№1891 鉄道ピクトリアル2018・8月臨時増刊号 【特集】東武鉄道(鉄道図書刊行会)

 鉄道ピクトリアル誌の臨時増刊、東武鉄道(東武)の特集号が先月発売になりました。少しおそくなってしまったが、ここで取り上げます。

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 表紙はこの新特急車「リバティ」500系と、日比谷線直通用の70000系。
 東武鉄道は「ピクトリアル誌」の世界では人気が高いのか、臨時増刊の特集は比較的コンスタントに刊行されていて、平成に入ってからは1990年12月(表紙はスペーシア)、1997年12月(複々線を走る30000系)、2008年1月(JR485系と交換するスペーシア)と、7~10年のスパンです。この他「アーカイブス セレクション」シリーズで2回刊行されているが、「23 1960~70」は早々に売り切れとなった模様で、在庫もないそう。大きな書店にもないしなあ。可能なら欲しいのだけれど。

総説:東武鉄道
 この10年間で最大の出来事はやはり、スカイツリーとスカイツリータウンの開業、でしょう。
 野田線(アーバンパークライン)で複線化が進行中だが、私鉄で今、他に複線化工事を行っている路線はないはず。東武は新路線がほぼなくて、押上~曳舟間以外は全て戦前の開通なのだが、一方で在来路線の複線化・複々線化が高度成長期から相当進みました。元々はローカルの要素が濃かった路線で、急速に都市化が進んでいる、それは東武に於いては現在進行形、という事でしょう。本当はせめて野田市~運河間も複線化するべきだと思うのだが。

東武鉄道の鉄道事業を語る
(東武 都筑 豊 鉄道事業本部長×今城 光英 大東文化大学教授)

 日光・鬼怒川観光輸送は東武グループには欠かせないが、SLを中心に据えてPRを図っていこうという考えか。日光~鬼怒川温泉間は、SL運行に合わせた、日光軌道線電車を模したバスの運行も行われているのだが、この点は触れられていなかった。
「リバティ」は、会津鉄道直通は好調だが、〔アーバンパークライナー〕は今一歩、という所か。
 野田線(アーバンパークライン)の急行運転は、そんなに沿線に効果を与えているものなのか?日中のみ30分間隔では限定的だろう、と思っていたのだが。今後は既にアナウンスされている区間に加え、大宮~船橋間全線も検討するとしているが、春日部~運河間は単線のまま既に10分間隔で運行されていて割とタイト、ダイヤ体系そのものにも手が加わるのか。
 直営でなくなって久しいが、バス事業についても触れて欲しかった。

輸送と運転 近年の動向
「南高北低」、この傾向は昔からあったが、21世紀に入ってから(特にメトロ半蔵門線直通が始まった頃)、その傾向がよりいっそうその傾向が強まっています。
 ちなみに、同じ路線で複々線と単線、両方介在するのは、私鉄では東武の伊勢崎線と東上線のみ。
 輸送人員の推移を見ると、2011(H23)年は震災の影響大だったが、既にそれ以前から、やや減少傾向にあった。翌2012(H24)年はスカイツリー開業があり、定期外が5.1%も増加。一方で通学定期は2014(H26)年に、前年から3.8%も減少しました。全国的に学生自体が減少傾向にあるのを反映しているのだろうが、この年だけ激減したのは、何があったのだろうか。大学の移転だろうか?合計では、2017(H29)年は、2008(H20)年より4.8%増加しています。各路線毎の動向があれば良いと思った。
 乗務員の勤務形態は、泊まり勤務も交えた、他社と同じスタイル。特急は、東武ではどうなっているのだろうか。

駅・乗務管区のあらまし
 北部にローカル線を抱える割には、無人駅は少ない。25駅あるが、この数字は、(東武ワールドスクエア駅を除いて)この数十年変わっていない。他社だと、特に栃木・群馬県内はもっと無人駅が多くなりそうだが。
 一方でJRへの委託駅は大分あったが、新駅舎建設による分離で、全部なくなりました。
(逆に小川町・越生がJRから受託している形態は変わらない)

車両総説
 というか、最近の東武は、「系」と「型」の呼称を厳密に使い分けていて、例えば50000番台は「50000型」「50050型」「50070型」「50090型」を総称して「50000系」と称しているようだ。前回刊の時は「50000系」「50050系」「50070系」「50090系」と称していたが、いつから変わったのだろう?

