推進された時期でもありました。バス転換された路線も多いが、第3セクター鉄道転換を選択した路線もまた多く、1984(S59)年4月1日の三陸鉄道を皮切りに同年に他2社、1985(S60)年4社、1986(S61)年5社、1987(S62)年6社、そして1988(S63)年には7社が営業を開始しました。
(他に在来の純民営企業2社)
千葉県のいすみ鉄道も1988年開業7社のうちの一社で、来年30周年の節目を迎えます。その転換時に導入されたレールバスが、いすみ100形(のちのいすみ200形)です。
いすみ鉄道は1988(S63)年3月24日、千葉県の旧国鉄第1次特定地方交通線である木原線をJR東日本から引き継ぎ開業した、大原~上総中野間26.8㎞の第3セクター鉄道である。開業に際し、旅客営業用として7両の新型車両、いすみ100形が導入された。
富士重工のレールバスLE-CarⅡシリーズの一員で、真岡鐵道モオカ63形、天竜浜名湖鉄道TH1形とほぼ同型。車体長15.5m、貫通扉が設けられている。デザインは県の花「菜の花」の黄色(当初はクリーム味がかっていた)をベースに、山の緑を濃淡2本の緑のラインで表現(細帯は海のイメージの青かも知れない)。エンジンは加速性能に優れたPE6HT03(230㏋)、ブレーキはこのクラスでは標準的なSME三管式で、機関・排気ブレーキを抑速用として併用している。
車内は、当初はロングシート主体も片側2組ずつのボックスシートを配置したセミクロス仕様になっていた。しかし混雑対策として、導入翌年の1989(H元)年には早くも奇数番号車4両、1992(H4)年には残りの偶数番号車3両もオールロングシートに転換された。この際に、形式をいすみ200形と改められている。
当初は貫通扉部に沿線の町の花や木の名前を書いたヘッドマークを掲げていたが、連結運転の支障となるため取り外されている(大多喜駅に近い「房総中央鉄道館」で保管)。車体色は1994(H6)年より濃い黄色となり、より菜の花をイメージさせるデザインになった。また2000(H12)年には無線機を取り付け、正式な形式をいすみ200’形に改めている。
2004(H16)年以降、6両に対して順次、車内のリニューアルを行なった。車体外部にはムーミンのキャラクターの装飾が施されている。更新の対象から外れた204号は長期の休車の上2010(H22)年に廃車となって、養鶏場運営企業に譲渡された。2012(H24)年より本格的に新車両への置き換えが始まり、新形式いすみ300形、及びいすみ350形、キハ20の導入により、5両が廃車となった。商社経由でミャンマーへ譲渡されている。現在いすみ206号1両が予備車両として残されているが、可動の機会はほとんどないと思われる。
今回の記事は
「鉄道ピクトリアル1996年4月臨時増刊号 <特集>関東地方のローカル私鉄」(鉄道図書刊行会)
「ローカル私鉄車両20年 第3セクター・貨物専業編」(寺田裕一/JTBキャンブックス)
「ローカル私鉄車輛20年 第3セクター・貨物専業編」「私鉄気動車30年」(寺田裕一/JTBキャンブックス)
「日本レールバス大全」(斎藤幹男・岡本憲之/芸文社)
「歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄15」(朝日新聞出版) 等
を参考にさせて頂きました。
「私鉄名車列伝」、次回からは西日本に戻ります。まず名鉄6000系で、次回は正面貫通型の初期型について書く予定です。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
