№1432 駅の時刻表から見る 私鉄ダイヤの変遷 13.西武国分寺線・多摩湖線 国分寺駅

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 №1417の「私鉄名車列伝」は、西武の101系(新)・301系を取り上げました。西武の通勤車を代表する通勤車だった101系も池袋線・新宿線の本線からは全車退役、多摩湖線・多摩川線内のワンマン運転用に40両が残されるのみです。
 多摩湖線及び国分寺線の起点・国分寺駅はJR中央本線との接続駅です。西武の路線では1894(M27)年、国分寺線の前身の川越鉄道が先に開業し、1928(S3)年には、多摩湖線の前身の多摩湖鉄道が乗り入れています。元々が別の会社だったため、同じ鉄道なのにホームが大きく離れているのが特徴です。
 両路線とも基本的に線内折り返しの区間運転のみ発着のため、西武の駅としては地味に感じられるかもしれないが、2014(H26)年度の乗降人員は116,316人、池袋・高田馬場・西武新宿・練馬・小竹向原に次ぐ第6位(小竹向原はメトロ直通客が大半のはずだから、実質第5位)で、所沢をも上回る、実は西武でも有数のターミナル駅とも言えます。
 今回は、国分寺駅の駅の時刻表の変遷から、主にこの両路線のダイヤを振り返ってみます。基本線はあまり変わらないが、細かく見ると結構変わってきている部分も多く見られます。

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1987(H62)年3月9日
 手持ちの西武時刻表で最も古い、第6号から作成した時刻表です。当時は、土曜日は平日ダイヤでした。
 今の目で見ると、両路線とも本数が少ないです。特に国分寺線の休日は、現在の土休日ダイヤの半分強に過ぎません。
 どちらも基本的には線内折り返し、多摩湖線は萩山で系統が分断されています(多摩湖側は小平からの直通)。 多摩湖線・国分寺~萩山間は、当時は17m級の3連が最大で、351系3連の折り返し運転でした。。平日は朝夕共に一橋学園折返しが設定されています。1駅間のみの区間運転は、支線や出入庫を除けば、大手私鉄では結構珍しい形態ではなかったかと思います。
 西武のダイヤでは野球輸送を外す事が出来ないが、国分寺線では試合開始時刻に合わせて、一部の列車が所沢まで延長されました。多摩湖線では萩山行を西武遊園地まで直通としたが、この列車は準急とされ、萩山~西武遊園地間はノンストップでした。
(「平日デーゲーム」は土曜日)
 国分寺線では、西武園競輪開催日には別に日中の一部列車が西武園線への直通運転になります。

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1989(H元)年12月11日
 1988(S63)年12月改正の第7号は手元にないため、次は1989(H元)年12月改正(8号)になります。
 国分寺線は、夕方以降が10分間隔と増発になりました。

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 多摩湖線は、国分寺駅ホームの移設改良工事により、1990(H2)年6月より20m車4連の入線が可能になり、351系はさよなら運転を行って引退しました。これにより、輸送力が増強されました。
 現在の国分寺駅のホーム壁面のガラスに、過去の多摩湖線ホームと、351系の写真が掲げられています。

 1991(H3)年3月11日改正より、土曜日は休日ダイヤとの統合ダイヤになりました。国分寺線は、土休日午後の10分間隔運転時間帯が拡大されています。

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1991(H3)年12月9日
 この時期は各鉄道・各路線とも最終電車の繰り下げの要請の声が大きく、3月改正をベースに、平日ダイヤのみ国分寺線は15分、多摩湖線は28分の最終電車の繰り下げが行われています。

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1993(H5)年12月6日
 国分寺線は終日10分間隔運転が達成されました。一方で野球ダイヤ時の所沢直通運転は取り止め。
 多摩湖線も土休日の朝夕を中心に増発されています。

 1994(H6)年12月7日改正より、行楽シーズン中の国分寺線・西武園直通、多摩湖線・西武遊園地直通が設定されました。
(国分寺線は競輪ダイヤとは別)
 国分寺線では、早朝に1往復のみ、定期で西武園直通が設定になりました。

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1996(H8)年3月28日
 多摩湖線は全体的に増発となり、朝夕は平日・土休日とも10分間隔運転の時間帯が拡大されました。一方で朝方の一橋学園折返し1往復が取り止めになっています。
 野球ダイヤ時の西武遊園地直通は、普通電車に変更になりました(八坂・武蔵大和にも停車)。