車両管区・検修区(車両基地)の概要
 工場や検修区そのものの機能もあるが、それ以上に興味深い点として、東武は21世紀に入るまでは長らく春日部・館林・新栃木・七光台・森林公園の5検修区体制が続いてきました。
 1986(S61)年開設の南栗橋派出所が21世紀に入って立場を逆転させ、本線系統の検修区を全て包括する形になったが、旧体制の5検修区の内の3ヶ所、そして現在の南栗橋車両管区(及び工場)は、この50年以内の開設と、比較的若い。
 無論このようなケースは東武だけでなく、小田急の海老名や京成の宗吾、西鉄の筑紫というケースもあります。
 ただ東武のこの4ヶ所は全て、接続する駅の新規開業とセットになっているのが特徴的です。まだ開発が進んでいなかった郊外に適当な場所を求めた結果、という事でしょう。

「SL復活運転プロジェクト」のこれまでと今後
 非常に力が入ったプロジェクト、というのは解った。過去にSL運行の歴史があったとはいえ、ほぼ0の状態からスタートしているのだから。
 ただ、鬼怒川線全体をレトロ調にしていくのであれば、やはり14系客車は適当ではない。それも国鉄~JR時代の、ブルトレカラーでリクライニング座席のままではなおさら。また、車掌車連結は保安上止むなしとしても、ヨ8000形は近代的すぎる。1974(S49)年製造開始では、既に国鉄線上からはほぼSLが廃止になっていた頃で、SLとはミスマッチだろう。補機のDLも含め、編成全体がどこかチグハグな印象が否めない。
 当分は運行を軌道に乗せていくので精一杯だろうが、どこかの時点で、車両の側も、沿線の雰囲気にふさわしいものに更新したい。40分弱の短距離ではイベント的な設備は必要ないし、車体をアルミで造って、冷房も省略すれば、全体的に軽くなって、DLの補機も必要なくなるのではないか(ただし、野岩鉄道への直通も考慮されるのなら、そうも行かなくなるが)。保安装置装備車両も、この後「東武の貨車」で出てくるような、旧型の貨車(緩急車 ワフ341形みたいな)を模したものを復元すれば、昔の混合列車みたいになって、よりSL列車復刻の趣旨に合うのではないだろうか?

東武東上線都心直通運転の経緯
 ここが今回、一番興味深かった。
 東上線は元々は、和光市から高島平方面に新線を建設、都営三田線(当時は6号線)と接続して相互直通するはずだったが(6号線の初代6000形が高運転台になったのも東武直通を想定していたから)、かなり直前になって、計画が取り止めになったという経緯は有名です。
「東京圏における人口集中地図の変化」があるが、東京から南、京浜工業地帯を中心とした神奈川県方面が1962(S37)年時点で既に開発されきっているが、東武沿線を中心とした北部は、旧国鉄線沿線を除くと、あまり開発が進んでいなかった。それが約四半世紀で、北部も急激に人口が増えています。野田線~JR川越線よりも外側のエリアでも、人口が大幅に増えているのが読み取れます。東上線~6号線の相直も、当初はこの状況に対応するものでした。
 しかしこのルートでは、池袋乗り換え客の転移がほとんど見込めないという分析だったそうで、「大都市センサス」の「流動状況(1965(S40)年)」を見ると、池袋で到着した旅客の3分の1は山手線内回りに乗り換えて新宿方面へ向かう流れになっていて、巣鴨経由だと確かに遠回りになってしまう(6号線自体もややウロウロという感じの線形だし)。当時は都庁が有楽町にあった頃だったが、新宿が現在の発展を遂げた現状では、このまま造ってしまっていたら、問題がさらに大きくなってしまっていたのは間違いない(今はもっと流れが太いし)。
 その後東武は直通先を旧営団の有楽町線・さらに副都心線に乗り換える事になるが、この変更は、ここでは、