台風被害でJR湖西線や南海線も大変な事になってしまったが、それより今日、JR宇都宮線の障害で東海道線も混乱したのはまいった。片方で輸送障害が起きるとすぐに東京・上野折返しになって、「上野東京ライン」区間が運休になるようでは、何のための直通運転なのかと思う。特に今日の場合、東京~大宮間まで宇都宮線列車が減便になると大幅な輸送力ダウンになるし、運行間隔が空くので待っている人にも大迷惑。この場合、大宮までは直通運行ができるような形態にはできないのか。私鉄・地下鉄の相直と違って、同じ会社なのだから。
《今日のニュースから》
22日 サウジアラビア・イラク首脳 米仲介で会談 イラク復興協力で一致
23日 FIFA男子最優秀選手 クリスチャーノ・ロナウド 最多タイ5回目の受賞
24日 東芝 半導体子会社売却 臨時株主総会で承認
衆議院総選挙の結果は、今更記す事はないでしょう。安倍政権は改憲に向けた動きを加速させる事になるのでしょう。私は護憲派の端くれである事は今後も変わらないが、かといって改憲反対運動とかに加わるつもりもありません。事態を冷静に見るだけです。ともかく慎重に、穏健にやって欲しい。「森友・加計」など様々な政治疑惑は、結局は国内のみの問題なのでまだかわす事も辛うじてできた。しかし過去にあったような、海外、特に韓国や中国あたりを刺激するような軽率な発言や行動を起こせば、日本の国益を大きく損い、今度こそ政権の維持は不可能になりますよ。安部首相にはくれぐれも心して頂きたい。
野党に関しては、いやしくも野党第一党の民進党が希望の党に「丸投げ」しようとして(そう言われても仕方ないでしょう?)、分裂を招いた事が全て。「置いてけぼり」にされた格好の立憲民主党が野党第一党に躍り出た事を見ても、明らかな失敗でした。野党側は解散を「政治疑惑をごまかすものだと」と批判したが、だとしたら話は逆で、野党の方こそこれを武器に解散総選挙を迫るのが、本来の流れではないですか?思えば9月1日、民進党の新代表に前原氏が選出された時点では、(少なくとも表向きは)解散総選挙なんて話はどこからも聞こえてこなかった。その後「離党ドミノ」が起きたあたりで、解散という方向に突然話が傾きました。民進党は、安倍政権から足下を見られていたのではないでしょうか。
そもそも、以前の民進(旧民主)・共産・自由・社民の野党協力からして、各党の長年の主義・主張や行動、経緯から見れば、あまりにも「ご都合主義」の印象がぬぐえなかった(党首クラスがはしゃいでいただけ)。「協力しなければ巨大与党に勝てない」というけれど、党派の本質的な違いを埋める作業を何もしないまま政権交代を実現させても、ちゃんとやれるの?というのが正直な印象。「『アベ政治』さえ倒せば、後は何とかなるよ」と考えるのは大甘で無責任。第一、(与野党共だが)議院内閣制の政治体制において、最初から政党間協力ありきなのは、本当はおかしいのではないか?今年のイギリスや、今やっているドイツのように、先に選挙をやって、その結果を見てどのような政権を作るのか考えるのが、本来の順序ではないでしょうか(特に左右にかなりの差がある野党側はなおさら)。
また、戦後2番目の低投票率にも関わらず野党が延びなかったのも、少々ショックではないか。一昔前までは「天候が悪化すると、労組などの組織票がある野党有利」と言われていたのだから。憲法改正の是非が争点になりながら、「何が何でも改憲を阻止するんだ」という意思が、投票行動全体に表れなかったと言えます。労組側も、連合の「労働基準法等改正法案」への態度を巡り、民進党との間にすきま風も吹いた事もあり、強固な関係が崩れつつあるのかも知れません。
野党は自らの主張には「国民の意思」という表現を好むけれど、本当にそうなのか?他を一方的に攻撃し(それは野党である以上当たり前でもあるが)、自らを美化するのは得意だが、「我らの主義主張は、本当に世論を代表しているのか?」と、一度自らを総点検するべき時ではないのか?流されろ、主義主張を変えろと言うのでは決してないが、ならどうしたら世論を自らの思想に共感させる事ができるのか、真剣に考えるべきです。人をどうこう言う前に、自らの足下を見なければなりません。
