№1382 思い出の海外旅行クロニクル 19.2002年ノルウェー 1

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「思い出の海外旅行クロニクル」、今回は2年ぶり、欧州に戻って北欧ノルウェーです。
 北欧は1993(H5)年に4か国まとめて行って、それから1996(H8)年に他の欧州諸国との周遊コースに組み込んで訪れているが、ノルウェーメインは初めてです。
 ソグネフィヨルドを中心とした、風光明媚な絶景が存分に楽しめる国です。どんな旅になったのか。

 とか書いておいて、いきなりお詫びです。
 恥をさらしてしまうけれど、私自信の注意力散漫な所が如実に表れているのだが、開始早々、3日目のオスロで、また置き引きにあってしまいました…。
 1995(H7)年のミラノで痛い目にあっていた、はずなのに…。
 色々無くしてしまって、カメラの望遠レンズも凄く痛かったのだが、2日目~3日目のソグネフィヨルド~ベルゲンにかけての、本来ならノルウェー一の人気路線を訪ねた際の撮影時のフィルムを皆失ってしまいました。
 この部分はかなり端折って記して行きます。ご了承ください。うう…。

2002年 5月16日(木)
 今回は行きはルフトハンザ(LH)でフランクフルト経由、帰りはウィーン経由でオーストリア航空(OS)を利用します。どちらもANAコードシェアで、ANA便名で搭乗します。

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 この旅では、成田空港までは、横浜(YCAT)からのリムジンバスを利用しました。当時はANAと、旧JASのカウンターも入っていました。ANAは国際線チェックインも行っていたのだが、前年の「9.11」で米国線は中止になっていました。欧州線はやっていたと思うが、LHコードシェアは対象外だったのではなかったかな…。

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 ベイブリッジ。
 早い便だったのでほとんど寝ていて、次に目が覚めたらもう千葉の森の中。

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 成田空港の検問。車は少なかったが、バス専用ゲート位は欲しいなと思ったものでした。係官の対応はソフトだったが、床下のトランクルームまでしっかりチェック。

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 当時のLHは第2ターミナル発着でした。

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 せっかく早めに来たのに、LHカウンターのオープンは7時30分。フランクフルトから先の搭乗券の受け取りはフランクフルトになりました。

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 サテライトのD91番ゲートから出発。
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 中日本エアラインサービス(NAL)のF50。後方にはMHのB777-200が駐機していました。

 搭乗開始はやや遅くなり、定刻は10時ちょうど出発の所、9時45分になって上級クラスから搭乗が始まりました。出発は20分遅れ。

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 R/W34Lよりテイクオフ(B滑走路が運用を開始していた)。天気が悪くて、すぐに窓の外は真っ白。

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 北上するにつれて天気は良くなっていって、越後の山々を見ます。5月なのに雪を被っている。

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 やや見づらいですか?離陸から30分弱で、左手は佐渡。

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 キャビンの様子。黄色がアクセントのインテリアはLHならでは。まだパーソナルTV装着、とはなっていませんでした。

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 離陸後、1回目の食事。メインは焼き鳥丼。これに赤ワインなんて気取ってみる。

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 シベリア上空。ガッチガチに凍りついている。他のお客さんも、凄い凄い行っていた。

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 リフレッシュメントのオニギリ。

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 ロシアの山々。
 しかし、ウラル山脈付近は、下界の雲がべったり張り付いて見えませんでした。

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 到着前の食事。「ドイツ風野菜のラヴィオリパスタ」、だって。

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 フランクフルトが近づき、降下開始。カッセル上空。大きな鉄道の操車場が見える。

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 農村地帯は、フランスとは少し違うと見えるが、それでも穏やかで美しい。

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 着陸直前、アウトバーンを横切る。片方は渋滞気味?

