四日市あすなろう鉄道が近鉄内部・八王子線を引き継ぎスタートして、1ヶ月経ちました。同じ4月1日に華々しくスタートした京都丹後鉄道(ウィラー・トレイン)と比べてやや地味目だし、先行して三岐鉄道に譲渡された北勢線と比較して路線距離も短く、ほぼ全線に並行してバス路線がある事を考えると前途はより多難だが、今後は新車両導入や冷房化も行われるそうで、末永く走り続けられる事が期待されます。
四半世紀近くになるが、1991(H2)年8月に近鉄時代の内部・八王子線を訪れ、各駅の写真を撮影しているので、ここでご覧頂こうと思います。
近鉄四日市
名古屋線の高架下にある駅で、近鉄時代から既に改札は別になっていました。今回の転換で「あすなろう四日市」と改称しています。
赤堀
日永
八王子線分岐駅。2面3線。
南日永
泊
交換可能駅。内部線ではほとんど全ての列車が、ここで行き違いを行っていました。
追分
小古曽
内部
内部線の終点。小規模な車庫があります。
西日野
八王子線の終点。以前はさらに伊勢八王子まで路線が延びていたが、水害のため1974(S49)年7月より休止、1976(S51)年3月一杯で廃線になりました。もう40年近くになります。
撮影の時点で、伊勢八王子まで走っていた頃の面影はもうほとんどなくなっていたようでした。
列車は既にワンマン化されていたが、ほとんどの駅に駅員がいました。当時駅員がいなかったのは、小古曽だけ?
(内部・八王子線に限らず、当時の近鉄は全体的に、無人駅は少なかった)
今後、四日市あすなろう鉄道の手で、これらの駅が姿を変えて行く事はあるでしょうか。三岐北勢線のように、駅の配置そのものにまで手が付けられる事もありうるのか。車両共々注目して行きたいと思います。
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《今日のニュースから》
2日 英ウイリアム王夫妻 第2子出産
3日 アジア開発銀行 ネパール支援に3億ドル拠出を決定
今日は憲法記念日。私は「護憲派」のはしくれのつもりだが、どうもこの日になると護憲派・改憲派とも、主義主張が一方的に先鋭化する傾向にあり、個人的には両者の争いの巻き添えはごめんだと思っています。穏やかな話し合いの場って、作れないものですかね?
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