ともあれ、少数野党が左右両極に分断されている事が公になった事で、今後の国会運営は与党有利で進むでしょう。現状では与党側によほどの大スキャンダルでも起こらない限り、野党側が実力で政治をひっくり返す事はできない状況に置かれている事が明白になった、というのが、私の今回の総選挙の総括です。いずれにしろ、海外で起きている様々な非常事態を見れば、日本の政治が、あまりにも「ゲーム」化してしまったように思えてなりません。上も下も、右も左も、温いよなあ。
セ・リーグのクライマックスシリーズは横浜DeNAベイスターズが勝ち抜き、福岡ソフトバンクホークスと対戦する事になりました。ベイスターズの日本シリーズ進出は19年振りで、セ・リーグ3位チームの進出は初。
国鉄が民営化され、JRがスタートした1987(S62)年の前後は、同時に特定地方交通線の転換が強力に推進された時期でもありました。バス転換された路線も多いが、第3セクター鉄道転換を選択した路線もまた多く、1984(S59)年4月1日の三陸鉄道を皮切りに同年に他2社、1985(S60)年4社、1986(S61)年5社、1987(S62)年6社、そして1988(S63)年には7社が営業を開始しました。
(他に在来の純民営企業2社)
千葉県のいすみ鉄道も1988年開業7社のうちの一社で、来年30周年の節目を迎えます。その転換時に導入されたレールバスが、いすみ100形(のちのいすみ200形)です。
いすみ鉄道は1988(S63)年3月24日、千葉県の旧国鉄第1次特定地方交通線である木原線をJR東日本から引き継ぎ開業した、大原~上総中野間26.8㎞の第3セクター鉄道である。開業に際し、旅客営業用として7両の新型車両、いすみ100形が導入された。
富士重工のレールバスLE-CarⅡシリーズの一員で、真岡鐵道モオカ63形、天竜浜名湖鉄道TH1形とほぼ同型。車体長15.5m、貫通扉が設けられている。デザインは県の花「菜の花」の黄色(当初はクリーム味がかっていた)をベースに、山の緑を濃淡2本の緑のラインで表現(細帯は海のイメージの青かも知れない)。エンジンは加速性能に優れたPE6HT03(230㏋)、ブレーキはこのクラスでは標準的なSME三管式で、機関・排気ブレーキを抑速用として併用している。
車内は、当初はロングシート主体も片側2組ずつのボックスシートを配置したセミクロス仕様になっていた。しかし混雑対策として、導入翌年の1989(H元)年には早くも奇数番号車4両、1992(H4)年には残りの偶数番号車3両もオールロングシートに転換された。この際に、形式をいすみ200形と改められている。
当初は貫通扉部に沿線の町の花や木の名前を書いたヘッドマークを掲げていたが、連結運転の支障となるため取り外されている(大多喜駅に近い「房総中央鉄道館」で保管)。車体色は1994(H6)年より濃い黄色となり、より菜の花をイメージさせるデザインになった。また2000(H12)年には無線機を取り付け、正式な形式をいすみ200’形に改めている。
2004(H16)年以降、6両に対して順次、車内のリニューアルを行なった。車体外部にはムーミンのキャラクターの装飾が施されている。更新の対象から外れた204号は長期の休車の上2010(H22)年に廃車となって、養鶏場運営企業に譲渡された。2012(H24)年より本格的に新車両への置き換えが始まり、新形式いすみ300形、及びいすみ350形、キハ20の導入により、5両が廃車となった。商社経由でミャンマーへ譲渡されている。現在いすみ206号1両が予備車両として残されているが、可動の機会はほとんどないと思われる。
今回の記事は
「鉄道ピクトリアル1996年4月臨時増刊号 <特集>関東地方のローカル私鉄」(鉄道図書刊行会)
「ローカル私鉄車両20年 第3セクター・貨物専業編」(寺田裕一/JTBキャンブックス)
