№1176 思い出の海外旅行クロニクル 10.1998年ドイツ3
ドイツは全体的に森と田園地帯のイメージが強いが、南部にはオーストリアと国境を接するアルペン的な山岳地帯があり、ドイツ最高峰のツークシュピーツェ(2,963m)に上る登山鉄道があります。ミュンヘンから足を延ばしてみました。
翌日は南部の森と湖を周遊し、フライブルクでは市電に乗ります。
1998年 5月30日(土)
車掌(女性)に叩き起こされて外を見ると、Sバーンが走っているのが見える。もうミュンヘンだ。
改めて、ミュンヘン中央駅。戻ってきました。
駅前を走る市電。乗る機会が、未だにないなあ。
ミュンヘン中央駅のホーム。
なんと!昔TEE(欧州横断特急)で使われていたパノラマカーです。チャーターで走っていたみたい。TEEのエンブレムもあります。
麓のガルミッシュ・パルテンキルヘンまで、RBで約1時間30分。天候は良くなさそうだったが、土曜日とあってリュック姿のお客さんが圧倒的でした。
DBのガルミッシュ・パルテンキルヘン駅。
この地は、第二次世界大戦直前の1936(S11)年に冬季五輪が開催されています。駅付近はリゾートの感じ。
ツークシュピーツェ鉄道(Bayerische Zugspitzbahn=BZ)のガルミッシュ・パルテンキルヘン駅。
山頂までは、往復75DEM(≒7,900円)。
さて、駅舎から遠く離れた位置にあるホームにいる電車は、時刻になってもパンタグラフが上がっていないし、運転士もいない。15分も経ってから私服姿の運転士がやってきて、乗客に何やら説明しているが、ドイツ語なので解らない。ワンマン運転。
まるでスイスのような風景の中を走っていくが、なんとグライナウで電車は打ち切り、バス代行になる。この説明だったらしい。ここから本格的なラックレールの登山電車になるのに…。
とはいえ、少し走ってアイブゼーから再度電車になります。この付近、そこかしこに日本語が見られる。
ややあって、2両編成の電車が降りてきました。車内にも日本語や中国語のパンフレットが置いてあります。
木々の間をよじ登っていく。下の方からラックのヴーンをいう歯車音が車内に響きます。眼下にはアイフゼーも見られるが、どこかの中間駅を過ぎると、ひたすらトンネル。
終点のツークシュピーツェ駅も、ホームはトンネルの中。
外に出ると、まぶしい!気を付けないと、本当に雪盲になります。注意。陽が出ると、案外暖かい。
駅からやや離れた所にスノーボード場がありました。ラップの音楽が賑やか。皆うまいなー。
山頂へは、さらにロープウェイに乗り換えます。なんと、窓が開きます。
山頂はさすがに大賑わい。雲がかかってきて少し寒くなってきたが、山小屋で食事をとる人々が多い。
ここはオーストリアとの国境でもあり、パスポートコントロールの小屋もあるが、閉まったまま。
頂上に立つ、黄金の十字架。
外科医が良く見えます。先ほどバスから電車に乗り換えた、アイブゼーも。
ツークシュピーツェの絵葉書。
BZ電車の絵葉書。
ロープウェイと電車を乗り継いで戻るが、アイブゼーまで降りると、クライナウまでの区間は開通していました。クライナウの手前で架線作業車がいて立ち往生してしまう。連絡の不手際だろうか。行きがバス代行になったのは、この作業が原因だったのだろうか。クライナウでは、別の電車に乗り換え。
ガルミッシュ・パルテンキルヘンからリンダウへは、一旦オーストリアのロイテを経由していきます。
ÖBBの近郊電車。車掌にジャーマンレイルパス見せると、オーストリア国内ではは通用せず(当然か)、別払いになるとの事。しかし運賃はDEM建てで、お釣りもDEMだった。
車窓は当然ドイツと対して違わないが、民家の屋根の色が違う気がする。不覚にも猛烈に眠くなって、車窓はほとんど見られず。
ロイテはオーストリア領内。ここでDBのDC列車に乗り換えるが、車掌はÖBB。相互乗り入れしているのだろうか。
ドイツ領内に戻り、ケンプテンで乗り換えて、ボーデン湖北岸のリンダウへ向かいます。天気は良いのか悪いのか解らない。青空が広がったかと思ったら、雨がパーッと降ったりする。
リンダウの港。
ライオン像。
リゾート地ではあるが、宿泊したホテルはバス・トイレ付130DEM(≒10,200円)は、ロケーションからしたらお手頃では?一角ではコンサートが行われていて、一曲終わる旅に拍手が起こる。
さすがに21時を過ぎると暗くなってくるが人通りはまだまだ多く、レストランも賑わっているし、寝るのがもったいない?
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1998年 5月31日(日)
日曜日の朝、さすがに人通りは少ないが、それでも散策する人々が多い。
ジンゲン~ドナウエッシンゲン~ノイスタット~ティティゼーと経由してフライブルクに向かいます。
この一帯で普通に見られる、新型DC。振子式。
その車内。モダンだが、ひょっとしたら冷房はない?
自転車置き場が設けられています。沿線もサイクリングをする人が多いようだ。
こういう設備が整った列車が多いのがドイツの特徴でしょうか。
午後になってティティゼーに着きました。一息つきます。荷物を預かってもらって、湖に繰り出してみました。
ボートを借りてみました。湖上は家族連れが多い。
湖上でボートを止めてみると、湖面を吹き抜ける風が気持ちいい。
1時間強の滞在ののち、フライブルクに向かいます。新型ダブルデッカーのペンデルツーク。
フライブルクでは市電に乗ります。24時間有効乗車券8DEM(≒630円)。午後の短時間なのでややもったいない感もあるが。中央駅前の乗場。
この時点では新型の超低床連接車。242編成では、ドア部分には、町にかかるケーブルカーのゴンドラが描かれています。
その車内。
4系統の終点、ギュンターシュタル(電停名はドルフシュトラーシェ)。森の中の住宅地の中、という感じ。
4系統のもう一方の終点ホルヌスシュトラーシェは、団地の中の電停。
242編成は車が描かれていました。
中心部にはトランジットモール区間も見られます。
やや古いタイプも見かけました。2連接の中間に超低床車体を組み込んでいます。
シュバーベン門。
マルティン門。
フライブルクより列車を乗り継ぎ、マンヘイムを経由してハイデルベルクに向かいます。
ハイデルベルクでは、今回の旅では唯一ユースホステル(YH)をします。駅からバスで移動。
YHは子供の団体が泊まっているいて、ユースと言うよりチルドレンホステルと言う感じ。
ここで連泊します。明日は晴れて欲しい。
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覚せい剤事件そのものについては、何もいう事はありません。
20年位前、JALが国内線タイムテーブルの判型を大型化した時、表紙にこのペアを起用したら、あっという間にカウンターからタイムテーブルが消えた、なんて逸話がありました…。
《今日のニュースから》
福島県田村市岩井沢小学校 4年ぶりに運動会