№2811 私鉄名車列伝 156.小田急電鉄 8000形

「私鉄名車列伝」、今回は小田急電鉄の通勤車8000形です。そろそろ本格的な淘汰が始まる頃ではないか、と思っていたところ、デビューからちょうど40年となる昨年・2023(R5)年、思わぬ発表がありました。

小田急電鉄8000形百貨店40周年.jpg
 8000形は、5000形の後継の地上線専通勤車両として、1982(S57)年にデビューした。現在に至るまで、小田急線全線で活躍が見られる。

車体:ベージュ+ブルー帯の鋼製で、小田急の通勤車では最後の鋼製車体となった。正面の形態は、9000形を除いて長らく続いてきた小田急スタイルから一新、行先表示を貫通扉上部に配置し、黒縁の大型窓で上部全体を覆い、角型の前照灯・尾灯を一体のケースに収めて窓下に配置する、近代的なデザインになった。側窓は9000形から続く一段下降窓だが、車体内部に雨水が入らない完全防水型に改良され、外部から見るとアルミ材で縁取りされているように見えるのが特徴。冷房装置は集約分散型となった。
機器:9000形以来の界磁チョッパ制御を採用。ブレーキ方式は回生ブレーキ併用の電磁直通式、主電動機は140kwで、通勤用他系列との併結が可能だった。台車は5000形以降の実績がある、アルストム式の空気ばね台車を履いている。

小田急電鉄8000形車内.jpg
車内:一般的なロングシートで、ライトグリーンの化粧板+ダークブルーのモケット+グリーンの床の組み合わせが引き継がれたが、化粧板は模様入りとなった。この内装は1987(S62)年度増備車より、ホワイトベージュの化粧板+ワインレッドのモケット+グレーの床の組み合わせに変更された。天井は平天井で、冷風の吹き出しはラインフロー式となり、扇風機に変えてラインデリアが設置された。


 4・6両編成各16本、合計160両が東急車輛・川崎重工・日本車輛で製造され、小田急全線区の通勤列車で使用された。4・6連それぞれの単独運用の他、8000形同士、または他系列と併結した10両編成の運用も数多く見られた。6連は箱根登山鉄道(小田原~箱根湯本間)への直通の実績もある。

 デビューから20年となる2003(H15)年より、車体修理が開始された。車内は暖色系となり、座席はワインレッドのバケットシートタイプとなった。7人掛け座席の中央部には握り棒が追加されている。乗務員室前は車イススペースとなり、3人掛けの折り畳み式シートが設けられている。また、ドア上にはLED表示装置を設置した。窓部はUVガラスとして、カーテンを撤去している。外観では、行先・種別表示がLEDとなった。初期の更新車は3色だったが、後にフルカラー式とした車両も出場している。
 加えて2004(H16)年の更新車両より、走行機器も抜本的な更新が行われている。全体的に3000形に準じた内容となり、制御装置はVVVF式となり、主電動機は190kwとなった。6連では、中間車1両(M3)が付随車となり、パンタグラフが撤去された。補助電源装置はSIV、ブレーキは電気指令式となり、6連にのみブレーキ読み替え装置が搭載されている。運転台は左手操作方式のワンハンドルタイプに変更された。この他、他形式同様、界磁チョッパ制御車両も含めて、パンタグラフが一斉にシングルアームに交換されている。


小田急8000形.jpg
 車体修理は2014(H26)年までに全編成で完了、VVVF制御改造編成は、8000形同士での10連を組む事が多い(この場合は、6連と4連で下二けたをそろえるのが普通)。また6連は単独で、ブレーキの読み替え装置を持たない4連は、3000形と連結して10連を組む事も多くなっている。一方、界磁チョッパ制御式のままだった6連3本は2020(R2)年に廃車となり、8000形(と同時に小田急在籍車両)は全て、VVVF制御に統一された。
 2023(R5)年になって、西武鉄道が8000形を「サステナ車両」として導入すると発表、2024(R6)年には最初の1編成(8261F)が西武に譲渡され、改造を待つ。西武では、国分寺線での運用が想定されている。


【編成】(新製当時)
←新宿方     小田原・藤沢・唐木田方→
Tc1 8050 - M1 8000- M2 8000*- M3 8000*- M4 8000*- Tc2 8050
Tc1 8050 - M1 8000*- M2 8000*- Tc2 8050
(VVVF改造車の6連はM3 → Tとなりパンタグラフ撤去)

 8000形は過去に何度かスペシャルカラーをまとった事があり、一番上の8553Fは2002(H14)年に小田急百貨店開店40周年を記念したスペシャルカラー編成として、側面には紺色とピンクの輪を描いて走っていました。それ以前のデビュー直後には、「イベントカー」「オーキッド号」が運行された実績もあります。
 車齢40年超の、それも鋼製車体の形式が、大手私鉄間(それも小田急→西武という、過去には箱根を巡り熾烈な争いを演じた両者)で移動するというのは、やっぱオドロキ、ではありますよねえ。既に他者様のサイトでは、西武における姿が様々予想されているが、少なくとも小田急そのまんまのアイボリー+青帯はないと思うが、やはり黄色一色(ドア銀色)?今年中には走り出すようだが、どんな姿で再び姿を現すのか、見ものです。

今回の記事は
「私鉄車両年鑑2024」(イカロス出版)
「鉄道ファン1983年3月号」(交友社)
「小田急電鉄の世界」「新しい小田急電鉄の世界」(交通新聞社)
「鉄道ピクトリアル1991年7月号 増刊」「同1999年12月号 増刊」「同2020年8月号 増刊」「鉄道車両年鑑 2024」(鉄道図書刊行会)等
を参考にさせて頂きました。


 次回は同じく、「サステナ車両」として西武への譲渡が決まった、東急9000系を予定しています。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けません。何かありましたら、引き続き本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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《What's New》
 7日 「つばさの党」代表ら3人再逮捕 他陣営の演説妨害容疑
 8日  石川県能登町のプラネタリウム「満点星」 5か月ぶり営業再開
 アニメスタジオのガイナックスが、経営破綻してしまいました。ガイナックスと言えばやはり「エヴァンゲリオン」で、舞台の一つが箱根なので小田急もグループで様々関わり、バスではラッピング車も走っていました。ガイナックスはこの十数年は、経営陣の不祥事など、体制そのものがかなり混乱していたようです。著作権は既に債権者のカラー社が保有しているので、エヴァそのものの今後への影響はないだろう、と思うが、日本のポップカルチャーのトップランナーを支えてきたガイナックスの破綻は、今後のアニメ界全体には、どのような影響をもたらすのか。

№2745 私鉄名車列伝 155.京王電鉄5000系(二代目)

 前回の西武2000系からだいぶ間が空いたが、今回の私鉄の名車は京王電鉄5000系、同社初の有料座席指定制列車〔京王ライナー〕〔Mt.TAKAO〕で活躍する二代目です。〔京王ライナー〕の運行開始で、東京都内に路線を持つ大手私鉄は全て、何らかの形で有料の列車が走る事になりました。

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 着席帰宅のニーズが高まる中、京王電鉄でも同社初となる、有料の座席指定列車の運行が計画された。5000系(二代目)は、一般の通勤列車としても使用できる、クロス/ロングシート転換機構を備えた「デュアルシート」を採用した系列として、2017(H29)年にデビューを果たした。

車体:総合車両製作所が開発した「Sustina」の全ステンレス製で、レーザー溶接を多用し、凹凸がほとんどない車体となった。連結面に衝突柱を設け、オフセット衝突時の安全性も考慮した構造になっている。先頭部はFRP製で、これまでの京王スタイルから一変、スピード感のある流線型になっている。非常用の前面貫通扉は、京王では初めて左側にオフセットさせて設置。側面には京王のコーポレートカラーの赤と紺色の帯をあしらっている。正面・側面の行先・種別表示は、初のフルカラーLEDを新規採用した。
機器:素子にハイブリッドSiCを使用したVVVF制御で、全閉式のモーターの出力は150kw。補助電源装置はSIV。これらの機器を統括するモニタ装置「K-TIMS」が初採用になった。軸ハリ式ボルスタレス台車は、将来の高速化に備えて、軸ダンパを追加設置できる構造になっている。この他車上蓄電設備が設けられ、停電時にバッテリーで電動車を起動させ、必要な時(特に橋梁上で停止を余儀なくされた場合)には、最寄り駅まで自走できるようになっている。
運転席:ワンハンドルマスコンを採用、3画面のモニターを搭載している。


