№2133 ひと昔・ふた昔前 私鉄の駅 相模鉄道
ひと昔、ふた昔くらい前の私鉄の駅の画像をご覧頂くシリーズ、今回は神奈川県の相模鉄道です。去年、JRとの相互直通運転が始まり、全国的に話題になった鉄道だが、今回ご覧いただく画像を撮影した1990年代は、「大手私鉄」の仲間入りをしたばかりの頃、10両編成の運行はあったものの、運行区間も短く、グループのエリアも狭く、まだメジャーな存在とは言い難い時期でした。列車種別も急行と各駅停車の2種類だけ、だったし。21世紀になると、JR直通以外にも高架化とか、ブランドイメージ導入とかで、どの駅も大きく様変わりする事になります。
という時期なので、いずみ野線はまだいずみ中央に延伸になったばかりの頃、羽沢横浜国大はもちろん、ゆめが丘、湘南台もまだ先の話です。
本線 横浜~海老名
横浜 よこはま
相鉄ジョイナスが建ち、2Fにホームがあります。その基本的な構造自体は、昔も今も変わらない。
平沼橋 ひらぬまばし
西横浜までは、JR東海道線・横須賀線と並走します。その中間の小駅。
西横浜 にしよこはま
ここも小駅だが、今は駅舎が建て替えられています。羽沢貨物線(今のJR直通電車が走る区間)開通までは、貨物列車は保土ヶ谷とここの間で中継されていました。その名残で、保線用の線路が残っています。また、バスの西横浜営業所が隣接していました。この後、星川の高架化工事のため、留置用の側線が整備され、バス営業所は神奈川区に移転する事になります(現横浜営業所)。
天王町 てんのうちょう
元々高架駅だが、現在は星川高架化の関連で改良工事中。
星川 ほしかわ
地平時代。2面4線というのは変わらず、急行の各駅停車追い抜きもここで行われていました。当時は側線があり、車両の留置も行われていました。大半の側線は西横浜に移設される事になるが、新しい高架線にも2本整備されています。
和田町 わだまち
駅舎自体は変わっていないが、現在はリニューアルされています。
上星川 かみほしかわ
踏切からホーム側を撮っているが、橋上駅舎。相鉄バスが乗り入れていて、休憩のための留置も見られました。
西谷 にしや
今は直通線分岐駅として知られるようになりました。特急まで停車するようになったが(急行は通過のまま)、当時は各駅停車のみの停車。2面4線の退避駅だったが、当時は定期旅客列車の退避はなかった。いずみ野線湘南台延伸時から、退避が設定されるようになります。両側の待避線が、直通線に転用される事になります。ホームの真上で、東海道新幹線が交差。
鶴ケ峰 つるがみね
各駅停車のみ停車の駅では、乗降が一番多い駅でした。ただ、駅舎もホームも、当時は狭かった。湘南台延伸時に設定された快速の停車駅となり、のちに駅舎も増改築されます。
二俣川 ふたまたがわ
いずみ野線分岐駅。全体的な改良工事の真っただ中の撮影なので、こんな形になってしまいました。以前は2面3線で、のちにいずみ野線用として、現在の2番線が設置されました(今は本線も発車)。今はさらに大掛かりな駅になっています。
希望ケ丘 きぼうがおか
当時は上下で駅舎が別々。だから特に朝ラッシュ時の踏切は、かなり危なっかしかった。今は橋上駅舎化。
三ツ境 みつきょう
駅舎は変わっていないが、ブランドイメージに合わせてリニューアルされます。
瀬谷 せや
当時は南北に駅舎があり、ここは跨線橋で結ばれていました。2面3線で上りが2線だったが、当時は上り3番線を使用する定期旅客列車はありませんでした。今は橋上駅舎化され、2面4線となって、特急の追い抜きも頻繁に見られるようです。
大和 やまと
小田急との共同使用駅。昔は相鉄は地平(島式は変わらず)、小田急は築堤上にホームがあって、単なる相対式でした。撮影時点で相鉄は地下化、小田急は2面4線の高架駅となって、ロマンスカーも停車する要衝として、成長しています。当時は相鉄⇔小田急間は連絡改札などなく、自由に行き来できました。北側の改札が相鉄、南側が小田急の管理です。
(今は連絡改札が設けられている)
相模大塚 さがみおおつか
橋上駅舎だが、リニューアルされます。ここは車両の留置線が何本かあり、今でもJRのE233系の姿が見られたりするようです。かつては厚木基地のジェット燃料を輸送する貨物列車があり、相模線の厚木から貨物線を経由し、ここまで乗り入れていました。今でも基地に向かう側線の跡が残っています。
