№1339 思い出の海外旅行クロニクル 16.2000年イタリア 6

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 イタリア南部、コートダジュールに面したフランスとの国境の街・ヴェンチミリアからは、山岳部を走るローカル路線があります。
 途中一部区間は国境をまたいで、フランス領にも入ります。
 この路線、過去には宮脇俊三さんや長真弓さんが著書で取り上げていて、私も乗ってみたいと、前回のイタリア行の時もプランには組み込んでいたのだが、あの時はジェノヴァでの寝坊もたたって、結局乗れずじまいで終わってしまっていました。
 今回はチビタベッキア着後、ジェノヴァ経由でヴェンチミリアに入り、翌日早朝の列車に備えました。

2000年11月 3日(金)

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 翌朝、デッキに上がると大海原。東の方が明るくなってはきたが、行く手には雲が広がってきたよう。
 セルフレストランで朝食、ではあるが、他には誰も客がいない。係もヒマそうでオシャベリばかり、あまり仕事をする気がなさそうに見えて仕方がなかった。実際仕事がないのだが。

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 14時間30分の公開で、チビタベッキアに戻ってきました。2日前にゴルフォアランチへ発った時は真っ暗だったから解らなかったが、工場や石油タンクが目立ち、工業の街でもあるようです。

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 改めて、チビタベッキア駅。
 ここからジェノヴァ行ICに乗車。北を目指します。

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 この列車にはカフェテリアが連結されています。ユニークなレイアウト。
 カプチーノとケーキで4,500ITL、なのだが、小銭がないとかで、10,000ITL札を渡したのに、5,200ITLしか返してくれない。確かに15円程度しか違わないけれど、ヒドイ話…。

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 車窓で展開される海は荒々しい。完全な曇り空だし、風が強そうだ。
 途中工事のため反対側の線路に転線して走り、リヴォルノでは7分の遅れになった。これは欧州全体でよくある話。
 途中のピサは、車内から駅の外を見た限りでは、どうってことない普通の地方都市と映りました。

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 ジェノヴァ・プリンシペ駅。

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 駅前には、トロリーバスが入ります。
 ローカル列車でヴェンチミリアを目指します。この列車はブリニョーレ駅が始発。

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 また海岸スレスレを走る。波の飛沫列車にかかりそうだ。

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 そんな中、アルベンカの先、海に小島がポッカリ浮かんでいるのが見えました。ガッリナーラ島。てっぺんには白も見えました。
 アルベンカから先は単線。やがてまた大粒の雨が降り出し、屋根を叩きつける音が結構大きい。すぐ止んだが、この日の北部の天候は、相当不安定でした。

 リゾートのサンレモを過ぎて、ジェノヴァから約3時間30分でヴェンチミリア着。フランスの新型ダブルデッカー電車がいました。

 駅から5分後に、ホテルを見つけて投宿。宿泊料80,000ITL(≒3,900円)、小ぢんまりしているが、割と新しくて上々。イタリアのホテルでは、パスポートを提示すれば、宿泊カードは署名だけすれば良い所が大半のようでした。

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 夕食は、駅のカフェテリア。バーやタバッキ、売店と一体になって、きれいに改装されています。
 しばらく列車を見ていた。20時過ぎ、パリ行の夜行が出発して行きました。変わって入ってきたカンヌからの電車は、TGVの流れを汲むデザインでした。

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2000年11月 4日(土)

 翌朝、日の出を見たくて、早起きして海岸へ。上空は前日の荒天がウソのように快晴、星が美しい。東の方がオレンジ色になってきました。

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 その東の空がジリジリとオレンジ色に染まっていきます。
 7時過ぎ、朝日が昇る。感動的光景でした。素晴らしいヴェンチミリアの一夜となったと思います。

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 ヴェンチミリア駅。
 8時07分発のクーネオ行に乗車。DC2連。カラーが新旧混在。
 グングン高度を上げて行きます。トンネルが連続するが、私が乗車した2両目は明かりがつかない。真っ暗で何も見えなくなります(先頭車はついているようだが)。

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 どこの集落だったっけ?ドゥーモが印象的。

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 そして、国境を越えてフランスのブレイユ・シュル・ロワイヤ駅に到着。ニースからのSNCF路線と合流します。
 当然と言えば当然、ではあるが、各種表記は皆フランス語。フランスの鉄道警察もいる。
 駅付近の雰囲気は、イタリアと変わらないと思いました。

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 しかしさらに高度を上げると、山の中腹にゴルジュ・ド・サルジュの集落を見る。すごい所だ。

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 フォンタン・サルジュ駅で反対列車を待つ。晴れているけれど陽が差さない山の中の無人駅で、車外へ出ると寒くて、吐く息が白い。
 やはりフランス区間は、イタリアとは信号システムが異なっていました。

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 さらにこの先、再びイタリア領に戻るまでに、ループ線を3回もクリアしなければなりません。頭上には、これから走るアーチ橋。

