№2122 ひと昔・ふた昔前 私鉄の駅 南海電気鉄道・1
ひと昔、ふた昔くらい前の私鉄の駅の画像をご覧頂くシリーズ、今回は南海電気鉄道です。
南海電鉄は、大阪市内を起点にして、和歌山までの都市間鉄道的な幹線として機能する南海線と、大阪府南部から和歌山県にかけての住宅地を抜け、さらに高野山への急坂に挑む高野線、2つの幹線を柱としており、南海線にはいくつかの支線も存在します。
今回から3回に分けて、南海電鉄の駅の昔の姿の画像を蔵出ししたいと思います。例によって具体的な撮影日々は出せないが、ただ今回は、関西国際空港が開港する前で、それを見据えた、現在の「Fine & Bright」のCIが導入される直前、のタイミングになります。従って、もう30年近くは前の撮影になるはずです。関西空港へのアクセスはまだ開通していない一方、今はない路線・駅もいくつかあります。1回目は、南海線の南側、難波~泉佐野間と、付属する支線の各駅をご覧頂きます。
(「汐見橋線」は、正式には高野線の一部であり、3回目で出します。)
南海線 難波~和歌山市 〔前〕難波~泉佐野
南の大ターミナルで、ビルが厳か。これは今も変わらないが、社名と車紋が、今となってはレトロ調か。
背後には、南海サウスタワーホテル(今のスイスホテル南海大阪)が、既に建っています。
ホームは、南海線4線・高野線4線、合計8線で、私鉄では最大級のターミナルです。一番上に南海線のホームを出したので、ここでは高野線のホームを掲げておきます。
南海線も高野線も、車両は新旧のカラーが混在している時期。
(現行カラーは、現行CIを採用する前からあった)
今宮戎 いまみやえびす
難波~岸ノ里(当時)は、南海線と高野線が併走する複々線だが、この駅は高野線側にのみホームがあり、各駅停車のみ停車します。
新今宮 しんいまみや
JRとの乗換駅で、さらに高い場所にホームがあります。
萩ノ茶屋 はぎのちゃや
ここも、高野線側にのみホームがあります。各駅停車のみ停車。
蛇足ながら、他鉄道では「普通」「各駅停車」が案内の上でごっちゃになってしまっている所が多い中、南海はこの両者があり、厳密に区別されています。南海線は普通(今宮戎・萩ノ茶屋に停まらないから)、高野線は各駅停車です。
天下茶屋 てんがちゃや
高架化・地下鉄堺筋線接続前の地平時代です。いい駅舎でしたねえ。
岸ノ里 きしのさと
この駅で南海線と高野線が分かれていくが、分かれた先にそれぞれホームがあり、両社は若干離れています。
実は、南海線では次が玉出、となるのですが、撮影していません。次に訪れた時は、高架化工事の関連で、岸ノ里と統合し、岸里玉出となってしまいました。申し訳ありません。地平時代は汐見橋方面からの高野線の線路が平面で交差していたらしいが、既に面影はなくなっていて、汐見橋線は専用ホームの発着になっていました。
南海線は、ここから住之江までは方向別複々線になっています。ただ、短距離でターミナルとの接続もなく、4つの駅にまたがった待避線、そんな感じでしょうか。
粉浜 こはま
住吉大社 すみよしたいしゃ
先日も行ってきたばかり。初詣シーズンには急行も臨時停車。
住之江 すみのえ
検車区が、同じ高架線上にあります。
七道 しちどう
堺 さかい
高架化工事のまっただ中、という地平時代。2面4線の待避駅だが、高架化工事中は上下のホームが大きく離れて不便だった、とか。今の高架駅の改札の配置にも、その名残が見て取れます。
湊 みなと
石津川 いしづがわ
諏訪ノ森 すわのもり
ホームが踏切を挟んで点対称、駅舎も上下別々でした。
浜寺公園 はまでらこうえん
駅舎が駅舎として現役だった頃。配線が特殊である事は、№2107でも書いた所です。
羽衣 はごろも
高師浜線分岐駅。JRの東羽衣駅がすぐ近く。
高石 たかいし
地平時代。2面4線の待避駅である事は変わっていない。
北助松 きたすけまつ
松ノ浜 まつのはま
泉大津市内の立体化により、この後高架化されます。まだ全体を見ていない。いずれ行きます。
泉大津 いずみおおつ
後に高架化。№1516で書きました。旧駅ビルは、難波同様、社名・社紋がレトロ。
忠岡 ただおか
春木 はるき
岸和田競輪場の最寄り駅。
和泉大宮 いずみおおみや
岸和田 きしわだ
ここも高架化工事のまっただ中にあり、高架線はかなりできあがっているという状況でした。
蛸地蔵 たこじぞう
踏切を挟んだ点対称のホーム配置で、駅舎も上下別、というのは、諏訪ノ森と同じ。ここは、ステンドグラスが見物。
貝塚 かいづか
水間鉄道との乗換駅。駅舎は別。2面3線。
二色浜 にしきはま
鶴原 つるはら
井原里 いはらさと
泉佐野 いずみさの
この後関西空港への路線の分岐駅となり、大型高架駅へ、大きく変貌を遂げる事になります(高架化は、空港線開業より後になった)。
2面4線の待避駅で、旧駅舎時代は地下通路でホームに接続していた。高架化後は№1515で書きました。
天王寺線 天王寺~今池町
元々は天王寺~天下茶屋間の支線で、本線とつながっていました。南海の新今宮駅がなかった当時は、旧国鉄との接続を確保する役割も果たしていたが、南海にも新今宮駅が開業すると役割を失い、加えて地下鉄堺筋線接続と合わせて本線が高架化される事になると、関連した工事の影響で、今池町~天下茶屋間が廃線となり、残存区間は孤立してしまいました。1521型の単行2両が封じ込められ、終日行ったり来たり、15分間隔のつるべ運転、という形態になっていたのが、撮影した時点での状況でした。
天王寺 てんのうじ
南海独自の駅舎、と呼べるものが見当たらなくて、とりあえずホームへの入口を撮りました。2線あるが、通常は1線のみ使用、もう1線は車両の点検等で使用していたようです。
飛田本通 とびたほんどおり
この駅は、今池町~天下茶屋間廃線と同時に開業しました。天王寺線は複線だったものが、部分廃線と同時に単線化されていて、その跡地に造られたものです。
今池町 いまいけちょう
上を走るのは、阪堺電軌です。今池電停が隣接していました。阪堺電軌も、当時は8分毎でした。今は24分毎だから、1/3になってしまった。
高師浜線 羽衣~高師浜
伽羅橋 きゃらばし
高師浜 たかしのはま
高架線だが、駅舎は昔のままのよう。
次回は、南海線の南半分(羽倉崎~和歌山市)と、多奈川線、加太線、築港線、貴志線を出します。
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《今日のニュースから》
19日 小学生の給食にスパニッシュオムレツ 山口県山口市
20日 「はやぶさ2」 1回目エンジン噴射 終了
ついに、クルーズ船の乗客から、死者が出てしまいました。そろそろクルーズ船に関する政府の対策を問題視する動きも出てきていて、当然でもあろうが、私としては、市中の感染の方が怖い、電車の乗客も、半分くらいはマスク姿になってきていて、こちらの対策も重要と思うが、かと言って何でもかんでも自粛・自粛というのも、雰囲気が重苦しくなって、正直イヤだ。ともかくまずは早い収束を望みます。もちろん、今日明日明後日で済む事ではないけれど。
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