№3017 バスジャパン・ハンドブックシリーズX118 三重交通

「バスジャパン・ハンドブックシリーズX118 三重交通」は7月に発売になっていたが、例によって相当遅くなってしまいました。

三重交通.jpg
 三重交通は、三重県のほぼ全域をカバーするバス専業事業者で、西日本JRバスが廃止になって以降は、四日市市を中心にした三岐鉄道の小規模なバス路線網はあるが、基本的には独占的な事業者と言えます。25年前にNEW35で取り上げられていて、ちょうど四半世紀、BJシリーズとしては2回目、という事になりました。
 表紙は、ごく普通のエルガ。ただし桑名〔営〕らしい長尺です。

 この四半世紀の間の事業所の変遷をおさらいすると、NEW35の時点では名古屋・桑名・四日市・鈴鹿・津・上野・松阪・伊勢・志摩・南紀と、名古屋観光・北部観光・中部観光・上野観光・南部観光・南紀観光の各営業所があり、桑名の配下に北勢事業所(〔事〕)、上野の配下に名張〔事〕、南紀の配下に海山〔事〕の、16営業所・3事業所体制でした。またグループ内には現存する三交伊勢志摩交通・八風バスの他、三交南紀交通・三交タクシー南部がありました。
 現在は、名古屋〔営〕は名古屋観光〔営〕及び海山〔事〕は南紀〔営〕に一本化、鈴鹿・津の両営業所は中勢〔営〕及び上野〔営〕・名張〔事〕は伊賀〔営〕にそれぞれ統合、しました。また上野〔営〕と同じ場所にあった上野観光〔営〕は、伊賀〔営〕と同じ場所に移転して伊賀観光〔営〕に改められ、14営業所・1事業所体制に改められています。また熊野市にあった三交南紀交通と、伊勢市にあった三交タクシー南部が、三重交通に一本化されています。観光バスの事業所が基本的には乗合と別になっているのが、観光バスの割合が比較的高い三重交通ならではか。

◆ 現有車両のアルバム・一覧表・車種別解説
 適宜NEW35と比較します。
三交グループトータルで835台は、四半世紀前は1,091台だったそうだから、200台以上・23.46%と、1/4近い減少になりました。
 乗合車は687→574台(△16.44%)、高速車は109→121台(+9.91%)、貸切車は295→140台(△52.54%)。貸切が半分以上の減少だが、NEW35では乗合廃止の代替車24台を含んでいました。
 現在のグループの用途別割合は、乗合68.62%・高速14.37%・貸切17.01%になりました。かなり減少したとはいえ、貸切バスが高速バスより割合が高いのは、昨今の大手事業者としては珍しくなっているとも言えます(ただし送迎などで乗合から転用された車両もそれなりにあるが)。

