№1365 青い森鉄道 駅を訪ねて 2.駅を訪ねて バスも撮る

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 八戸はいい天気になってくれました。
 バスの撮影もしながら、青い森鉄道の各駅、まずは南部、岩手県境の目時駅を目指します。

 5月18日(月)

 とはいえ、バスの発着は7時前になってから。6時41分に三戸から到着する、青い森鉄道の電車を撮ります。入場券を買って、ホームから撮りました。

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 5年前、苫米地駅で撮った701系100番台。もちろん今はモーリーの新色。ここから引き続き青森行になります。3年前は同じ列車(ただし、当時は快速)で三沢に行って、休止(廃止)間近の十鉄電車に乗りに行ったものでした。
 
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 改めて、八戸駅。これだけ見ると、都市近郊の普通の橋上駅舎に見えます。
 新幹線停車駅ではあるが町の中心からは遠く、バスの発着も中心部ほどは多くありません。中心部方面行が市営・南部で調整して10分間隔で出発して行くが、他の路線は少ないです。

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 通りにある、石川啄木の碑。旅の途中、駅前の宿に投宿した時の事を記しているようです。
 これに記されている通り、八戸駅は昔は「尻内」と呼んでいて、八戸線の現本八戸駅が「八戸」と称していました。それだけ中心部から遠い訳で、駅付近は宿泊特化型ホテルが数軒見られるものの、全体的には閑散としているとも感じます。

 8時30分位までは、駅からやや離れた交差点でバスを撮影。南部バスが中心になり、一部は先日更新した本体でもご覧頂いています。それらの中から、これから注目されるだろう車両を1枚。

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 日野+富士ボディの南部バス。割と前から走っていたらしいが、私は初めて見ました。遠州鉄道からの移籍と思われ、少なくとも2台確認しています。今後遠州鉄道に残る車両共々、バスファンの注目を集めるのは間違いないはずです。
 この他、ウィラー・エクスプレス色のエアロエースなども見ました。ウィラー便は盛岡を経由してきていて、八戸到着は遅めです。

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 青い森鉄道八戸駅のコンコース。奥が新幹線。
 最初はネットでチラッと見かけた「コロプラ☆青い森のふりーきっぷ」を利用するつもりでした。しかし、駅の人に聞いたら、発売は青森駅だけ、だって。きちんと隅々までチェックしなかった私が悪いが、他の小駅はともかく、八戸位は発売があっても良かったと思います…。
 従って、基本的には乗車の度に運賃を支払って乗る事になります。運賃がちょっと高めなので痛いのだけれど。

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 まず北高岩までの乗車券を買って、再びホーム入場。ちょうどJR・青い森・IGRの三社がそろい踏み。
 どのホームも前後が柵で仕切られ、両端には立ち入れなくなっています。長編成の列車の停車はもう考えていないという事でしょう(最大で6連?)。これから訪れる各駅もそうです。
(〔カシオペア〕〔北斗星〕は上下とも通過)

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 発車してすぐ、三戸発鮫行の1431Dと出会います。三戸方面から八戸線への直通は、国鉄時代から維持されているものです。
 次の北高岩でさっそく下車。

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 北高岩駅。静かな無人駅。

 苫米地までは2.8㎞と青い森としては短く、次の電車までは50分あるので、歩いて先回りします。

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 その途中で見かけた、「南部町多目的バス」。普通の南部バスカラーの車両に、「多目的バス」と書かれています。コミュニティバスと同じ性格、と考えて良いのでしょうか?多目的バスは、今回は撮影がなりませんでした。このローザの他、リエッセより前のレインボーも使われていました。

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 5年前に降りた苫米地駅は、上下ホームを繋ぐ跨線橋が補修工事中でした。
 EH500のフレートライナーが通過して行きます。

 次の三戸行2562Mには、青い森鉄道のアテンダントが乗っていました。若い娘さん。ガラガラのローカル列車では、気恥ずかしい気もする。乗車券も発券。2つ先の諏訪ノ平まで購入。

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 諏訪ノ平駅。無人駅。2面3線だった所、真ん中の線路をはがした跡がある。
 ここは「すわのたいら」と読む。東北地方だと八幡平の如く、「平」=「たい」と読む事が多いと思う中、東北としては珍しいと感じました。

