今のコロナ禍への対応でも明らかなように、東京は日本一の大都会であり、一極集中への対応も課題であり続けているが、東京都だけでは完結・解決できない事項も数多くあります。特に隣接する神奈川県、埼玉県、そして千葉県とは密接な関係があります。それは、鉄道も全く同じでした。東京都内で起きた事項は、ほとんどがそのままストレートに、近隣の他県に波及する事になります。
地下鉄ネットワーク・私鉄輸送力増強策完成
品川が第4のターミナルに躍進
品川が第4のターミナルに躍進
地下鉄新規開業路線はワンマン運転
平成の世が始まった時点で、営団地下鉄のネットワークは、南北線・副都心線が未開通、半蔵門線は延伸の道半ばだった。1989(H元)年1月26日の半蔵門~三越前間開業が、平成になって最初の、日本の鉄道新線の開業だった。
1991(H3)年11月、南北線が、他の地下鉄路線と繋がらない、駒込~赤羽岩淵間で先行開業した。営団地下鉄では初めてATOによる自動運転・ワンマン運転を実施、各駅には密閉式ホームドアを採用した。地下鉄では初のSF磁気カードも導入している。1996(H8)年3月に四ツ谷まで、翌年には溜池山王まで延伸し、他の地下鉄路線と繋がった。
有楽町線は、東武東上線との相互直通運転が行われていたが、西武池袋線との直通は遅れていた。西武有楽町線とは直通運転を行っていたが、新桜台が終点で他の西武線と繋がりがなく、車両は全て営団車両だった。練馬延伸は新桜台開業から11年後の1994(H6)年12月、同時に、のちの副都心線の一部となる新線池袋~小竹向原間が、有楽町線の新線として開業した。
東京都交通局でも、新宿線が1989(H元)3月19日に千葉県の本八幡まで延長し、全線が開業した。当初は本八幡から千葉県営鉄道と直通運転を行う計画だったため急行運転が想定されており、瑞江駅には通過線が設けられていた。1998(H10)年より急行運転を開始している。
大江戸線の開業は1991(H3)年12月10日、やはり他の地下鉄路線との接続がない練馬~光ヶ丘間の先行開業で、単に都営12号線と称していた。大阪市交通局鶴見緑地線に次ぐ、日本で2番目の小断面リニアモーター地下鉄で、当初からワンマン運転を行っている。1997(H9)年12月に新宿まで、2000(H12)年4月に国立競技場へ延伸、同年12月に環状部が全線開業し、全通した。この時点で大江戸線と命名されている。
営団地下鉄南北線・都営地下鉄三田線は、2000(H12)年9月26日、同時に目黒に延伸して全通した。両路線は目黒~白金高輪間を共用、営団が第1種鉄道事業免許を保有し、都営が第2種鉄道事業者として乗り入れる形態を取った。三田線は全駅にホームドアを設置し、ワンマン運転を開始している。
半蔵門線は、東武伊勢崎線との相互直通を行う事になり、2003(H15)年3月19日に押上まで延伸、東武が建設した新線と連結して、相互直通運転を開始した。これが、営団地下鉄としては最後の新線開業となった。
特殊法人だった営団地下鉄は翌2004(H6)年4月1日、東京地下鉄(東京メトロ)として民営化された。その後はエキナカやホテルなどの副業にも、力が注がれる事になる。
2008(H10)年6月14日、有楽町線新線が渋谷まで延伸し、副都心線として開業した。東京メトロとしては初の新線で、ATOによる自動運転・ワンマン運転を実施している。最長10連で、当初から急行も運行される地下鉄路線のワンマン運転は、前例がない。
副都心線の開業で、営団→東京メトロ、都営地下鉄、いずれも計画されていた路線が全て開業し、現在に至る地下鉄ネットワークは全て完成し、東京メトロが9路線174.9㎞、都営地下鉄が4路線109.0㎞、合計283.9㎞となり、世界でも有数の地下鉄ネットワークを誇る事になる。両者の懸案事項として地下鉄事業の一元化があり、乗継ぎ割引の拡大や、九段下駅で半蔵門線と新宿線のホームを隔てた壁の撤去など、ソフト面での動きは見られるが、体制の変更という面では、今の所前進がない。
大手私鉄 輸送力増強に苦闘
郊外に向かう大手私鉄の大半に取って、輸送力の増強が喫緊の課題となっていたが、大規模な設備投資を必要とするため、1987(S62)年に認定された、「特定都市鉄道整備計画」によって整備が進められた。事業計画区間において運賃を上積みし、終了後に利用者に還元するものである。
東武伊勢崎線は早期に竹ノ塚まで複々線になっており、1988(S63)年には草加まで高架複々線化が行われていた。1997(H9)年には越谷まで、2001(H13)年には北越谷まで延伸。越谷複々線化と同時に北千住駅ホーム立体化も完成し、輸送力の大幅な増強が実現した。
これより前の1990(H2)年には、業平橋駅構内の貨物ヤード跡地にホームを新設、10両編成の準急列車を発着させ、隣接する都営浅草線押上駅を介して連絡運輸し、日比谷線に集中する旅客を分散させる措置が取られた。2003(H15)年3月の半蔵門線との相互直通開始まで使用され、その後跡地には2012(H24)年5月、東京スカイツリーとスカイツリータウンが開業、東武グループの新たな観光資源ともなった。