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 そして、今走ってきたアーチ橋。
 ループ1周は約3分。高低差は50m、という所だろうか。

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 山の中腹にへばりつくように、テンダの町があります。白っぽい感じがしました。

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 フランス領内では最後の駅、ヴィエボラ。あたりには人家が全くないし、駅も無人、なのだが、窓には洗濯物が干されていて、誰かが住んでいるのは間違いない。 駅にはSNCFのマークが見られます。この区間はFSの飛び地に思えるが、あくまでフランス領内はSFCF所有の路線という事か。

 この後長大トンネルを越えてイタリア領に戻り、リモーヌからは電化区間。スキーリゾート?国境を越えてきたからか、停車中に鉄道警察官が乗り込み、パスポートを提出させられました。
 この先もループ線が現れ、今度はどんどん下って行きました。

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 ヴェンチミリアから2時間、ループ線をいくつもクリアして、着きました、クーネオ。厳かな駅です。
 遠くに白い山々、アルプスの香りがプンプン。

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 トリノ行ローカルの左手にはアルプスの山々。ひときわ高い鋭鋒は、標高3,844mのモンテ・ヴィーゾ山。

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 サヴィリアーノにはアルストムの工場があるらしく、構内にはスロベニアのマークを描いた、白と水色の車両が見られた。他にも車体の鋼体がいくつか見られたし、ETRはここで生産されるのか。

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 トリノ・ポルタ・ヌォーヴァ駅に到着。隣はダブルデッカーの近郊電車。

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 カステッロ広場。背後は王宮。

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 翌年の通貨流通を間近に控え、広場ではユーロのイベントが行われていました。10,000ITLまたは20,000ITLを、ユーロのコインがデザインされた紙製のトークンと引き換え、それをさらに物品に引き換えるシステム。10,000ITLは5.17€に相当し、帰国が近いので、これで日本に帰ってからのみやげに引き換えました。

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 ユーロの交換レート表。表はITLがユーロではいくらに交換されるのかを記しています。裏面は、新しく流通する高架・紙幣はITLではいくらに相当するのかを記しています。
 この日の時点では、1ITL≒0.048円なので、1€≒93円程度、となります(もちろん実際はこんなに単純ではない)。「夢と希望の統一通貨」、とこの時点ではもてはやされていたのですが…。
(今日21時の時点では、1€≒126円)

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 トリノにも市電が走っています。今回はどの都市も、市電に乗る機会がほとんどありませんでした。

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 改めて、トリノ・ポルタ・ヌォーヴァ駅。ここからローカルでミラノへ。

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 農村地帯を130㎞/hで改装。当然ではあるが、南部とはまるっきり車窓が違う…。

 この日はミラノのさらに北、スイス国境に近いコモに泊まります。

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 コモへ行く列車は、ICなどは中央駅からだが、ローカル列車はガリバルディ駅から出発します。もう暗くなって車窓は楽しめないままコモに到着。
 駅から徒歩15分のYHに投宿。外は割と騒々しいが、中は静かで暖かでした。
 これが、イタリア国内では最後の宿泊になります。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

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《今日見た・聞いた・思った事》
「アシアナ機」+「異常な低空で進入」、と聞くと、多くの人は一昨年のサンフランシスコ事故を連想するかと思います。今回の広島はサンフランシスコと違って高台にあるし、夜だった上に気象条件も悪く、霧も出ていたとかで、少し違う要因もあるのかも知れません。
 ただ、詳しい事は専門家に任せるとして、あくまで私個人の感想からすると、いくら突然の悪天候とはいえ、滑走路手前のILSを破壊するようだと、明らかに高度が低すぎたのではないか、サンフランシスコと同様、着陸進入時のコックピット・クルー間のモニターができていなかったのではないかと感じます。アシアナ航空は1993(H5)年にも木浦で国内線のB737が着陸に失敗し、大事故になっているが、あの時も悪天候の中、クルー間の意思の疎通が十分にできていなかった事が原因の一つとされているようです(空港の管制にも問題があったようだが)。どうもアシアナ航空は、コックピット内部におけるクルーの意思疎通が十分にできない傾向があるのではないか、という気がしています。韓国特有の事情でしょうか?いずれにしろ、FDFR・CVRの解析など、早い原因の究明が待たれます。
 ちなみに広島では通常西側(R/W10)から着陸するとの事。私は過去5回広島空港に着陸した経験があるが、4回はR/W10でした。1回だけ、今回のアシアナ機と同様の東側(R/W28)に着陸した事があるが、あの時は昼間で快晴でした。
 韓国の朝6時のニュースをBSで見たけれど、トップニュースが資源開発事業の不正疑惑で、広島の事故は2番目でした。人的被害がなかったとはいえ、扱いが軽いとも思った。日本だったら、何を差し置いても事故がトップになる所だと思うが。

《今日のニュースから》
14日 産経新聞前ソウル支局長 出国禁止措置解除で帰国
15日 聖マリアンナ医大 医師・指導医20人の指定を取り消し 厚生労働省

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