 先の三戸行がそのまま折り返してきました。八戸行はさすがにお出かけのお客さんが少なくない。

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 一つ戻って、剣吉駅。ここは、日中は駅員がいる。
 駅前にいるリエッセは、「なんぶ里バス」と称していて、先の多目的バスと同様の性格、だと思うのだが、こちらは白ナンバーの自家用。

 盛岡行4526Mは青い森701系。目時まで行ってしまっても折返しで乗れる電車はすぐにはなく、2時間近く待ちぼうけ。三戸で途中下車して後続に乗っても同じなので、三戸で途中下車してみました。

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 三戸駅。ここは三戸町ではなく南部町に位置し、先の南部町多目的バスが入ります。
(三戸町コミュニティバスも入る)

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 下り1番ホームには、十和田湖へのルート案内の看板が掲げられていました。確かに「最短距離」ではあるけが、公共交通アクセスが、ない…。

 昔は国鉄バス十和田東線(今の「おいらせ号」とは違う)が岩手県の一戸・金田一温泉の方から三戸を経由して十和田湖に路線が延びていたらしく、これは1981(S56)年限りで終わったようだが、1982(S57)年夏季シーズンには、南部バスが八戸→五戸→迷ヶ平→宇樽部→十和田湖、十和田湖→宇樽部→迷ヶ平→田子→三戸→八戸と走らせていました。
 その当時のものがそのまま残っている訳だが、十和田東線に限らず、十和田湖へのアクセスは、この30年で大きく衰退してしまいました。

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 駅前の通りに面した「村井家住宅主屋」。登録有形文化財だが、現在は空き家の状態。

 県道258号線に出て左へ、馬渕川を渡ると三戸町になります。

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 三戸町にもコミュニティバスがあります。昨年運行を開始したばかりらしい。一般の南部バスカラーだが、三戸町出身の漫画家、馬場のぼるが書いた絵が掲げられています。路線はいくつかあって、一部は曜日限定。

 次の電車で目時へ。IGR編成だったが、到着したらほとんどのお客さんが降りてしまいました。県境が近いとそうなるか。

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 目時駅。青い森鉄道とIGRいわて銀河鉄道の境界。
 駅の周辺にはほとんど何もない。一応少し離れた場所に簡易郵便局もあるし、集落もあるのだが。昔は駅員がいたようだけれど、今は青い森の券売機があるだけ。よくこんな辺鄙な所が、二社の共同使用駅となっているものだ、と思った。ただ、IGR色はほとんど感じられず、せいぜいホームの業務用電話が青い森とIGRで別になっている程度か。

 ここからは青森まで北上して行くので、通しの乗車券を購入。3,120円。100㎞を越えるので、途中下車が可能になります。

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 13時32分発の八戸行4532M。IGR7000系。これから電車数本を乗り継いで、青森を目指す事になります。

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 車内には、県交通・県北バス・JRバス連名のバス運転手募集の広告が掲げられていました。

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 八戸駅に戻りました。コンコース「うみねこロード」に設けられたバス案内所「はちこステーション」。バスに関する情報を入手できます。バスで行くオススメルートのパンフレットも各種あります。バスを初めとする公共交通に乗ってもらおう、その意気込みはここでも伝わってきます。

 少し時間を撮って、再びバス撮影に時間を当てます。

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 南部バスはキュービックがまだ相当残っているが、さすがに相当くたびれた車両が少なくありません。

 
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 快速しもきた。キハ100×2。JRの運転士のワンマン運転。この列車で上北町まで行きます。

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 EH500のフレートライナー。この区間で貨物列車と言ったら、こういう列車ばかり。

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 十鉄の三沢駅の跡地は、廃線から3年経ってレールは剥がされているものの、ホームはそのまま残されているように見えました。

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 上北町駅。
 東北町の中心になる駅だが、駅前に乗り入れる十鉄バスは、全便土休日運休…。便数自体は比較的多いのに。
 後続の普通電車で先へ。

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 上りローカル列車との出会い。上下線で線形が大きく違う区間が多いのが、旧東北本線の特徴です。

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 もう一か所、千曳駅で降りてみました。
 ここは輪をかけて、あたりに何もない…。