京王電鉄5000系車内クロスシート.jpg京王電鉄5000系車内サイドシート.jpg
車内:クロス⇔ロングシートの変換が可能なデュアルシートが採用された。扉間に3脚・6席分が配置される。クロスシート仕様時に使用できるコンセントが全席に配置さた。車端部は固定式ロングシート。Wi-Fiやナノイー空気清浄機は、新製当初から設けられている。インテリアは自然豊かな高尾・繊維の町八王子を意識したブラウン系で、座席には多摩織の模様が入り、床面は木目調となっている。窓部はUVガラスを採用しつつ、従来のプリーツカーテンも採用されている。LCD式車内案内表示は、ドア上部各2画面に加えて天井部にも配置し、クロスシート形態時にも乗客が見やすいよう配慮された。また各車両に車イス・ベビーカーのスペースが設置されている。ドアは、京王では初の電動式となり、長時間停車時の3か所締め切りの他、〔京王ライナー〕使用時の、一部の扉だけ選択して開扉させる機能もある。

 5000系はまず10連5編成が新造され、2017(H29)年9月29日より、ロングシート形態のままで一般の列車の運用で営業デビューを果たした。
 翌2018(R30)年2月22日改正時より、〔京王ライナー〕の運行が始まっている。当初は新宿発20時台以降の京王八王子行・橋本行が各々1時間間隔で各5本の運行だったが、好評のため増発・運転時間帯拡大が重ねられ、2023(R5)年3月18日改正では、平日は京王八王子行7本・橋本行11本にまで成長した。また、2019(H31)年2月には新宿行の上りも設定され、その後のコロナ禍における「密」を避ける需要もあり、京王八王子発6本・橋本発5本(土休日は各3本)が運行されている。さらに、2018(R30)11月に上り臨時列車の形でスタートした〔Mt.TAKAO〕号(新宿⇔高尾山口)は、2022(R4)年3月改正で定期列車(土休日ダイヤのみ運転)となり、下り3本・上り4本(1本冬季運休)が設定されている。
 この増発の過程で、5000系は2編成が増備された。2019(R元)年度増備の5706Fは、クロスシート形態時に使用できるカップホルダーが、新たに設置された(後に他の編成にも設置)。また、2022(R4)年度増備の5707Fは、全国の「デュアルシート」車両としては初めて、クロスシート形態時にはシートのリクライニングが可能になっている。
 京王電鉄では2022(R4)年に策定した中期3か年経営計画の中で、「ライナー列車の終日の運行の検討」を謳っており、5000系は今後の増備も予想される。


【編成】
←新宿方     京王八王子・高尾山口・橋本方→
 Tc1 5700 - M1 5000* - M2 5050* - T1 5500 - M1 5000* - M2 5050 - T2 5550 - M1 5000* - M2 5050* - Tc2 5750
(* パンタグラフ)

 この5000系など、昨今の関東大手では「クロスシート」⇔「ロングシート」の変換ができる「デュアルシート」が普及しつつあります。本格的には近鉄の「L/Cカー」が始まりだが、関西は後が続いていません。ところで、この「デュアルシート」において「ロングシート」というのは、個人的にはやや違和感があります。昔のような6~7人掛けが一体になって、全体の取り外しができるようなタイプが本来の「ロングシート」で(ただし最近では、阪急1000系のように中に仕切りがついて分割されたタイプもあるが)、5000系のような場合は、「サイドシート」と呼ぶのが適切ではないのかな、と思っています。しかし、京王の公式のWEBサイトでも、参考文献でも、「ロングシート」という言葉を使っているので、ここではそれに従いました。

今回の記事は
「私鉄車両年鑑2022」(イカロス出版)
「鉄道ファン2017年11月号」(交友社) 等
を参考にさせて頂きました。


 さて、西武は2024(R6)年度から「サスティナ車両」と称して、小田急8000形・東急9000系を導入する事になりました。次回から2回に渡って、この両形式について書きたいと思います。まずは小田急8000形です。小田急では最後の鋼製車体の通勤車となりました。西武では国分寺線での運行が予定されているが、今年の内には転用が始まるのか。

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《What's New》
13日 ラグビー全国大学選手権 帝京大学 3大会連続12回目優勝
14日 鹿児島 諏訪之瀬島噴火 警戒レベル3
 ラグビーと言えば、昨日は社会人ラグビー「リーグワン」の試合を、三ツ沢まで観てきました。市営地下鉄で割引チケットの発売があったので、これを機にと行ったもので、ラグビーの試合を生で見るのは、初めての体験でした。大学ラグビー決勝は途中1時間の中断があったそうだが、三ツ沢も途中雨がぱらつき、終了後駅に戻る途中には雷鳴も聞こえたので、2~30分遅かったら、こちらも危なかったかも知れない。一気に寒くなったし、観戦は少々大変でした。
 台湾の総統選挙は、与党・民進党の候補が勝利しました。中国との関係は、政治的な部分のどうのこうのは政治家たちに任せるとして、個人的には、過去の経験からしても、中国メインランドより、台湾の方が、圧倒的に魅力を感じます。少なくとも、日本と同じ程度の自由があるので。偏見がある、と言われるのかも知れないが、中国メインランドはもう行きたくないなあ、というのがホンネです。
 一畑百貨店が、今日を持って閉店しました。島根県から百貨店が全てなくなるが、百貨店がない県はこれで3例目(山形県・徳島県)になるそうです。でも今は都会だって大変でしょ?そごう・西武は去年外資に売却されて、それを巡って池袋ではストライキまで起きているのだから。複合型ショッピングセンター(イオンモールとかららぽーととか)の台頭もあるし、「百貨店」という形態自体、特に地方では相当難しくなってきているのではないか。

№2648 私鉄名車列伝 154.西武鉄道2000系(1)

「私鉄名車列伝」、今回は西武鉄道2000系です。1977(S52)年、新宿線向けの通勤車として製造された、4ドア通勤車です。
 西武ではこの2000系デビュー後もしばらくは101系、後に3000系と3ドア車の製造が続いて3・4ドア車の併用が続いたが、2000系は結果的に、現代の西武通勤車の基礎になったと言えます。

西武鉄道2000系.jpg

車体:当時の西武は、他社に先駆けて10連の列車の運行が始まっていた事もあって、3ドア車でもラッシュ輸送に対応できていた。しかし当時の新宿線の各駅停車は6両編成が限界であり、乗降時間短縮を狙って4ドアとなったものである。戦後間もなく一時期使用された、国鉄の事故車割り当ての初代401系以来で、自社新造では初、またカルダン駆動でも初となった。また、初めてレモンイエローの単色を採用。1300㎜幅のドアを片側に4か所、その間にバランサー付きの2段サッシの窓を2つ並べるスタイルで、戸袋窓は省略された。正面は貫通扉が設けられたが、分割・併合運用は考慮されていない。上部には種別幕・行先表示幕の他、もう一つ運行番号の表示を想定した幕が用意されたが、実際には使用された事はない。
機器:界磁チョッパ制御・電気指令式ブレーキはいずれも、西武では初採用となった。主電動機の出力は101系(150kw)より低い130kw。ぺデストリアル台車を履いている。
運転席:運転席は一般的な2ハンドルマスコン、計器類はコンパクトにまとめられている。バケットシートが採用され、運転士の居住性が向上している。前面窓はパノラミックウインドウが採用された。
車内:車内はオーソドックスな通勤車のスタイル、座席の袖仕切りが握り棒、荷物棚と一体になった。座席は一人当たりの幅101系より35㎜広い435㎜となり居住性が向上した。モケットはレンガ色、化粧板も当初は茶系で、クラシックな印象を与える。天井にはラインデリアを装備している。貫通路は狭幅となった。

 当初は西武新宿~田無間の各駅停車専用と位置付けられ、6連のみが製造され続けたが、8連運転開始に伴い、6連2編成の中間車ユニットを他編成に転用して組み込み、8連4編成を組成した。残存の先頭車は新造車のMc車と組み、増結用の2連を製作している。長編成組成のため、先頭部は電気連結器に交換された。1983(S58)年まで4次に渡って、106両が製造されている。