.用途別に各々の事業所を見ていきます。
 乗合で最も多いのは、中勢〔営〕の134台で、三交グループ全体の23.39%と1/4近い。鈴鹿・津両営業所を統合した場所だから当然か。次いで四日市〔営〕の97台、桑名〔営〕は47台と意外に少ないが、北勢〔事〕と合計すると69台で、やはり北部の大都市の営業所の割合が高くなっています。最少は、三交では南紀〔営〕の33台、八風バスは12台、三重急行は2台でした。
 乗合車を、北部と南部(境界は近鉄線の伊勢中川とする)、そして関西の通勤圏となる伊賀の3地域に分けると、北部(桑名・北勢・四日市・中勢・八風)が306台で乗合全体の53.40%、南部(松阪・伊勢・志摩・南紀・伊勢志摩・三重急行)が202台で35.25%、伊賀(伊賀)が65台で11.35%と、やはり名古屋に近く、三重県で有力な大都市が連立する北部の方が高いです。
 高速は桑名〔営〕が52台で最も多く、三交グループ全体の43.33%になります。次いで北勢〔事〕の21台、四日市の18台。桑名市郊外の住宅地と名古屋を結ぶ系統を持つ桑名・北勢両所が多くなっています。高速車も敢えてエリアで分けると、北部が92台で76.67%、南部が21台で17.57%、伊賀が7台で5.63%。
 貸切は乗合車の貸切登録もあって純粋な「観光バス」以外も含まれるが、「観光」の2文字が入った営業所に配置されている貸切車は、全て純粋な「観光バス」と考えて良いです。最も多いのは松阪観光〔営〕の17台で、三交グループ全体の11.97%。北部観光・伊勢・南部観光各所が15台ずつだが、伊勢〔営〕は乗合からの転用・病院シャトルバス・南伊勢町営バス計5台を含んでいます。刊行者もエリア分けすると、北部(名古屋観光・桑名・桑名観光・四日市・北部観光・中勢・中部観光・八風)が62台で43.66%、南部(松阪観光・伊勢・南部観光・志摩・南紀・南紀観光・伊勢志摩・三重急行)が68台、伊賀(伊賀観光)が12台で8.45%、ここは北部と南部が拮抗しています。単純な比較もできないが、南部の割合が高いのは、著名な観光地を多数控えているからでしょうか。

.平均車齢を計算してみました。
 乗合車は13.37年。事業所別では、最も若いのは北勢〔事〕の9.09年で、唯一10年を切っています。最高齢は三交伊勢志摩交通の23.40年。5台全てが2007(H19)年以前。20年を超えているのもここだけ。あとの事業所は、全体の平均に近い数字になっています。年式別では、2009(H21)年式が53台、乗合車全体の9.25%。次いで2007(H19)年式の47台で8.20%。2001~2010年の10年間の車両が274台・47.82%を占めています(ただし11台は元都営バス)。2021(R3)年はコロナの影響だろう、7台の導入に留まっているが、それでも2001(H13)年以降は毎年コンスタントに導入があります。最高齢は中勢・伊賀・伊勢各営業所に合計5台在籍する1997年式だったが、取材前に廃車済みだそう。
 高速車は13.73年で、わずかだが乗合車より高い。事業所別では、四日市〔営〕が9.44年で、唯一10年を切っています。比較的最近、四日市から関西方面への高速バスが整備されたからかも知れない。最高齢は志摩〔営〕で21.11年、伊勢〔営〕は2台だけだが共に2005(H17)年式で20.00年。2009(H21)年式が12台で、全体のちょうど10%。高速はコロナの影響か、2021(R3)年以降の導入が合計で9台のみ。それでも今年は4台新車が導入されました。最高齢は志摩〔営〕に在籍する、2000(H12)年式のセレガ。
 貸切車は14.40年で、さらに高い。事業所別では「〇〇観光」の名称の営業所に限ると、最も若いのは名古屋観光〔営〕の7.50年で、現存する貸切車は全て、2014(H26)年以降の導入。ここもやはりコロナの影響だろう、2021(R3)年以降の導入は合計7台にとどまっています。最高齢は、純粋な観光バスは三重急行に在籍する、2004(H16)年式のセレガR。

.乗合車のノンステップ化率は56.20%。最も高いのは北勢〔事〕で90.91%、次いで伊賀〔営〕67.69%、四日市〔営〕63.74%。三重急行は2台とも非ノンステップ車。伊勢志摩20.00%、八風25.00%と、子会社は低い。三交本体では志摩〔営〕40.91%、南紀48.48%。エリア別では北部が57.84%、南部が50.00%、伊賀が67.69%。北部が比較的高いが、南部もポンチョの導入も進んでいるからか、北部と南部では、思っていたほど大きな差はなかった。

