№1231 バスジャパン・ハンドブックシリーズS84 京浜急行バス
「バスジャパン・ハンドブックシリーズS84 京浜急行バス」、元々入手自体が遅くなった上、他にもやる事があって、データ分析も遅くなってしまいました。
京急バスは1998(H10)年の「New24」(当時は京浜急行電鉄)、2005(H17)年の「R55」で取り上げられていて、3度目になります。データ分析は過去分との比較もあわせてやってみます。
◆京浜急行バスの車両たち
今回は、概要に若干の狂いがあるように思われます。
グループ合計で1020台、乗合車646台、貸切車126台、またいすゞ459台、日野225台が正しいのではないでしょうか。
この数値を基にします。
1. これを踏まえた1020台の数字は、9年前の938台と比較して、8.74%の増加になりました。
(16年前は京急観光バス(当時は日本観光興業)・東洋観光を含んでいないので、全体の単純比較ができない)
この増加のほとんどは高速車で、1998年109台→2005年182台→今年247台で、9年前からは35.71%、16年前からとなると126.6%と倍以上になっています。夜行高速車はそれほど増減は大きくないはずで、大半はリムジンカラーの短・中距離路線用車両と言って良いと思います。
一般路線車は、1998年693台→2005年621台→2014年646台と、9年前からは4.02%増ではあるものの、16年前との比較では-6.78%と、長期で見ると横ばいかと思われます。
貸切は9年前からは-2台と横ばいだが、契約貸切や、東洋ではスクールバスが多いため、純粋な「観光バス」の割合となるとどうでしょうか。
これを踏まえた各用途の割合は、乗合が2005年66.20%→2014年63.33%、高速が2005年18.87%→2014年24.22%、貸切が2005年13.65%→2014年12.35%、特定が2005年1.07%→0.10%。
他が減少する中で、高速が全体の1/4近くを占めるまでになりました。
(2005年には定期観光車が2台あった。現在の定観は新子安の貸切車らしい)
2. 全用途トータルのメーカー別割合は、いすゞが2005年32.3%→2014年45.0%、日産ディーゼルが2005年13.11%→2014年8.82%、日野が2005年23.24%→2014年22.16%、三菱ふそうは2005年30.92%→2014年23.33%となりました。
いすゞの割合は大きく増えているが、高速車の導入は2005(H17)年を最後になし。日野とモデルが統合、セレガに一本化したためと考えられます。
日産ディーゼルは10%を切りました。2010(H22)年式が最後なので、数年後の次のシリーズ刊行時(あるのか?)には、全滅の可能性大です。
3. 平均年齢を、用途別に出してみました。
高速車は6.37年、9年前の4.83年から大分延びました。2005年式が32台(高速車全体の12.96%)、2003年式が26台(10.53%)と、高速路線拡張の中で、経年車もそれなりに残しているのが影響しているかと思われます。2004(H16)年暮れに羽田空港国内線第2ターミナルがオープンしているので、それを見据えて台数が増えたのでしょうか。
一方で2010年式も26台(10.53%)あるのが目立ちます。国際線ターミナルオープンの年でした。
乗合車は6.20年で、9年前の6.62年からは、ほんの少し若返りました。横浜京急バス杉田が8.18年、湘南京急バス堀内が7.40年とやや経年化が進んでいるが、他は5.52~6.50年と、全体的に平均化されています。他の大手のように、都心と地方で差が大きいという事は無い。路線網全域がNOx・PM法の規制エリア内だからでしょう。
貸切車は6.31年。羽田京急バス東京が1.20年と目立って若いが、10台全てが路線車ベースで、契約貸切車と思われます。東洋観光の横須賀本社が5.81年、横浜は6.54年でした。
最経年は2000(H12)年の3台、内路線車は1台のみ。20世紀の車両は、間もなく全滅する事になります。