 1988(S63)年に田無駅構内で発生した追突事故では、合計16両の廃車が発生し、5次車16両が代替車両として新造された。既に「2000N系」が製造過程にあったため、全体的な仕様は在来車両に基づいているものの、機器類は「2000N」に準じたものになった。外観的には、通風機がグローブ型から箱型になった事が大きな相違点である。2000系は5次にわたり、合計122両全車が西武所沢工場で製造された。

西武鉄道2000系車内.jpg
 1999(H11)年より、更新工事が継続して行われた。主な点として、先頭部にスカート取り付け、パンタグラフをシングルアーム式に交換、側面に行先表示装置を新設、座席をバケットシート化し、車内の化粧板を交換、先頭車に車いすスペース設置、などがあげられる。8連は後にパンタグラフの数が半分に削減(1ユニット2基→1基)された。さらに5次車の更新は101系ワンマン車に準じたものとなり、座席はブルー系となったほか、ドア上部にLED表示器を設置した。行先表示装置は後に3色LED、さらにフルカラーLEDに交換された車両も存在する。
 新製から現在に至るまで、一時的な貸し出しや野球輸送による乗り入れ以外は、一貫して新宿線系統で運用され続けたが、2015(H27)年より本格的な老朽取り替えが始まった。2022(R4)年4月1日現在では38両にまで減少しており、後に8連は消滅している。


【編成】
←西武新宿方     本川越・拝島方→
 Tc1 2001 - *M1 2101* - M2 2101 - *M3 2101* - M4 2101 - Tc2 2001
 *Mc 2401* - Tc2 2401
 Tc1 2001 - *M1 2101 - M2 2101 - *M3 2101 - M4 2101 - *M5 2101 - M6 2101 - Tc2 2001

(* パンタグラフ(8連は削減後))

 2000系がデビューした1977(S52)年、20m級通勤車を導入していた他事業者は既に、4ドアを基本としていました。国鉄は101・103系がとっくに主力の座についていたし(横浜線や南武線などでは73系がまだ残っていた)、私鉄でも東武は8000系、小田急は2600系に始まって5000系、東急も8000系が主役になりつつありました。京王や相鉄も、車両の大型化と同時に4ドア車を導入していた。関西でも近鉄や南海は4ドア車が中心になっていた。だから西武の4ドア導入は確かに、相当遅い方だったとは言えます。しかも1983(S58)~1987(S62)年の4年間は、4ドア車の導入が一時中断します。平成の世になるのと前後して、一部の鉄道事業者では混雑緩和対策として、5ドア・6ドアと言った多扉車を使用する事になるが、西武において、導入当時の2000系は似たような性格の位置づけ、だったのかも知れません。

今回の記事は
「鉄道ピクトリアル1992年5月臨時増刊号 【特集】西武鉄道」「同2002年4月臨時増刊号 【特集】西武鉄道」「同2013年12月臨時増刊号 【特集】西武鉄道」(鉄道図書刊行会)
「DJ鉄道ダイヤ情報2011年2月号」「同2019年6月号」「西武鉄道の世界」「新しい西武鉄道の世界」(交通新聞社)
「私鉄車両年鑑2022」(イカロス出版)等
を参考にさせて頂きました。


 次回は京王電鉄、「京王ライナー」「Mt.TAKAO」で活躍する、5000系(2代目)の予定です。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けません。何かありましたら、引き続き本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


《What's New》
24日 米フロリダ州デサンティス知事 岸田首相と会談
25日 米バイデン大統領 来秋大統領選挙 立候補表明

 今日は福知山線の事故から18年でした。毎年同じ事しか書けないが、私の立場としては、亡くなられた方々の冥福をお祈りする、それだけです。鉄道先進国のはずの日本で二度と、一度に100人も犠牲になるような事故など、起こらぬよう。

№2550 私鉄名車列伝 153.東武鉄道9000型

「私鉄名車列伝」、今回は東武鉄道9000系(9000型)です。ちょっと脱線するが、東武における車両形式(シリーズとして)の呼称方法が、いつの間にか「系」と「型」の併用になっていますよね。ちょっと戸惑っているのだが。100系「スペーシア」や30000系は、「系」の中のバリエーションはないから「系」のままだが、10000系は、後にマイナーチェンジした10030番台・10080番台があるからか、全て「10000型」「10030型」「10080型」と、「型」を使って呼び分けるようになっています。今回の9000系も、(今回は含めていないが)VVVF制御の9050番台があるので、「9000型」「9050型」と分けて呼称するようになっています。

東武鉄道9000系.jpg
 東武鉄道9000系(9000型)は、当時建設中の営団地下鉄(現東京メトロ)との相互直通運転用を想定し、1981(S56)年にデビューした、東武では18年ぶりとなる通勤型の新形式車両である。まず、試作的な1編成が製造された。東武では初の、新造時からの10両固定編成でもある。アルナ工機・富士重工・東急車輛が製造を分担した。

 車体は東武初の全ステンレス製で、側面はコルゲート仕上げ、吹き寄せ部と妻部は梨地仕上げとしている。前頭部は非常口を右側に寄せて左右非対称となり、FRP製の縁取りで立体感を出した。即窓は一段下降式となり、コーナーに丸みを持たせ、正面・側面の窓下部にはマルーンの帯を巻いている。省エネと地下線内での温度上昇防止のため、制御方式をAFEチョッパ制御とした他、東武初の全電気式電磁直通ブレーキを採用している。ミンデン台車を掃いている。有楽町線で使用するATCの機能も備えたATS兼用の三重系一体型ATC/S装置を搭載、運転台には、機器の動作情報を乗務員に伝えるモニター装置と、有楽町線内で使用する車内信号を搭載した。

 車内は暖色系で、化粧板はクリーム色、座席は、当初は金茶系だった。冷房は10,500calの分散型クーラー4基を各車両に搭載する分散型である。

東武鉄道9000系車内.jpg
 9101Fは1981(S56)年12月28日に営業運転を開始。試運転・及び営業運転の実績を基に、1987(S62)年5月に量産車6編成(アルナ・富士重・東急)が製造された。座席の着席スペース拡幅に伴う扉位置の変更、クーラーカバーの一体化、側面の行先表示装置の位置の変更が主な相違点となった。また、座席はグリーン系となり、パンタグラフは編成内3器に削減、これは9101Fにも及んでいる。有楽町線との直通運転は、同年8月25日より開始された。

 1991(H3)年増備の9108F(アルナ)は、10030型と同様の軽量ステンレス車体となり、側面はコルゲートに変えてビード付きとなった。9000型としては最終増備となり、有楽町新線開業時の増備は、VVVF制御の9050型に移行した。

東武鉄道9000系更新車.jpg
 2006(H18)年より、副都心線全線開通に備えた全面リニューアル工事が、順次施された。車内は50070型に準じた仕様に一新し、車いすスペースも編成内2か所に新設した。扉上には車内表示器を新設、非常報知機は乗務員との通話が可能な非常通報装置としている。運転台は50070型同様のワンハンドルマスコンとなった。副都心線ではワンマン運転を行うため、モニター等の支援装置も設けられている。外観上では先頭部の下部にスカートを新設、前照灯はLCD化した。パンタグラフはシングルアーム式に交換されている。行先・種別の表示はフルカラーLEDとなった。副都心線は2008(H20)年6月14日、有楽町線新線を延長する形で全通し、東武編成も同日より渋谷まで直通運転を開始している。なお、9101Fは更新対象から外され、地上線専用で運用される事となった。

 2013(H25)年3月、副都心線と東急東横線・横浜高速鉄道みなとみらい線との相互直通運転が始まり、東上線からの直通も東横線・みなとみらい線まで延伸、神奈川県内にも姿を見せる事となった。2016(H28)年には、4社直通の最速列車「Fライナー」の運行を開始している。現在、9101Fを除く7編成70両が、9050型・50070型と共に、有楽町線及び副都心線~東横線・みなとみらい線直通運用に就いている。一方、車齢41年・未更新の9101Fは、動向が注目される時期となった。

【編成】
←池袋方     小川町方→
 Tc1 9100 - M1 9200* - M2 9300 - T1 9400 - M1 9500* - M3 9600 - T2 9700 - M1 9800* - M4 9900 - Tc2 9000
(* パンタグラフ(有楽町線直通運転開始時))

