№1225 思い出の海外旅行クロニクル 12.1999年フィンランド6<終>

 5回に渡って、1999(H11)年6~7月の11日間に渡るフィンランド旅行について書きました。最終回は、フィンランド鉄道会社(VR=Valtionrautatiet)の車両と、ヘルシンキ駅を初めとする主要駅の画像を御覧頂きます。
 また、いつものように総まとめとして、当時感じたフィンランドの鉄道の印象、フィンランドそのもののパーソナルデータを記して、完結とします。

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 当時のVRのシンボルマーク。
 VRは1995(H7)年に上下分離され、列車の運行・営業を行う鉄道事業者になりました。インフラの保守・管理はフィンランド鉄道管理庁が行っています。

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 改めて、高速電車S220「ペンドリーノ」。
 イタリアのETR460をベースにしているが、顔つきは本家と比べて穏やかになっていると思います。
 本当にパッと見の第一印象として、秋田新幹線E3系<こまち>に、顔つきが何となく似ているかなあ、と感じました。本当は全く違いますけれどね。

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EL Sr1型
 ロシア製のEL。

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EL Sr2型
 こちらはスイスのRe460型をベースとしています。
 前にも書いたが、ロシアの客車・貨車を牽引するため、自動連結器も装備しているのが、VRのELの特色。

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DL Dv12型
 日本のDD16型に良く似ています。

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DL Dv13型
 Dv13型は自動連結器を装備していません。国内列車専用でしょう。

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DL Dv15型
 ロッド式の入替用。ボンネットのカバーを開けていました。

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DL Dv16型
 こちらはDE10型にイメージが似ています。
(B-B配置)

 客車はIC専用車は撮影できず、一般型をご覧頂きます。

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PC Ein23型
 2等車。前にも書いたが、冷房がない上に窓も少ししか開かず、はっきり言って暑かったです。

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PC Ci27型
 1等車。以前はサロン風の座席配置だったが、2-1のシート配置に改められていました。

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PC ELht23型
 家族専用車。

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 中央部のコンパートを改造して、子供の遊び場にしています。

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PC Rkt23型
 カフェテリア車。

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PC CEi27型
 1・2等合造車。
 ドアの次位の窓の脇に、何かが引っ掛けられているのかが解るでしょうか。

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 旧型客車の場合、最後部となる車両に、このような後部標識灯を引っ掛けます。走行中は点滅します。

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PC Eil25型
 近郊タイプ。

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PC Gfot31型
 車運車。長距離の夜行列車に連結され、旅客共々マイカーを運びます。
 中央部がくびれているのは、この部分にワンボックスカーを搭載するためと思われます。

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PC CEmt24型
 寝台車。トゥルク城の近くを走る、港駅からの引き込み線を推進運転で回送される所を撮りました。

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 鉄道博物館で購入した絵葉書から、Sm4系電車。セイナヨキで実物を見かけた事は書いたが、当時はまだ試運転の段階だったようです。

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 絵葉書からもう1枚、Dm11型DC。他にDm10型と称する、もっとおとなしいスタイルのDCの絵葉書もあったのだが、どちらも実物は見かけませんでした。


 首都ヘルシンキと、市内の副都心に位置するパシラ、国内第2位の都市タンペレと第3位のトゥルク、各地の駅をご覧頂きます。
(順位は、ヘルシンキ首都圏のエスポーとヴァンターを除く)

◆ ヘルシンキ駅

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 サーリネンの設計による、フィンランド一のターミナル駅。完成から今年でちょうど100年になります。

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 切符売場。教会の中みたい。

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 コンコース。

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 発車案内表示。

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 ホームの時刻表と、長距離列車の編成案内。

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 最近の他者様のサイトを閲覧させて頂くと、大きなドーム状の上屋が出来上がっているようです。当時のホームは屋根がなく、宮殿の中庭のようなイメージがありました。
 中央部が長距離列車、両側が近郊列車です。

◆ パシラ駅
 ヘルシンキ駅の北部に位置します。全列車停車。ヘルシンキ駅が名古屋ならパシラ駅は金山、そんな位置づけではないでしょうか。 

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 一転、かなり斬新な橋上駅舎。

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 切符売場。

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 コンコース。吹き抜けになっています。

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 発車案内表示。拡大して、左側の下から3段目の表示にご注目。サンクト・ペテルブルグ行で、ロシア語表記になっています。

