№1901 ひと昔・ふた昔前 私鉄の駅 西武鉄道.3
「ひと昔・ふた昔前」の西武鉄道の駅、3回目は新宿線です。
新宿線もまた西武の幹線の一つ、ではあるのだが、池袋線とJR中央線に挟まれた微妙な位置にあるためか、輸送量はやや少なめ、従って本数も池袋線に比べると若干少なくなっています。今回の写真の大半を撮影した時期である1990年代前半には、それでも地下に急行線を通して複々線化する計画もあったが、結局取り止めとなった経緯もあります。そういう事もあってか、高架化まで行った池袋線と比べると、構造自体はそれほど変わっていない駅がほとんどです。
西武新宿 せいぶしんじゅく
他線との直接の接続がない独立したターミナル。そのためか、乗降人員約18万人(2017(H29)年度)は、大手私鉄のターミナルとしては少ない。ただ、阪神の梅田が約16万5千人だから、決して閑散としているわけではない。関東では少ない方、という事だけ。プリンスホテルが入っています。
高田馬場 たかだのばば
こちらの方が、乗降人員は圧倒的に多い。
下落合 しもおちあい
中井 なかい
のちに都営大江戸線が接続する事になるが、駅は別々で、連絡通路が造られたとかはしていない。真ん中に通過線を持つ2面4線構造。
新井薬師前 あらいやくしまえ
沼袋 ぬまぶくろ
ここは上下共用の通過線がある2面3線。時間帯によって使い分けているのは変わりません。
新井薬師前と沼袋は、連続立体化により、いずれ地下駅になります。
野方 のがた
この後橋上駅舎になります。№1082で書きました。
都立家政 とりつかせい
鷺ノ宮 さぎのみや
2面3線で、下りのみ待避があります。今も同じ。
下井草 しもいぐさ
井荻 いおぎ
上下の駅舎が別々で(今もそう)、当時はこんな田舎然とした木造駅舎でした。上りのみ通過線があり、待避も行われています。
上井草 かみいぐさ
駅前にガンダムのブロンズ像が造られる事になるのは、ずっと後の事。
(製作したスタジオ・サンライズがすぐ近くだから)
上石神井 かみしゃくじい
車両基地があります。2面3線。ここで折り返す各駅停車が多い。
武蔵関 むさしせき
東伏見 ひがしふしみ
西武新宿から来ると、私鉄では一般的な2面4線の配線の駅は、ここが初めてになります(ただし急行は通過なので、緩急結合は行われない)。
西武柳沢 せいぶやぎさわ
わざわざ「西武」の2文字がついています。国鉄→JRに柳沢という駅はなかったのだが。
(長野電鉄と十和田観光電鉄にあったが、どちらも今は廃止)
田無 たなし
ここも2面3線で、各駅停車の一部はここで折返し。
高架複々線化前の池袋線もそうだったが、西武では、大手私鉄では一般的な、上下同時に緩急結合が行える2面4線構造の駅は、多くはありませんでした(池袋線も撮影当時では、各駅停車しか止まらない江古田の次は、ひばりヶ丘までなかった)。当時の西武は、急行運転に適した線路配線にはなっていなかったと思います。
花小金井 はなこがねい
このあと橋上駅舎になります。
小平 こだいら
拝島線分岐駅。
久米川 くめがわ
東村山 ひがしむらやま
国分寺線が合流し、西武園線が分岐する駅。現在、高架化工事中です。
所沢 ところざわ
新宿線と池袋線が接続する、西武有数の大ターミナルです。西口の駅ビル。
こちらは東口。西武鉄道本社も、駅前にあります。
ホームは3面5線。新宿線が2線、池袋線が3線。池袋線の下りのみ、待避があります。
この後所沢駅は、地域密着に舵を切る新生西武の象徴として、抜本的に改築される事になります。
航空公園 こうくうこうえん
戦前開業の駅が大半の新宿線にあって、ここは1987(S62)年5月28日開業と、新宿線では一番新しい駅です。駅前に旧ANKのYS-11が展示されています。
新所沢 しんところざわ