 上にも書いたように、2013(H25)年東急東横線にも直通運転するようになって鶴見川を渡るようになり、私は幼少の頃横浜市港北区に住んでいて(当ブログスタート時に書いているが)、だからたまに鶴見川を渡る東横線電車の姿も見たりしているが、当時は渋谷~桜木町間の短区間の「折り返し運転」だったし、5000系とか7000系とかが主力だった事もあって、それだけに(西武も含めて)信じがたい状況になったよなあと、今でもちょっと感じています。ちょうど東急直通開始10周年となる来年は東急新横浜線も開通、東武は新横浜直通を行うようだが(新横浜線は、鶴見川は地下で交差)、どんなダイヤになるのでしょうねえ。さすがに相鉄には入らないと見ているが、行先表示に「新横浜」と記されているのを見た時、どんな感慨を抱く事になるのか。一方、上で「動向が注目される」と記した9101Fは休車になっている模様で、年式からしても、引退になっておかしくないはず。全ての編成の、来年の動きが注目です。

 今回の記事は
「鉄道ピクトリアル1990年12月臨時増刊号 【特集】東武鉄道」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル1997年12月臨時増刊号 【特集】東武鉄道」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2008年1月臨時増刊号 【特集】東武鉄道」(鉄道図書刊行会)
「私鉄スーパートレインコレクション」「東武鉄道の世界」(交通新聞社)
「私鉄車両年鑑2022」(イカロス出版)等

を参考にさせて頂きました。
 次回のこのシリーズは、西武2000系、新宿線に導入された2段サッシの前期型について書く予定。東武9000型よりさらに古く、淘汰が進行しています。あと1~2年位だろうか。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けません。何かありましたら、引き続き本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


《What's New》
 2日 東京都品川区区長選挙開票 再選挙実施の見通し
 3日 ベンチャー企業ispace 月面着陸船の訓練を公開
 4日 「カロリーメイト」初の値上げ発表 来年2月1日出荷分から

 日本ではプロ野球のオリックス逆転Vや、村上 宗隆のHR新記録に沸いたが、ショッキングなのはインドネシアのサッカースタジアムの暴動で、どうしてたかがサッカーの試合で、125人も死ななければならないのか?国民性も多少はあるのかなと思うが、試合を見に行くのが命がけなんて、間違っている。日本のJリーグでは、決してこのような事が起こらないように。
 今朝は「Jアラート」で相当ゴタゴタしました。伊豆諸島が警戒区域になったのはどうして?と思ったが、誤りだったそう。それにしても、ウクライナ危機もそうだと思うが、相次ぐ北朝鮮のミサイル等の発射を見ても、日本の「温い平和運動」は、限界が露呈されていると思う。 

№2472 私鉄名車列伝 152.京成電鉄3100形

「私鉄名車列伝」、今回は京成電鉄3100形です。京成は、3700形以来7年ぶりになってしまいました。
 3100形は京成グループの新たな標準車両として、3000形以来の16年ぶりの新形として、2019(R元)年にデビューしました。1次車は成田スカイアクセス仕様とし、50番台が付与されています。

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「受け継ぐ伝統と 新たな価値の創造」をコンセプトに、実用本位としながらも、空港アクセス特急として、京成初のデザインや設備を備えている。
 ステンレス車体だが、先頭部は鋼製で、スピード感のあるデザインとなった。帯色は成田スカイアクセス線の案内用カラーで、アクセス特急の種別表示でも使用されるオレンジ色となり、戸袋部には飛行機の他、浅草雷門や東京スカイツリーなど、沿線の名所のイラストが添えられている。側面の行先・種別表示器はフルカラーLEDで大型化され、英語のほか、韓国語・中国語による案内も行う。6M2Tの8連組成で、素子にSiCを使用したVVVF制御装置を用い、140kwの全閉式誘導電動機を1C4Mで制御する。伝導空気圧縮機は、京成初のオイルフリースクロール式となった。最高速度120㎞。一般車では初の定速制御装置も備えている。


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 車内は標準的なロングシート仕様だが、座席は背もたれを高くした、ハイバック仕様となった。座席の地はオレンジ色(優先席は青色)をベースとし、桜と菜の花の柄をあしらっている。

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 特徴的なのは、大荷物になりがちな空港利用者に配慮し、ドア間の8人掛けの中央部2席分は折り畳み式となった事である。「上げ」状態時にはスーツケース3個分の置き場所となる。「上げ」状態と「下げ」状態の鎖錠は、乗務員室からの一括操作で選択する。
 中間車では、2020(R2)年4月より対応が義務となる、車いすやベビーカー等に対応するフリースペースを設けている(先頭車には従来と同等の車いすスペースを設置)。ドア上にはLCD表示器を2画面設置。また、京成の通勤車では初めて、防犯カメラを各車に3台設置した。さらに、プラズマクラスターイオン発生装置を搭載し、車内環境の向上を図っている。


 2019(H31~R元)年度は総合車両製作所・日本車輛で1編成ずつ新造され、2019(R元)年10月26日のダイヤ改正時より、営業運転に入った。その後2020(R2)・2021(R3)年度も50番台が2編成ずつ導入され、現在は6編成まで増加している。末尾奇数が日車、偶数が総合車両製である。3100形増備に伴い、これまで成田空港アクセス線で活躍していた3050形は、1編成のみ3100形と同じオレンジ帯となり、他5編成は3000形と同じ帯色となって、本線に転用となった。玉突きの形で、3400形・3600形の淘汰が進められている。3100形は成田空港~羽田空港間のアクセス特急~エアポート快特を中心に運用されている。なお、平日のみ京急線・京急久里浜への乗り入れ運用が設定されていて、先月26日の改正でも維持されている。

【編成】
←京成上野・押上方     成田空港方→
 M2cs 3100 - *M1s 3100* - Ts 3100 - M1' 3100* - M2 3100 - Tn 3100 - *M1n 3100* - M2cn 3100

 今書いたように、京成編成の京急久里浜乗り入れは先月の改正でも維持されたが、下りはこれまでは成田空港からのアクセス特急として直通していたものが、このアクセス特急が東京都の編成による西馬込行(1618T)となり、泉岳寺で始発の、京成編成の京急久里浜行(1810K)に接続する形態になりました。京成11K運用は、ひとつ前の上りアクセス特急として西馬込へ直通し、西馬込から泉岳寺まで区間運転で戻って、京急線運用に入ります。なので、基本的には3100形の運用になるはずです(3050形になる可能性もある)。

今回の記事は
「鉄道ファン2020年1月号」(交友社)
「私鉄車両年鑑2021」(イカロス出版)
「鉄道ピクトリアル2020年10月号」「同2021年10月号」(いずれも民営鉄道車両動向) 等を参考にさせて頂きました。

 次回は東武東上線9000系の予定です。9000系は地下鉄有楽町線直通用に造られた東武初のステンレスカーで、昨年デビュー40周年を迎えました。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


《今日のニュースから》 
13日 NFLトム・ブレイディ 引退撤回 現役復帰発表
14日 河井元法相選挙買収事件 広島県議ら34人を起訴
15日 サッカーJリーグ 新チェアマンに野々村 芳和氏就任

 ウクライナ危機の影に隠れた感があるコロナ禍だが、日本では感染者数が減少しつつあり、首都圏各都県の知事は、「まん延等重点措置」は、次の期限の21日を持って終わりにしたい意向のようです。もっとも、一部のバス事業者では感染者増によるドライバー不足から、臨時ダイヤでの運行を余儀なくされている所もあって(京浜急行バスは明日から当面の間、〔須1〕系統(横須賀駅~聖徳寺坂上~衣笠駅)を、平日も土休日ダイヤに変更)、まだまだ大変です。まずは感染者が一日も早く日常生活に復帰し、そしてバスの運行も通常に早く戻る事、ではないでしょうか。我々ももう少し辛抱して、ウィルスから我が身と自由な暮らしを守りましょう。

№2452 私鉄名車列伝 151.北九州高速鉄道1000系

 また間が空いてしまったが、「私鉄名車列伝シリーズ」も、12年でようやく6周目が終わる事になります。
 今回は、北九州高速鉄道(北九州モノレール)1000系です。

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 北九州高速鉄道(北九州モノレール)小倉線は1985(S60)年1月9日、小倉(現平和通)~企救丘間に開業した九州初、そして九州本島では現在でも唯一のモノレール・新交通システムである。開業当時から使用されているのが1000系(1000N系)である。

