平成随一の特急街道 新幹線開業で分断
能登半島の鉄路 観光客誘致に活路
能登半島の鉄路 観光客誘致に活路
新幹線開業前夜のJR線
石川県内を東西に貫く北陸本線は、山陽や東北・上越新幹線が開通、国鉄が民営化して以降では、近畿圏や首都圏と北陸を結ぶ、在来線では随一の特急街道となった。大阪行〔雷鳥〕と、名古屋行〔しらさぎ〕、米原行〔加越〕がフリークエントサービスを提供、〔雷鳥〕を補完する形で福井・金沢~新潟間〔北越〕の運行があった。また、対東京で新幹線に接続する全車指定制のビジネス特急として、長岡行〔かがやき〕、米原行〔きらめき〕が、専用色をまとった485系グレードアップ編成により運行されていた。
平成最初の1989(H元)年3月改正で、主要駅のみ停車で、大阪~金沢間を最短2時間34分で結ぶ〔スーパー雷鳥〕が設定された。最高130㎞/h運転は、〔スーパーひたち〕と並ぶ在来線最高速度だった。パノラマグリーン車とラウンジカーを連結した485系の専用編成を投入、多客期には長野へ直通した実績もあった。
この時点で、能登半島を東西に結ぶ七尾線は、津幡~輪島間の全区間が非電化であり、急行〔能登路〕の他、DC特急〔ゆぅトピア和倉〕が、大阪から和倉温泉まで直通していた。同列車に使用されるキロ65形はキハ65形の改造で賄われ、両端部は運転室の上部に展望席を配置していた。大阪~金沢間は〔雷鳥〕の最後部に連結され(非協調)、電車+DCの併結運転の形態が注目されていた。
1991(H3)年9月、津幡~和倉温泉間の電化が開業した。北陸本線は交流で電化されていたが、コスト低減のため直流での電化となり、津幡駅構内で交直切り替えを行う形態となった。和倉温泉までは、電車特急〔スーパー雷鳥〕と、名古屋からの〔しらさぎ〕の一部が直接乗り入れる形態に改められた。普通列車は、113系を交直両用化改造した415系800番台が、専用車両として投入されている。
一方、北部の七尾~輪島間は、第3セクター鉄道ののと鉄道に移管された。のと鉄道は1988(S63)年3月、特定地方交通線の能登線(穴水~蛸島間)を転換して開業しており、能登半島北部の鉄路は同鉄道の運営に統一される事になった。なお、七尾線の線路は全区間JR西日本が保有、のと鉄道は第2種鉄道事業者となるが、七尾~和倉温泉間は両社の共用区間となる。JRの特急は和倉温泉まで直通する事になったが、普通列車は七尾で乗り換える事となった。後には〔かがやき〕も直通運転を開始している。この他、JRの急行〔能登路〕が引き続き直通運転を行う他、能登線で運行されていたのと鉄道の急行車両〔のと恋路号〕も、七尾まで直通を開始した。この影で、〔ゆぅとぴあ和倉〕は退役した。
翌1992(H4)年4月、JR西日本では初の新型特急電車となる、681系が試作された。485系置き換えを見据えたもので、この年の年末に臨時〔雷鳥〕で営業を開始、結果を基に、1995(H7)年に量産車の製造が始まった。試作車は9両固定だったが、量産車は6+3連となり、七尾線や富山地方鉄道への直通に対応できるようになった。阪神大震災の影響により、当初の予定よりやや遅れて同年4月に営業運転に入り、当初は〔スーパー雷鳥〕の愛称に「サンダーバード」の副称がついていた。定期列車では7往復に投入され、大阪~金沢間を最速2時間29分で結んでいる。1997(H9)年3月、列車名も正式に〔サンダーバード〕となって、485系と差別化される事になった。2001(H13)年3月には、後継の683系もデビュー、485系の置き換えを進め、2011(H23)年3月ダイヤ改正で完了した。683系は〔しらさぎ〕にも導入され、2003(H15)年に全列車の置き換えが行われた。この時点で、米原発着の〔加越〕も、〔しらさぎ〕への統合が行われ、名前が消えている。
1997(H9)年3月、新潟県内の北越急行が開通すると、対東京のアクセスに大きな変化が起きた。新たに北越急行を経由して越後湯沢で上越新幹線に接続する〔はくたか〕が新設となり、長岡経由からシフトする事になった。〔はくたか〕 はJR西日本の他、JR東日本と北越急行の共同の運行となり、JR西日本と北越は681系、後には683系を投入、北越編成も共通で運用した。北越線内では段階的にスピードアップが図られ、2002(H14)年3月には、在来線最速の160㎞/h運転を開始した。金沢~越後湯沢間は最速2時間26分、金沢~東京間は3時間44分となった。
