№2233 板谷峠と利府支線 そして全線再開常磐線の旅 3〈終〉.大野駅 人の営みいつ戻るのか
2011(H23)年3月11日に発生した東日本大震災は、東北地方の太平洋沿岸に、あまりにも多数の犠牲者を伴った、計り知れない重大な被害をもたらしました。それは、何の直接の害を被る事がなかった私には口にするのもおこがましいものだったのだけれど、福島県浜通りに関してはそれ以上に、全世界を震撼させた、福島第一原発の爆発・放射能漏れ事故の影響が、極めて深刻なものになりました。
多くの人々が故郷を追われ、10年近く経とうとする今も、生まれ育った土地に帰れないままです。そして常磐線も、津波で多大な被害を被りながら、立入さえままならない区間が多く、復旧に多大な年月を要する事になります。
今年3月、最後まで残っていた地域の避難指示が解除された事で、常磐線もついに、9年ぶりの全線の運行が再開になりました。正直なところ、事故からしばらくの間は、もう再開される見込みがなく、放棄される事になるのではないか?とさえ思ったので(だから、水郡線や磐越東線の強化をした方がいい、と当ブログにも書いたものです)、感慨深いものはあります。とはいえ、すぐに元の暮らしが戻ってくるわけではなく、したがって常磐線もまた、しばらくは厳しい運営を強いられる事になるのだろうと思います。再開から半年以上経って、現状はどうなんだろう?と確かめてみる事も、今回の旅の目的の一つでした。
平成の福島県の鉄道を回顧した№2226で、冒頭に久ノ浜駅を通過する485系〔ひたち〕の画像を出しました。今回全線再開した区間を含むいわき~浪江間は、1989(H元)年12月27日に乗車しています。あの時は浪江で、廃線になって久しいJRバス東北福浪線に乗り換えて、福島に向かったものでした。しかしこの区間に関しても記憶はほとんどなく、まして浪江~岩沼間だと、全然記憶がありません。記録に残していないので。悪い癖でした。ほとんど新線に乗る感覚で、常磐線を南下しています。仙台からの電車を乗り換え、今回は原ノ町から。
原ノ町駅3番線から出発する、いわき行674M。
これが、首都圏でも走るE531系の5連。普通列車は全線再開と同時に運行形態が変わり、原ノ町で乗り換えになるが、首都圏の電車がここまで入るようになったというのは、どうにも違和感がある。震災前は、いわきより北は仙台の車両で運行されていたのだが(一部は水戸まで入っていた)。そもそも、なぜここは水戸支社管轄なのだろう?(新地まで)明らかに仙台の方が近いのに。
当然車内の路線図も首都圏のもので、常磐線は高萩まで、原ノ町までは書かれていない。「磐城太田」との取り合わせがミスマッチ。
一応ドア上には、常磐線(品川~原ノ町間)+水戸線の路線図もあります。
浪江からいよいよ、運行再開区間に入ります。
双葉駅。相対式だったが、上りホームは線路が完全にはがされ、使用していない。なのに不通になっている間に、駅舎は橋上化されたらしい。
双葉~大野間の沿線。これを見る限りは、普通の田舎のように見えるのだが。
双葉~大野間は、震災前は複線だったのだが、上り線の線路を撤去し、単線化しています。非常時の避難通路とするためとか。
大野駅に進入します。
元々、不通区間のどこかで途中下車するつもりだったが、この大野で降りる事とします。
降りたのは、私一人…。
大野駅も橋上駅舎。ただしここは震災前から橋上駅舎で、リニューアルはされているが、駅舎そのものは震災前のものをそのまま使用しているようだ。
まず目につくのは、放射線の空間線量率数値を示すメーター。この「0.293」が人体のどの程度影響を与えるのか、正直解らない。というか、はっきり言って、関心はありませんでした。次の電車まで2時間以上あるが、そこまでだったらどうって事ないでしょ?と、能天気に構えたりします。
(そもそも危険な数値が日常的に続いていたなら、運行再開もなかったはずなので)
3月5日に発出された、避難指示解除及び立入規制緩和区域を記したマップ。
これを見ると、大野駅と、大野病院付近に新たに避難指示の解除が出た他、下野上・野上地区(緑のエリア)の立入規制が緩和されています。しかし、それ以外の駅付近のエリアは、未だに「帰宅困難区域」に指定され、ほとんど自由な行き来が出来ません。