 本格的な都市型のモノレールとしては、東京モノレールに次ぐ2番目の跨座式を採用したが、車輪は軌道上と床面の間に収まり、車内の床面はフラットな構造になった。当初は電機子チョッパ制御を採用、モーターの出力は75kw。最高速度65㎞/h。車体はアルミ製で、クリームとブルーのツートンカラーに着色されている。ワンマン運転対応のためATOを装備しており、ワンハンドルマスコンが供えられているが通常は使用せず、ATO運転用のスイッチによって運転する。

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 車内はオーソドックスなロングシートだが、中央部には仕切り板が設けられている。連結部の貫通路は広く取られ、編成全体で一体感を持たせている。

 開業は1985(S60)年1月9日だが、1981(S56)年3月には、試作要素を持つ第1編成が入線し、試験運転などを行った。その後開業を目前に控えた量産車両が8編成導入され、全9編成が開業を間近に控えた1984(S59)年11月、正式に竣工を迎えた。

 起点の小倉駅は、開業時は国鉄(~JR九州)の駅から離れた場所に位置していたが、JR九州の新駅ビルオープンと共に路線を延伸、駅ビルの中に乗り入れ、利便性が飛躍的に向上した(旧小倉駅は平和通と改称)。この時、1編成を増備して全10編成となった。この編成は、補助電源装置がMG→SIVとなった。当初から車いすスペースを設けており、在来車両も順次設置工事を行った。

 2008(H20)年からは制御装置の更新を開始している。3レベルのIGBTインバータ方式による、1C2M×3群×2ユニット制御となった。運転台直下の台車はT台車となり、4連で実質3M1Tとなった。またATC機器を更新し、ATO機器を廃止した。更新された編成は、記号番号にNを追加、1000N系となった。2016(H28)年10月までに対象の8編成(開業直前に入線)の工事が終了、対象から外れた第1編成は運用を離脱して、車籍を失った。この間、北九州市出身の漫画家・松本零士氏の代表作「銀河鉄道999」など、いくつかのラッピングが施されている。

 現在は1000N系×8・1000系×1の9編成により運行が行われているが、特に1000N系は、更新はされているものの、日本のモノレール車両の最古参で、唯一の昭和生まれとなった。北九州モノレールは3年後の2025(R7)年に開業40周年を迎える事になり、車両の動向が注目される。

【編成】
←小倉方           企救丘方→
 Mc1 1100 - M2 1200 - M1 1300 - Mc1400

 北九州モノレールが開業した時期は、全国各地でもモノレールの建設計画があり、北九州も他に2路線の計画があったらしいが、日の目を見る事はありませんでした。建設費もかかるし、北九州市の人口は、モノレールが開業した時点では既に、1979(S54)年をピークとした減少傾向の真っただ中にありました。2005(H17)年には100万人を割っているし、西鉄北九州線は全線廃止になって久しく、筑豊電気鉄道も年を追うごとに減便が繰り返されているようでは、モノレールの新線を造る余裕は、もはや失われたでしょう。現状の1路線も、このコロナ禍を免れる事は出来ていないはずで、如何に利用者をつなぎとめる事が出来るか、コロナ禍次第だが、数年は試練だと思われます。そろそろ新車も欲しいが、同社の公式Webを閲覧しても、そのような話は今のところないようです。しばらくは現状維持、でしょうか。

 今回の記事は、

「鉄道ピクトリアル 1985年5月臨時増刊号 新車年鑑 1985年版」(鉄道図書刊行会)
「歴史で巡る 鉄道全路線 公営鉄道・私鉄30」(朝日新聞出版)
「私鉄車両編成表」(交通新聞社) 等

を参考にさせて頂きました。しかし、この手のモノレールや新交通システムなどは、意外に車両について書かれ、まとめられた資料が少なく、今回は少々苦労しました。


「私鉄名車列伝」、この数年は少々ペースが落ちているが、このコロナ禍でもあれば、自宅にこもる時間が長くなるので、その時間を少し余分に費やして、もう少したくさんの車両を紹介する記事を書ければと思っています。次回は7周目に入り、再び東日本の大手私鉄になります。まず、京成の(新)3100形を予定しています。

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 今日は京急・京成・東京都・北総で、2月26日(都営は、浅草線以外は3月12日)ダイヤ改正についてのリリースが出ました。これで、東京23区を走るJR・大手私鉄・地下鉄のダイヤ改正の概要が、全て出そろった事になります(京王は具体的にいつとはまだ発表していないが、都営新宿線と同時のはず)。今回は種別の変更が多いが、他社も含めて、やはり減退ムードは隠せません(北総は新鎌ヶ谷以東の増発を行うが)。私鉄・地下鉄については、来月まとめて書く予定です。

《今日のニュースから》 
23日 元ヤクルト・ソフトバンク バレンティン 日本球界引退発表 
24日 東京都 自宅療養者3万1963人 初の3万人超え
25日 IOCバッハ会長 北京入り


 前回の「私鉄名車列伝」は四日市あすなろう鉄道の260系で、去年の4月13日、№2325にアップしました。この時ラストで、「大阪府の感染者数が1,000人を突破して、正直驚き」と記したのだが、昨日は4,803人、今日は8,612人と、「凄まじい」激増ぶりです。東京都は12,813人。去年末は全国で3ケタだったのに、今更ながらウィルスの感染って、こんなに簡単に、爆発的に起きてしまうのか。凄まじすぎて感覚がマヒしそうだ。そういいながら、一部を除いて街中は(マスク姿を除いて)普通に動いているように一見見えるので、よりそう感じるのかも知れない。それにしても日本では、ワクチン接種や病床確保等に対する批判や不満はあっても、全体的には穏やかに推移しているように見えるが、欧米では各種規制やワクチン接種義務化に反対する大規模デモが起きて、ブリュッセルなどでは暴徒化しているとも聞く。やはりカネだけドバドバつぎ込めば解決する問題ではなく、長期間、ロックダウンなどの行動制限が断続的に繰り返される事による人心の荒廃みたいなものが、一部では表面化しつつある、という事ではないか。日本は少なくとも、暴力的な事態で市中が混乱に陥る事だけは、食い止めなければならない。

№2325 私鉄名車列伝 150.四日市あすなろう鉄道260系

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「私鉄名車列伝」、今回は四日市あすなろう鉄道の260系です。
 四日市あすなろう鉄道は、2015(H27)年4月に、近鉄が運営していた内部線(近鉄四日市(転換時にあすなろう四日市に改称)~内部)・八王子線(日永~西日野)を継承して開業した新鉄道で、四日市市が線路・施設及び車両を保有し、同鉄道(現在の出資比率は近鉄75%・四日市市25%)が運営を担う、「公有民営」鉄道です。260系は四日市市の鉄道事業再構築実施計画に基づいて生み出された系列で、2016(H28)年度の鉄道友の会ローレル賞受賞は、創業間もない小規模ローカル鉄道としては、画期的な出来事でした。

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 260系の母体となったのは、近鉄時代の1982(S57)年、両路線の近代化のために導入された260系で、先頭車8両(Mc5両・Tc3両)を新造し、三重交通時代からの在来車の改造車も交えた、5編成14両で構成されていた。新造車は、同じナローの北勢線(現三岐鉄道北勢線)270系をベースとし、カルダン駆動を採用、内部は先頭方向を向いた一人掛けクロスシートを並べ、冷房はなく、代わりにラインデリアを搭載していた。先頭部は、急カーブ対応のため、内側に絞られた形状が特徴的である。1989(H元)年にワンマン化改造が行われている。元は近鉄のマルーンをベースに、ドア部をオレンジ色としていたが、近鉄末期にはマルチカラーとなっていた。

 継承後の同鉄道では、新車並みの大掛かりなリニューアルと、冷房化工事を行う事になった。その最初となる261Fは、両先頭車は近鉄から継承された車両を改装、即窓はUVカットガラスを使用して、固定窓と上部内折れ式の開閉窓の組み合わせとなり、車端部には床置き式の冷房装置が搭載されている。先頭側のドアは、乗務員室直後に移設された。前頭部は尾灯を上部に移した他、行先表示窓は社名表示に固定され、運行区間は、円形の板で表す方式とした。老朽化していた中間車は新造車に代替となり、座席数確保のため1ドアとなって、点対称に配置されている。3両とも、ドア付近に行先を表示する3色LED表示器を設けた。駆動方式は釣り掛け式を継承している。