西武池袋線は練馬~石神井公園間で高架複々線化が行われる事になったが、工事は遅れ、練馬~練馬高野台(新規開業)間の先行高架化は1994(H6)年12月になってであった。同時に西武有楽町線・新桜台~練馬間が開通したが、この時点では池袋線に直通せず、練馬折返しだった。複々線化は、2001(H13)年12月に練馬高野台まで完成したが、残る練馬高野台~石神井公園間の高架複々線化の完成は、11年も後の2012(H24)年12月になってであった。一方新宿線は、西武新宿~上石神井間で大深度地下線建設による複々線化が計画されたが、費用対効果が見込めないと判断、1995(H7)年に計画中止が発表され、運賃の還元が行われた。
東急東横線・田園都市線はいずれも、他路線をバイパスとして整備する方法が採られた。東横線では、旧目蒲線を多摩川で分割、目黒側は車両の長編成・大型化させ、田園調布~日吉間に建設する複々線に直通し、さらに目黒から地下鉄線と相互直通させる計画となった。2000(H12)年9月、先行して地下化されていた目黒駅に地下鉄南北線・三田線が到達、目黒を経由しての直通運転が始まった。同時に急行に運転も始まっている。目蒲線は目黒側が目黒線と改称、蒲田側は東急多摩川線となり、多摩川~蒲田間の折返し運転に改められている。
田園都市線では沿線の開発により急激に乗客が増加、6ドア車の導入や、準急の設定による混雑率の平準化が試みられていたが、輸送力の増強策が限界に達していた。このため大井町線を活用し、二子玉川~溝の口間を複々線化、大井町線を整備の上で直通させる事になった。2008(H10)年には6連の急行運転を開始、翌2009(H21)年の複々線化完成により、溝の口まで延伸した。新玉川線は2000(H12)年、田園都市線に編入されている。
京王線は新宿(新線駅)~笹塚間が複々線となっていたが、その先は列車の側で輸送力増強を行う事になり、ラッシュピーク時の新宿発着の各駅停車を全て10連とした他、ピークの前後を含めた2時間の範囲で増発を行った。井の頭線は車両の大型化で輸送力を増強する方策が取られ、1995(H7)年に20m4ドア車の1000系を導入、在来の3000系を順次置き換えていった。渋谷駅では大規模な改良が行われている。事業終了後の1997(H9)年には運賃の還元による値下げが行われ、一般にも話題となった。
小田急小田原線の複々線化は困難を極めた。喜多見~和泉多摩川間の高架複々線化は1997(H9)年に完成したが、世田谷区内では集団訴訟が提起されるなど激しい反対運動が起こり、工事は大幅に遅れた。梅ヶ丘~喜多見間の複々線化は2004(H16)年、残る下北沢付近は緩行線と急行線の2層の地下線による複々線化となり、2018(H30)年3月にようやく完成した。都市計画決定から40年、特定都市鉄道整備計画認定からも、31年の時が経っていた。同月のダイヤ改正では快速急行の大幅な増発など抜本的な輸送力の増強が実現、混雑率が前年度192%→151%と、劇的に改善された。この小田急の完成で、特定都市鉄道整備計画は、(中止の西武新宿線を除き)全て完成した。
地下鉄ネットワーク完成、私鉄の輸送力増強策は、地下鉄を介して都内をスルーする相互直通ネットワークの拡大をもたらした。東武伊勢崎線は既に日比谷線との相互直通運転が行われていたが、2003(H15)年の押上新線開業で半蔵門線と直結、半蔵門線は東急田園都市線との直通運転を行っていたので、半蔵門線を経由した、東急~東武の直通運転が実現する事になった。中央林間(神奈川県大和市)~南栗橋(埼玉県栗橋町・今は久喜市)間は100㎞に近い。2006(H8)年には相互直通列車の大幅な増発が行われたほか、久喜発着列車も設定された。
東武東上線と西武池袋線は、共に有楽町線とは相直運転が行われていたが、2008(H20)年には副都心線とも相互直通が始まり、渋谷まで到達。2013(H25)年、東急東横線の渋谷駅が副都心線の駅に統合される形で地下に移転して副都心線と直結、東武・西武~東急、さらにみなとみらい線との相直運転が始まった。副都心線が既に急行運転を行っており、東急と西武からの直通も、急行運転が主力になった。2016(H28)年には東上線でも副都心線直通列車の急行運転が開始、4社相互直通で最速となる列車には「Fライナー」の愛称が与えられた。この影で、東急東横線~地下鉄日比谷線の相直運転は、2013(H25)年に廃止となった。
小田急小田原線との相直運転を行っていた千代田線では、2008(H10)年より、小田急ロマンスカー60000形MSEの乗り入れが始まった。地下鉄初の有料列車である。平日は通勤・帰宅需要、土休日は行楽の需要に応えた設定になっている。土休日は一時、有楽町線新木場発着の設定もあった。有楽町線・副都心線では2017(H29)年より、西武40000系を使用した座席定員制〔S-TRAIN〕を運行している。平日は通勤・帰宅需要に応えるべく有楽町線と、土休日は行楽客の利用を見込み、副都心線経由でみなとみらい線へ直通、さらに西武秩父行が設定されるなど、曜日により運行内容が大きく異なるのが特徴である。