グループ内移動、契約元からの移籍を除くと、他社からの中古導入はありませんでした。
4. 乗合車の営業所別の配置は、大森が15.3%と最も多く、羽田京急バス東京と合わせると、1/4は都内エリアに配置されています。この割合は、9年前とほとんど変わっていません。
個別に見ても、能見台の2005年4.2%→2014年7.7%がやや大きな変動だが、他はそれほど大きな変化は現れていません。
9年前は京浜島にも1台配置があった(KK-MJ23HE 6370号車)が、この車両は東京配置なのに、横浜市内の141系統で運用。現在は横浜に転属し、引き続き141系統で運用されています。
高速は新子安が38.9%と、早くも4割が配置になっています。
9年前には配置がなかった横浜も13.8%、逗子・衣笠にも配置があるが、神奈川県地方都市発着の空港バスの移管と、横浜(YCAT)起点の京浜工業地帯への通勤路線及び三浦半島ローカル高速路線の開設が相次いだためと考えられます。
貸切は東洋に限ると、横浜は2005年35台→2014年54台に対し、横須賀本社が2005年33台→2014年27台と、横浜シフトが進んでいるようです。
5. 乗合車のノンステップ車の割合は68.55%となり、9年前の14.81%から大幅に向上しました。
都内の大森・羽田京急バス東京は100%になりました。一方で三崎は4台しかなく、9.76%と1割に届いていません。逗子も12.07%に留まっていて、横浜市外の神奈川県内の営業所は、堀内以外は全体の平均を下回っています。三浦半島は丘陵地帯になっていて、急坂が多い路線が多い上、ニュータウンやYRPがあるので、収容力のあるワンステップ車が多いのかも知れません。
◆ 京浜急行バスのあゆみ
戦前の黎明期の記述はやや簡単になりました。三浦半島の南部、特に三浦市の先端には鉄道との接続がない系統もあり、私鉄系のバスとしては異色でもあるので、そのあたりの路線網の形成はどのような経緯があったのだろうか。
上部には過去の車両の写真があるが、もう少し特徴的な車両が欲しかったです。試作ノンステップ車、IPTハイブリッドバスなど。
◆ 京浜急行バスの路線エリア
基本的には、JR東海道本線より海側。1998年・2005年と比較しても、それほど大きな変化はありません。
(田園調布・川崎大師への乗り入れがなくなった程度)
一般路線は東京と神奈川で分断されて、路線がつながっていません。川崎市・鶴見区は系列の臨港バスがあるし、横浜市中心部は横浜市営バスのエリアになるからでしょう。
逆に、金沢文庫と鎌倉より南の三浦半島全域は、京急バスの独占になっています。
◆ 終点の構図 柴町
1998年は観音崎自然博物館、2005年は浜諸磯と、三浦半島先端の海に面した場所でした。
柴町はトンネルの向こうが米軍の管理地(小柴貯油施設)になるため、一般の人は立ち入れません。ただ、ここは既に横浜市に返還済み、都市公園として整備する方向にあるらしいので、いずれはトンネルの向こうに行けるでしょう。営業区間の延伸もありうるかも。
(京急バスのドライバーらしき方のブログで、トンネルの向こうの様子の画像が公開されているが、敢えてリンクはしないでおきます)
◆ 海辺の社会科見学
過去2回の乗り継ぎの旅はどちらも種村直樹氏によるもので、1998年は東京駅~羽田空港~大船~葉山~秋谷~城ケ島の日帰り、2005年は木更津からスタートしてアクアラインを渡り、横浜から三浦半島の東側を乗り継ぎ、観音崎で一泊の後、東京湾フェリーまで乗り継いで、フェリーに乗船して浜金谷終着の1泊2日でした。
今回は谷口礼子さんによる1泊2日の旅で、大森から出発、羽田空港~鎌倉~逗子・森戸海岸~汐入~三崎港~三浦海岸のルートになっていました。
種村氏はともかく、あまりバスについて専門的な知識がなさそう(失礼!)な方に、オタク的な文言を語らせない方が良いのでは…。純粋に訪問した場所とか、車窓とかに特化して語らせた方が、万人ウケするのではないかと思います。
別に飛行機に乗らないのに空港に来たって、物好きとは思わないが(なら私たちはどうなる!?)、せっかくの新ターミナルで見学すらしないのは少しもったいないかも、と私は思います。現状では鎌倉行が少ないからという事もあるでしょうか。
