№1337 思い出の海外旅行クロニクル 16.2000年イタリア 4
ナポリ2日目、もう一つのローカル私鉄に乗り、鉄道博物館を訪ねた後、夜行で再び南下。
翌日はシチリア島のローカル列車を乗り継ぎます。
やや写真が少なめなのはゴメンナサイ。
2000年10月30日(月)
ナポリの南、ティレニア海に面したトッレガヴェタまで、SEPSA(Societa Esercizio pubblici Servizi Spa)という私鉄が走っているので、訪ねてみました。
始発のモンテサント駅。付近はゴチャついた住宅地。
モンテサント駅のホーム。すぐトンネルがあり、セルリアンタワーが建つ前の京王井の頭線・渋谷駅に雰囲気が似ている。
2つ路線があって、どちらもトッレガヴェタへ行く。ただし、北側のリコラ経由は非常に少なく、当時は1日6本しかなかった。
(リコラまでは20分間隔だが)
その数少ない、8時43分発リコラ経由に乗る。カーブが多いが、場所によっては連続立体交差工事を行っていました。
電車そのものは釣掛駆動の近郊タイプ。例によって落書きが凄まじく酷い。
日本人(私の事)が乗っている事に興味を持ったのか、乗務員室の職員が、運転中だというのに私を招き入れる。イタリア語で色々まくしたてられても困るのだが、なにより運転士が何となく真面目にやっていないなあという印象。台に足を上げたり、同僚と大声でおしゃべりしながら運転している。「ナカタ」(中田英寿。当時セリエAのペルージャに所属していた)とかいう単語も聞こえた。
ピアヌラ駅。
車窓。リコラまではフリークエントサービスが行われていて、通勤・通学などに便利に利用されているよう。
乗務員室から見た線路。線路はかなりキチンとしていました。
終点のトッレガヴェタ駅。行き止まりの先はティレニア海。付近は小さなレストランやカフェが点在していて、シーズン中はリゾートとして大賑わいなのでしょう。
ティレニア海。海に突き出た小さな撮ってでは、釣りを楽しむおじさん・おばさんが目立ちました。
帰りは南側バニョーリの路線に乗る。こちらは終始複線でした。海岸沿いの集落を結んで走っています。
国立鉄道博物館は、ナポリ中央駅からFSのローカルに乗って、ピエトラルサで降ります。ホームだけの無人駅で、本当にここでいいのか?と思ったのだが、踏切を渡った先にちゃんとありました。
博物館の広場。子供たちの団体が来ていました。
困った事に、庫内の車両が並んでいるエリアには、説明書きの類が一切見当たりません。これは創業当初の歴史的なタイプのSL、とは思うのだが、詳細は不明。
SLは代表的な形式は一通り揃っているようだが、スペースの都合なのか、テンダー機では炭水車がないものもありました。炭水車もセットで初めて1両のSL、のはずなのだが。
保存EL機。
昔のDCはなんとなくバスみたい。センタアンダフロアだったのか?と思えるタイプも見られました。この色、当時も現役で走っていたが、何度も書いているけれど、どうしても好きになれません。
売店で販売されていた絵葉書。
博物館そのものは、全体的には鉄道公園という雰囲気が近いように思えました。説明書きもそうだし、資料も少ない。無料だとこんなものかもしれないが、一部に状態が良くないものもあり、適切な入場料を徴収した上で、もう少し車両も施設も整備した方が良いのではと感じました。
市内にはいくつか大きな駅があるが、メインはやはりFSのテルミニ。駅前は本当に騒々しい。車も人も明一杯あふれ、クラクションも騒々しい。それがナポリ、なのだろうが。
中央駅の窓口。
発車案内表示。古めかしいソラリータイプ。
ホームに面した売店。
ホーム。頭端タイプ。
今回ナポリで宿泊したYHの最寄、メルジェリーナ駅。
この後はシチリア島を目指すのだが、ナポリからだと深夜になってしまうし、治安と睡眠時間確保を兼ねて、今一度ローマに戻る事とします。
ローマ行IR2498列車。カッシーノ経由便。全車2等座席車。
ナポリ中央駅14時00分定刻に出発。イタリアでも、少なくとも始発駅は定刻に出発するようになりました。
その車内。ボックスシート。
客席そのものはいいのだが、自動ドアが一部で故障したままだったり、トイレは一見水洗に見えて垂れ流しのままだったりと、全体的なレベルはまだもう一歩。
ベスビオ山。
この路線はカーブが多く、スピードが出ません。所々、高速新線の工事現場を見かけました。
ローマ・テルミニは23分の遅れでした。
シラクーサ行夜行出発までの間、トレビの泉まで歩いてみました。当たり前の如く、どこをどう歩いても日本人とぶつかる。歩道の日本語の広告も健在でした。
シラクーサ行E1939列車。全車寝台。クシェットは満席となり、ややお高いが、この旅唯一の列車寝台コンパートとなりました。97,000ITL(≒4,700円)。
相部屋の対応で、冗談もセットされるが、ローマ出発時点では誰も来ない。
個室のテーブル。アメニティキットと車内誌、それにメニューカードとミネラルウォーター。
メニューカードは、表面は“COLAZIONE”(朝食)他スナック類、裏面はドリンクや菓子。アルコールもあります。専任の車掌に注文します。通貨の流通はまだだが、ユーロでの決済も可能だったよう。
ナポリまで、他には誰も来ませんでした。この先は4時前のヴィラ・サンジョバンニまで乗降の停車はないから、個室独り占めほぼ確定。ラッキー。ゆっくり眠れそうです。
通過する町は、どこもひっそり寝静まっていました…。
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2000年10月31日(火)
フェリーへの出入りらしい物音、振動はしたけれど、良く眠れました。メッシーナを出発する所で目覚め。レッジョ・デ・カラブリアの街が対岸に見える。
東の海の彼方に…、朝日!