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 ホームはエスカレータ-も完備。エレベーターもありました。

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 ホームは4面。屋根もあり、近代的なイメージです。

◆ タンペレ駅

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 近代的な駅舎。

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 切符売場。

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 コンコース。

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 発車案内表示はやや古めかしいソラリー。左の白は到着、右の黄色は出発。

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 この駅も、ホームには上屋がありません。工事中でやや雑然としていました。

◆ トゥルク駅

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 この駅は、中心部からはやや離れた位置にあります。

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 切符売場。

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 コンコース。左手は観光案内所。

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 ホームにはカフェがありました。

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 この駅もホームには上屋がありません。全体的に、思ったよりも小ぢんまりした感じがしました。
 右手のタンク車は、ロシアからの貨物列車です。

 以上、フィンランドの鉄道の旅について書いてきました。それ以前に周った分も含めて、フィンランドの鉄道について気付いた事、感じた事を簡単に記してみます。
(繰り返しになる部分もあるがご了承を)

1. 列車の種別は、高速電車S220「ペンドリーノ」を筆頭として、IC(特急格)、P(快速格)、普通列車とあるが、ヘルシンキ近郊や一部のローカル支線を除くと、大半の列車はPだ。
(EPという種別もあるが、ごく限られた区間・本数しか走っていない)

2. ヘルシンキ近郊ではパターンダイヤによるフリークエントサービスも行われているが、他はヘルシンキ~トゥルク・タンペレ等幹線の一部区間を除くと、運転本数が非常に少ない。1日一桁の区間が多く、代行バスが運行されている事も多い。

3. 運行系統は一部トゥルク発着の長距離列車もあるが(フェリー接続を考慮?)、基本的にはヘルシンキ一極集中の感が強い。ダイヤはほぼ正確。

4. 旅客路線は少ないが、貨物専用の支線が多い。一部はロシアへ通じているらしい。旅客列車は希少でもビックリする位きれいに線路が整備されている区間も多い。支線区では貨物が主、旅客は従と言っても良い。

5. 旅客駅の数も大変少ない。次の駅まで80㎞、という区間もあった程だ。貨物駅や信号所は多い。かつては旅客を取り扱っていた所が少なくなかったのではないか。

6. 生活習慣を反映してか、土曜・休日は駅の窓口の営業時間が非常に短くなるので注意。特に北部でその傾向が強いようだ。

7. 電化は歴史がまだ浅く、運転本数が少ない事もあってあまり進んでいない。複線化率も高くないようだが、各所で改良工事が進められている。山岳路線がないから勾配が少ないなど線形は良い。スピードも欧州の平均位は出る。ペンドリーノは200㎞/h運転を実施。

8. 車両はペンドリーノとヘルシンキ近郊区間がECの他は皆PC。
 DCは、当時は一般路線では全く見かけなかった。ナーンタリへの夏季特別運転だけ。

9. 長距離列車は北欧らしく福祉の設備に力が入っていて、特に子供の遊び場が目につく。一方で禁煙は、当時の欧州では一番厳しいと思った。座席での喫煙は許されなくなっていて、一部の車両に喫煙ルームがあるだけ。
(後に日本でも取り入れられる事になる)

10. 車内の放送は、ローカル列車であっても、たいていきちんと行われている。接続列車の案内や、遅れの予告の放送もある。

11. 国際列車はロシア(モスクワとサンクト・ペテルブルグ)行の合計3往復(当時)のみ。ロシアとは貨物輸送での結びつきが強く、大半の機関車には自動連結器が装備されている。

12. 私鉄は走っていない。地下鉄・市電もヘルシンキで走っているだけ。地下鉄は市内交通というより、郊外の新興ニュータウンへの足、という印象が強い。横浜市営ブルーライン、神戸市営西神線のようなものか。

13. 首都ヘルシンキから主要都市までの運賃(2等車)。
 エスポー 20㎞ 16FIM(約350円)
 トゥルク 194㎞ 96FIM(約2,080円)
 セイナヨキ 346㎞ 168FIM(約3,630円)
 サヴォンリンナ 437㎞ 200FIM(約4,320円)
 オウル 680㎞ 282FIM(約6,090円)
 ロバニエミ 900㎞ 328FIM(約7,090円)
 ※1FIM≒21.5円で計算