「ローカル私鉄車輛20年 第3セクター・貨物専業編」「私鉄気動車30年」(寺田裕一/JTBキャンブックス)
「日本レールバス大全」(斎藤幹男・岡本憲之/芸文社)
「歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄15」(朝日新聞出版) 等
を参考にさせて頂きました。
「私鉄名車列伝」、次回からは西日本に戻ります。まず名鉄6000系で、次回は正面貫通型の初期型について書く予定です。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
台風被害でJR湖西線や南海線も大変な事になってしまったが、それより今日、JR宇都宮線の障害で東海道線も混乱したのはまいった。片方で輸送障害が起きるとすぐに東京・上野折返しになって、「上野東京ライン」区間が運休になるようでは、何のための直通運転なのかと思う。特に今日の場合、東京~大宮間まで宇都宮線列車が減便になると大幅な輸送力ダウンになるし、運行間隔が空くので待っている人にも大迷惑。この場合、大宮までは直通運行ができるような形態にはできないのか。私鉄・地下鉄の相直と違って、同じ会社なのだから。
《今日のニュースから》
22日 サウジアラビア・イラク首脳 米仲介で会談 イラク復興協力で一致
23日 FIFA男子最優秀選手 クリスチャーノ・ロナウド 最多タイ5回目の受賞
24日 東芝 半導体子会社売却 臨時株主総会で承認
衆議院総選挙の結果は、今更記す事はないでしょう。安倍政権は改憲に向けた動きを加速させる事になるのでしょう。私は護憲派の端くれである事は今後も変わらないが、かといって改憲反対運動とかに加わるつもりもありません。事態を冷静に見るだけです。ともかく慎重に、穏健にやって欲しい。「森友・加計」など様々な政治疑惑は、結局は国内のみの問題なのでまだかわす事も辛うじてできた。しかし過去にあったような、海外、特に韓国や中国あたりを刺激するような軽率な発言や行動を起こせば、日本の国益を大きく損い、今度こそ政権の維持は不可能になりますよ。安部首相にはくれぐれも心して頂きたい。
野党に関しては、いやしくも野党第一党の民進党が希望の党に「丸投げ」しようとして(そう言われても仕方ないでしょう?)、分裂を招いた事が全て。「置いてけぼり」にされた格好の立憲民主党が野党第一党に躍り出た事を見ても、明らかな失敗でした。野党側は解散を「政治疑惑をごまかすものだと」と批判したが、だとしたら話は逆で、野党の方こそこれを武器に解散総選挙を迫るのが、本来の流れではないですか?思えば9月1日、民進党の新代表に前原氏が選出された時点では、(少なくとも表向きは)解散総選挙なんて話はどこからも聞こえてこなかった。その後「離党ドミノ」が起きたあたりで、解散という方向に突然話が傾きました。民進党は、安倍政権から足下を見られていたのではないでしょうか。
そもそも、以前の民進(旧民主)・共産・自由・社民の野党協力からして、各党の長年の主義・主張や行動、経緯から見れば、あまりにも「ご都合主義」の印象がぬぐえなかった(党首クラスがはしゃいでいただけ)。「協力しなければ巨大与党に勝てない」というけれど、党派の本質的な違いを埋める作業を何もしないまま政権交代を実現させても、ちゃんとやれるの?というのが正直な印象。「『アベ政治』さえ倒せば、後は何とかなるよ」と考えるのは大甘で無責任。第一、(与野党共だが)議院内閣制の政治体制において、最初から政党間協力ありきなのは、本当はおかしいのではないか?今年のイギリスや、今やっているドイツのように、先に選挙をやって、その結果を見てどのような政権を作るのか考えるのが、本来の順序ではないでしょうか(特に左右にかなりの差がある野党側はなおさら)。