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 フランクフルト空港R/W25Rに着陸、第2ターミナルに到着。遅れはやや詰めました。が、次のオスロ行の乗り継ぎ時間があまりない。

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 トランスファーセンターで、次のオスロ行LH3018便の搭乗券を受け取るが、既に窓側も通路側も埋まってしまって、20B席になりました。


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 オスロ行LH3018便、A321-200。ゲートからは離れて駐機しています。

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 やはり搭乗はバスで、やや走って、機体の前後から乗り込む。単通路だし、欧州らしく?ストウェッジに入れる荷物がやたら多くてゴタゴタする。指定された20Bは翼の真横。ただでさえミドル席なのに、これでは窓の外の景色はほとんど期待できない。

 という事でやや遅れて出発、先に成田から来て着陸した時と同じR/W25Rより離陸。

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 A321のキャビン。

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 ベルトサインが消灯すると、すぐに機内食のサービスが廻る。ハム・サーモンと和え物サラダのコールドミール。チョコレートが添えられているのが、欧州らしいのではないでしょうか。

 窓の外は、やはりほとんど見られませんでした。最後部のドアの窓から見られるかなと思ったが、ギャレイになっていてかなり慌ただしい。森と田園地帯が見られるようで、もったいないなあと思ってしまったのだが。

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 オスロの空港は、6年前にトランスファーで利用したフォルネブから、北東のガーデモエンに移転していました。さすがに新しいし、ノルウェーらしく木材がふんだんに利用され、温かみを感じさせました。
 ここは展望デッキはないようだが、出発階(2F)に通じる道路の歩道から、スポットイン/アウトする機体がほんの少し撮影できます。

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フィンエアー MD-82 OH-LMW

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サン・エア ATP Jetstream61 OY-SVT
 BAのフランチャイズ運航で、「ワールドイメージ・Ireland」。

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ウィーデロー航空 DHC-8-300 LN-VFR

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エア・ボトゥニア BAe146 OH-SAI
 スカンジナビア航空(SK)のフィンランドの子会社だったらしいが、ブルーワン改称の後、SKに吸収。

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スカンジナビア航空 DHC-8-Q400 LN-RDW
 この2か月後にSKからリタイアしたそうです。

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 空港とオスロ中央駅の間は、空港特急「フライトーク」が運行されています。乗車券。約50㎞で140NOK(≒2150円)だから、やや高い(レールパス類は利用できない)。

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 フライトークの時刻表。5時34分~0時34分の間、途中リレストレムに停車し、オスロ中央からさらにアスケーまで運行される列車が20分間隔、平日日中と日曜午後は+ノンストップのオスロ中央行が20分間隔。

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 ガーデモエン空港駅。ここもいいデザインです。

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 空港駅の、フライトーク専用ホーム。一般列車用のホームも別にあります。
 それにしても20時を回っているのに、何と明るい事か。

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 フライトークの車内。このインテリアもいい。デッキ部のTVモニターで案内が表示されます。

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 フライトークは貼り付け線増の複々線を走行、途中貨物列車とも出会います。乗り心地は素晴らしい。高速走行を感じさせません。さすがです。
 ノンストップ便で21分、オスロ中央駅に到着。

 ひどく眠くなって、タクシーでホテルへ着いたらもうバタンキュー。片づけもシャワーも何もなく、そのまま寝てしまいました。

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2002年 5月17日(金)
 この日のノルウェーは憲法記念日の祝日。ホテルは朝食が8時とかなり遅くなり、食べないで中央駅まで歩いて行く。王宮は式典のためか慌ただしかったが、通りは人が少なくてすがすがしい。

 ベルゲンへの路線は高速特急「シグナチュール」が入っていました。カフェテリアで朝食。車窓を愛でながらミュルダールへ。祝日なので、沿線の民家はほとんどが国旗を掲げていました。
 標高990mのウスタオーセ付近は荒涼とした雪原。5月というのにスキーヤーが多い。

 ミュルダールでペンデルツークの緑色の列車でフロムへ降ります。この路線は経営主体が変わっていて、スカンレイルパスでは無料とはならなくなり、30%オフの85NOK(≒1,350円)。フロムからは船でソグネフィヨルドのクルーズを愉しむ。グドヴァンゲンからバスでヴォスに向かい、この日はヴォスのYHに宿泊。

 と書くと、ほんとうにあっさりしてしまって、本当に写真を失ってしまったのが悔やまれます。

 ところで、YHで時刻表をチェックしていたら大変な事が判明。今日だけでなく、月曜日の20日も昇天祭の祝日になり、今日は走った列車も20日は運休になる列車が発生する。従ってプランの組み替えが必要になりました。一度オスロに戻った後、ハーマルの鉄道博物館に行くつもりだったが、今回は取り止めとせざるを得ないか。

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《今日のニュースから》
11日 広島空港 アシアナ機撤去作業開始
12日 古本ドミノ倒しで世界記録 岐阜市

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