.高速車では、運用路線の記載はないが、座席数・トイレのあるなしの仕様について記されている。仕様別で最も多いのは60人乗りで69台、高速車の57.50%。桑名〔営〕は35台と、半分に近い。桑名〔営〕は他も57人・59人乗りでトイレはなく、また北勢〔事〕も60人乗り12台・59人乗り8台のみで、両所とも高速は名古屋への近距離路線が専門になっている事が、仕様からもうかがえる。28人乗り中央トイレ付が4台あるが、配置場所から見ても、東京への夜行高速車だろう。南紀〔営〕は比較的長距離になる名古屋への路線もあるからか、昼行車も全てトイレ付。全車両がそうではないだろうが、トイレがなく座席数が多い車両は三重県内の比較的短距離路線(あるいは飛鳥村路線)、トイレがついて座席数が少ない車両は、三重県の外、東京や関西へ行く路線に使用されると考えられる。

.貸切車も、「観光バス」に関しては、座席数・トイレのあるなしの仕様について記されています。最も多いのは53人乗り59台、中勢〔営〕以外には1台は配置されています。次いで60人乗り19台・59人乗り17台でした。パウダールームまたはトイレ付きの車両は6台あるが、名古屋観光〔営〕には「四季の華」を含めて2台配置されています。

.NEW35ではCNG車があったが全滅し、現在の低公害車はハイブリッド車16台・EV車6台。リフトバスは全て貸切車で3台、ガーラ・セレガ・ローザ各1台。
 自家用登録からの引継ぎ以外の中古導入が、今回は元東京都営バスが13台ありました。特にエルガは、登録番号から見て2021(R3)年ごろと、比較的最近導入されたようです。少なくとも近鉄系列以外からの中古導入は、初めて?
 NEW35に掲載された車両のうち、13台が現存しています。現存率1.19%。

 NEW35では、南紀〔営〕の車両の一部が和歌山ナンバーだった。南紀〔営〕は三重県熊野市にあるが、新宮あたりに分車庫があったのだろうか。今号では存在しない。名古屋観光〔営〕は名古屋ナンバー。
 なお今回は、BYDのJ6・2台の写真がありませんでした。2年前の導入なので取材に間に合わなかった、という事はなかったはずだが、この2台(桑名市のコミュニティバス「K-BUS」)は、「みえ応援ポケモン ミジュマル」がラッピングされています。なので著作権を考慮して掲載を見送ったのではないか。

◆ 三重交通のあゆみ
 黎明期に個人営業を含めて多数の小規模事業者が乱立し、次第に統合整理していく、という流れは、三交も例外ではない。が、三交の場合は、戦時統合でローカル鉄道路線も、一時的だが相当数運営していたのが、特徴的ではないだろうか。現在の三岐鉄道北勢線の277Fは、パートナーを組む3連節車が三重交通時代からの生き残りなので三交時代のカラーを復刻しているが、ならば古くなって写真がないかも知れないが、1枚くらい三重交通時代の電車の写真があっても良かったかも知れない。鉄道を運営していた、という事も、三重交通の歴史の1ページになるので。
 戦後の三重県の交通は鉄道=近鉄・バス=三交と役割分担が図られるが、これは三重県のみならず、近鉄グループ全体の特徴と言えるかも知れない。近鉄自体が日本最大の私鉄なのでそうなるのも必然だろうが、基本的に大阪府・京都府は近鉄の直営だったが(後に分社して近鉄バス)、奈良県は奈良交通、岐阜県は名古屋近鉄バス(現名阪近鉄バス)が、近鉄電車を支えるバス部門として位置づけられる事になったと思う。

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 定期観光バスは、宇治山田駅は比較的最近まで、乗り場は近鉄電車のホームと同一レベルに設けられていて、大阪・名古屋方面から着くと、専用改札口を通ってすぐに定観バスに乗り換え、という事も出来たのだが。この辺も近鉄と連携する三交バス、の性格が出ていたのではないか。
 近年で言うと、「VISON」と「シャープ亀山工場」、それから高速バスの中継地点としての関バスセンターの存在は大きいのではないか?残念ながらバスの便数はどこも多くはないが、筆が回ってよかった。