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 車内は一人掛け固定式クロスシートとなり、両先頭車は先頭向き、中間車は左右で逆向きとしている。いずれも、座り心地を改善した新シートを採用しており、手すりはハート形を模している。両先頭車の連結寄りにはベンチシート、先頭寄りには車いすスペースを設置した。

 261Fは転換直後の2015(H27)年9月に営業デビュー、その後、2018(H30)年8月までに順次リニューアルと新造を行い、5編成(3連×4・2連×2)の陣容が出揃った。在来車の改造で賄っていた先頭車両は、リニューアル車に準じたク164形2両を新造して代替している。260系は、リニューアル車7両・新造車7両の陣容となった。2016(H28)年の262Fから、外部塗装は白と緑(「なろうグリーン」と称する)のツートンカラー+青(「なろうブルー」)帯となり、当初は全編成が統一される予定だったが、261Fはデビュー時の白青のツートンを維持している。なお、車両は施設と共に四日市市が保有し、大掛かりな検査は引き続き、近鉄の塩浜検修車庫で行っている。

【編成】
←あすなろう四日市方    内部・西日野方→
 Mc260* - T180 - Tc160(164) Mc260* - Tc164
(* パンタグラフ)

 車両のリニューアルも終了し、一段落という四日市あすなろう鉄道だが、今後の伸びしろとなると、どうだろう。距離も短いし、全線に渡って三重交通のバス路線が並行しているので、利用の増加を図るのは簡単ではないだろう。ダイヤも現状ではたぶん変えようがない。少なくとも増発はできない(現行のダイヤは、転換開業時のまま)。コロナ禍もあり、困難な状況にあるだろうと思うが、健闘を期待したいと思います。私もいずれ、できるだけ早く再訪したいと思います。ここにも「鉄道むすめ」(追分 あすな)がいるんだねえ。

 今回の記事は、

「鉄道ピクトリアル 2003年1月臨時増刊号 【特集】近畿日本鉄道」「同2016年10月臨時増刊号 鉄道車両年鑑」(鉄道図書刊行会)
「私鉄車両編成表」(交通新聞社) 等

を参考にさせて頂きました。


 次回は北九州高速鉄道(北九州モノレール)1000系を予定しています。VVVF改造等のリニューアルも行われてはいるが、36年前の開業当時の車両が未だに現役です。現在の日本のモノレールでは、現役最古となりました。

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《今日のニュースから》
12日 「ヤングケアラー」中学生17人に1人 文部科学省初の実態調査で判明
(東京大学入学式 コロナ禍で2年ぶり)
13日 台湾 自前新造の揚陸艦「玉山」 高雄で進水式
(日本大学相撲部 部員29人のコロナ感染判明)

「ヤングケアラー」17人に1人、単純計算では、クラスに2人以上はいる事になるから、大変な数だと思う。私の中学生の頃は、どうだったのだろう?全くいなかったわけではないとも思うが、今のコロナ禍ではより状況は厳しいはずで、これこそ政治が何とかしなければならない事ではないのか。
 大阪府のコロナ禍感染者数が一気に1,000人を突破して、正直驚きです。変異種の脅威も増してきているようで、今年のGWも、穏やかならざる事態を覚悟せねばならないのか。
 松山 英樹選手、マスターズ優勝、おめでとうございます。正直、この位の明るすぎるニュースもないと、今の世の中、精神的にやっていけないよねえ。

№2253 私鉄名車列伝 149.鹿児島市交通局2100形

「私鉄の名車列伝」、今回は鹿児島市電2100形です。平成になって初の新車は、同市交通局としては、様々な新機軸を取り入れて、後の高性能車両の礎となりました。

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 鹿児島市交通局2100形は、鹿児島市の市制100周年と、交通局発足60周年を記念し、平成の世になった直後の1989(H元)年4月1日にデビューした。600形以来26年ぶりの新造車両で、全面フルモデルチェンジとなり、鹿児島市電の新造車では初のカルダン駆動、初の冷房車と、新機軸を多数盛り込んでいる。JR九州鹿児島車両所で製作された事も、話題となった。

 車体は鋼板プレス材を溶接組み立てした軽量構造となり、前面は一枚窓、側面は上部引き違い・下部固定の大型窓となり、スマートな軽快電車スタイルのデザインとなった。ドアは前中とも、1枚の引戸となった。前部の行先表示は大型化、中ドア後ろの上部にも、新たに行先表示装置を設けている。全電気指令式ブレーキを装備し、鹿児島市初のワンハンドルマスコンによる、700形以来の間接自動制御を行っている。電動機の出力も60kW(×2)となり、在来車両は37.5kW(×2)だったから、大幅な出力増強となった。新製当時は、Z形パンタグラフを搭載していた。

鹿児島市交通局2100形車内改修前.jpg
 車内は、当初は観光輸送も考慮し、2人掛け転換クロスシート(自動転換式)とロングシートの組み合わせによる、当時の路面電車では破格のアコモデーションだった。カーテンも、横引き式となった(戸袋部は一般的なロールアップ形)。

 カラーリングが一新され、2両で異なるデザインとなった。2101号は白地に青・黄色系(錦江湾の清風と柑橘系の香りのイメージ)、2102号は白地に赤・紫色系(先進的都市と感性豊かな人々の心の集合のイメージ)となり、2101号には「しろやま」、2102号には「さくらじま」の愛称がつけられていた。

鹿児島市交通局2100形現行塗装.jpg
 車内は1995(H7)年に全ロングシートに改造されている。、また、外部塗装は広告ラッピング施行を経て、現在は市電の本来の標準色である、黄色+緑色+白帯塗装となっている。パンタグラフはシングルアーム式に交換され、冷房装置も更新されている。デビューから30年以上経ったが、引き続き1系統(鹿児島駅前~騎射場~谷山)・2系統(鹿児島駅前~鹿児島中央駅前~郡元)間で、他車両と共に活躍中である。

 2100形は、鹿児島市では初の新製高性能車となったが、既に熊本市電などではVVVF車がデビューしていて、鹿児島市でも2年後の2110形からVVVF車に移行する事になります。その意味で、2100形は、旧型と、VVVF車との橋渡しとなった、後の発展を見据えた移行期の車両と位置付けられるかもしれません。それにしても、現行のカラーが、今でも本来の鹿児島市電色標準色とは知りませんでした。デビュー当時のカラーが維持されても良かったかなとも思うが、どうでしょうか。一番上の画像は、絹目写真をスキャンして作成したもので、若干見づらいかも知れないが、ご了承くださいませ。

 今回の記事は、

「Can Books 日本の路面電車Ⅰ 現役路線編」「同 ローカル私鉄車両20年 路面電車・中鉄道編」(JTBパブリッシング)
「鉄道ピクトリアル 1990年10月臨時増刊号 新車年鑑1990年版」「同1994年7月臨時増刊号 路面電車」「同2000年7月臨時増刊号 路面電車~LRT」「同2011年8月臨時増刊号 路面電車」(鉄道図書刊行会)
「路面電車 パーフェクトガイド」(NEKOパブリッシング)
「みんなの鉄道 DVD BOOKシリーズ 路面電車スペシャル」(メディアックス)

などを参考にさせて頂きました。

 次回は、四日市あすなろう鉄道の260形です。

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 東京メトロ・東武から、来春の最終電車の繰り上げのリリースがありました。
東京メトロ…千代田線・北千住→綾瀬の16分が最大だが、一方で繰り上げがない路線・区間もあります。副都心線が比較的きつめだろうか。
東武…区間によって異なるが、スカイツリーラインが15分程度、大師線が10分程度、東上線が10~15分程度の繰り上げ。また特急は、下り〔リバティけごん253号〕は取りやめ、上り〔リバティけごん208号〕は春日部始発に短縮(〔スカイツリーライナー〕になると思われる)。東上線では、朝方の上り〔TJライナー〕2本を増発。
 両社とも、初発の繰り下げは行わない。

 また、東京メトロと埼玉高速鉄道から、終夜運転のリリースも出ています。メトロは、終夜運転を全線で実施。銀座線・上野~浅草間が10分毎、他は全て30分毎。他鉄道との相互直通運転は、埼玉高速鉄道と、JR常磐線とは一部列車、あとは〔メトロニューイヤー〕。埼玉高速鉄道が終夜運転を行うというのは、正直意外でした。なお、感染禍の拡大によっては、取りやめの可能性あり。