「想定を上回る東京圏の拡大と輸送需要の大幅な増加に対処するためだった」

と結論づけている。その事自体は間違いないでしょう。
 ただし、果たしてそれだけか?もっとウラに何かあったんじゃないの?という分析が、過去にありました。2001年7月の「臨時増刊号【特集】東京都営地下鉄」に西野保行氏(京都大鉄研OBの肩書きで書いているが、都交通局のOBらしい)の「都営地下鉄あれこれ」という論文があり、その中で「実現しなくてよかった計画」というタイトルで、三田線~東上線直通運転計画を取り上げています。この相直ルートが適切なものではなかったという見識は同じだが、元々この路線は、東武(と、五反田から直通するはずだった東急)が熱心にPRしていたからある程度事業が進んでいたのに、両社が突然熱意を見せなくなったのはなぜだ、という視点で書いていて、推測されている理由として、

① このルートが最善だと信じた
② 最善ではないが、次の直通ルート設定まで、都心乗り入れの権利を確保したかった

の2点をあげ、鉄道史的には、どちらだったのかは解明しておく必要があろうと指摘しています。
(高島平側の団地住人はおかげで始発から座っていけるし、東急は目黒線直通で責任を果たしたのだから、実害はほぼなかった、とも記しているが)
 今各路線を利用する乗客の大半が、過去にこのような経緯があった事を知る事はないだろうし、その必要もない(なくて済んだという事か)が、鉄道趣味者としては、このような歴史の一ページを紐解いてみるのも、一興ではないでしょうか。

一九六四(昭和39)年の東武電車沿線案内
 前回刊からさらに10年ほど遡った頃のもので、東京オリンピック終了直後のものになるよう。まず鉄道以上に、東武バス路線が北関東一帯、津々浦々伸びているのが非常に印象的。茨城県の土浦や水戸へも路線が延びていた。鬼怒川からの路線は会津田島まで延びている。野岩鉄道開業の前日までは会津バスが鬼怒川に乗り入れていたのだが、当時は2社共同運行だったのだろうか?ただ一方で、南部の団地輸送的な路線は、まだほとんどない。
 鉄道で見ると、現行路線で押上~曳舟間以外は全部この時点で開通していて、このあと廃線になる日光軌道線も記されている。一方で、駅が非常に少ない。平成以降開業の駅はもちろん、伊勢崎線では、今は急行停車駅のせんげん台や北春日部、日光線では杉戸高野台や南栗橋、野田線では七光台や新柏、東上線では若葉や北坂戸という所も未開業。東上線は、池袋から17.8㎞に過ぎない志木の次は、4.2㎞先の鶴瀬まで駅がなく、通勤鉄道としてはまだまだ、刊行の直後から、急激な開発が進む事になるというのが、この沿線案内からも伺えます。
 繰り返しになるが、バス路線網の充実振りが、うらやましい。

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 他にも色々あるが、「セイジクリーム」単色は、確かにややインパクトに欠ける印象はあるが、側面の窓ガラスが銀サッシなので、より目立たなく感じられるのかも知れない。もし黒サッシだったら、また違う印象も与えられるのだろうと思う。ただ、東武博物館所有の8111Fや、東上線で復刻しているのを見ると、これはこれで思い入れのあるファンも、少なくはないのだろう(正面を更新した車両にはやはり合わない気はするが)。