なんと素晴らしい光景だろう!!
右手(通路側)はエトナ山。煙を吹いていました。
7時過ぎ、カターニャ到着。ここで一部の車両は切り離し。
車掌に寝台を座席にしてもらって、朝食を持ってきてもらう。朝食と言ってもパン・ラスク・ビスケット・パックジュースと言った程度。7,500ITL(≒360円)。カプチーノも持ってきてもらいました(3000ITL≒150円)。
驚いた事にこの後、寝台の片づけをするおじさんが、客が出したごみを、平気で窓の外に放り出していました。唖然…。
ローマから約12時間、シラクーサに着きました。5分遅れは、FSとしては上々じゃない?出会いの光景が、ホームのそこかしこで見られました。
今回乗ってきた寝台車。
シラクーサ駅。駅前広場は狭い。バスは入ってこないようだ。
ここではカルタニセッタ行出発まで、おとなしく待ち合わせ。
10時出発、カルタニセッタ行8712列車は、DCの単行。5時間半の長丁場。
イスピカは、丘の上に大きな街が見られます。駅付近は建物は少ない。
高速道路と交差した先、山間部のモディカ駅。ここは大きな駅で、貨物列車も停車している。車掌はここで交代。
モディカの先では、乗客わずか9名。沿線の天候は不安定。
右手に一瞬、虹!しかしすぐに消えてしまった。解りますかね…?
いくつか、明らかに元駅を通過して行く。完全に廃止された所が多い。
ジェラ駅の構内は広く、5番線まである。ホームは地下道で結ばれている。しかし広さの割には人影はまばら。
7分停車の間に、ピザとコーラを買い込む。
さて、崩れそうな駅舎のみのファルコナーラでは、信号が赤のまま変わらなくなってしまった。どうしよう、どうするの?と思っていたら、車掌が駅舎の中に入り、運転指令らしき所から何やら聞いて、それを所定のドキュメントに記して、運転手に渡していた。閉塞の承認をもらっていたよう。7分の停車の後、赤信号のまま出発させました。
左手は海。
幸い(当たり前か)、何事もなく次のリカータに着きました。
再び海と別れ、じりじり高度を上げて行きます。廃墟と、丘の上の集落は、いかにもイタリアの南部そのもの。
カニカッティでは架線が現れる。アグリージェントからの線路は電化されていました。
カルタニセッタ中央駅。
パレルモに行くには、一駅間別の列車に乗り、カルタニセッタ・クシルビの駅で乗り換える必要があります。クシルビ駅は広いが付近には何もない。乗り換えのためだけにある駅のようだ。
カターニャから来た列車は電車の2連。
列車の真上は快晴なのに、遠くには不気味な位の入道雲。
ヴァッレドルモ駅は、給水塔や機関庫の跡が残っているのに、棒線の無人駅になってしまっていました。この他、廃止になった駅がこの路線でも少なくありませんでした。
やがて日が暮れて、真っ暗になりました。メッシーナからの本線と合流してパレルモに到着。シラクーサからのローカル列車の旅が終わりました。
パレルモでは、電話で予約した駅近くのホテルに投宿。部屋にテレビはなく、朝食もついていないが、トイレ・シャワー付きで80,000ITL(≒3,900円)だから上々か。それにしてもローマ通りは凄まじい車の数、渋滞が激しい上にクラクションがやかましく、排ガスも凄い。歩道で幼い子供を片手に募金を斯う母親の姿を何人も見かけたが、排ガスでやられてしまうのではないかと、他人事ながら心配になってしまいました。
明日は昼行のICでローマに戻り、イタリアもう一つの島、サルディーニャ島に渡ります。
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《今日見た・聞いた・思った事》
夜行高速バス「Lions Express」が、5月16日出発を持って休止となる事になりました。
昨日西武・西鉄双方から発表になったものです。西鉄によれば、2011(H23)年12月の運行開始以来実績は思わしくなく、色々取り組みはやってきたが、これ以上の運行継続は無理となった、という事です。
実際問題として、いくら夜行で格安でも、大宮~福岡間で15時間以上とは、少々時間がかかり過ぎではないかと感じていました。昨今のLCCの就航も影響があったと思います。
また、理由には挙げられていないが、ドライバーの確保という面もあったのではないでしょうか。超長距離だから負担も大きいし、3日間拘束する事になるので、昨今ドライバー不足が叫ばれる中では、コストの面とか色々考えると、もう運行は続けられない、という事だと思います。
何回か書いているが、今後は夜行バスでも所要時間が10時間を越えたら、需要の動向もあるが、運行の継続は難しくなってくるのではないでしょうか。全国ネットワークの事業者で、途中で乗務員が何度も乗り継いで走れるというならまだいいが、地域のバス事業者が長距離路線まで担う日本独特の運行形態では、色々考えなけらばならない部分は多そうです。
この他にもいくつかバスのニュースがあり、南海バスは堺~東京線のエアロキングがセレガ置き換えで退役(5月11日東京発が最終)とか、関東鉄道が10月から一般路線バスにもPASMO導入(取手・水戸から)とかありました。
《今日のニュースから》
10日 JR貨物幹部社員 収賄容疑で逮捕
11日 ペンシルロケット発射実験成功から60年 国分寺市で記念イベント開催