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1997(H9)年3月12日改正
 多摩湖線は平日夕方のパターンが大きく変わり、西武遊園地直通が設定され、萩山折返しと交互に10分間隔運転となりました。一橋学園折返しは廃止。
 平日の野球ダイヤは、定期で西武遊園地直通が設定されたため廃止。

 1998(H10)年3月26日、2000(H12)年3月29日、2001(H13)年12月15日の改正は、国分寺線・多摩湖線に関しては一部列車の時刻の修正以外には、大きな変化はありませんでした。
 1998(H10)年11月20日より、多摩湖線・国分寺~萩山間で、(新)101系によるワンマン運転が始まりました。

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2003(H15)年3月31日改正
 国分寺線は、通常ダイヤでの本線直通が設定になりました。日中のみ1時間に1本、新所沢まで延長。

 次の2005(H17)年3月17日改正では、多摩湖線の土休日ダイヤで、10分間隔運行時間帯が拡大されました。

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2007(H19)年3月6日改正
 多摩湖線は、平日の日中が15分間隔に短縮されました。
 所沢線の新所沢直通は、1時間1本は変わらないものの、改正の度に時刻が変わってきています。2005(H17)年改正では毎時37分でした。

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2008(H20)年6月14日改正
 国分寺線の新宿線直通の一部が、さらに本川越まで延伸になりました。国分寺線の前身の川越鉄道は1895(M28)年に国分寺~本川越間を全通させており、開業当時の形態を彷彿される設定と言えます。
 大半は新所沢で、当時運行されていた新宿線の快速急行と相互に接続を取ります。

 2010(H22)年3月6日、2011(H23)年3月5日改正では、国分寺線の一部列車の行先変更以外は、国分寺線・多摩湖線とも大きな動きは見られません。
 2012(H24)年6月30日改正では、多摩湖線で平日午前中に2本、定期で西武遊園地直通が設定されました。
 新宿線の快速急行は廃止になったが、本川越直通運転は継続されています。

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2013(H25)年3月16日改正
 現行のダイヤです。
 多摩湖線は運転形態が完全に変わりました。国分寺口では西武遊園地直通が基本となりました。日中は萩山で分断、国分寺口15分毎、西武遊園地口は20分間隔の折返し運転になっています。
 一橋学園折返し小運転は廃止、朝ラッシュ時も10分間隔運転になっています。
(国分寺~一橋学園間にあった本町〔信〕は、この改正で廃止となった模様。待避線跡は更地になっている)
 西武遊園地口も、ラッシュ時の西武新宿直通急行(拝島で連結・切り離し)は廃止(土休日の急行は継続)、平日朝の普通3本を除いて、線内ワンマン運転が基本となりました。

 以上、本当に簡単ながら、国分寺駅の時刻表から、国分寺線及び多摩湖線のダイヤを振り返ってみました。多少舌っ足らずな部分もあったかと思います。
 国分寺、多摩川両線とも基本的には線内折り返し運転になるのだが、どちらもほぼ全線が単線の上、国分寺線は小川で、多摩湖線は萩山で拝島線と平面で交差するため、拝島線(さらには新宿線)のダイヤの動向に左右されるからか、時刻そのものの変動が意外に多くなります。
 国分寺線は1993(H5)年以降10分間隔運転が定着するが、時刻自体は改正の度にかなり変わります。
 多摩湖線は日中の増発傾向はみられるが、平日・土休日とも、12~14時台で一旦本数が減少する形態は変わりません。
 両路線とも、2年前のTOB騒動の過程で廃線が取りざたされた路線ではあるが、確かに乗客数は本線(新宿線)に比べたら少ないけれど(特に多摩湖線)、両路線とも沿線の住民にとっても、西武鉄道にとっても重要な路線である事は、国分寺駅の乗降人員を見れば明らかです。外資系ファンドってやつは、ロクな事を考えないよなあ、と改めて思います。
 とはいえ今後の伸び代はあるのかという問題も確かにあるが、国分寺線に関しては、東村山駅の高架化工事が何か影響を与えるでしょうか。2面4線に整理される配線を考えると、西武園線との完全な直通運転の実現もありそうです。多摩湖線は観光・野球輸送もあるが、当面は現在の形態で現状維持、という所ではないでしょうか。

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