№1560 バスジャパン・ハンドブックシリーズS92 奈良交通
少々遅くなってしまいましたが、「バスジャパン・ハンドブックシリーズS92 奈良交通」について取り上げます。
奈良交通は過去に、1995(H7)年8月に「シリーズ13」、2002(H14)年11月に「NEW38」で取り上げられていて、今回は14年ぶりになります。
(「R」では取り上げられなかった)
今回もデータ分析中心に記し、適宜「シリーズ13」「NEW38」との比較も加えます。
表紙は新エルガのノンステップ車。前号「S91 朝日バス」に続いて連続になりました。
◆奈良交通グループの車両たち
基本的に、奈良交通とエヌシーバスの2社を合わせて取り上げる事にします。台数は計815台としているが、816台が正当かと思われます。
事業所としては、一時エヌシーに委託した営業所もあるが、21年の間で生駒・天理・橿原・吉野・定期観光の各営業所、南紀支社が廃止になり、大阪と京都の支社が営業所に格下げになっています。一方で十津川〔営〕が開設になりました。エヌシーバスは現在は郡山のみとなり、直営での運行と、奈良交通本体からの委託を並行して行っています。
営業所の再編があったので、過去との単純な比較が難しかった事はお断りしておきます。
1. 用途別の割合は、乗合78.92%、高速2.70%、定観0.49%、貸切16.54%、特定1.35%。大都市に近い事業者ながら貸切の割合が高いのが、奈良らしい所かと思います。
全体として、台数は21年で相当減少しました。乗合が1995(H7)年721台(当時は定期観光専用18台を含んでいた)→2002(H14)年659台→2016(H28)年644台で、21年で10%以上も減りました。貸切は1995(H7)年206台→2002(H14)年172台→2016(H28)年137台で、こちらは30%以上の減少。高速は7台増えたが、全体で1995(H7)年からの比較で86%に留まっています。
乗合は、現存の営業所では平城〔営〕が21年で40台増えているのが目につく。榛原〔営〕は路線が大幅に減った割には40台前後と平行線で、コミュニティ受託もないので、廃止になった路線は元々便数が少なく、残存の路線で増便があったという事か。
貸切は南紀〔支〕が無くなり、奈良貸切・大阪両営業所も減車している中で、京都〔営〕はほぼ横ばい。修学旅行などの団体を京都駅まで迎えに行ってそのまま奈良へ、というパターンが完全に定着している、という所でしょうか。パウダールームつき車両6台は奈良貸切〔営〕に集中配置、奈良発は質で勝負、という施策でしょうか。
2. 乗合車の営業所別の配置の割合は、北大和〔営〕が23.72%と、全体の1/4近くを占めています。大阪のベッドタウンをエリアとしているらしい所で、21年前(北大和+生駒の合算)20.3%→14年前22.05%と割合が上がり続けています。
十津川〔営〕は乗合車2台しかない(五条駅~十津川温泉間のローカル便専用か。1日2~3本しかないが)が、十津川村営バスの自家用登録車の配置が中心と思われます。
3. 平均車齢は、乗合車(ボンネットバス1台は一度除籍しているため、敢えて除外した)12.18年、高速7.77年、定観15.25年、貸切9.76年、特定14.91年。貸切車が他事業者と比較してかなり若いのも、奈良交通らしい所か。
乗合車は大都市に近い土地の割には高齢化している。1995(H7)年式が全体の10%以上を占めています。近鉄バスからの、この年式の車両の移籍が多いのでこの数字になっています。一方2005(H17)年の導入がわずか4台。翌年の近鉄けいはんな線の開業を見据えていたのかも知れない。
営業所別では榛原〔営〕15.51年、葛城〔営〕13.80年と地方が高いが、北大和〔営〕も12.59年と、平均値よりも高くなっています。経年化した3ドア車が多数在籍している事があるでしょう。
最古参はボンネットバスを除くと、八木新宮線専用車と、京急バスから来た「バンビーナ」の1992(H4)年式。八木新宮線は新ブルーリボンの導入が始まっているし、この1~2年で消える事になるのでしょうか。新ブルーリボンはハンドブックシリーズ初登場です。
4.メーカー別の割合では、全体としては日野:いすゞが7:3、という所だろうか。各営業所の配置も基本的にはこの割合を踏襲しているが、西大和〔営〕はいすゞ52.78%・日野〔営〕42.77%といすゞが上回っています。
三菱ふそうは〔やまと号〕用エアロキングが無くなり、エヌシーバスの縮小もあるのか乗合車も3台のみ。一方でコミュニティバス用の日産自動車・トヨタ車の導入が行われています。
乗合車のノンステップ率は、全体では36.80%。奈良市内を中心にした奈良・郡山(エヌシー車含む)・平城各営業所が50%前後に対し、榛原〔営〕は21.95%、、北大和〔営〕は28.76%と30%に届いていません。