軍艦にしろ、漁船にしろ、長期間陸地から離れる船の仕事はきつそう。春先には「護衛艦カレーナンバーワングランプリ」とかあったけれど、漁船の食事はどうしているのだろう?さすがに毎日毎日魚とも思えないのだが。
京浜急行バスのロケーションは、全体的には他事業者と比較して、割と恵まれている方だと感じます。
一般路線は廃止になった区間がほとんどないし、自治体から受託したコミュニティバスの運行もありません。
(小型車を利用した、コミュニティ的な路線はある。廃止になった横須賀市福祉バス「ルシア号」は性格が特殊で、横須賀市民以外は利用できなかった)
これは一般路線の利用者が、全域で日常的にコンスタントに多いだろう事を意味していて、郊外の横須賀駅~衣笠駅系統でも、日中でも7~8分間隔と待たずに乗れるダイヤが実現できています。
ただ、横須賀市は中心部に3ヶ所の営業所が隣接して存在する、京急バスの中でも強固な営業地盤であるが、人口が減少傾向にある事は、今後の京急バスの営業に何か影響を与えるかも知れません。
高速バスは、やはり当分は羽田空港中心に回るでしょう。圏央道が全通し、首都高速の環状北線の工事も進行中なので、特に神奈川県方面への路線の充実が進むかと思われます。ただし、今の所はまだないが、全くの新規参入事業者の出現は当然予想されるので、対応を迫られる場面が来るかも知れません。
(参入するにしても、直接競合ではなく、在来路線がない都市とを結ぶ路線で参入の可能性が高いだろう)
夜行路線は、しばらくは新規路線の開設は無いか。旧ツアーバス組との競合に対応しつつ、さらにグレードアップされる事を望みます。利用が見込めるなら、羽田空港発着の夜行路線の新設も考えられるのではないでしょうか。
次回刊の九州産交バス、かなり楽しみです。全県規模だし、観光資源が豊富なので、紀行がどのようなルートになるでしょう。
その次は京王バス・西東京バスとなるようです。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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《今日見た・聞いた・思った事》
一昨日のリリースだったから本当は一昨日の内に書くべきだったのだが、南海の南海線・空港線の10月18日(土)改正が発表になっています。
ポイントは関西空港と和歌山大学で、
1.空港急行の増発(2→4本/h)
2.一部の<ラピート>のβ→α格上げ
3・関西空港発最終を繰り下げ 普通電車難波行を新設
4.みさき公園~和歌山市間で普通電車増発
5.<サザン>の和歌山大学停車
が挙げられます。
全体像は見えないので大部分推測なのだが、空港急行の増発は、難波~みさき公園間の区間急行の変更なのではないか。しかし所要時間4分短縮とは、どのように実現させるのだろう。停車駅は変えないし。
逆に難波~関西空港間の普通(泉佐野で区間急行に接続)を、難波~和歌山市間に立てかえるのではないかと思います。
空港発最終電車は、空港急行にした方が良かったのではないかなあ。
関西空港は今日開港20周年、この数年はやや低調かなあと思われていた所、この所はLCC(特にピーチ)の就航や、海外からのインバウンドの旅客の増で、復調の気配もあるようです。
和歌山大学は、大学もさる事ながら、イオンモールの買い物客が目当てではとも思うが、普通電車の増発は、結構大盤振舞かもと。<サザン>停車もあり、2年前に開業したばかりなのに大出世、という感じ。以前は人里まれな山間部、というイメージしかないのだが…。
いずれにしろ、南海としては久しぶりにプラス志向と言える南海線系統の改正、期待したいと思います。
なお今日は、11月8日(土)の京急線の改正もリリースされました。ただし今回は速報で、詳細は10月上旬の発表との事。日中のエアポート快特の所要時間短縮、朝方・夜間の一部普通・特急のエアポート急行への変更、など。
《今日のニュースから》
米海兵隊ハリヤー戦闘機 嘉手納基地で出火