2面4線。ここを終着とする列車が多く、ここと入曽の間に南入曽の車両基地があります。
入曽 いりそ
狭山市 さやまし
新狭山 しんさやま
南大塚 みなみおおつか
かつてはここから安比奈貨物支線が分岐していました。一時は車両基地への引き込み線として活用する、という案もあったらしいが、立ち消えとなりました。
終点本川越の間に脇田信号場があり、単線となります。
(川越線・東武東上線との交差地点が単線のままなので)
本川越 ほんかわごえ
他線との接続がない、独立した終着駅。1面2線だったが、特急〔小江戸〕運行開始の後、真ん中に特急専用の線路が設けられました。東武東上線の川越市駅が比較的近い。
次回は新宿線に付属する支線、それと山口線、それに落下傘路線の多摩川線です。
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《今日見た・聞いた・思った事》
今日ではなく昨日の事になるが、旧新橋停車場 鉄道歴史展示室で行われている「没後20年 工業デザイナー 黒岩保美」の展示に行ってきました。国鉄の車両設計事務所に在籍し、車両のカラーリングやマークのデザインなどを手がけられた方で、アートの世界でも活躍されたそうです。
撮影禁止なので写真とかはないが、展示室そのものがあまり広くはないので展示物がわんさか並ぶという事はなかったのだが、かなり興味深い展示もありました。「ビジネス特急」(151系〔こだま〕)のカラーデザイン案というのもあって、その中に、後の581・583系で採用される青+クリームの案もあったのは少々驚きでした。20系客車もブルーでない案があり、これになっていたら、「ブルトレ」なんて言葉は生まれる事はなかった。
真ん中に寝台特急〔ゆうづる〕のヘッドマークがドンと置いてあって、マークのデザインに関する話も書かれていました。〔はくつる〕との差別化もあって、特に当時の常磐線は非電化区間も長くてC62牽引だったから、黒いSL牽引で映えるようにオレンジ色にした、という事でした(上野口のEF80牽引時はあまり冴えなかったが、あまり気にしなかった、との事)。SL牽引を前提としたオレンジ色、だったという事でしょうか(「夕鶴」でもあるからだろうが)。ヘッドマークには鶴2羽案もあったそう(後の583系や24系のマークは2羽)。黒岩氏の「最高傑作」の一つ、だったか。日記まであって、貨車にまで携わっていて(「たから号」とか)、かなりハードワークの日々だった事も伺えます。
アートという点では、「フライング・スコッツマン」が描かれたサントリーウイスキーの広告(1991(H3)年)も掲げられていました。
昔と今では状況が完全に異なるので比較はしないけれども、昭和30~40年代、国鉄がひたすら輸送力増強に明け暮れていた時代にあっても、なお鉄道利用の意欲をそそるような車両デザインの考案に関わり続けた(それも国鉄内部に)方がおられた、この事は知っておくべきでしょう。鉄道史の隠れた「偉人」だと思いました。
最近の「観光レストラン列車」とかも良いけれど、行けるものなら昔に行って、151系〔こだま〕とか、20系〔あさかぜ〕なんて、乗って見たいと思いました。今と比べたら決して快適ではないのかも知れないけれど、今の私にはそちらの方がむしろ魅力的にも感じます。国鉄→JRに限らないが。
展示室は、「鉄」の姿はいなくて、むしろやや年配の女性の姿が多かったのが印象的でした。10月14日まで行われているので、まだの方は是非。
(入館無料 通常は月曜日休み 昨日のように月曜が休日になると翌日が休み)
《今日のニュースから》
16日 ベルリンマラソン男子 キプチョッゲ優勝 2時間1分39秒の世界新記録
17日 福島県飯館村 明治大学と農業再生事業で協定
18日 職員残業代30年以上未払い公表 神奈川県二宮町