羽田空港拡張 アクセス鉄道競合
羽田空港は沖合展開事業の進捗により、1993(H5)年10月、旅客新ターミナル(現第1ターミナル)が開業した。対応して、東京モノレールは整備場から新線を敷設、ターミナル新駅直下に乗り入れた。一方、京急空港線は、旧羽田空港駅から路線を延伸、第1段階として、地下線を建設し、旧羽田駅で東京モノレールと接続、同時に本線直通列車を新設し、モノレールを介した鉄道アクセスの整備の始まりとなった。その後の1998(H10)年に京急線自身も、空港ターミナル新駅への新線を開業している。2002(H14)年には第2ターミナルが開業し、東京モノレールは路線の延伸により、第2ターミナル新駅に乗り入れている。京急線は、京急蒲田駅の工事の進捗に合わせて直通運転を増強、横浜方面行の列車の運行も始まった。
都営浅草線では、京急線羽田空港ターミナル新駅乗り入れを機に、線内で急行運転を行う「エアポート快特」「エアポート特急」を新設した。のちにエアポート快特に一本化している。一方東京モノレールでは2007(H19)年、昭和島駅の待避線完成により、「空港快速」「区間快速」を設定している。
2009(H11)年には京成により、成田空港へのアクセス新線となる「成田スカイアクセス」が開業した。京成高砂~印旛日本医大間は、1991(H3)年に京成高砂へ乗り入れが完成していた北総鉄道と共用している。スカイライナーはスカイアクセス経由に変更となり、新車両(新)AE形による160㎞/h運転が行われ、都心~空港間は最速30分台後半にまで短縮された。同時に羽田空港~成田空港間の直通列車が増強され、「アクセス特急」が新設されている。また、2010(H22)年には羽田空港再国際化により、国際線新ターミナルが完成。東京モノレール、京急線共に、国際線ターミナル新駅を新設した。モノレールは、再度ルートの変更を行っている。
2002(H14)年、東京モノレールは株式の大半がJR東日本に譲渡され、JR東日本の傘下に入った。2019(H31)年2月、JR東日本自らが羽田空港アクセス線の整備を行う意向が表明され、東京モノレールの空港アクセス鉄道としての立場が微妙になる事も予想される。
臨海部で 郊外で 新鉄道開業
臨海部では開発に合わせて新線の開業が相次いだ。1995(H7)年11月、東京都初の新交通システム・東京臨海新交通が新橋~有明間に開業した。元々は翌年の開催が予定されていた世界都市博覧会のメインアクセスとなる予定で、博覧会は中止になったが、臨海部の開発の進展は進み、輸送力は増強が図られた。仮駅で開業した新橋駅は2001(H13)年に本駅に移転、2006(H18)年には豊洲まで延伸した。汐留駅は周辺の開発を待ち、2002(H14)11月、都営地下鉄大江戸線と共に開業し、乗換駅となった。この間の1998(H10)年、愛称の「ゆりかもめ」を正式な社名としている。
東京臨海高速鉄道りんかい線は、1996(H8)年3月に新木場~東京テレポート間で開業、2001(H13)年3月に天王洲アイルまで延伸し、新駅を建設した東京モノレールと接続した。翌2002(H14)年には大崎まで延伸、JR埼京線と連結して、新宿を経由し、川越までの相互直通運転を開始している。
最後の都電となった荒川線は、1990年代以降、VVVF制御の新型車両の導入、軌道の整備など近代化が推進された。一方、2008(H10)年3月には、新交通システム・日暮里・舎人ライナーが開業。両線は熊野前で交差するが、東京都交通局は、路面電車と新交通システムを同時に営業する、初の(恐らくは今後も唯一の)事業者となった。
「常磐新線」として建設されていた首都圏新都市鉄道(愛称「つくばエクスプレス」)は、2005(H17)年8月に開業した。電気の町からポップカルチャーの発信地に様変わりしていた秋葉原の地下駅を起点とした事でも、話題になった。
多摩地域には、都心から放射状に伸びる幹線鉄道を短絡する鉄道路線が待望され、多摩都市モノレールの建設が進められた。1998(H10)年には第1期区間の立川北~上北台、2000(H12)年には第2期区間の多摩センター~立川北間が開業した。
次回は、主にJRです。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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(巨人 丸・中島・若林・ウィーラー4選手陽性確認 1軍選手入れ替え)
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