また、戦後2番目の低投票率にも関わらず野党が延びなかったのも、少々ショックではないか。一昔前までは「天候が悪化すると、労組などの組織票がある野党有利」と言われていたのだから。憲法改正の是非が争点になりながら、「何が何でも改憲を阻止するんだ」という意思が、投票行動全体に表れなかったと言えます。労組側も、連合の「労働基準法等改正法案」への態度を巡り、民進党との間にすきま風も吹いた事もあり、強固な関係が崩れつつあるのかも知れません。
野党は自らの主張には「国民の意思」という表現を好むけれど、本当にそうなのか?他を一方的に攻撃し(それは野党である以上当たり前でもあるが)、自らを美化するのは得意だが、「我らの主義主張は、本当に世論を代表しているのか?」と、一度自らを総点検するべき時ではないのか?流されろ、主義主張を変えろと言うのでは決してないが、ならどうしたら世論を自らの思想に共感させる事ができるのか、真剣に考えるべきです。人をどうこう言う前に、自らの足下を見なければなりません。
ともあれ、少数野党が左右両極に分断されている事が公になった事で、今後の国会運営は与党有利で進むでしょう。現状では与党側によほどの大スキャンダルでも起こらない限り、野党側が実力で政治をひっくり返す事はできない状況に置かれている事が明白になった、というのが、私の今回の総選挙の総括です。いずれにしろ、海外で起きている様々な非常事態を見れば、日本の政治が、あまりにも「ゲーム」化してしまったように思えてなりません。上も下も、右も左も、温いよなあ。
セ・リーグのクライマックスシリーズは横浜DeNAベイスターズが勝ち抜き、福岡ソフトバンクホークスと対戦する事になりました。ベイスターズの日本シリーズ進出は19年振りで、セ・リーグ3位チームの進出は初。
№1743 私鉄名車列伝 137.江ノ島電鉄2000形
「私鉄名車列伝」、今回は江ノ島電鉄(江ノ電)の2000形です。1000形の後継車として、平成初の新造車両として製作されました。旧通産省グッドデザイン賞、藤沢市都市景観賞を受賞。
基本的な性能は江ノ電初のカルダン駆動車として製造された1000形4次車(1500形)に順じ、主電動機や制御器も共通。大きく変わったのは車体で、観光と通学の利用を考慮し、大幅にモデルチェンジしている。。海岸線走行を考慮して骨組や屋根板などにステンレスを多用した車体は、江ノ電における限界一杯の3,500㎜に拡大され、側窓高さも100㎜高くして、車内からの眺望を良くした。前面は上部を傾斜させて大型の1枚ガラスとなり、行先表示装置は窓下に配置した。ローマ字も併記し、藤沢行・鎌倉行では季節感のある絵入りとして、時期毎に異なる絵柄を表示させている。車内の天井高さも高校生の利用を考慮して限界一杯の2,200㎜となり、側扉も200㎜拡幅した。台車は1500形のものを基礎に、左右動ダンパーを取り付けて乗り心地の向上を図っている。屋根上のクーラーの本体もステンレス製で、江ノ電では唯一、下枠交差型のパンタグラフを搭載している。
車内は乗務員室寄りには前向きのシートを設置、運転士感覚を楽しめる展望席とした。連接部寄りには2-1配置のボックスシート、ドア間にはロングシートを配置している。袖仕切りに難燃木材の肘掛けを設け、側扉内側にも化粧板を貼って、柔らかいイメージを演出した。ドア上にはマップ式で沿線のイラストを描いた路駅表示器を設置している。
第1編成は1990(H2)年4月に営業運転を開始、以降第2編成が1991(H3)年、第3編成が1992(H4)年に導入され、非冷房の600形、300形を置き換えていった。第3編成では連接部クロスシートが1-1配置となって貫通路幅を確保した他、当初より密着連結器を装着、スカートを省略した。密着連結器はその後他編成にも及び、一時はスカートが省略されたが、後に復活している。全車輌東急車輌製。全面ラッピング広告で運用、特に大手飲食品メーカーの菓子の広告をまとう事が多かった。
