№1175 思い出の海外旅行クロニクル 10.1998年ドイツ2

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 ドイツのSL保存鉄道の中で日本人に一番有名なのが、ハルツ狭軌鉄道(Harzer Schmalspur Bahnen = HSB)でしょう。ブロッケン山の山頂付近まで登っていくSL列車が人気だが、路線は他にもあります。2日かけて乗り歩きました。

1998年 5月28日(木)

 リューネブルクを8時過ぎに出発するIRで、ハノーファーへ。

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 最後部客車の貫通扉の窓から後方を見る。とにかく在来線なのにものすごく速い。最速では200㎞/h出ていたはず。線形がとても良く、踏切が全くないのが、日本の目線ではうらやましい。

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 ハノーファー駅。

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 今回は乗る機会がなかった、ハノーファーの市電。高床ホーム対応の新型車両です。
 ここからゴスラー乗継でヴェルニゲローデへ。

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 ゴスラー駅。お館のような駅舎。
 さらにRE(快速列車)に乗継ぎ。リューネブルクやハノーファーは雨交じりの曇り空で肌寒かったけれど、だんだん晴れてきました。

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 DBのヴェルニゲローデ駅。

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 HSBの駅は昼休みだったが、ブロッケン行SL列車出発の時刻が近づいてオープン。目移りしそうなほどの記念品が並んでいて、まだ5月なのに、もう翌1999(H11)年のカレンダーまでありました。

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 ブロッケンまで26DEM(≒2,050円)。乗車券は硬券。

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 構内のSL。99型は、ドイツのナローでは標準型になるらしい。ブロッケン行は、これとは別のSLが牽引します。

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 ヴェルニゲローデ駅のホーム。
 
 住宅地を抜けて、森の中の勾配をグングン昇っていく。ひたすら森、森、森。

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 ドライアンネンホーネ駅。ブロッケンへ上る路線は、ここでノルトハウゼンに向かう本線から分かれます。
 ここでブロッケンから降りてきた列車の待ち合わせ。その間に給水も。

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 またいきなりなのだけれど、大きな電波塔が見えてきて、終点のブロッケン駅。山腹をグルリと1周する形で着きます。
 頂上に近いのだけれど、もう木々がほとんどありません。遠足の学生や、中高年の方々の姿が多かった。標高1142mらしい。涼しい風が吹き抜けます。やがて下の方からドラフト音が聞こえてきて、木々の向こうから煙が上がっているのが見えてきます。石炭の匂いも漂う。ノルトハウゼンからの列車でした。

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 ブロッケン駅のホーム。

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 ブロッケンを先に出発する、ヴェルニゲローデ行SL列車。
 こちらはノルトハウゼン行SL列車で、ブロッケンを後にします。

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 シールケ駅でちょっと休憩。青空がひろがって爽やか。
 
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 ドライアンネンホーネまで戻ってきました。ブロッケンからのこの列車と、ヴェルニゲローデ、およびノルトハウゼンからのSL列車3本が集結します。
 ここで方向転換、SLは入れ換えと給水を行います。

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 所々やぐらが建っているのが見えるが、東西分裂時代は国境だった所なので、監視小屋だったのでしょう。

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 アイスフェルダー・タルミューズ駅で給水。駅舎は廃屋と化していました。ハッセルフェルトへ向かう路線が分岐。小型のレールバスが待っていました。

 さらに40分走って、終点のノルトハウゼン到着。今日はここに泊まります。

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 改めて、絵葉書でブロッケン山を俯瞰。こんな感じで走っています。

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 ノルトハウゼンにも市電があります。今は路線も伸ばし、HSBへの直通運転も行っているらしいが、当時は2つの小規模な路線があるだけ。岡山電気軌道とどちらが長いだろう?という程度。
 車両は先頃まで土佐電で走り、現在は福井鉄道「レトラム」となった、シュツットガルト市電と同じタイプの電車のみ。

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 その車内。
 まだまだ明るいのをいい事に、先に①系統の終点クランケンハウスまで、テクテク歩いてみました。

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 市街地。通りを走る電車は、時間もあるのかあまりお客さんの姿がない。

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 ①系統の終点、クランケンハウス。名前の通りに大きな病院もあるらしいが、団地の中に電停があり、駅と坂の上の住宅地を結ぶのが、この系統の役目と見えました。
 帰りは電車に乗っていきます。1回1.3DEM(≒100円)と、距離が短い事もあるだろうが、割安。
 しかし電車も通りも人影がほとんどなくて、この町の夜は早い様子でした。