 最後に、フィンランドそのもののパーソナルデータを記しておきます。
(帰国日の1999(H11)年7月5日現在)

正式国名 フィンランド共和国 Repblic of Finland
面積 約338,144平方㎞ (日本の約90%)
人口 約511万人
政治体制 共和制
国家元首 マルッティ・アハティサーリ大統領(社会民主党)
※現在はサウリ・ニーニスト大統領(国民連合党)
政治指導者 パーヴォ・リッポネン首相(社会民主党)
※現在はアレクサンデル・ストゥブ首相(国民連合党)
首都 ヘルシンキ(人口約53万人)
国連 加盟(1955(S30)年)
EU(EC) 加盟(1995(H7)年)
NATO 非加盟
通貨 マルカ(FIM) 1FIM≒21.5円
言語 フィンランド語・スウェーデン語
主な観光地 ヘルシンキ市内・サヴォンリンナ・ラップランド など
日本からのアクセス 当時は東京(成田)・大阪(関空)からFYの直行便あり 週2便ずつだった


 フィンランドはこの旅以降、(航空便乗継を除いて)足を踏み入れる機会がありません。
 この15年の間で鉄道もかなり様変わりしたようで、カラーも変わったし、「ペンドリーノ」の運行区間も拡大され、電化区間はロバニエミまで到達したそうです。
 ロシア(サンクト・ペテルブルク)への国際列車も高速電車(「アレグロ」)になって増発されているみたい。
 それでも、青空と緑の森の車窓は変わっていない事でしょう。
 山岳区間がないのでダイナミックさは感じないが、それでも日本では考えられないほどの無垢な自然を存分に楽しめるはずです。
 本数は少なめがダイヤは正確だから、きちんとプランを立てられれば、素晴らしい鉄道の旅を楽しめるのではないでしょうか。
 次回の「クロニクル」は、1999(H11)年10~11月のオーストリアです。6回に分けて書く予定です。

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

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《今日見た・聞いた・思った事》
 昨日BSで見た香港のニュースからなのだけれど、香港の郊外鉄道を運行するMTRCで、線路の犬を電車が轢いてしまって、犬が死んだ事でMTRCが猛烈な抗議にさらされているとか。
 ホームから落ちた犬がホームに戻ろうとしていたので、駅員が助け出そうとした。しかし犬が駅員を噛む仕草を見せた後走り去っていったので、救出活動は6分間で断念した。運行再開後、犬は30分後に列車に轢かれて死んだ。一部の動物愛護家は翌日に駅で抗議活動を行い、MTRCを「冷血」と非難した。なぜもっと長時間列車を止めて、専門家を呼んででも犬を保護しようとしなかったのだと指摘、オンライン上での署名活動には、数万人が署名した。こんな流れだったようです。
 MTRCは、運転再開後も運転士に徐行運転を指示した。最善を尽くしたが、このような結果になって悲しい、再発防止策を考えたい、とコメントしているそうです。
 確かに犬の命も大切だが、もし日本でこのような事が起きたらどうなるだろう?駅で助けを求めている最中はまだしも、どこかへ消えてしまったら、そんな長い時間電車を止めてはいられないだろう。逆に、なぜそんな事で長い時間電車を止めてダイヤを混乱させ、利用者に迷惑をかけるのかと、そっちの方向の批判の方が大きくなりそうな気がします。ちょっと考えさせられました。

 山口線の全線運転再開は朗報だが、可部線(緑井~可部)は運転再開の見込みが立たず、今日から広交・広電の路線バスを利用した代行輸送が始まっているそうです。
(通常の路線バスであって専用の代行バスではない、従って代行輸送を行えない時間帯がある。PASPYを導入しているからICOCAで乗れるが、その場合はバスの運賃となる)
 あちらが直ればこちらが不通、この数年の日本の鉄道は、こんな事態の繰り返し…。

《今日のニュースから》
「シベリア抑留」犠牲者追悼式 千鳥ヶ淵戦没者墓苑で開催

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