《今日のニュースから》 カッコ書きは新型コロナウィルス感染関連
30日 東京証券取引所・親会社 金融庁から業務改善命令 東証社長辞任
(日中間ビジネス関係者 相互往来再開)
 1日 国民投票法改正案 今国会の採決見送り 自民・立憲民主両党合意
(新語・流行語大賞 年間大賞「三密」)

№2211 私鉄名車列伝 148.北大阪急行8000系

「私鉄名車列伝」、前回の伊豆箱根鉄道7000系からは、また1年近く経ってしまいました。
 今回は、北大阪急行電鉄の8000系です。本当は前回書きたかったのだけれど、1年遅れになりました。デビューは昭和の終わりだからもう30年以上経つけれど、当時としては画期的なVVVF制御の長編成通勤車両でした。

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 1970(S45)年、大阪万博の会場へのアクセスとして開業した北大阪急行電鉄は、万博後は千里ニュータウンの通勤・通学の足として、大阪市営地下鉄(当時)御堂筋線との相互直通で、大阪市中心部へ乗り入れを行っている。開業当初は大阪市70・80系と同型の2000系を使用していたが、御堂筋線がなかもず延伸に備えて増結を行う事になり、北大阪急行も長編成化を行うため、この機に新型車両8000形を導入する事になった。「北」から、「POLESTAR」(ポールスター:「北極星」)の愛称が与えられている。

 設計に際しては、4つのポイントが挙げられている。①旅客の快適性向上と情報量の充実 ②乗務員の操作性改善と異常時対応の迅速化 ③保守性の向上と省エネルギー化 ④企業イメージ向上 車体は2000系から一転してオリジナル色が前面に押し出され、アルミ車体であるが、アイボリーホワイトをベースに、マルーンとレッドの帯を巻いている。制御装置は、当時はまだ例が少なかったVVVF制御で、GTO素子・2500V・2000A×2の東芝製制御装置を、電動車両各車に並列で搭載、1ユニットで4台のモーターを制御する。補助電源装置はSIVとなった。乗務員室には、マイコン式のモニター装置を搭載しており、乗務員に伝えられる情報の量が、格段に増大した。台車はボルスタレス式のS形ミンデン式を履く。編成は検修の都合上、前後で分割が可能な車種構成となっている。

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 車内は通勤車両としては格段にグレードアップされ、化粧板は阪急系らしく木目調、座席は、当初はオレンジ色で、一人一人の着席区分を示す柄がプリントされていた。冷房装置は建築限界から薄型のものが設計されて、車両の両端の天井部に設けられている。冷風ダクトも両側に寄せられ、可能な限り圧迫感が出ないように設計された。

 第1編成は1985(S60)年に竣工、試運転を重ねた上で、翌年2月に営業デビューを果たした。同年暮れには第2編成もデビューしている。共に8連での営業開始だったが、翌1987(S62)年より、8100形が組み込まれて9連化された。1993(H5)年4月までに7編成が出そろい、2000系を全て置き換え、北大阪急行は8000形に統一された。その後1995(H7)年には御堂筋線10連化に対応して(新)8600系を組み込んで(在来の8600形は8500形に形式変更)、全70両(全車アルナ工機製)が出そろっている。1992(H4)年からは、編成中1か所に車いすスペースの設置が順次行われている(その後全車両に拡大)。21世紀に入り、全編成に転落防止柵の設置を行った。座席はオリーブグリーンとなり、より阪急車両に近づいた。

 2012(H24)年からは、VVVF制御装置の更新を行っている。素子がIGBTとなった。一方、2014(H26)年には新型車9000系がデビュー、更新の対象とならなかった4編成は、代替で廃車となった。残存する3編成は順次リニューアル工事が施行されている。北大阪急行では2023(R5)年度を目標に箕面市(箕面絹町)延伸を目指しているが、リニューアルを行った3編成は、延伸後も当面は活躍が見られると思われる。

【編成】
←千里中央     江坂(なかもず)→
 Tc1 8000 - M0 8100 - Te 8200 - M1 8300 - M2' 8400 + Te' 8500 - T 8600 - M1 8700 - M2 8800 - Tc2 8900
※ 8100形は9連化時に組み込み (新)8600形は10連化時に組み込み((旧)8600形は8500形に形式変更)

 同車は、同じく大阪市営地下鉄直通用に開発された近鉄7000系と共に、1987(S62)年の鉄道友の会ローレル賞を受賞しました。第3軌条方式のVVVF車という点で共通点があります。このシリーズでも何回か書いているように、昭和50年代後半になると、特に私鉄各社でVVVF制御の開発が急ピッチで進み、昭和の終わりになると、通勤電車の制御方式としてはほぼ決定版となり(国鉄~JRではやや遅くなり、平成になってから花開く)、この後は特急車への展開が図られていく事になります。さらに同期のVVVF車ながら惜しくもローレル賞受賞を逃した新京成8800形と合わせ、情報伝達の部分も含めて、平成時代の通勤電車の基礎を形作った形式、と評価できるでしょう。
 まだ実物を見てさえいないのがお恥ずかしい9000系は、もちろん8000系以上に先進的になっているが、写真を見た限り、外観に関しては、無塗装のステンレス車体にマルーンの帯を巻いて、2000形に先祖返りした?部分も見受けられます。その意味で、8000系は、北大阪急行史上随一の、オリジナル色を強くアピールした車両とも言えるのかとも、感じます。

 今回の記事は、

「鉄道ピクトリアル1987年5月臨時増刊号 新車年鑑1987年版」(鉄道図書刊行会)
「週刊 歴史で巡る 鉄道全路線 公営鉄道・私鉄 05」(朝日新聞出版)
「鉄道ファン1991年5月号」 等

を参考にさせて頂きました。

 しかし前々回の名古屋市営5000形の時にも書いたけれど、北大阪急行のような比較的小規模な通勤鉄道は、車両に関する記事・データが意外に少なくて、まとめるのに苦労した部分があります。もう少し突っ込んで書きたかった部分も、正直ありました。
 次回は、鹿児島市電2100形を予定しています。

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 JR東日本は昨日、今年度の設備投資計画を発表しました。今年度と言ってももう9月半ばだから半分近く消化しているのでだいぶ遅いが(去年は4月25日だった)、これもコロナ禍の影響でしょう。影響は投資額の方により強く出ていて、連結では前年度比300億円減の7,110億円、単体では670億円減の5,510億円。それでも大手私鉄より、ヒト桁多い。
 車両面では、横須賀・総武快速線E235系導入の他、秋田地域のG-EV400系や男鹿線のEV-E801系もあるが、既にリリース済みで実物も姿を見せており、特に目新しい新形式とかはない(房総ローカルのE131系は、今年度にも、前年度にも記載がなかった)。去年の千曲川氾濫で被災したE7系は、2022(R4)年度末までに、復旧に向けた車両の新造を行うとしています。まだ2年以上かかるのか(という事は、上越新幹線のE4系は、そこまでは延命するのか)。
 他に、「ワンマン運転の拡大」の一言がちょっと気になります。今春ダイヤ改正からE531系5連のワンマン運転が始まっていて、これはJRグループ全体でも、4連を越える列車では初のワンマン化になるのだが、京浜東北線にE235系を導入、E233系を他線区へ転属させてワンマン化、という(あくまで)ウワサも聞こえていて、どういう方向になるのか、中央線快速のグリーン車連結と合わせて、E233系の行方には注目が集まる事になりそうです。そんなに古い系列でもないのだけれど。
 今後もコロナ禍の状況もにらみながら、来年のオリ・パラも見据えて設備投資は進むのだろうが、最終決算は、民営化後では初に赤字に転落するそうで、駅なども含めた合理化が、さらに進む事になりそうです。終電の繰り上げも、その一環でしょう。観光もインバウンド来訪がしばらく期待できないし、国内の需要も低迷が続くだろうから、華やかな部分への投資はほとんど行われず、「地味」な部門への投資が続くという事になりそうです。