時刻表と運賃表。
駅の外へ出てみます。まず、東口。
さっそく目の前に、通行止めのフェンス。このフェンスの内と外で、危険度が極端に変わるわけはないと思うのだが、現実を象徴しています。
駐在所も立入禁止、当然警官の姿もありません。
海の方向に向かう道路も、閉鎖。
駅前の道路は、普通のクルマだけが走れるようで、バイクや自転車、歩行者(要は外気=放射線に直接さらされる可能性があるもの)は、通行禁止。
道路を隔てた反対側の児童公園も、9年も立ち入るものがいないのだから、かなり草むしてきました。ただ、その向こうの建物では、何か作業が行われているようだった。
時計も当然止まっているが、その時刻は、震災とは直接は関係ない気がする。
町を覆うように張り巡らされるフェンス。
したがって、車がなかったら、駅の外に出たって、ほぼどこにも行けないという事。
一方、西口。今回は利用しなかったが、広場には、放射線量計を貸し出す事務所があります。9時~16時。
避難経路図。避難先の大熊町役場は、震災前は大野駅の近くにあったが、今はうんと遠くの大川原地区に引っ越していて、歩くと1時間以上かかる。
「ステーションプラザ大熊」。無論休業中。手前の「Welcome to Okuma ようこそおおくまへ いらっしゃいました」の歓迎のメッセージも、虚しい。
駅前の元喫茶店。
元商店街もフェンスで遮られて入れない。入れたって皆休業しているけれど。ただ、軽トラックの出入りはあった。
JAの大熊支店とGS。
というわけで、徒歩での移動が現実的でない現状では、「大熊町生活循環バス」というのが、大野では一番頼りになる足、という事になるだろうか。バスと言ってもワゴンだが。報徳観光バス(報徳タクシー)への委託で、誰でも無料で利用できるらしい。
そのバス停。9月1日に時刻が変わっていて、平日12本・土休日も5本運行。一部は越境して、富岡駅まで入ります。
駅に戻って、「Suica利用駅拡大のお知らせ」。浪江までが「首都圏エリア」。小高からが仙台エリア。なぜか桃内は、どちらにも入らなかった。
こうなると「首都圏」「仙台」「新潟」のエリア分けは、もう不合理だと思う。JR西日本のように、全エリアを一体化した方が実情に合うのではないか?
それにしても、ここが「首都圏エリア」という事は、何か違う気がするが、つまりは、浜通りは関東地方との方が、仙台などより結びつきが強い、という事なのだろうか?福島第一原発も「東京電力」だし。
13時05分、下り原ノ町行675Mが発着。やはりE531系5連。2人降りてきました。地元の人ではなさそうだった。復興作業関係だろうか?大野駅も単線化され、島式ホームの旧上り線側はフェンスで囲われている。
当然駅員はいないし、飲み食いできるものは、(駅の外を含めて)駅舎内の飲料の自動販売機でしか手に入らない。なのにかなり広い待合室があり、カウンター席はPC等用のコンセントが完備している。チグハグだなあ、という印象もある。ありがたく使わせてもらったけれど。
この駅には、時刻表と共に、運行情報を同時に表示するモニターがある。異常が発生したらどんなメッセージが表示されるのかは解らないけれど、こういうの、他地域の無人駅でも、積極的に配備されても、良いのではないだろうか。
というわけで現状の大野駅、ともかく電車の運行は再開されたものの、何より地元の人の利用というものがほぼないのが現状と見えるし、やはり駅周辺の帰宅困難区域の指定が解除にならない限りは、この状態が続くと考えられる。せっかくの真新しい(新築ではないが)橋上駅舎も、数年は持て余し気味、という事になるのだろうなあ。震災前の賑わいが戻ってくるのは、いつの事になるのだろうか。
色々思う所もあるが、ともかくここで途中下車するつもりなら、放射線量も気になるだろうけれど、それ以前に当然、飲み食いできる場所が全くないから、まずその辺を覚悟しておく必要があります。
(私は前回書いた仙台駅の「マルシェ」で買ったお菓子類を、ここで食べました)
先の675Mの折返し、678Mいわき行が到着。大野を後にします。降車はなし、乗車も自分一人。
熊川。
