№1326 熊本・小松島 市営バスお別れの旅 5.あいにくの曇天の中 小松島市営バスとお別れ

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 前日の夜空は美しかったのに、残念ながら天気予報は当たってしまいました。翌朝、徳島市のホテルの部屋から窓の外を覗くと、曇り空…。ともあれ市営バスとのお別れに、小松島に向かいます。

 3月 3日(火)

 徳島駅からの小松島市営バスも、昔に比べたら大幅に本数が少なくなってしまいました。和田島線と立江線、合わせても1時間に1本あるかないか。南小松島まではJR牟岐線で向かいました。

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 徳島駅。

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 阿南行533D。(どこからだったかは解らなかったが)3連で到着した列車の真ん中の車。高松側は高松行4326Dになり、牟岐側は入庫。
 1553の単行だが、車掌が乗務。途中の駅までは、乗客は少なくはなかった。

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 南小松島駅。ここに入る市営バスは少なく、日赤病院まで歩いて行きました。

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 徳島赤十字病院。玄関前に和田島行のエルガミオがいます(徳島駅始発)。これに乗って和田島へ。
 赤石から和田島赤石線を一直線に和田島に着くが、この路線は2ヶ所、坂野と市営和田島団地の方へ迂回する形で走ります。これがすれちがいがやっとの狭い道。

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 終点の和田島。海上自衛隊小松島航空隊の前にあります。

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 市営バスのルートからは外れるが、和田島赤石線の沿道の和田島郵便局前に、徳島バスのバス停が立っていました。でも時刻表がない。現状では徳島バスで和田島に行く路線はない。2001(H13)年までは走っていたらしいが、廃止されたのなら、なぜ十数年もバス停が残ったままなのか?
(市営バスから転換されると和田島乗り入れ復活という事になる。ただし、このバス停は経由しないだろう)

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 赤石までまた歩き。その最中、市営バス走行シーンを撮って見ました。西林付近。和田島から徳島に戻るエルガミオ。

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 1時間30分後の徳島発便。刈屋付近。

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 その便が和田島から折り返した所を、赤石から乗りました。289号車車内。古めかしい座席が多めに並んでいるのは、ローカル線らしさでしょうか?お客さんは高齢の方々ばかり。私が一番年下だったとか?
 南千歳橋で下車。これが、市営バス最後の乗車となりました。

 曇り空のもとではあるが、最後なので市営バスを数枚撮影。12時台はたまたま数便が固まってやってくるので。

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 徳島22き204。U-MK117J(1992(H4)年)。

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 徳島22き358。KC-MK219J(1995(H7)年)。

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 徳島230い50。希望ナンバーだが、「50」にはどのような意味があるのだろうか。「たぬきバス」のKK-MJ26HF(2002(H14)年)で、最後の三菱ふそう。

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 市営バスの営業所。26年前にも来た事があるのだが、雰囲気はまるで変わっていません。中もどこか、地方バス会社の窓口の雰囲気でレトロチック。
 ただしターミナル機能はないし、現在はここを経由するバスはほとんどありません。日赤病院玄関口バス乗場への地図が掲げられていました。

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 隣接する車庫。

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 市営バスの路線図。

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 徳島230う55。PA-LR234J1(2006(H18)年)。敷地外の歩道上から撮影。
 小松島市に限らず、地方の公営バスだと、人権擁護の広告が内外とも目立つ気がします。先に乗車した289号車の車内もそうでした。

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 旧国鉄小松島線の跡地は遊歩道と、公園に様変わりしています。中田駅まで歩いてみました。
 旧小松島駅及び機関区の跡地は「ステーションパーク」として整備されています。「金長たぬき」像。小松島はたぬきでも有名で、市営バス営業所に隣接する郵便局も、「金長だぬき局」の名前になっています。
(昔は小松島新港局と呼んでいた)

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 歩道の傍らで見かけた「民間航空発祥の地碑」。あれ、航空発祥って、所沢ではなかったっけ?民間分野はここが始まりという事か。

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 SL広場。

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 C12280と、オハフ50が静態保存されています。C12のみ鉄柵で保護されています。オハフ50はなぜかブルーに塗り替えられて(なので車号不明)、車内も改造されているようだが、どちらも全体的に痛みが著しいように感じられました。

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 ここから線路跡を利用した遊歩道が、中田駅まで延びています。

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 日赤病院に近い入口には、小松島線廃止と、遊歩道転換の経緯について記された「思い出の記」があります。小松島線廃止に着いて触れられている説明書きは、目に触れた限りではこれだけ。

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 遊歩道は歩道と自転車道が分離されているが、何故か時々平面で交差する。どうして?

