今回はまたお茶濁しで、あっさり行きます。また更新の間隔が開きすぎてしまうので。その京王の、気が付けば33年も前、1992(H4)年5月28日ダイヤ改正時に刊行された、全線時刻表の折込に記された、京王全線の路線図(停車駅案内)をご覧頂こうと思います。
当時は、京王帝都電鉄という社名でした。帝都というのは、現在の井の頭線の前身の帝都電鉄から来ていました。
この号の表紙は当時のエース8000系がエネルギッシュに奪取する姿だったが、画像の如く、6000系が主力としてバリバリだった頃でした。
№3006では昭和末期、1985(S60)年の時刻表の折込をご覧頂きました。 あれから7年、昭和から平成と世をまたぐのと前後して、相模原線は橋本まで到達、その後町田市内に多摩境駅が開業して、路線・駅に関しては、現在のネットワークが完成しました。33年の間、路線の新設も、当然廃止もなく、駅も新設も廃止もなく、また名称の解消もありませんでした。
変わったのは京王線を走る列車種別と、特に特急の停車駅でした。
この改正で相模原線にも日中を中心に特急が走る事になりました。それにしても、現代と比べてどの種別も停車駅の少ない事。特急は笹塚・千歳烏山・分倍河原・北野と、相模原線(この後いったん取りやめになって復活)は京王稲田堤・京王永山・南大沢が通過でした。
高尾線の特急は、当時は行楽シーズンのみ、新宿~高幡不動間で京王八王子発着と併結する形態でした。急行がほぼ終日、新宿~高尾山口間を運行していました。
その急行の停車駅は、今も当時と変わっていません。高尾線内も同じで、だから高尾線内では、特急は各駅停車なのに、格下の急行が急行運転を行う「逆転現象」が起きているわけです(最も今の高尾線内の急行は、特急が走らない朝方だけだが)。また、動物園線直通の設定もありました。むろん行楽がメインだが、平日だと大学の学生の輸送という役目もありました。多摩都市モノレール開通の後くらいまで続きます。
この後、調布付近の大規模地下化などもあり、特に21世紀は準特急・区間急行の新設(準特急は後に特急に統合されて廃止)、そして〔京王ライナー〕の運行開始と、ダイヤは大きく変化していきます。停車駅の増加も、その一環でしょう。
今は笹塚~仙川間の連続立体交差工事が進行中です。既に高架橋が立ち上がっている所もあるが、長距離ゆえ、完成まではまだ長い年月を必要とするでしょう。完成した時、京王のダイヤはどのように変わるのか。楽しみでもあるし、高架化自体の進捗状況も含め、行方を注視していきたいと思います。次の33年でどう変わるでしょうか。
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クマの被害が北・東日本で相次いでいるが、ついには鉄道の基地にまで進入してきました。山形新幹線はこのために1本が区間運休になったそう。今回は基地だったが、鉄道にしろバスにしろ、こうなると走行中にクマとぶつかってしまう可能性はかなり高まっていると考えられるが、そうなった時、対応のマニュアルのようなものは、策定されているのだろうか?
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