№1924 ひと昔・ふた昔前 私鉄の駅 東京急行電鉄.1
ひと昔、ふた昔前の私鉄の駅をご覧頂く不定期シリーズ、今回は東京を走る大手私鉄では最後となる、東急の駅をご覧頂きます。
第1回は東横線です。東横線もこの四半世紀位で大きく変わり、何より渋谷のターミナルがまるまる地下に移転して地下鉄と直結した事、横浜~桜木町間が廃止になり、みなとみらい線への直通が始まった事が劇的でした。中間も複々線化(目黒線受け入れ)で変化が起きています。
今回の撮影は、ちょうど複々線化工事が始まってしばらく、という時期、だったと思います。
東横線 渋谷~桜木町
渋谷 しぶや
無論、地上時代。最近跡地が「渋谷ストリーム」としてオープンしたそう。機会があれば見てきます。
地下移転を半年後に控えた地上時代末期については、№803で書きました。もう6年前になるのか。
代官山 だいかんやま
中目黒 なかめぐろ
東京メトロ日比谷線との接続駅。
祐天寺 ゆうてんじ
今は通過線が新設されています。
学芸大学 がくげいだいがく
都立大学 とりつだいがく
自由が丘 じゆうがおか
田園調布と多摩川(当時は多摩川園)は、旧目蒲線で出します。
新丸子 しんまるこ
当時は島式ホームでした。
武蔵小杉 むさしこすぎ
当時の武蔵小杉はシンプルな相対式ホームで、JR側の改札の他、西側にも東急独自の改札がありました。今の目で見るとレトロ。
元住吉 もとすみよし
当時は高架化前、地下に駅施設がありました。2面4線だった。後に高架化されるが、地上のままの検車区に接続する線路が残されているため、「高架線上の橋上駅」という珍しい形態になっています。№260で書きました。
日吉 ひよし
撮影時はちょうどホームの地下化工事の真っ只中で、駅舎が仮設でした。この駅も2面4線で、通常急行はここで各駅停車と相互に接続していました。当時の急行は、今と比べたらかなり少ないが。
綱島 つなしま
高架駅で、ホームの真下がバスの乗り場、スイッチバックして入場する、珍しい形態になっています。
今現在、相鉄直通線の新綱島駅の工事が行われているが、綱島街道を挟んだ反対側に位置しています。
大倉山 おおくらやま
菊名 きくな
ここも2面4線だが、当時はホームが7連分しかなく、渋谷方1両は締め切りになっていました。横浜線接続駅で、入口の駅名標は国鉄風。
妙蓮寺 みょうれんじ
白楽 はくらく
東白楽 ひがしはくらく
今はここを出ると、みなとみらい線に接続すべく、地下深くへ潜っていきます。当時は、反町まで高架線でした。
反町 たんまち
当時はカーブ上の相対式ホームでした。現在の地下駅は№231で書きました。
この先で高島町トンネルを抜けるが、東白楽から高島町トンネルの先までは、「東横フラワー緑道」として整備されています。これについては№966で書きました。
横浜 よこはま
地上時代の横浜駅は№999で書きました。単純な相対式ホームで、かなり狭かった。
駅ビルは2011(H23)年で閉店、全部取り壊しになった後、新しい大きな駅ビルが、かなり姿を見せてきています。ホームの跡地の一部は、JR横須賀線・湘南新宿ラインのホームの拡幅に活用されています。
高島町 たかしまちょう
桜木町までの高架線は今の所そのままで、根岸線に乗ると、高島町駅のホームが残っているのが確認できます。
桜木町 さくらぎちょう
行き止まり式の島式ホームでした(一番上の画像)。
跡地はJR東日本のCIALになっています。
次は田園都市線です。地下区間は、当時は新玉川線と称していました。
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また今日も、三重県で観光バスのドライバーが意識を失って、乗客が停止させたとか言う事態が起きました。先日の神奈中バスとか、今月に入っても千葉県でドライバーがらみの事故が起きているけれど、今年ほどバスの安全について問われている年はない。国主導でバス事業者の再編成を促すという話も聞こえてくるが、関係者皆が一度一同に介して、真剣に話し合う時期ではないのか。
《今日のニュースから》
14日 サッカー川口能活引退 相模原市で記者会見
15日 「宇宙活動法」 施行