№3013 1988年GWの広島

 今回もまた、昔話でお茶濁しになってしまうが、広島に行ってきましたので、今回は37年前の広島について書きます。
 相変わらず記憶がうろ覚えなので、大した事は書けないですが。

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 1988(S63)年5月2日の広電宮島口駅です。現在の位置に移転する前の、さらに前のリニューアル・駅舎立て替えの前の頃です。
 当時の広電の連接車は3700形が最新鋭だった頃で、画像の3000形(元西鉄)などが主役でした。2両連結の2000形というのもありました。

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 というより、当時の宮島線(広電西広島~広電宮島間)は、一般的な高床式の電車と、市内線から直通の低床車が共用になっていました。この頃にはもう、日中は全列車が低床車の直通だったと思う。高床式の電車は朝夕のみで、結局乗った事はありませんでした。

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 夜、当時の広島駅前です。今は更地になっちゃっているのだけれど、当時は左側の降車ホームで乗客を降ろし、引き上げ線で転線して、右側の乗車ホームで乗客を乗せて出発していきました(⑤号線は、引き上げ線上の専用ホームで客を乗車させていた)。
 なおこの画像は、高感度フィルムを使って、ストロボは使わずに撮影しています。

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 翌日5月3日(憲法記念日)は「広島フラワーフェスティバル」が開催されていて、雨が本降りだったのが残念だったが、それでも花電車などがパレード的な運行を行っていました。

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 午後は可部線に乗りに行きました。まだ可部~三段峡間の非電化区間があった頃で、これは戸河内駅で撮影したキハ23形です。〔三段峡観光号〕という臨時列車んもあったのですけれどねえ。電化区間は、当時は105系とクモハ123形という時代でした。

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 最後に、この当時の広電の路線図です。駅前通り新線・廃止になった猿猴橋町周りの区間を除けば、路線は今と同じです。当時は市内線と宮島線は別物で、②号線は広島駅前~己斐間の系統、己斐と広電西広島は別の駅の扱いで、広島駅前~広電宮島(現広電口)間は直通サービス、という形、だったのでしょうか。名称が変わっている電停も、いくつかあります。広島空港は、東広島市に移転する前の空港、今の広島西飛行場でした。

 他にももっとお見せしたい画像もあるが、キリがないのでここまでにしておきます。
 今年は広島・長崎への原爆投下、そして太平洋戦争終戦から80年、という重大な節目でした。平和が長続きする事が、「乗り鉄」「撮り鉄」を心から楽しむためには絶対必要です。少なくとも日本では(もちろん他国もだが)、戦争のない平和な世の中が続きますように。

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 プロ野球パリーグは福岡ソフトバンクホークスが連覇を果たしました。あとはクライマックスシリーズを勝ち抜いて、去年DeNAに下剋上日本一を許した、雪辱を果たす事ができるのか(それは阪神タイガースも同じだが)。

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