№1157 思い出の海外旅行クロニクル 9.1997年ギリシャ1
昨年7月に書いたオランダ以来、8ヶ月も間が空いてしまいましたが、「思い出の海外旅行クロニクル」、再開します。
今回は同じ1997(H9)年12月のギリシャです。
ギリシャは前の年、1996(H8)年の欧州一周大旅行の際の起点となった国だが、あの時はイタリアへ渡る際に予定していたフェリーの欠航が判明し、アテネからの予定を前倒しする必要が生じてバスに変更、結局鉄道には乗らずじまいに終わっていました。
なので、「ユーレイルパス通用17ヶ国(当時)を一つ一つ廻る」と決めた時、早々と翌年のギリシャ行を決めていました。
今回は行き帰りも含めて13日間取っています。これを6回に渡って書きます。
アテネからテッサロニキへの列車については№728で、帰路の途中、予定外だったがツポレフ154に搭乗した事は№168で軽く書いていますが、改めて全日程を記してみたいと思います。
1997年12月10日(水)
アテネまでは旧スイス航空を利用、チューリヒで乗り継いでいきました。
SR169便は、ガラガラ…。
いきなり離陸後の銚子をご覧頂きます。
MD-11のキャビン。JAL「J-Bird」以外で搭乗したMD-11は、スイス航空が唯一でした。
(3年後のイタリア旅行の帰りでも乗ったが、別の機会に書きます)
空いているので、中央の4人掛けの肘掛を上げてベッド代わりにしているお客さんもチラホラ。
離陸後、最初の機内食。
肉食を選択。メインは牛肉炒め。中華風焼きそばの上に乗っています。他にシーフードサラダ、日本そば、ストロベリームース。
アムール川を横切る。
全体的に天候が良くない。
到着前の機内食。若鶏のグリル、ブロッコリー、フルーツタルト。
12月なので、17時を過ぎたらもう真っ暗。天気も良くなかったし。
チューリヒは定刻よりやや早めに到着。
成田では撮り損ねた(撮れるポジションにはなかった)ので、改めてチューリヒ到着後のMD-11。
HB-IWNは「スイスエア・アジア」機でした。台湾路線を運航するための子会社で、当時は中国メインランドと同じ会社で乗り入れるのが憚られた面があり、このような会社を設立したメジャーキャリアが、特に欧州ではいくつかありました。
ただどこも、旧JAA(日本アジア航空)程独立色は濃くありませんでした。
MD-11のポストカード。
アテネ行SR306便が出発する、A03搭乗口。
SR306便、A321-100(HB-IOE)。
キャビン。前の席の背もたれには、パーソナル電話がついていました。
天井には収納式のTVがあり、飛行中はビデオプログラムが放映されてはいたのだが、シートのオーディオシステムとかがあるわけではなく、無声(字幕)でした。
機内食。ホットミールだ。
時間が時間だから仕方ないが、外はひたすら真っ暗闇。TVの飛行データに拠れば、アルプスを越えて、イタリアのアンコナからアドリア海に抜けたようだ。やはり景色を楽しめなくては。
2時間強のフライトで、アテネ(旧ヘレニコン空港)に到着。
ターミナルまではバスで移動。ほんの数十メートルに過ぎないのだが。
こちらはA321-100のポストカード。
パスポートコントロールは案外スムーズだったが、荷物がなかなか出てこなかった。
市内へのバスは24時40分までない。真夜中だし、時差ボケもあるからさすがに1時間も待てず、私的には異例だが、ホテルまでタクシーを利用しました。若干の不安は杞憂に終わり、さすがに早くて20分もかからずにホテルに着きました。ユーロ導入前で、2500GDR(ギリシャ・ドラクマ≒120円)。安ホテルは部屋が古く、暖房の機器は今一つ?もう日付も変わってしまっているし、シャワーを浴びて、とっとと床につきました。
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1997年12月11日(木)
いよいよギリシャの鉄道の旅、始まり始まり。
旅の序盤は、ペロポネソス半島を巡るナロー(1000㎜)鉄道路線に3日間かけて乗って、一周します。
この路線、昨今の経済危機が影響しているのか、大半の区間が「永久運行停止路線」(=廃止?)に陥ってしまったようです。
朝起きると、アテネは快晴。まだ陽は出ていないが。部屋のTVのCNNの天気予報は、アテネは晴れ時々曇りで13℃、と伝えていました。
ナロー路線は港町ピレウスを起点とし、アテネ(ペロポネソス駅)を経由して半島に向かう事になります。始発から乗りたいと、ピレウスまでは地下鉄で移動。
ピレウス駅。駅の前は港で、大型船がいくつも見えます。明るい。
トロリーバスや通常のディーゼルバスが頻繁に行きかうが、よく見ると道路にはレールを埋めた跡が続いていました。路面電車が走っていた?
半島の南側を走るカラマタ行422列車は、7時間がかりの長距離列車。
しかし列車は近郊タイプ(日本で言えばキハ47的?)の2連。
ナローながら、車体の大きさも日本と対して変わりません。
ペロポネソス駅までは引き込み線みたいなひなびた路線を旅客線として使っている感じ。線路の脇に5~6人位の家族を見るが、後ろにはテントみたいな小屋があって、まさかそこで暮らしているのか…?
ペロポネソス駅から客が増えるが、一方で一人の男がカードを配り、何やら叫んでいた。募金のお願いらしい。
しばらくは標準軌との3線軌条。やがて標準軌が終わり、コリントス運河を渡って半島へ。急坂が多くなり、ローカル線らしくなってきた。地肌がオレンジっぽい。
失念した、というかギリシャ語しかなかったから名前が解らなかったが、こんな小屋だけの駅もありました。
ローカル線らしく車窓は変化に富み、今度は白っぽい地肌の山間部。
場所によってはオメガカーブが連続します。
この列車には車内販売が乗っていて、コーヒーが600GRD。ガスボンベで沸かす、結構本格的な代物だ。
こんな駅も。ここも名前は解らなかったけれど、こんなしっかりした石積みの駅舎の駅もありました。
カラマタが近づくと平坦な路線をどんどん飛ばして行きます。夕陽が山の向こうに消えていきました。
カラマタは定刻に着きました。この列車だけ見れば、ギリシャ、結構やるじゃん、と思わされるのですが、これ以降が…。駅はホーム1面だけの小ぢんまりした駅。貨物列車の入れ替え作業を行っていました。
もうすぐクリスマス。町のあちらこちらに、飾り付け。
駅前の安ホテルに投宿。6500GRD。困った事に、部屋は暖房が効かないし、お湯も出ない。ヒーターの故障?スッタモンダあって、お湯は出るようになったが、疲れたのでシャワーは明日。毛布を被れるだけ被ってお休み。
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人によってはもしかしたら消費税増税以上の一大事、だったかもしれない「Windows XP」サポート終了。
私は何とか先週の内に、手持ちのWindows 7搭載のノートPCへの転換が完了しました。
ソフトの面ではまだいくつか問題が出てくるだろうが(PCD形式の画像がフォトショップエレメンツ12では開けない、とか)、何とか一息つけたかな。とりあえず、本体のWebサイトの一刻も早いコンテンツ公開再開に漕ぎつけたいと考えています。
《今日のニュースから》
パキスタン・イスラマバード近郊で爆発 21人死亡