 終電の繰り上げと言えば、JR西日本は今日、来春からの「アーバンネットワーク」の最終電車の繰り上げを正式に発表しています。こちらは元々予告されていたもので、既に去年の内に、0時台の利用者は7年前より15%の減少だったとしています。主要路線では、おおさか東線以外の全線が対象になり、全体では48本の削減になります。主要ターミナル駅からの時刻の比較も記されているが、最大では30分(JR京都線(東海道本線)の京都→高槻間)の繰り上げになり、20分台の繰り上げも少なくありません。最終電車が23時台となる路線も多くあります。全区間の時刻は解らないから今後もう一度チェックする必要があるが、1時を過ぎて運行される列車は、どうやらJR神戸線(山陽本線)快速姫路行と、普通西明石行の計2本のみとなりそうです。なお一部区間では、東京発最終新幹線からの接続がなくなります。終電繰り上げは、来月にはJR東日本も具体的な発表となるだろうが、私鉄(関西は検討していないとしているが、元々JRより終電が若干早め。梅田発千里中央行最終は、現在でも23時56分)や地下鉄、バス(既に関東では深夜バスがかなり廃止になっている)にも波及すると思われ、これまでとは一転、大都会の夜は急速に早くなりそうです。

 ボーイング737MAX機の連続墜落事故に関して調査を続けてきた米議会下院の運輸インフラ委員会が、最終報告書を発表しました。ボーイング社の「隠ぺい体質が事故を招いた」と指摘しています。果たして、運航再開がなるのはいつの日か、というかコロナ禍で世界の航空業界全体が危機的状況に陥っている最中、再び飛ぶ事は、あるのだろうか?ANAの発注はどうなる?

《今日のニュースから》 カッコ書きは新型コロナウィルス感染関連
16日 東北道岩手県内区間 最高速度引き上げ 全国初120km/h
(東京島しょ地域自治体 感染拡大防止対策 都知事に要請)
17日 高さ390m 日本一の超高層ビル 三菱地所発表
(ネット通販トラブル相談 前年比1.3倍 コロナ禍影響)

 菅新内閣が発足しました。1か月前にはこんな事になるとは想像もしなかったけれどねえ。まずはコロナ禍への対策が強力に求められる事になるが、個人的には、苦境に立つ交通機関の救済を、強く望みたい。それもまた、コロナ禍の状況次第になるが。ところでちょうど10年前の民主党政権下の首相は、苗字は同じ漢字の菅 直人氏だったが、「かん 」と読みます。新首相の菅 義偉氏は「すが」です。外国人は混乱したりしないのだろうか。日本人の名前の難しさが出ています。

№2064 私鉄名車列伝 147.伊豆箱根鉄道7000系

 №2051では、伊豆箱根鉄道駿豆線を走るアニメラッピング電車「Dr. STONE」「Over the Rainbow」の撮影行について、書きました。大半の皆さんは、車体に大きくデザインされたラッピング(特に、スクールアイドルの女の子たちにね)に、目が行っただろうと思います。
 では、それ以外の、車両そのものの部分にはどれだけ関心を持ってもらえたのだろう。「転換クロスシートなんて、豪華だよなあ」(ちなみに、東京から一番近い、無料で転換クロスシートに乗れる鉄道は、伊豆箱根鉄道。大雄山線にもあるが)「どうして先頭車両と中間車両で、ドアの数が違うのだろう」とか、思ったりはされたでしょうか。
 約1年ぶりの「私鉄名車列伝」、前回の予告とは変えて、今回は、在籍2編成が共にアニメラッピングデザインとして注目を集める、伊豆箱根鉄道7000系について、簡単にまとめてみたいと思います。

伊豆箱根鉄道7000系.jpg

 7000系は、駿豆線の快速用として、3000系をベースにして製造されたクロスシート車で、1991(H3)年と1992(H4)年、3連2編成が東急車輌によって製造された。駿豆線では、平成初の新車両であった。観光用と通勤・通学用の用途の両立を狙った車両といえる。

 車体は1987(S62)年に導入された3000系5次車と同様のステンレス車両となったが、上部に大型の1枚合わせガラスを使用。乗務員室後方からの展望が良好になっている。下部にはスカートをつけている。先頭車は3ドア、中間車は指定席車両として運用されるため2ドアを採用した、変則的なスタイルとなった。ドア昼間部の窓は2連の1段下降窓を採用、側面の見付は、先頭車はJR東海の311系、中間車はJR西日本の213系とほぼ同一である。先頭と側面には電動式の行き先表示装置を設けた。先頭部には列車番号表示と種別表示も設けられている(現在は使用されていない)。屋根上には初めて、下枠交差式パンタグラフを搭載した。JR線への直通運転を想定しており、運転台は、3000系や大雄山線5000系のワンハンドルマスコンに対して、ノッチとブレーキを分けた、ツーハンドルとしている。基本的な性能は3000系と同じで、120kwの電動機を搭載した、抵抗制御方式・2M1Tの3連ユニットである。

伊豆箱根鉄道7000系車内中間車.jpg
 車内は先頭車・中間車とも、端部の固定式を除き、全面的に転換クロスシートを採用した。座席はバケットタイプとして、シートカバーも使われている。いる。自動案内放送装置が採用された。増備車両では、ドア上にLED式の車内案内表示装置を設けている。

 第1編成デビュー時の1991(H3)年3月改正時より、午前中に1往復設定された快速に限定運用。途中4駅に停車し、三島~修善寺間を25~27分で結んだ。中間車を座席指定車両として、座席指定料金を徴収していた。この他に普通電車にも運用し、1000系を置き換えている。しかし増備は2編成に留まり、1997(H9)年の増備車は再び3000系に戻る事となった。快速は増発が行われる事がないまま、1998(H10)年3月いっぱいで廃止となった。また、JR線への直通運転も、実現していない。

 駿豆線では2009(H21)年4月よりワンマン運転が開始され、7000系もワンマン対応工事が行われた。車内に非常通報装置が新設されている。後に、ドアチャイムの設置も行われた。快速列車なき現在は、基本的には他系列と共通で、線内の普通列車で運用されている。

【編成】
←三島     修善寺→
 Mc7100 - *M7300* - Tc7500

 快速列車の運行が始まった当時、JTB時刻表の1991(H3)年3月号を紐解くと、快速は次の1往復で運行されていました。

下り 三島9:20 → 9:45修善寺
上り 修善寺10:33 → 11:00三島
途中停車駅 三島広小路・大場・伊豆長岡・大仁 〔踊り子〕停車の三島田町ではなく、三島広小路に停車していたのが目を惹きます。
当時は全区間の運賃が470円、指定席は200円でした。

 その後、この1~2年の話題は、皆様の方が良く知る所でしょう。
「Over the Rainbow」編成は、来年3月にラッピング電車としての運行が終了すると、先日リリースがありました。1月からはヘッドマークをラストラン仕様に変更して運行、また、トミーテックから「鉄道コレクション」の発売も発表になっています。

 今回の記事は
「鉄道ピクトリアル1991年10月臨時増刊号 新車年鑑1991年版」(鉄道図書刊行会)
「JTBキャンブックス ローカル私鉄車両20年 路面電車・中私鉄編」(寺田 裕一 JTBパブリッシング)
「週刊 歴史で巡る 鉄道全路線 公営鉄道・私鉄 09」(朝日新聞出版) 等
を参考にさせて頂きました。

 次回は当初の予告通り、北大阪急行8000系を予定しています。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


 芸備線が昨日、約1年3ヶ月ぶりに全線で運転を再開しました。これで、去年の西日本豪雨で被災した路線は、JR・第三セクター・私鉄全てで運転を再開できた事になります。豪雨直後は1,500㎞程度が不通を余儀なくされ、ひょっとしたらこのまま…と思った路線もあったから、ともかく全路線再開できて良かった、と思います。しかし、この豪雨の被災区間の全線再開がまだ、という時期にまた台風19号の猛威で多数の鉄道路線が被災し、特に鉄橋がやられた水郡線や上田電鉄は、芸備線と同じく、再開まで少なくとも1年以上の時を必要とするでしょう。今日は東武の日光線・佐野線が全線で再開、という明るい話題もあったが、この数年の災害を見ていると、これではまた来年も、今回被災した路線が全部復旧する前に、またどこかで大規模な災害を食らって、長期不通に追い込まれる路線が出てくるのではないだろうかと、正直今の時点で憂鬱です。

《今日のニュースから》
23日 キューピー パスタソース8万個余 自主回収
24日 東京株価市場終値 22,750円60銭 4営業日連続で今年最高値更新