先月書いた通り、9月3~5日の3日間、山陰~北陸~東海と、「青春18きっぷ」を活用して(初日は新幹線を使ったが)、主にJR西日本のローカル路線を乗り歩いてきました。今回から5回に分けて書きます。近年JR西日本の地方路線はどこも危機的な状況が伝えられていて、存続が危ぶまれるという路線も少なくなさそうだが、実際のところはどうなのよ、やはり自分の目で見て、足で乗らないと、本当のところは分からんだろうよ(たった3日で全部分かるはずもないが)、実際に列車に乗らないと!というのが、JR西日本に限らず、またJRグループにも限らないが、この数年の私のテーマになっています。
加えて、これは幹線だが、いよいよ北陸新幹線・金沢~敦賀間の開業が来年3月16日と発表になり、従って並行在来線の北陸本線も、第3セクター鉄道に転換されます。従って「青春18きっぷ」で乗れるのはあとわずかであり、また特急が行きかうシーンが見られるのもまた、あとわずかです。なので、福井までになってしまうが、JR西日本としての最後の北陸本線の姿もまた、見ておきたいと思いました。
9月 3日(日)
しかしさすがに岡山までは、普通列車では1日がかりになってしまい、新幹線に頼らざるを得ませんでした。本当は前の晩の〔サンライズ〕にしたかったが、シフトが直前まで確定せず、確定直後にみどりの窓口へ走ったが、「のびのびシート」は案の定、「満席」…。小田原~岡山間の乗車券+新幹線自由席料金15,400円。
戸塚から東海道線の初列車に乗り、小田原から新幹線乗車。
新幹線の初列車、新横浜始発の〔ひかり533号〕。新ダイヤでは〔のぞみ491号〕の通過待ちがあるが、この日は運転日ではない。
新横浜始発ではあったが、車内販売は乗っていました。
ここではコーヒーを注文、あのカッチカチンのアイスクリームはなかった。
東海道新幹線の車内販売も、今月いっぱいで基本的には終わり、という事になりました。今月一杯、新幹線に乗る予定はないから、これが最後の車内販売、という事になります。私鉄の乗務員時代、泊まり勤務明けで乗り込んだ〔ひかり〕の食堂車でモーニング、なんて、もはや遠い過去の話…。
ところで、車内での乗り換えのアナウンスだが、京都では未だ「東海道線・山陰線」のまま。新大阪も「東海道線」。以前も書いたはずだが、愛称名そのものの是非は置くとしても、やはりJR東海・西日本でキチンと統一されるべき。でないと不慣れな旅客は、在来線のホームでオロオロする事に、なるのではないか?
岡山に着きました。せっかくの快晴、なのに、乗り換え時間がわずか。〔サンライズ〕で着けていれば、岡山のバスも少しは撮影できたのではないか。
岡山のバスと言えば、この日は「運賃無料Day」なのでした。これを機に、岡山のバス業界全体が、良い方向に向かうだろうか。
バスは撮れなかったが、岡山電軌の「チャギントン電車」は撮れました。
折返しはこんな感じ。東山行乗り場の奥の方で、客を待つ。この後、かなり華々しいマーチを奏でながら出ていきました。
バスにもチャギントンのラッピング車があります。
津山線のホームに向かうと、「SAKU美SAKU楽」の姿がありました。この後10時50分発の臨時快速(全席指定)で出発。
しかし、これに乗ってしまうと因美線には乗れなくなるので、9時50分発の定期快速〔ことぶき〕に乗車。名前はあっても、キハ47 85+キハ40 2082という、どうという事のないワンマン列車なのだが。岡山もそろそろ、DCでも新型が欲しい(今回は「Urara」は見なかった)。左は〔南風5号〕。
出発すると、右手に381系の姿が。いよいよ見納めが近い。
津山線は、最後まで急行が走っていたくらいなので、比較的線形は良く、揺れはあるが走りっぷりは良い(高速化事業を行った事もあるが)。ただしやはり線路自体は貧弱。
法界院を過ぎると、沿線はのどかな農村地帯。
乗客は比較的多かったが、金川でかなり降りた。
福渡で上り〔ことぶき〕と交換。「上り」と書いてしまったが、津山線はなぜか、列車番号が津山→岡山が奇数・その逆が偶数。だから向こうは3935D、こちらは3934Dだ。変えても良いのでは?