この影で、〔かがやき〕は〔はくたか〕新設と引き替えに廃止、〔きらめき〕も〔加越〕に統合され、専用色の485系は姿を消した。
日本海縦貫線を構成する北陸本線では、大阪と東北地方の日本海側を結ぶ特急も設定されていたが、昼行の最長距離を誇っていた〔白鳥〕は2001(H13)年3月改正廃止、金沢を境に大阪側は〔雷鳥〕、新潟側は〔加越〕となった。夜行列車では大阪~青森・函館間〔日本海〕の他(1994(H6)年廃止の寝台特急〔つるぎ〕は、石川県内には停車していなかった)、豪華寝台特急〔トワイライトエクスプレス〕が1989(H元)年より運行を開始し、金沢にも停車していた(当初はツアー専用で、年末より一般の利用が可能になった)。また、大阪~新潟間の急行〔きたぐに〕が、寝台特急から転用された583系で運行されていたが、〔日本海〕は2012(H24)年までに、〔きたぐに〕も臨時格下げの後、2013(H25)年1月を持って、運行が取り止めとなった。
東京方面では引き続き、信越本線経由の特急〔白山〕が上野~金沢間を結んでいた。「ラウンジ&コンビニエンスカー」を連結するなどサービス向上も図られたが、1992(H4)年3月改正で1往復に減便、1997(H9)年12月、後の北陸新幹線の一部となる長野行新幹線開業時に廃止となった。夜行では長岡経由の寝台特急〔北陸〕と、信越本線経由の急行〔能登〕があった。客車列車だった〔能登〕は、多客期には七尾線に直通、輪島まで運行された事もあったが、1993(H5)年3月改正では〔白山〕と共通の489系電車に置換えられ、1994(H6)年改正では福井まで延長されていた。しかし〔北陸〕は2010(H22)年3月改正で廃止、〔能登〕は碓井峠区間廃線と共に長岡経由に変更になったが、やはり2010(H22)年3月改正で臨時格下げ、事実上廃止の道を歩んだ。この結果、石川県内では、北陸新幹線開業を前に、夜行列車は全て姿を消す事となった。
新幹線開業と 並行在来線移管
2015(H27)年3月14日の北陸新幹線開業は、石川県の鉄道の一大転機となった。E7系・W7系による最速の〔はくたか〕は、東京~金沢間を最速2時間28分となり、在来の越後湯沢経由より、1時間20分程度の大幅な短縮を実現した。この他、各停タイプの〔はくたか〕と、金沢発着に短縮された〔サンダーバード〕〔しらさぎ〕から接続する、富山行のシャトルタイプ〔つるぎ〕が設定されている。新幹線の愛称は全て、金沢を発着していた特急列車につけられていたものである。
一方、並行在来線となる北陸本線の金沢以東は、第3セクター鉄道、IRいしかわ鉄道に転換された。特急は七尾線直通を除いて全て無くなり、〔サンダーバード〕や〔しらさぎ〕は、金沢で〔つるぎ〕に乗り継ぐ形態となった。IRいしかわ鉄道では普通電車及び、有料の快速〔あいの風ライナー〕のみが、倶利伽羅を境に富山県側を運行する、あいの風とやま鉄道と相互直通運転を行っている。
この結果七尾線は、他のJR線と直接接続しない孤立した路線となって、全ての列車がIRいしかわ鉄道に直通する形態となった。北陸本線からの直通特急は〔サンダーバード〕1往復を残してなくなり、代って金沢~和倉温泉間に〔能登のかがり火〕が設定されている。また、特定日には観光特急〔花嫁のれん〕が運行を開始している。キハ48形を改造、石川県の伝統工芸品をモチーフに改装され、車内では和風テイストの軽食や喫茶の提供も行われている。
JRとIRの共同使用駅となった金沢駅は、1990(H2)年6月には高架化が完成。新幹線開業に先立つ2005(H17)年には、東口のエントランスに「鼓門」「もてなしドーム」が完成。米旅行誌より「世界で最も美しい駅14選」に選出されている。
路線大幅縮小 のと鉄道