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1998年 5月29日(金)

 HSBもSLが全てではなく、日常の足としてはレールバスが運行されています。ゲルンローデまで、寄り道しながら乗り継いで行きます。

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 HSBのノルトハウゼン駅。

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 ハッセルフェルトまでの乗車券。11DEM(≒870円)。

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 ハッセルフェルトまでの新型レールバス。

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 その車内。市内バスのような、簡素なクロスシートが並んでいます。

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 ハッセルフェルトは、スティーゲから分岐する支線の終点。いい環境だと思いました。

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 戻ってスティーゲ駅。ここでハルツゲローデに行く旧型のレールバスに乗り換え。

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 旧型レールバス。運転室の所に乗客が乗り降りするドアがあって、運転室を通って客室に入る、珍しい構造になっていました。

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 その車内。

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 こちらの路線も、やはり森と田園地帯、時々は牧草地の中を走ります。

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 アレクシスバート駅。

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 ハルツゲローデも、アレクシスバートから1駅間だけ延びる支線の終点。丘の上の駅。

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 集落そのものは見どころもありそうで、商店街も活気があるように見えたのだが、何か鉄道だけ取り残されたような印象がありました。
 折り返しゲルンローデ行の乗客は私一人だけ…。

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 アレクシスバート駅に戻ってきました。ハッセルフェルトに向かうSL列車と交換。
 この先もひたすら森の中。途中いくつかの小駅を通過する。リクエストストップ?皆バス停然としていて、乗り降りする人、いるの?という感じの所ばかり。

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 ゲルンローデ駅、到着。これでHSB全線踏破完了。
 町は新しい住宅地も見えたのだが、駅付近は閑散…。

 HSBは、どうしてもSL列車(特にブロッケン行)に関心が集まりそうだが、その他の路線も、純粋なローカル線然とした、緑豊かな車窓を存分に楽しめると思います。ジャーマン・レイルパスが通用しないのは痛いが、ぜひ全線の乗車を。
 ゲルンローデからはDBの列車を乗り継いで、ドレスデンへ。

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 DBの駅はお城みたい、中はひんやり涼しい。

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 アッシャースレーベン行RBは、2軸式のレールバス2連。先頭はエンジンがない「キクハ」型。

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 その車内。ベンチのような簡素なシートが2-3配置で並んでいます。
 直線が長いが、時速は50㎞/hまで。カックンカックンフワフワという感じの乗り心地。

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 アッシャースレーベンも田舎。ここもそうだが、旧東の駅では、行先・種別を転倒させる、行燈式の行先案内が良く使われていた。一昔前の名鉄みたい。

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 ハレ駅。
 市電が走っているので、時間を作って撮影に当てます。

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 旧型。共産圏ではおなじみの「タトラカー」。3両連結で走っています。

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 こちらは新型の超低床車。

 ハレからドレスデンまでは、ライプチヒ経由のICで移動。

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 夕食は食堂車。クリームシチュー。

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 イタリアンアイスクリームのデザート。

 ドレスデンに近づくと、チェコやポーランドの客車を見るようになりました。
 ドレスデンにも、市電が走っています。

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「タトラカー」。

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 こちらは5連接の超低床市電。

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 ドレスデン中央駅。

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 ホームは行き止まりの1階部と、スルーの2階部に分かれています。こちらは2F。右側は旧東のDLだが、左には、ICEの姿もありました。

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 ミュンヘン行夜行D1560列車。客車9両(内3両はシュツットガルト行)のほとんどが旧東。ELの143型も旧東。
 この夜は、座席コンパートで過ごしました。外はまだぼんやり明るいが、通り過ぎる町はどこも寝静まったかのよう。でも駅の信号所ではどこでも、係員が通過を見守ってくれていました。

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 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

《今日のニュースから》
安倍首相 集団的自衛権行使容認前提の与党協議入りを表明

 当然反対・非難の声は轟轟だが、(良し悪しは別にして)首相の思想はとりあえずブレてはいない。これをきちんと論破できるのか?昨今の国際情勢と、リベラル勢力のご都合主義的な姿勢を照らし合わせると、非常に疑わしいと思う。

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