◆ 三重交通グループの路線エリア
 NEW35は高速・長距離バスも含んでいるので単純な比較はできないが、やはりこの四半世紀の間で、ローカル路線は相当縮小してしまった。一般路線バスは各事業者のエリア同士を結ぶ路線がほとんどなく、長距離バスがないと、つながりがない。阿下喜から奥への支線区とか、名松線伊勢奥津駅から名張へ行く路線とか、紀伊半島でももっと奥地へ行く路線が多数あったのが、ことごとくなくなっている。コミュニティバスに移行した路線も少なくはないのだろうが。
 天理への乗り入れはなくなったが、奈良県(奈良市になっている)の桃香野への路線が残っている。名阪国道上の終点で、天理への路線の名残か。本数は少ないが。一方で新宮への乗り入れは維持されているし、愛知県内路線も存在する。なお、観梅シーズンのみ月ケ瀬口駅から尾山口への路線の運行が残っていて、唯一の京都府内の路線になる(尾山口は奈良県)が、この「路線エリア」には記されていない。

◆ お伊勢参りと二見・鳥羽の海へ
 NEW35の紀行は種村 直樹氏による、「伊勢志摩グルメ紀行」と称した、食べ歩きでした。初日は、当時運行があった池袋→松阪間の高速バス昼便で移動して当然夕食は松坂牛、翌日は伊勢うどんを食べつつバスを乗り継ぎ、御座港が終点、伊勢海老の夕食という、デラックスなバス旅でした。この時点で携帯電話の普及が進んでいて、高速バスに設置されていたカード式電話が撤去されていた、と記されています。
 今回の谷口 礼子さんの紀行も、東京→伊勢間の高速バスでスタート。ただし、新宿→伊勢間の夜行便でした。伊勢神宮内宮は、種村氏も立ち寄っていました(今回の紀行は鳥羽が終点)。伊勢の朝食の朝かゆセットは1,800円(も)する代物だが、「タブレットで順番を取」らないと食せないのか!超有名観光地の外食は、一日中大変な時代になったなあ。
 伊勢神宮に行ったのなら「神都バス」は出せなかったろうかと思ったが、時間が合わなかったのだろうか。
 伊勢市→二見浦の41系統のエルガミオ(3364号車)は「中型のラッピングバスでやや年季が入っている」とあっさりした表現だが、写真に出てきたこの車両は「ミジュマル」が描かれている。こういう形で出すのは大丈夫なのかと思ったが、それにしても、日本全国北から南まで(今や海外もか)、乗り物の世界も「ポケモン」頼みなのかなあ。
 取材日は「2025年4月23・24日」とされていて、伊勢神宮の参道では「早くも初夏の気配」と記されていたが、この後の狂わんばかりの猛暑、伊勢はどうだったのでしょうか?

◆ 終点の構図
 NEW35は、名張に近い赤目滝でした。当時は赤目口駅を経由して名張へ行く便もあったようだが、現在は赤目口駅発着の落下傘路線になっている模様。
 今回の島勝は、太平洋に面した半島の行き止まりに位置する終点で、三交のWEBの路線図を見て、ちょっと気になっていた終点でした。島勝漁港には近いが、終点そのものは海には面していない。ガレージが残っている終点なんて、私も全国各地で数か所訪れた経験はあるが、今や全国でもどの程度残っているだろうか。
(時刻表を見ると、ここで駐泊するバスは今はないようだ)
 それにしても、この辺のエリアの拠点の「海山」はバスセンターもあるが、紀勢線に同名の駅がないので、位置関係がわかりづらい。相賀駅が一番近いが、紀北町(だから町(ちょうど20年前に紀伊長島町・海山町が合併して成立)、鉄道駅、バスセンターの名称が全部バラバラ)の中心部にありながら〔南紀〕は停車しない。海山バスセンターを中心としたエリアは他からは孤立しているが、現在は海山〔事〕は廃止になっている。廃止にはなったが、南紀〔営〕の分車庫(運行管理者が常駐しない)として機能しているのだろうか。でないと南紀〔営〕から毎日毎日回送するのは無駄なので。