低公害車は、CNG車は定期観光用のガーラミオと平城〔営〕にあるエルガミオの各2台、ハイブリッドは奈良市内循環線に導入しているエルガ・ハイブリッドの4台で、全体からすると少ないかも知れない。
北大和〔営〕等には、高速・貸切車から転用した乗合車が何台かあるが、どのような路線で使われているのだろうか。
運転研修所に乗合車が8台あるが、21年前から既に配置があります。過去のシリーズでは西鉄バスの自動車教習所にも乗合車の配置が見られたが、乗客を乗せずに教習のみに専念させるなら自家用白ナンバーでも良いはず。どのような意図があるのだろうか。
(神奈中バスでも「かなちゃん号」を営業ナンバーのまま教習車に転用している)
なお、いすゞのLKG-LV234N3以降の乗合大型車のボディメーカーがいすゞになってしまっていました。
(当然JBUSが正当)
◆ 奈良交通のあゆみ
元々奈良県は交通事業者の数は少なく、バスは、県内資本は奈良交通の他は吉野大峰ケーブルのみ。この路線は奈良交通に影響を与えるものではない。国鉄・JRバスの、元々小規模だった一般路線は全てなくなり、他県からの乗り入れも、現状は三重交通が上野市から奈良県の東部に若干乗り入れるのみ(天理乗り入れは、土休日に1便残るだけ)。
従って、他にコミュニティバスを受託する中小事業者はあるかも知れないが、基本的には戦後の奈良交通成立以降、ずっと県内のバス事業のほとんどを担ってきたのだと言えます。
鉄道も、戦後の新線は近鉄けいはんな線の前身・東大阪線の生駒開業まではなく、在来路線の近代化(近鉄奈良線の車両大型化、国鉄・JR線の電化など)はむしろ奈良交通にはプラスに働いたはずです。それだけに、奈良交通自身の沿線の環境の変化が、経営に影響を与えてきたのだと考えられます。
〔やまと号〕は、新宿発着は定着したが、その他の路線は集約が進んでいる。また昼行路線は、名古屋路線は増発も行われたが(鉄道は近鉄・JRとも直行がない)、奈良は結局、高速バスのターミナルとしては育ちにくい場所という所ではないでしょうか。ビジネスユースは少なさそうだし。
定期観光バスは昔かなりコースがあって、私も四半世紀前に乗った事がありました。何しろ専用の営業所まであった位だから。現在は、一般的なスタイルの定期観光バスはほとんどないようです。
このあと3月22日より、京都駅~けいはんな間の高速バスが運行されています。京阪バスと共同運行で、第二京阪道路・京奈和自動車道路経由。現状は「実証運行」の位置づけで、平日のみ4往復。
◆ 奈良交通の路線エリア
京都府内の木津川より南から、奈良県内の全域が一応のエリア。
ただしJR関西本線(大和路線)を境に北高南低の傾向、特に近鉄大阪線より南は、この14年で路線が相当減ってしまいました。コミュニティバスに移行した路線も多いはずだが、結果かなりスカスカ。
他府県へは、京都府県南のエリアと八木新宮線以外に、大阪府四条畷市の田原台への乗り入れがあります。14年前は三重県の上野市の他、和歌山県の橋本駅、大阪府の京阪私市駅への路線もありました。
また、4月1日に廃止になった五条~下市口路線など、先行して抹消されている路線もあります。
京都〔営〕隣接の大川原と近鉄の向島駅を結ぶ落下傘路線があるが、なんと月1日、第2日曜日に1往復だけ。趣味的には面白いものの、必要性がほとんど感じられないと思います。この路線、14年前にはありませんでした。14年前は大川原から南下して京田辺方面に向かう路線があり、さらに21年前には京都駅まで路線がありました。どの程度の便数があったかは解らないが。
今回は、前2回にはあった十津川村営バスの路線の記載が無くなりました。他の自治体のコミュニティバスの受託も多くなったので、バランスを取ったのだと思います。
◆ 終点の構図
21年前は三輪明神(三輪恵比須神社)、14年前は談山神社でした。談山神社への路線は、現在は桜井市コミュニティバスに移行しています(引き続き奈良交通が運行を受託)。
今回の才谷(下市町)は、元々は終点ではなかった。14年前の時点では、赤滝方面へ路線が延びていました。下市町はコミュニティバスもなく、完全に廃線になった路線が少なくなさそうです。
それほど長距離の路線ではなさそうだが、現在は土休日運休となっていて、維持するのが確かになかなか大変そうです。
◆ 山の辺の“さくらみち”
21年前の紀行は奈良の定期観光バスと、八木新宮線(当時は新宮特急線と呼称)の2コース、14年前は故種村直樹氏による、国宝の塔を巡って葛城山を目指す旅でした。全て新宿からの〔やまと号〕から始まっていました。
(14年前はエアロキングだった)
今回の谷口礼子さんの紀行も〔やまと号〕から始まるが、乗場がバスタ新宿になりました。前日開業、という事は、初日は関東バス担当だっただろうから、奈良行としては、奈良交通便のバスタ出発は初めてでしょう。
