№1159 思い出の海外旅行クロニクル 9.1997年ギリシャ3

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 アテネは昨年も来ていたtが、パルテノン神殿などを見学したのち、ピレウスまでは急遽バスでの移動になってしまったので、大掛かりな乗り歩きとかはしていませんでした。
 今回は、午前中は地下鉄に乗り、商店街を訪ねたりしました。バスは乗らなかった。ちょっともったいないか。
 午後は近郊列車で郊外へ往復。
 翌日はいよいよアテネを後にして、北へ向かいます。前述の通り№728で軽く書いたが、改めて、もう少し詳しく書きます。

1997年12月14日(日)

 この旅では初めて、朝から本格的な雨模様。7時を過ぎてもなお暗い。

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 当時の地下鉄は1路線だけだった。この車両は最新タイプ。

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 その車内。

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 他にもこんなタイプが。

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 旧型の車両。

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 この路線は地下部は少なく、地下駅はオモニア・ビクトリアの2駅のみだった。郊外へは、一方的な上り勾配で走ります。
 北部のイリニ駅は多少新しく、上屋がドーム状。ここで折り返す列車が多い。
 駅前には大きなスタジアム「アテネ・オリンピックスポーツコンプレックス」があり、アクセスの駅として機能しているよう。この年の9月に開催が決定した、2004(H16)年のオリンピックのメイン会場となる事になります。

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 終点のキフィシア駅。地上駅。きちんとした駅舎が建っていて、日曜日の早朝ながら人も車も多く行きかいます。
 駅前の喫茶店でちょっと一息。雨なので多少うすら寒いのだが、外でコーヒーを楽しむ人々の姿もありました。 キフィシアから、中心部のオモニアまでは、所要約30分、運賃150GRD(≒70円)。

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 南側の終点、ピレウス駅。
 時系列的に前後してしまったが、3日前の11日に撮影したので、晴れています。

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 ホームは、ドームになっていました。全体的に地下鉄というよりは、郊外私鉄のイメージ。実際、この路線の生い立ちはそうらしい。

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 引き返して、モナティスラキで途中下車、商店街を訪ねてみました。
 雨が時々強くなり、冷たい風も吹いていたけれど、大勢の買い物客が傘を差しながら行き来していました。ここで小ぢんまりした絵画の店を見つけ、小さいけれどエーゲ海の風景画を土産にと買ってみました。

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 午後はラリッサ駅から近郊列車に乗って、北部の入り江に位置するシャルキスまで往復してみました。フレキシーパスなので、この日はパスは消化せず、片道770GRD。
 列車は、3日前に乗ったペロポネソス半島のナロー路線とほぼ同形態の、近郊DC2連。

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 車内もほぼ同じ。暖房が入っていなくって、寒かった…。
 この列車は放送があった。ペロポネソスの路線もそうだったが、近郊型DCは、簡単ながら放送が入るようだ。

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 テッサロニキへの本線から分かれ、湾を回り込むようにして、反対側に見えるシャルキスの街へ。

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 終点のシャルキス駅。駅のすぐ横が海です。
 このまま折り返して、アテネに帰りました。連泊。

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1997年12月15日(月)

 アテネを後にして、ギリシャ第2の都市・テッサロニキへ「急行」列車で向かいます。
 本線も始発はピレウスで、アテネは本線もペロポネソスのナロー路線も中間駅です。

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 テッサロニキ行500列車。2等荷物室合造車+1・2等合造車+2等3両+最後部はかなりクラシックな「食堂車」で客車6両。
 ピレウスはなぜか発車時刻になってホームに入線、10分遅れで出発。

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 1等車の車内。1等は2-1、2等は2-2配置のシート。どちらもリクライニングする。
 アテネ(ラリッサ駅)出発時点での乗車率は5割弱、という所でしょうか。色々な人種の人々がいて、アラブ系、という感じの人も少なくありませんでした。

 最後部は「食堂車」と書いたが、実態はテーブルに商品が並べられるだけの売店的な機能しかなかった。購入したものをテーブルで食べても良いのだろうが、冗談じゃない、恐ろしく寒い。まるで冷凍庫。おじさんが2人で切り盛りしているけれど、良くこんな車内で仕事ができるものだと、品物だけ買って、逃げるように客車に戻りました。

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 途中駅で一休み。どこで撮ったっけ?

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 複線区間でもほとんど列車と出会わないまま、ティソレア?から単線になり、遠くに見えていた雪山がどんどん迫ってくる。

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 こんな大鉄橋もあります。

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 アテネから約200㎞、トンネル一つ抜けると完全に雪景色。まるでパウダーをまぶしたかのよう。

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 山間部の信号所で上りとの行き違い。大スパイラル線の中にあり、山腹を回り込んで反対側に来たら、まだ停車しているのが見えた。画像で解るでしょうか。

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 峠を越え、ラリサに向けて下っていきます。雪はなくなりました。
 ティソレア~ラリサは、思ってもみなかった、アルプス的でダイナミックなパノラマが楽しめたと思いました。
 ただ、遅れがどんどん増幅し、ラリサは1時間程の遅れになりました。ここで機関車交換。

 この先は海岸線沿いを走ります。所々改良工事も行われていて、新線に付け替えられた区間もありました。少々落ち着かない感も。大幅にルートを変えた所もあったようでした。
 曇り空の浜辺には、人影が全くない…。

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 テッサロニキは、1時間21分の遅れになりました。

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 テッサロニキ駅。大きいです。

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 駅舎の中。広いです。

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 中には、このような保存車両が展示されていました。どんな車だったのだろう。

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 最後に、ホーム。7番線まであります。
 首都アテネのラリッサ・ペロポネソス両駅(最後にご覧頂きます)より、遥かに大きな規模のターミナル駅です。東欧諸国(マケドニア・ブルガリア)への中継点として機能していたからでしょうか。
 ただし、雨模様のせいもあるのか、ホームはとても薄暗かった。コンクリ造りで、南部と比べて全体的にやや殺風景にも映るのは、隣接する社会主義国の影響が出ていたのでしょうか。
 架線が貼られているが、当時はまだ電化はされていませんでした。

 ギリシャの鉄道は、特に北部は日本人が乗る機会は少ないだろうと思います。
 ここをベースにして、明日から北部の路線を訪ねます。

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