 比較的広い三重県の全域をカバーする三重交通だけあって、地域によって多彩な性格を併せ持つが、主に大都市を連ね、名古屋への通勤圏ともなっている北部、国際的観光地を控えつつ、ローカル色が濃くなる南部、そして青山峠より西、関西への通勤圏となっている伊賀と、大まかに3つのエリアがそれぞれ独特の特徴を持つ事が、車両面からも明らかになったと思います。日常利用するバス会社ではないからあまりあれこれ書けないけれど、三重県内において、近鉄電車を培養する性格(通勤・通学でも、観光でも)は、今後も変わらないのだろう。気がかりなのはやはりドライバー不足の問題で、三交の現状は分からないけれど、何とか少なくとも現状の便数は維持されて欲しい。
 ローカル路線はどのエリアも急激に縮小が続いていて、現状ではやむを得ない事だろうが、こちらもなんとか維持が図られる事を望みます。
 高速バスは、新名阪を経由した北部エリア~関西間の路線が意外に伸びを欠いていて、廃止や減便が相次いでいるのは残念。むろんコロナ禍やドライバー不足の影響も大だが、近鉄特急と競合する路線が少なくなかった事もあるだろうか。対東京の夜行路線もどこまで維持できるか不確定要素が多く、通勤通学輸送で利用者が多く安定した運営ができる北部エリア~名古屋間と、対抗するJR紀勢本線が不便な名古屋~南紀路線が、高速バスの柱となり続けるのか。セントレアへの空港バスも再開が待たれると思うが(電車だと名古屋の乗り換えが大変なので)、現状では休止が続く事になるだろうか。
 今後ともグループ外の三岐鉄道などとも協力しつつ、三重県の足として活躍し続ける事を期待します。

 次号X119はまた2つの公営バスの合算で、京都市と高槻市。しかも今回は京都府と大阪府、府も違う(高槻市営バスは京都市を走る区間もほんの僅かあるらしいが)。「10月中旬発売」とあるが、今日現在では、「BJエディターズ」の公式WEBでは「MAKING NOW」になっている。
 またその次のX120はさらに範囲が広く、仙台市・八戸市・青森市の3市の公営バスが予告されています。3市ともBJハンドブックシリーズは初であり、詳細なデータが取り上げられる機会があまりなかったので、期待したいと思います。来年1月発売予定。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けません。何かありましたら、引き続き本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


 5日の東急田園都市線・梶が谷駅構内の事故は、翌6日はほぼまる一日列車が運行できない、という事態になってしまいました。東京メトロ半蔵門線も相当なとばっちりを受けたようです(鷺沼・長津田から車両を送り込めないので)。通勤の大動脈で、しかも代替の鉄道がすぐ近くにないような路線が止まってしまうのは、やはり困っちゃうなあ、と思ってしまいました(他人事で申し訳ないが)。ATCプログラムミスという事で、社長らが謝罪会見も行いましたが、運輸安全委員会の調査も入っていて、その結果を待ちたいと思います。都会も地方も、鉄道もそれ以外も、まずは安全で安定した運行が一番。
 ホリエモンがトキエアの取締役、か…。何をしてくれるのだろうか?

《What's New》
 6日 沖縄県南城市 不信任決議の市長 市議会解散 
 7日 「白タク」 東京・銀座で一斉交通取り締まり
 8日 連合 芳野 友子会長 3期目続投決定
 9日 日野自動車・三菱ふそうトラック・バス 持ち株会社ARCHION(アーチオン)設立発表
 ARCHIONは同時に、国内のトラックの工場を3か所(川崎・古河・新田)に集約するそうだが、バスはどうなる?

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