さらに弓削で交換の951Dは、キハ120形2連だ。姫新線運用の岡山への帰りの運用か。
亀甲駅の構内の美咲町の看板には、旧同和鉱業片上鉄道の写真が。何でこんなところに?と思った。美咲町は「平成の大合併」で、亀甲駅がある中央町と旭町、それに片上鉄道の終着駅があった柵原町が合併してできた町。駅近くの町役場と柵原を結ぶ町営バスが3往復あるようだが、土休日は運休。
車内の運賃表には、芸備線・新見~備後落合間の運賃も記されているが、備後落合に行く事があるのか?(キハ120形と共通で作っているのか)。
津山到着。ここもウン十年ぶりになってしまって、かつての佇まいもどうだったっけ?と忘れてしまっているくらい。西日本JRバスの中国高速線用セレガが待機しています。
C11 80が、かなりきれいな状態で静態保存されています。
津山駅は8月に、開業100周年を迎えました。年表がありました。
駅舎内には、今は「まなびの鉄道館」となっている、扇形庫の模型があります。
しかし、「まなびの鉄道館」に立ち寄る間もなし。因美線678Dで智頭に向かう。キハ120-339の単行。案外乗客は多かったものの、その大半は「鉄」?
東津山までは姫新線の線路を行く。東津山は、一旦再度合流してから分かれる形。因美線の方が直線だ。
しばらくは比較的平坦な田園地帯。青い空と緑の大地。
行先表示の対応表があり、米子までの伯備線も記されている。ただ、総社・備中高松という駅名はなく、桃太郎線(吉備線)には最初から入らないようだ。
高野駅。
美作滝尾駅。
川が迫ってきて、勾配が少しずつ急になっていく。
三浦駅。山の中で「浦」とは面白い。
美作加茂は行き違いができる駅。
ここではある程度下車があったが、その他の駅は、ほぼ乗降がない。
知和駅。
美作河井駅。かつては行き違いができた、島式ホームの駅でした。
ここで書き手の年齢が思いっきりバレる画像を出すが、これは1989(H元)年5月5日の撮影で、美作河井を通過する急行〔砂丘〕。通過だが、当時はタブレット閉塞で、助手がキャッチャーに固定されたタブレットを受け取ろうとしている所です。当然駅員もいました。私が乗って退避していた上りは、キハ45×2連の鳥取直通。沿線はどこも、鯉のぼりがブイブイ泳いでいました。
(ホームの小屋は変わっていない)
それもまた、遠い遠い記憶の彼方の話。今は駅員も、乗客の姿も見えない無人駅。
長い河津トンネルを抜けて、鳥取県に入ります。農村地帯。
那岐は交換可能。結局今は、東津山~智頭間で行き違いができるのは、美作加茂と那岐のみ(どちらも折返し列車の設定がある)。
土師駅。
やがて右手から、智頭急行の線路が合流してくる。規格の違いが明らかで、これではかつては陰陽連絡急行が行きかった津山線・因美線とも、ローカル線に転落してしまうのは、致し方のない事か。
久しぶりの、智頭駅。ここ2年近く前に、智頭急行で来ている。
この日はまだ先が長いので、やや中途半端だが、この先は次回です。鳥取・浜坂・豊岡・福知山・綾部と乗り継いで、西舞鶴まで。
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谷村 新司さんが、亡くなられてしまいました…。お悔やみを申し上げる、という他はないが、まだ74歳、ですよ!いまどき、まだまだ全然バリバリに若いはずなのに。私たちの年代では、フォーク・ニューミュージックのトップランナーの一人、という印象が強いです。「アリス」時代も、ソロになってからも名曲は数知れずだが、交通つながりだとやはり、山口 百恵に提供した旧国鉄のキャンペーンソング「いい日 旅立ち」、でしょう。思えば最近のアイドル歌謡で、この手のバラードって、聴かないんじゃない?(徳永 英明がカヴァーしているらしいが、聞いた事はない)
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