 ここで降りたのは、13年前に廃線になった南部縦貫鉄道の跡を訪ねてみようと思ったからです。

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 ホーム上を交差する車道を左に進むと、左手に廃線跡の築堤が見えてきます。

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 車道から廃線跡に降りる道があります。跡は普通の農地の砂利道という感じ。

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 旧西千曳駅(かつての東北本線旧千曳駅)跡までは、森の中を行きます。13年も経てば当然だろうが、鉄道だったという痕跡が何も残されていません。砂利がバラストだったのかなあという形をしているのが、唯一でしょうか。

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 ここが、西千曳駅の跡。
 左手のバス停は、東北町の町民バスのバス停。

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 反対側から見て、道路と交差する部分。
 ここまで、青い森の千曳駅までたっぷり20分以上はかかりました。この辺はさすがに昔は東北本線の駅があっただけにそれなりに人家が見られたが、それだけに遠い昔の話だが、ずいぶんと思い切って遠くに駅を移転させたものだと感じました。青森からの普通電車は降りる客もなく…。

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 下りも、私以外の乗降はありませんでした。なんだか「秘境駅」の趣きもありました。

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 野辺地から夏泊半島を抜けて、陸奥湾を見ます。鴎島。

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 新しい野内駅の手前、青森市営バスの東部営業所を見下ろします。ナンバープレートを外された車両が何台か並んでいました。
 背後の八甲田はさすが東北、5月というのに雪が残っています。
 野辺地を過ぎたあたりから、上空は雲が広がってきました。

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 18時ちょうど、青森駅到着。駅前のホテルに投宿します。

 天気予報を見ると、どうも明日は雨らしい…。4年前にJALのエアバスで着いた時も、昼前から天気が悪くなってしまったし、何かついていない気がする。青い森の駅を訪ねる事になるだろうが、ひどい降りにはなって欲しくない。

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《今日見た・聞いた・思った事》
 私事になるが、勤務先が変わったため、東急東横線での通勤が今日で終わりました。明日からはJR東海道線で南へ行く事になります。
 3年間利用する間に、東横線は大きく様変わりしました。何といっても2013(H25)年のメトロ副都心線、さらに西武池袋線・東武東上線への直通運転開始は、極めて大きなインパクトでした。通勤時にはたいてい西武6000系の特急に乗っていたのだが、東横線を西武の電車が走っているのを見るのは、2年経った今でも未だに信じがたく感じます。
 一方で昨年の元住吉事故で振り替え輸送を経験した事もあり、良かった事も、うわー困ったな、と思った事も、この3年の間で様々ありました。
 副都心線相直開始以降の東横線は、残念ながら以前に比べて列車の遅延が多くなってきました。見てきた感じ、平日より土休日で遅れが大きくなる傾向があるようです。みなとみらい線への行楽客の入り込みが急激に増えた感があるのと、相互直通先(特に西武)で生じた遅延がそのまま持ち込まれる事が多くなったのが理由ではないでしょうか。何度も書いているが、東横線は全体的に線路容量が小さく、菊名~元町・中華街間約10㎞に追い抜きができる駅がなくて、ダイヤ編成を苦しくしているのも一因でしょう。土休日のホームの混雑を見るにつけ、横浜の地下駅が1面2線で造られてしまったのは、コストや用地の問題でやむを得なかったとしても、やはり悔やまれるポイントだと思います。
 地下線区間は今更どうにもならないかも知れないが、かといってこのままで良いとも思えません。取りあえずは、パターンの大きな変更(特急・急行・各停の割合の見直し)まで踏み込んだ、ダイヤの見直しが行われる必要があるのだろうと思います。
 通勤の利用はなくなるが、東横線に乗る機会まで消える訳ではありません。今後、ホームドア整備計画に合わせて車両計画が大きく動く可能性があり(5000系4編成の田園都市線転属もあり得ると思う)、引き続き動きを注視して行きます。
 鍬形さん、小林さん、塚形さん、大橋さん、松村さん、その他大勢の皆さん、長い間ありがとうございました。

《今日のニュースから》
 7日 全仏オープンテニス男子 スタン・バブリンカが初優勝
 8日 ぺヤング・ソース焼きそば 首都圏で販売を再開

 東横線の横浜駅にセブンイレブンが開店しているのだけれど、今朝はソース焼きそばが大量に並んでいました。

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