さがみ野 さがみの
橋上駅舎。ここものちにリニューアル。
かしわ台 かしわだい
車両基地のある駅。2面4線だが、昔も今も、旅客列車の追い抜き・退避はない。撮影時点では、駅舎の改良工事中で、同時に駅前の道路も拡幅工事中でした(一時的に、車両通行止めになっていた)。なお南側の、かなり遠くにも駅舎があります。東口と呼んでいるが、昔の大塚本町駅があったあたりです。
海老名 えびな
小田急による開発が行われる前で、駅も、広場も、今とはかなり様相が変わってしまいました。先に小田急の駅舎が改築され、現在は相鉄の駅舎が増築工事中です。JR相模線の海老名駅は、かなり長い通路で結ばれています。相模線はもちろん、今は小田急にも、そして相鉄の駅にもJR東日本の電車が現れます。
いずみ野線 二俣川~いずみ中央
南万騎が原 みなみまきがはら
掘割に相対式ホームがあります。駅舎はのちに増改築されます。駅の北側で、東海道新幹線が交差します。
緑園都市 りょくえんとし
開業時点では、開発はまだ始まっていなくて、山の中。神奈中バスの名瀬終点から歩いていきました。開発が進んで、バス路線も延長されています。駅舎も増築されています。
弥生台 やよいだい
ここものちに橋上駅舎が増築されます。桜が見事。
いずみ野 いずみの
最初の開業時点では、ここが終点でした。2面4線だが、湘南台まで延伸された時点でもなお、旅客列車の追い抜き・退避の設定はなく、待避線は車両の留置に使用されていました。特急設定時に退避が始まり、現在は朝ラッシュ時上りの通勤特急のみ、追い抜きを行っています。
いずみ中央 いずみちゅうおう
当時の終点。島式ホーム。泉区役所の近くだが、バス路線はすぐ近くの道路を経由するものの、駅前の交通広場にはほとんど入らず、交通の要衝としては弱かった。そうてつローゼンと一体になっています。高架線に見える6000系は「アートギャラリー号」。
この後1999(H11)年3月に湘南台まで延伸、そして昨年11月に直通線が開通し、今の路線網(というほど大げさではないが)が出来上がる事になります。
なお、羽沢横浜国大以外の各駅は、2013(H25)年の、ブログ開始10周年記念「神奈川の駅を全部撮る!」で、改めて全駅を撮影しています。7年前なのでさらに姿を変えてしまった駅もいくつかあるが、少しでも現在に近い姿を見たいと思われる方は、そちらをご覧頂ければと思います。
JR直通の次の変化は、3年後に予定される、東急との相互直通の開始です。その時点では、また相鉄線の各駅は姿を変えていくのでしょうか。ホームドアの全駅整備もアナウンスされているし。改良工事が現在進行形の駅も多く、30年前の面影も、真の大手私鉄の風格を備えていく中で、だんだんと消えていく事になるのでしょう。
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《今日のニュースから》
27日 YS-11 量産1号機 茨城県筑西市に陸路で移動
28日 「東アジア文化都市」事業 北九州で開幕
毎日のように「〇〇県で何人感染」「〇〇県で何人死亡」とかいうニュースばかりだと、本当に気分は最高に、ブラックに近いブルーです。「非常事態宣言」「首都封鎖」が現実味を帯びて語られるようになってきたが、ツイッターなどをナナメ読みすると、あまり自らの発言に責任を持たない、軽率と思えるコメントが非常に多いのだけれど、「早くやれ、でないと手遅れだ」「私権を脅かす行為には、絶対反対」の2つの方向に大別できるようです。それぞれの政治的思想も絡んでくるようだが、どちらももっとも、ではあるでしょう。結局、広範囲に広がりすぎた感染を抑え込むには、人の移動を最大限止める以外道がなく(少なくとも私には他の手段は思いつかない)、「私権をある程度制限しても感染防止のためには、私権(特に移動)の制限もやむなし」なのか、「感染防止も大事だが、やはり私権や思想の自由は大事なんだ」という事か、この究極の二者択一を、我々自身が迫られる状況が、目の前に迫りつつあるという事でしょう。どちらもイヤ、というのなら、上から何か言われる前に、我々自身が、自分の責任で、道を決めなければなりません。
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