(一番上の画像の後部編成がそうで、チョコレートのラッピング広告車でした)
製造から四半世紀が経過した2017(H29)年、第1編成の更新工事が実施された。車内では連接部のクロスシートがロングシート化された。また鎌倉方の展望席1席が車イススペースとなり、非常用ハシゴが設置された他、ドア横にはフリースペースが設けられている。座席の地は江ノ電のマスコットキャラ「えのんくん」をあしらった青地の柄ものとなり、スタンションポールも設けられている。ドア上には17.5インチのLCDを2面設置した。車内照明のLED化も行なわれている。
外観ではカラーが1000形更新車同様の緑+窓廻りクリームのツートンカラーとなり、正面の行先表示装置はフルカラーLEDタイプを上部に設置した。1000形更新車同様、イラストを表示できる。パンタグラフはシングルアーム化された。今後更新工事が他編成にいつ及ぶ事になるかが注目される。まもなく製造から30年が経とうとするが、しばらくは1000形などと共に主力車輌としての活躍が期待される。
他には見られない2000形の特徴の一つに、イラスト入り行先表示があります。藤沢行・鎌倉行では、季節によって異なるイラストを描いていました。
ここで全種類ご覧頂きます(雨の日の撮影で、イラストがはっきり見えない画像もあります。ゴメンナサイ)。同じ時期でも藤沢行と鎌倉行で異なる季節もあります。行先のフォントにも、イラストに合わせた変化がみられます。表示時期はあくまで推測。
「あけまして」(年末~新年)
「雪」(1月)
「すいせん」(2月)
「ひなまつり」(3月)
「さくら」(3~4月)
「ふじ」(4~5月 藤沢行)
「あやめ」(4~5月 鎌倉行)
「あじさい」(6月)
「ヨット」(7~8月)
「コスモス」(9月 藤沢行) 今日はこれでした。
「りんどう」(9月 鎌倉行)
「いちょう」(10~11月)
「クリスマス」(12月)
更新車輌(2001F)は、行先表示がフルカラーLEDになり、イラストも表示されるようになりました。8月に撮影した藤沢行で、ひまわり。
もう一種類、あさがお。ひまわりと交互に現れます。
今日撮ってきた鎌倉行。反射で見づらくなっているのはご勘弁。お月見で、ウサギも描かれています。
もう一種類、りんどう。お月見と交互に現れます。藤沢行はコスモス?
今日乗ってみたところ、2003Fは「カール」の広告ラッピングのまま運用されていました。2002Fは運用されておらず、極楽寺の車庫にも見えませんでした。ひょっとしたら更新に入ったのか?
最近の江ノ電の車輌デザインのテーマとして、「『古都鎌倉の奥ゆかしさ』を取るのか、『湘南海岸の明るさ』を取るのか」という事があったのではないか?と考えています。両極に位置すると言えるため難しい部分もあるが、1979(S54)年デビューの1000形はグリーン系のツートンになり、2000形も塗り分け方は異なるものの1000形をほぼ踏襲しています。これは、両者の折衷だったかも知れません。1500形はオレンジと赤の帯を巻いて、はっきり湘南海岸を意識したデザインだったのではなかったか。「サンライン」の愛称まで付いたのだし。しかし20形から始まり、500形、1000形更新車、そして2000形更新車がまとう、(旧)500形までのツートンカラーを彷彿させる現行のカラーは、明らかに鎌倉のイメージと感じます。バスがオレンジ系なので、バランスを取ったのかも知れません。「鎌倉か、湘南か」の選択は、今後も江ノ電のイメージ作りにおいて、重要なテーマとなるのでしょう。
今回の記事は、
「鉄道ピクトリアル1991年10月臨時増刊号 新車年鑑1991年版」「同1996年4月臨時増刊号 関東地方のローカル私鉄」(鉄道図書刊行会)
「日本の路面電車Ⅰ 現役路線編」「ローカル私鉄車両20年」(共にJTBキャンブックス)