 今回の内容は、やや不満があります。ダイヤ面の記述がかなり希薄だと感じました。全線に渡ってこの10年の間の変化が大きく、特に東上線はで東急東横線・みなとみらい線直通開始があり、さらに「Fライナー」スタートや快速新設などかなり大きな変化が繰り返されているが、その辺の、特にビジュアル的な記述が、ほぼなかった。
 趣味的に言うと、相直区間拡大の結果、現在東武に直通する鉄道会社が6社(東京メトロ・東急・JR東日本・野岩・会津・橫浜高速)もあって、大手私鉄では東急と並んで最多なのだが、どこも写真がほとんど出て来なかった。特に東急はスカイツリーライン・東上線双方に、かなりの長区間乗り入れてくるのだが、1枚もなかった。ちょっともったいない構成だと思う。

 今後の東武鉄道だが、日光・鬼怒川方面は引き続き、インバウンドの利用に力が入るのか。そろそろスペーシアの置き換えも視野に入っているようだが(もうすぐ30年だし)、今一度、プレミアムのサービスの提供(昔のDRCのラウンジルームのような)などのゆとりも考えて欲しい。近鉄「しまかぜ」や、JR東日本の伊豆行新型特急のような列車も考えられるか。「りょうもう」は本文記事にもあったけれど、こちらも200系・250系にそろそろ何らかの動きがあるだろうか。
 残念なのは、快速の廃止で浅草~日光・鬼怒川間を通しで走る無料の列車が無くなってしまった事で、見た限り利用は少なくはなかったと思うのだが。ホームドア設置で6050系だと合わなくなる?という事情もあったのかも知れないが、この際10000系などの通勤車でも構わないので、復活はありえないでしょうか?
 通勤輸送は、南部は東上線も含めて現状維持だろうか。ダイヤは、ある程度完成されていると思うので。北部は、ともかく現状の利用をつなぎ止める事でしょう。群馬の8000・800・850系も、あるいは20000系改造車に置き換わる可能性はあるか。あるいは10000系・30000系の改造転用の可能性も、なくはない(東上線で10両固定になった編成も、京王や小田急のような乗務員室の客室化までは行っていないのは、再度運転台機能を復活させ、地方路線へ転用する可能性を残すためではないか?)。
 ともあれ次の10年、特急も通勤車(特に地方)も車両面で大きな変化がありそうです。どのような方向に行くか、期待してみてみたいと思っています。
 それにしても、博物館で保存されている5700系のような電車に、もし乗れるのなら、乗ってみたかったです。豪華列車でなくていいから、とにかくこれに乗って遠くへ行きたい!という電車に巡り合いたいです。福島県まで行く東武なら、可能性はある、と思いたいです。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


「鉄道ピクトリアル」誌は21日にレギュラーの2018年10月号が発売になっているが、終わりの方に、民鉄車両動向が掲載になりました。「鉄道車両年鑑」の代替となるもので、やや文字が小さくて読みづらい感はあるが、ともかくありがたい。大手はまだしも、中小はもちろん、意外に公営地下鉄や準大手の都市鉄道でも、車両を中心とした動向の把握が難しいので。JRがないのは、既に他社発行の趣味誌で多数取り上げられていて、今更必要はないと考えたのだろうか。今回は2016(H28)年度と2017(H29)年度の2年分をまとめているが、今後は毎年10月号に掲載となると考えて良いのだろうか。さらに充実を期待。
(橫浜高速鉄道で、元住吉事故の被災車両Y516Fは、一旦東急が引き取って、廃車にしている)

 今日は芸備線・狩留家~下深川間が運行を再開しました。台風20号が豪雨の被災地の傷口を広げる事になりはしないかと不安だったが、幸いそのような事はなかった模様。追いかけっこのように台風が相次いで日本に来るのも異例で、これ以上の異常気象、そして豪雨災害はもうカンベン。

《今日のニュースから》
22日 中国スマホメーカーOPPO 新端末「R15 Pro」「R15 Neo」発表
23日 女性戦闘機パイロット誕生 航空自衛隊初
24日 オスプレイ 佐賀空港配備 佐賀県知事受け入れ表明
25日 智弁和歌山 高嶋監督 退任記者会見

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