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 かつて、小松島線が分岐していた中田駅。しかし今は無人駅。
 転換直後は代替バスとして小松島市営バスの路線の設定があり、バス停にはベンチも整備されていました。当時のバスの一部は、転換交付金で購入されています。とはいえ南小松島駅が近いし、元々徳島まで直通便もあったから利用者は少なかったようで、数年で廃止になりました。

 もう少し小松島市に留まり、市営バスにも乗りたかったのだが、予約してある羽田行航空便に乗るには徳島駅を14時10分発の空港バスに乗らなければならず、13時28分発4550Dに乗る必要がありました。小松島とはあっという間にお別れ。

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 4550Dは1252の単行で、さすがにワンマン。


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 徳島駅前には、14時40分に萱原へ向かう小松島市営バスの姿がありました。これで小松島市営バスとは完全にお別れです。

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 営業所で配布されていた、小松島市営バス廃止のお知らせ。
 4月1日から徳島バスの運行になります。基本的な運行形態は当面は変わらず、ダイヤの微調整のみになりそう。
 ただ、現在の市営バスの営業所は使われないと思われます。徳島バスは、橘営業所の受け持ちになるか。
 また、在来の徳島バス路線も、4月1日からは徳島駅~小松島市内間は無料パス優待券の対象になるとの事。あるいはいずれ、在来の徳島バス路線も、日赤病院玄関乗り入れなどの改変があるのかも。

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 最後に、現状の市営バスの時刻表。5系統で合計47便しかありません。大手民営バスがネットワークを広げる中で、独立した公営事業体としてやっていくには、やはり小規模すぎるでしょうか。
 小松島市営バスの廃止は、もちろん過疎化とか、マイカー転移とかお定まりの要因も大きいだろうが、加えて南海フェリーの徳島港移転など、肝心の港の衰退で、市そのものが地盤沈下してしまった事も理由としてあったのだろうと思います。大幹線だったはずの徳島駅~小松島港が大幅に削減された、その時点で、あるいは事業廃止への流れが定まってしまったかも知れません。小松島市そのものが、あまり活気を感じなかった気もしたし。

 小松島市営バスについては、「バスマガジンvol.68」を参考にさせて頂きました。

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 駅前に並ぶ、徳島市営バス。循環路線は系統により、カラーが異なります。徳島市営もバス事業廃止→民営(徳島バス)転換、という流れになりそうです。あと5年は走りそうだが。

 羽田への帰りに余裕を持たせたかったから、やや早めの便で帰宅の途に就きます。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

 明日の晩、本体の更新を行います。今回の熊本で撮影した画像を、これから順次公開して行きます。まず熊本電鉄の画像を再公開します。前回更新が2009(H21)年だから、5年ちょっと振りになります。関東鉄道と富士急行の画像の追加もあります。

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《今日見た・聞いた・思った事》
 今日は、地下鉄サリン事件から20年になりました。
 正直な所、あの日どのように事件を知ったのかは覚えていないのだが、2ヶ月前の阪神・淡路大震災と合わせて、暗澹とした気分に陥った事は覚えています。
 事件を起こした教団は名前を変えつつ未だに活動中で、しかも未だに若者の入団が続いているそうです。
 全く背景も理由も異なるはずだが、これを聞いて、世界各国から続々テロリストが集結する「IS」と同じじゃないの?と思ったのは私だけでしょうか?
 いくらこのような組織相手を反対・糾弾する運動を起こしても、合流を希望する若者たちの心の奥底を知る事をしないと、結局は同じ事の繰り返しになるような気がします。
 いずれにしろ、交通が狙われる … もちろん交通に限らず … テロリズムが、もう二度と日本では起こらないよう、私自身はただ願うのみです。

《今日のニュースから》
19日 ミュージカル上演中にセット倒れ6人ケガ 帝国劇場
20日 ルミネ 「不適切表現」でYou Tube上のPR動画を削除

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