(五条行は前日が奈良交通だったかも知れない。両路線とも、始終着が京王プラザホテルなのは変わっていない)
奈良に着いてからは桜井までほぼ一直線に南下、そこから東に向かい、榛原経由で佛隆寺を目指すコースになりました。無論文化財や神社(21年前の「終点の構図」の三輪明神も経由する)、古刹も出てくるが、何より様々な桜・桜・桜のオンパレードだったようで、どこもかしこも見頃だ!と言われると、カラー写真がないのが何とも残念。過去の紀行についても言えるが、カラーの増ページは現状では難しいだろうから、「車両たち」のカラーページを工夫した上で、一部でいいから予告編的に紀行のカラー写真を出して欲しいなあと思いました。桜並木の下を走る大宇陀行のエルガミオの扉絵を見ると、余計そう感じます。
奈良交通は地元ではないから日常的に利用する訳ではなく、ああだこうだいう事はあまりできません。県内の交通をほぼ独占的、ではあるけれど、逆に言えば良い所も悪い所も、大部分を独りで背負ってきたともいえる訳です。それゆえ、奈良県内そのものの人口動態や需要に左右される部分が大きくなりそうで、奈良県の人口は21世紀に入ってから減少に歯止めがかかっていないようだから、北西部の近鉄奈良線およびけいはんな線沿線以外は、結構運営に苦心する部分が出てくるでしょう。既に相当数路線がなくなっている訳だが、最低限現状の旅客を繋ぎとめる戦略が求められる事になると思われます。
北西部に関しては、この付近の路線を運行する北大和〔営〕が、大阪に一番近い事業所でありながら古い車両が相当数あるのは気になる所。今でも3ドア車を相当数必要としているためと思われるが、けいはんな線開業以降はある程度利用が分散されていると考えられるので、そろそろ新車を一気に導入して、若返りを図る必要もあるでしょう。これは他地域も同じだが、主力の日野・いすゞの一般乗合車のラインナップが全てノンステップになったので、今後は全域で平均的にノンステップ化が進む事になるのでしょう。
あとは場所柄低公害車の積極的な導入が求められます。ブルーリボン・ハイブリッドなんて大いに期待されます。
定期観光バスは奈良に限らないが、在来タイプの定期観光は東京や京都などを除くと、曲がり角に来ているのではないかと感じられます。今後は路線バススタイル・フリー乗降タイプの路線の新設も考えられます。
高速バスに関しては、大きな展開は考えにくいと思います。今後注目されるのは関西空港路線で、インバウンドの利用が多くなるとも思われるので、多言語対応などの充実が求められます。それは貸切バスも同じで、中小のインバウンド目当ての事業者などとの競合が予想されるが、質の面(車両だけでななく、運行体制の面でも)で勝ち抜く事が期待されます。
ともあれ、奈良交通の今後の発展に期待します。
次号は福島交通と予告されました。ハンドブックシリーズ通しで初めてになります。何といっても東日本大震災の影響が心配で、データ面ではどの位現れるでしょうか。中通りが中心だが、相馬市・南相馬市にも路線があるので(原ノ町~川俣の路線が途中飯館村を通るから運休中、相馬〔営〕は現在中通りからは孤立した状態で、運行路線も土休日はほとんど運行がない)。車両面では、旧体制ではほぼ三菱ふそうオンリーだったものが、みちのりホールディングス入りしてからは中古導入に積極的な事もあって、かなりバラエティに富んだ顔ぶれになりそうです。
(なお飯坂線電車も、東急1000系への置き換えが発表になっている)
その次は箱根登山バス・東海バスというのが、前号の朝日バスの時点で既に発表になっています。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
《今日のニュースから》
31日 元横綱千代の富士 九重親方死去
1日 台湾蔡英文総統 先住民に謝罪
2日 リオ・パラリンピック選手団結団式 施設殺傷事件犠牲者に黙とう
千代の富士の死去はまたショックです。ご冥福をお祈りします。あれだけ鍛えられた人が、61歳?北の海前理事長や貴ノ浪もだけれど、現役時代ああいう体型で激しい運動をするので、その反動が来てしまうのだろうか?
台湾の先住民というと、一昨年台北桃園空港から帰る時の、ANA便が出発するゲートの近くにあった展示を思い出します。№1284では、先住民は14と書いたけれど、実際は16だそうです。今回の総統の謝罪は、過去に先住民から土地を奪ったり、言語や文化を否定した事の反省から来ているとされています。台湾鐵道の新型特急に「普悠瑪」「太魯閣」と、先住民にちなんだ名前が付いているのも、先住民との融和を図る意味があるのでしょう。
我が街戸塚は、今日未明の雷が凄かった…。いきなり「ズドーン!」と来て目がはっきり覚めてしまった。瞬間的に停電も起きたし。暑いのは私はとりあえずがまんできるので、とにかく青空が欲しい…。