「江ノ電沿線ブック101 江ノ電 車輌ガイド」(江ノ電沿線新聞社) などを参考にさせて頂きました。
次回はいすみ鉄道いすみ200形を予定しています。まもなくJR木原線から転換されて30年、その転換時に導入されたレールバス(当時はいすみ100形)で、現在は1両が予備車として残っています。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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《今日のニュースから》
22日 電通違法残業裁判 社長に罰金50万円求刑
23日 北方領土墓参 訪問団チャーター機出発
北方領土の墓参はこれまで船便が利用されていたが、高齢化する訪問団の負担軽減のため、今回初めて、根室中標津空港発着の航空チャーター便になったという事です。本来は6月の予定でした。オーロラ航空のDHC-8-Q400が使われたようで、6時過ぎに出発したが、今日のうちに帰ってくるそうだから、結構強行軍だと思う。
基本的な性能は江ノ電初のカルダン駆動車として製造された1000形4次車(1500形)に順じ、主電動機や制御器も共通。大きく変わったのは車体で、観光と通学の利用を考慮し、大幅にモデルチェンジしている。。海岸線走行を考慮して骨組や屋根板などにステンレスを多用した車体は、江ノ電における限界一杯の3,500㎜に拡大され、側窓高さも100㎜高くして、車内からの眺望を良くした。前面は上部を傾斜させて大型の1枚ガラスとなり、行先表示装置は窓下に配置した。ローマ字も併記し、藤沢行・鎌倉行では季節感のある絵入りとして、時期毎に異なる絵柄を表示させている。車内の天井高さも高校生の利用を考慮して限界一杯の2,200㎜となり、側扉も200㎜拡幅した。台車は1500形のものを基礎に、左右動ダンパーを取り付けて乗り心地の向上を図っている。屋根上のクーラーの本体もステンレス製で、江ノ電では唯一、下枠交差型のパンタグラフを搭載している。
車内は乗務員室寄りには前向きのシートを設置、運転士感覚を楽しめる展望席とした。連接部寄りには2-1配置のボックスシート、ドア間にはロングシートを配置している。袖仕切りに難燃木材の肘掛けを設け、側扉内側にも化粧板を貼って、柔らかいイメージを演出した。ドア上にはマップ式で沿線のイラストを描いた路駅表示器を設置している。
第1編成は1990(H2)年4月に営業運転を開始、以降第2編成が1991(H3)年、第3編成が1992(H4)年に導入され、非冷房の600形、300形を置き換えていった。第3編成では連接部クロスシートが1-1配置となって貫通路幅を確保した他、当初より密着連結器を装着、スカートを省略した。密着連結器はその後他編成にも及び、一時はスカートが省略されたが、後に復活している。全車輌東急車輌製。全面ラッピング広告で運用、特に大手飲食品メーカーの菓子の広告をまとう事が多かった。
(一番上の画像の後部編成がそうで、チョコレートのラッピング広告車でした)
製造から四半世紀が経過した2017(H29)年、第1編成の更新工事が実施された。車内では連接部のクロスシートがロングシート化された。また鎌倉方の展望席1席が車イススペースとなり、非常用ハシゴが設置された他、ドア横にはフリースペースが設けられている。座席の地は江ノ電のマスコットキャラ「えのんくん」をあしらった青地の柄ものとなり、スタンションポールも設けられている。ドア上には17.5インチのLCDを2面設置した。車内照明のLED化も行なわれている。
外観ではカラーが1000形更新車同様の緑+窓廻りクリームのツートンカラーとなり、正面の行先表示装置はフルカラーLEDタイプを上部に設置した。1000形更新車同様、イラストを表示できる。パンタグラフはシングルアーム化された。今後更新工事が他編成にいつ及ぶ事になるかが注目される。まもなく製造から30年が経とうとするが、しばらくは1000形などと共に主力車輌としての活躍が期待される。