最盛期には114.5㎞の営業キロを誇ったのと鉄道だったが、特に穴水以北の利用の減少が著しく、急行〔能登路〕廃止の後、穴水~輪島間は2001(H13)年3月いっぱいで廃止、元々の転換路線だった能登線も2005(H17)年3月いっぱいで廃線となった。残存区間は七尾~穴水間33.1㎞の第2種営業区間のみとなり、この結果、営業距離が最盛期の1/3となり、開業時点とは、(穴水駅を除いて)営業区間が全く変わる事になった。残存区間では、開業当初からの車両が〔のと恋路〕用も含めて全て置換えになり、2015(H27)年より、観光列車「のと里山里海」の運行を開始、観光客の呼び込みを図っている。能登の伝統工芸品を調度品としてあしらい、軽食や喫茶の提供も行っている。近年は、アニメの舞台のモデルとなった西岸駅を中心に、「聖地巡礼」で訪れるファンも少なくない。旧能登線甲駅の構内に有志によって保存されていた郵便車オユ10形は能登中島駅に移動、一般にも公開されている。
北陸鉄道 廃線と地下新線
国鉄線から多数の支線的路線を伸ばしていた北陸鉄道は、平成の世になった時点では、石川線と浅野川線の2路線のみとなっていた。両路線とも旧型車両を使用していたが、石川線には1990(H2)年より、元東急7000系を導入、後には元京王3000系を追加導入し、車両面での近代化を達成した。起点の野町駅は市の中心部から離れていたため、昭和の終わりの1987(H62)年には、バス路線の乗継ぎの便を改善すべくロケーションシステムを整備、ジャンクションとしての機能を備えていた。しかし利用者は減少傾向にあり、特に利用者が少なかった鶴来~加賀一ノ宮間は、2009(H21)年10月限りで廃止となった。残存区間も便数の減少が続いている。2015(H27)年3月には、白山市の新興住宅地に陽羽里駅が開業、旅客の誘致に努めている。また、鉄道などで鶴来市の観光スポットを巡る「恋のしらやまさん」のキャンペーンを、白山市と共同で展開している。
浅野川線は、金沢駅付近の再開発に合わせ、起点の北鉄金沢駅が2001(H13)年3月、地下の新駅に移転した。このため車両の難燃化を行う必要があり、1500Vへ昇圧の上、元京王井の頭線3000系を導入して、車両の総入れ替えを行っている。石川線、浅野川線とも以前は急行運転を行っていたが、現在は全て普通電車である。
次回はデータ編です。
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《今日のニュースから》 カッコ内は新型コロナウィルス関連
13日 イスラエル 新政権発足 12年ぶり政権交代
(川崎市 ワクチン6396回分廃棄 冷凍庫製品不備影響)
14日 米軍オスプレイ2機 事前連絡なく山形空港着陸
(金沢兼六園 約1か月ぶりに開園 石川県「まん延防止等重点措置」解除)
15日 民放ラジオ全国44局 2028年秋までのFM転換を表明
(ソフトバンクグループ職域接種 近隣住民にも拡大 孫 正義社長表明)
ANAが13日より、ワクチンの職域接種を開始しました。職域接種は、ANAが全国初だそう。14日にはJALもスタートし、赤羽国土交通大臣が両社の接種会場を視察したそうです。
AMラジオ局は、施設の老朽化などでAMの維持が難しくなって、FMへの転換を模索していました。既に大手の一部の局は、限定的ながら、FMも併用しているようです(東京のニッポン放送は、AM1242メガヘルツと、FM93.0メガヘルツ(「ワイドFM93」と称し、スカイツリーから電波を発している)を併用している。AMのサイマルで、放送内容は同じ)。ただし受信には、90.0メガヘルツを上回る周波数を受信できる「ワイドFM」対応のラジオが必要。ここで疑問があるのだが、高速道路などの長大トンネルの入り口などで、AM局の周波数を記した標識をよく見かけるが、AMから転換されるFMは、トンネル内では受信できるのだろうか?道路管理者が対応するのだろうか。クルマ側の対応はどうだろうか。なお、NHKはAMを維持(放送法で義務付けられている。将来的にはAM・FMとも1波ずつに再編)、北海道と秋田の民放3局もAMを維持するとの事。
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