夜ノ森。ここも橋上駅舎に建て替えられているらしい。
結局、浪江の次に行き違いができるのは、約15km先の夜ノ森という事になる。現状はこれでいいだろうが、東北本線に何かあった時の、特に貨物輸送の迂回ルートとしては、線路の容量としては大丈夫だろうか、という気もする。
富岡。ここで不通区間は終わり。ここも橋上駅舎だ。
海の方はいろいろ工事を行っているようだ。復興作業だろうか。
富岡を発ったところで乗客数を数えてみたが、5両に27人しかいなかった。現状の朝夕は解らないが、沿線の現状からすると、日中に関しては明らかに、輸送力過剰に過ぎると思う。
その先は、普通の農村地帯だ。普通に稲作も行われているようだ。
Jヴィレッジ駅。ここは複線区間で上下線が大きく分かれようとしている所にホームがあり、挟まれるように、丘の上に通じる通路がある。3月改正で正式な駅になって通年全列車停車になった、けれど、乗降は、全くなし。
広野駅。行き違いもないのに3分停車。
そんな長い時間ではないが、太平洋を見る区間もあります。
四ツ倉までくるといわき市の郊外となり、普通の人の営みが感じられるようになってきました。ホッとする。
いわき駅に着きました。駅前に発着する、新常磐交通バス。4月1日改正の時刻表を入手したが、これを読むと、富岡までは、休日以外はいわきからの乗り入れがあります。原ノ町にも路線があるが、引き続き運休中。大熊町は、震災前は東京や大阪からの高速バスの一部(浪江発着)が旧大熊町役場を経由していたが、一般の路線はもうなくなっているようだ。
福島駅でも見た、オリ・パラのカウントダウンが、いわき駅にもありました。
570M、水戸行。E531系3000番台5連。
車体には「安全確認カメラ」が設けられています。
夕陽が、西に沈んでいく。10月となると、17時位にはもう暗くなってくる。
勝田で、後部に同じE531系5連を増結。こういう運用があるとは、正直知りませんでした。
(この数日後、土浦→水戸間(勝田行)で乗車した549Mも、同じ5+5の10連だった)
水戸で乗り換えた上野行448Mの車内で食した、水戸駅の駅弁「常陸牛 牛べん」。
完全に真っ暗になって、この先は特に記すような事がないまま、上野に着きました。
最後に、今回使用した乗車券。「藤沢→新幹線→福島→山形→仙台→常磐線→日暮里」と一周する乗車券+「日暮里→戸塚」の乗車券が一体になった、連続乗車券でした。12,150円で、6日間有効になります。
というわけで、今回の旅は無事に終わりました。常磐線沿線の復興はたぶん相当な年月がかかるだろう、5年・10年程度のスパンが必要ではないか?とも思う。ダイヤもしばらくは、現状のままで推移するのではないでしょうか。とはいえ、12月12・19日には、「SENDAI光のページェント」に合わせた、水戸~仙台間の臨時〔ひたち〕も走ります。この催しは震災より前から開催されているものの、〔ひたち〕に関しては、初の臨時列車運行となるようです(ページェントは、今の時点では規模を縮小しつつ開催の方向)。こういう列車が今後も多数設定され、町も鉄道も、いつになるかは見当もつかないが、震災前の賑わいが戻ってくる事を、強く願いたいと思います。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
ANAHDは、来年3月までの1年間の決算が、5,100億円の最終赤字と過去最大になる見通しと発表しました。再建策もいくつか記されて、大型機30機削減などは既に報道されている通りだが、中長距離国際路線のLCCを、2022(R4)年をメドに立ち上げる方針も明らかにしています。JALが作ったZIPと同じようなものになると思われるが、そこまでに、全世界の航空需要そのものが、どうなっているのか(エアージャパンをベースにするらしい)。また、既に発注しているB737MAXや、B777-9X、そして三菱スペースジェットの扱いは何も発表がないようだが、どうするのだろう。
《今日のニュースから》 カッコ書きは新型コロナウィルス感染関連
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