№1854 のと鉄道の駅 Before and After 2.能登線
のと鉄道の駅、2回目は能登線です。
1988(S63)年3月25日、JR西日本から引き継いで開業した、のと鉄道の礎となった路線です。穴水~鵜川間の開通が1959(S34)年6月15日だから、戦後開通の比較的新しい路線でした。転換後もJRからの直通急行〔能登路〕も引き続き運行されていたが、利用者の減少により、2005(H17)年3月一杯を持って廃線となりました。開業から、50年も持たなかった。なので「Before and After」と言っても、ここでは「Before」しかないのだが、その点はご了承を。
中居 なかい
比良 びら
鹿波 かなみ
甲 かぶと
甲駅時代のオユ10 2565。当時は単に留置されているだけ、という感じでした。補修はされているが、外板はかなりボコボコになっています。車号などの標記がありません。
国鉄~JR時代、甲~沖波間に「立戸の浜」という臨時駅があったが、のと鉄道では開設されませんでした。
沖波 おきなみ
前波 まえなみ
古君 ふるきみ
鵜川 うかわ
七見 しちみ
この駅は転換より後、1995(H7)年3月17日に開業しています。営業期間は10年にしかなりませんでした。
矢波 やなみ
波並 はなみ
藤波 ふじなみ
宇出津 うしつ
羽根 はね
小浦 おうら
縄文真脇 じょうもんまわき
国鉄~JR時代は単に「真脇」で、転換時に「縄文」の2文字が入りました。
九十九湾小木 つくもわんおぎ
国鉄~JR時代は「能登小木」で、転換時に改称しました。
白丸 しろまる
国鉄~JR時代は「能登白丸」でした(青梅線の駅と区別するためだろう)。
久里川尻 くりかわじり
国鉄~JR時代は「能登川尻」で、転換時に改称しました。
松波 まつなみ
恋路 こいじ
国鉄~JR時代は臨時駅で、こちらは転換と同時に、正式な駅に格上げされました。
鵜島 うしま
南黒丸 みなみくろまる
鵜飼 うかい
国鉄~JR時代は「能登鵜飼」でした。能登線に関しては、「能登」の2文字を冠した駅は、転換時に全て改称しています。七尾線は皆そのままなのに。
上戸 うえど
飯田 いいだ
国鉄~JR時代は「珠洲飯田」でした(飯田線の駅と区別するためだろう)。
珠洲 すず
正院 しょういん
蛸島 たこじま
この路線は元々駅が比較的多く、61㎞に駅が26ありました。2㎞とちょっとに1つは、駅があった事になります。
改めて並べてみて、あと1度は乗っておきたかった、と感じました。6~7年頑張っていれば、あるいは「いろは」効果で…なんて事もありえたのか。「いろは」ラッピング車が、さらに自然豊かな「のとの細道」を快走する、そんなシーンを夢見る事も、できたのかも知れません。
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小田急は今日、ロマンスカーGSE70000形第2編成の7月11日デビューと、その前日10日を持っての、LSE7000形の定期運行の終了を発表しました。LSEは臨時列車としての運行の後、今年度一杯で引退になります。新元号は迎えられない。ロマンスカーは、HiSE10000形とRSE20000形は先に引退済みだから、最古参は一気に、1995(H7)デビューのEXE30000形という事になります。
《今日のニュースから》
27日 福井市 県営陸上競技場 「9.98スタジアム」愛称板お披露目
28日 マツダ 国内累計生産台数5000万台達成 防府工場で記念式典
29日 JAL機エンジン破損インシデント 赤坂社長が益城町に謝罪