№1900 ひと昔・ふた昔前 私鉄の駅 西武鉄道.2
池袋線の続き、飯能~吾野間と先へ伸びる西武秩父線、それに付属する各支線の駅をご覧頂きます。池袋線は一転してローカル色が濃くなります。
飯能 はんのう
池袋線はここでスイッチバック。進行方向を変え、秩父の山々を目指す事になります。駅ビルは以前はプリンスホテルだったが、今はホテルヘリテイジになっています。
東飯能 ひがしはんのう
「ヒガハン」(って、地元の人は呼んでいるんですか?初めて聞いた)は、一昔前はこんな田舎丸出しの木造駅舎でした。JR八高線との接続駅で、当時はJRが西武に委託していました。後の橋上駅舎化で分離されています。西武線は当時も今も棒線です。
高麗 こま
曼珠沙華が有名な所のようで、レッドアローが臨時停車する事もあります。
武蔵横手 むさしよこて
東吾野 ひがしあがの
吾野 あがの
池袋線としてはここで終わりになるが、線路はこの先西武秩父線に続きます。1969(S44)年10月14日開通(だから来年は50周年)の、比較的新しい路線です。
西武秩父線 吾野~西武秩父
西吾野 にしあがの
正丸 しょうまる
通常の乗降は少ないが、ハイキングの玄関口となる駅で、駅舎も先鋭的なロッジ風です。だいぶ前には行楽シーズンのみ、正丸峠まで西武バス路線がありました(乗った事があります)。
このすぐ先で正丸トンネルに入ります。全長4,811mは、近鉄の青山トンネル開通まで、私鉄最長でした。中間に信号場があります。
芦ヶ久保 あしがくぼ
撮影当時はこちらが特急停車駅でした(今でも停車する事あり)。
横瀬 よこぜ
この写真は他より撮影時期が後だったと思う。E851形がいる。今はこちらが特急停車駅。
西武秩父 せいぶちちぶ
この構内で、秩父鉄道と線路がつながっています。秩父鉄道の最寄り駅は御花畑。
飯能~西武秩父間は単線だが、飯能からすぐの東飯能以外の全ての駅で、行き違いが可能でした。貨物列車があったので、比較的本数が多かった事があると思います。
撮影時期が、てんでばらばら、だったなあ。
都心に戻ります。
西武有楽町線 小竹向原~練馬
小竹向原 こたけむかいはら
営団(現東京メトロ)有楽町線からの分岐駅で、営団の管理。
新桜台 しんさくらだい
純粋な西武の駅だが、当時の雰囲気は営団のそれに近かった。この先の延伸は練馬駅の高架化を待つ事になったため、西武有楽町線は他の西武線とつながらない、孤立した路線の時期がかなり長く続きました。
豊島線 練馬~豊島園
豊島園 としまえん
既に都営地下鉄大江戸線(当時は単に12号線)が開通していたが、練馬~光ヶ丘間の短区間だった。今は都心に延長しているが、西武は池袋、大江戸線は新宿と方向が違うので、棲み分けは出来ているようです。
狭山線 西所沢~西武球場前
下山口 しもやまぐち
西武球場前 せいぶきゅうじょうまえ
駅は野球輸送対応で3面6線(+山口線)あり、駅そのものがイベントで使われる事も多々あります。駅そのものはあまり変わっていないとも思うが(無論改装はされているが)、西武球場が後にドーム化で大きく変わりました(今はメットライフドームと呼称)。
次回は新宿線に移ります。
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福知山線事故の慰霊碑が公開されました。一昨年の3月、慰霊碑建設に着手した頃に訪れた事を思い出します。色々意見があるようだが、部外者の私には何もいえないでしょう。私にできるのは、犠牲になられた方々に改めてお悔やみを申し上げる事、鉄道先進国のはずの日本で、もうこれ以上の大惨事を繰り返さないで欲しいと願う事、それだけです。
関空連絡橋の鉄道部分は、当初の予定より3日繰り上がって、18日にJR・南海双方とも運行を再開する見込みとなりました。南海は、高野線の不通部分も、22日には再開できる見込み、との事。
中国の高速鉄道の弁当にカビが映えていて、嘔吐する乗客もいたとか。消費期限90日って、どんな弁当なんだ。日本の駅弁はどこも1日持たなくて、地元の駅弁販売店は手渡す時必ず、「○○時までの消費期限です」と言ってくれますよ。
《今日のニュースから》
14日 評論家自殺ほう助 TV局ディレクターに有罪判決
15日 宇宙輸送船「こうのとり7号」 打ち上げ延期