他には見られない2000形の特徴の一つに、イラスト入り行先表示があります。藤沢行・鎌倉行では、季節によって異なるイラストを描いていました。
ここで全種類ご覧頂きます(雨の日の撮影で、イラストがはっきり見えない画像もあります。ゴメンナサイ)。同じ時期でも藤沢行と鎌倉行で異なる季節もあります。行先のフォントにも、イラストに合わせた変化がみられます。表示時期はあくまで推測。
「あけまして」(年末~新年)
「雪」(1月)
「すいせん」(2月)
「ひなまつり」(3月)
「さくら」(3~4月)
「ふじ」(4~5月 藤沢行)
「あやめ」(4~5月 鎌倉行)
「あじさい」(6月)
「ヨット」(7~8月)
「コスモス」(9月 藤沢行) 今日はこれでした。
「りんどう」(9月 鎌倉行)
「いちょう」(10~11月)
「クリスマス」(12月)
更新車輌(2001F)は、行先表示がフルカラーLEDになり、イラストも表示されるようになりました。8月に撮影した藤沢行で、ひまわり。
もう一種類、あさがお。ひまわりと交互に現れます。
今日撮ってきた鎌倉行。反射で見づらくなっているのはご勘弁。お月見で、ウサギも描かれています。
もう一種類、りんどう。お月見と交互に現れます。藤沢行はコスモス?
今日乗ってみたところ、2003Fは「カール」の広告ラッピングのまま運用されていました。2002Fは運用されておらず、極楽寺の車庫にも見えませんでした。ひょっとしたら更新に入ったのか?
最近の江ノ電の車輌デザインのテーマとして、「『古都鎌倉の奥ゆかしさ』を取るのか、『湘南海岸の明るさ』を取るのか」という事があったのではないか?と考えています。両極に位置すると言えるため難しい部分もあるが、1979(S54)年デビューの1000形はグリーン系のツートンになり、2000形も塗り分け方は異なるものの1000形をほぼ踏襲しています。これは、両者の折衷だったかも知れません。1500形はオレンジと赤の帯を巻いて、はっきり湘南海岸を意識したデザインだったのではなかったか。「サンライン」の愛称まで付いたのだし。しかし20形から始まり、500形、1000形更新車、そして2000形更新車がまとう、(旧)500形までのツートンカラーを彷彿させる現行のカラーは、明らかに鎌倉のイメージと感じます。バスがオレンジ系なので、バランスを取ったのかも知れません。「鎌倉か、湘南か」の選択は、今後も江ノ電のイメージ作りにおいて、重要なテーマとなるのでしょう。
今回の記事は、
「鉄道ピクトリアル1991年10月臨時増刊号 新車年鑑1991年版」「同1996年4月臨時増刊号 関東地方のローカル私鉄」(鉄道図書刊行会)
「日本の路面電車Ⅰ 現役路線編」「ローカル私鉄車両20年」(共にJTBキャンブックス)
「江ノ電沿線ブック101 江ノ電 車輌ガイド」(江ノ電沿線新聞社) などを参考にさせて頂きました。
次回はいすみ鉄道いすみ200形を予定しています。まもなくJR木原線から転換されて30年、その転換時に導入されたレールバス(当時はいすみ100形)で、現在は1両が予備車として残っています。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
《今日のニュースから》
22日 電通違法残業裁判 社長に罰金50万円求刑
23日 北方領土墓参 訪問団チャーター機出発
北方領土の墓参はこれまで船便が利用されていたが、高齢化する訪問団の負担軽減のため、今回初めて、根室中標津空港発着の航空チャーター便になったという事です。本来は6月の予定でした。オーロラ航空のDHC-8-Q400が使われたようで、6時過ぎに出発したが、今日のうちに帰ってくるそうだから、結構強行軍だと思う。