№1151 27年前の「近鉄時刻表」

 近鉄では、例年は毎年3月のダイヤ改正に合わせ、全線時刻表を発売しています。
 1993(H5)年までは春と秋の年2回刊だったが、翌1994(H6)年より、春の改正時の1回刊となりました。
 私の手持ちの「近鉄時刻表」で最も古いのは、1987(S62)年春・夏号です。
 27年前の時刻表から、当時の近鉄の姿を簡単ながら探ってみようと思います。

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 表紙は薬師寺の西塔をバックに走る3200系。
 翌年の京都市営地下鉄烏丸線との相互直通運転を控えて新造された通勤車で、試作車的な1250系(現1420系)をベースにした、初の本格的VVVF制御の系列となりました。

 折り込みで「近鉄沿線ごあんない」と称し、鉄道の路線図と他の主要な交通、観光・行楽スポットのイラストがあります。
 三岐鉄道に引き継がれた北勢線、伊賀鉄道の伊賀線、養老鉄道の養老線も含めて、当時の路線は全て残されています。けいはんな線・奈良~学研奈良登美ヶ丘はまだ未開業、前年の10月に開業したばかりの長田~生駒は東大阪線と称していました。
 大阪線の大阪教育大前、京都線の宮津、名古屋線の南ヶ丘は未開業。
 その裏には索引地図と合わせて停車駅(快速急行以下)が記されているが、今と比べて停車駅が少な目と思います。
 大阪線の快速急行は、五位堂・室生口大野・赤目口が通過。
(一方で上津・西青山・東青山には停車していた)
 区間快速急行(今はなし)と急行は五位堂を通過。
 奈良線の快速急行は新大宮、京都線の急行は竹田・新祝園、準急は竹田・向島、名古屋線の急行は蟹江が通過。

◆ カラーページ
 ニュースに続いて、特急の運転系統と停車駅の案内図があります。
 やはり停車駅は現行より少ないし、今は走っていない系統もあります。特に南大阪・吉野線の停車駅がかなり少なく、高田市・橿原神宮前・下市口・大和上市・吉野神宮のみの停車でした。
「アーバンライナー」デビュー前だったから、当時の近鉄特急のフラッグシップは、30000系「ビスタカー」でした。

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 近鉄ではこの年、特急券の新予約システム「ASKAシステム」(ASKA=All-round Servise for Kintetsu and its Agencies)を導入しました。
 販売開始が3週間前→1ヶ月前になり、座席の細かな指定や、複数人用の発売もできるようになり、「Kips」会員は電話予約も受け付け、というものです。
 ネット時代の今から見たらこれでも古く見えるだろうが、当時としては画期的だったのでしょう。

「The Densha」という連載企画があり、この号は第2回。大阪鉄道のデイ1形。
「ヘッドマーク ア・ラ・カルト」という企画もあり、当時から鉄道ファンの購読も重視していた事が伺えます。
 あとはさすがに観光資源が多い近鉄、観光地のカラー写真がふんだんに掲載されています。
 今は無き「あやめ池遊園地」「奈良ドリームランド」などの遊園地の写真もありました。

◆ 時刻表本文
 当時の近鉄時刻表は、全ての駅の時刻表は掲載されていませんでした。
 主要な駅のみ掲載、他の駅は、後半のブルーのページに記されている「路線概要 駅間所要時分」を見て、数字を加算して大まかな発車時刻を出す事になります。
(全駅掲載は1993(H5)年から)
 時刻は平日は前半の白(土曜日は、当時は平日)、休日は後半の黄色のページに記されています。
 大阪~名古屋の特急時刻表が冒頭にあり、その後に各線の時刻表が並ぶスタイルは今も変わりません。
 普通電車が集中する大阪線・上本町~河内国分、名古屋線・名古屋~富吉、南大阪線・あべの橋~藤井寺が別に記されているのも同じです。
(ただし、当時は末尾に一括して掲載されていた)
 当時の各ターミナル駅の時刻表を作ってみましたので、それを元に、当時の近鉄各路線のダイヤを見てみようと思います。

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大阪線
 上本町駅です。地下ホーム1番線から出発する難波始発の特急は別に記しました。
 特急は、阪伊甲特急も1時間間隔で運行。この当時は難波発着でした。
 一般列車は朝夕に快速急行・区間快速、日中に急行を運行。急行はまだ本数が少なく、1時間に2本でした。いずれも五位堂はまだ通過。
 普通電車は、高安まで約10分間隔、河内国分まで1時間4本運行されていました。
 郊外では、青山町~東青山は日中は急行のみ運行、1時間に1本。
 信貴線や伊賀線(伊賀鉄道)はほぼ現在と同じ形態。

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奈良線
 難波駅です。奈良線に加え、大阪線の特急も加えています。
 平日も奈良行特急が1時間間隔で運行、さらには難波~京都という特急も3往復ありました。
 一般列車については、区間準急の設定以外は現在とほぼ変わらないと思います。もちろん阪神直通は遠い未来の話だが。快速急行は、新大宮は通過。
 普通電車の約10分間隔運転は、当時は瓢箪山まで。その先は20分間隔になっていました。
 生駒線は終日15分間隔だが、なぜか休日の朝方だけ、生駒~南生駒の区間運転が設定されていました。どのような需要があったのでしょうか。

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京都線
 京都駅です。かっちりした15分サイクルのダイヤが組まれていました。
 特急は全て、京都~大和西大寺ノンストップ。
 京都市営地下鉄烏丸線との相互直通運転の開始は翌年。準急は、朝夕のみ設定は変わらないものの、現在より本数がかなり多くなっています。この準急の大半が地下鉄直通に振り替えられる訳です。
 急行は竹田・新祝園、準急は竹田・向島がまだ通過。
 橿原線のファミリー公園前は、日中のみの停車でした。
 田原本線は、日中は30分間隔。平日は朝夕のみ、新王寺~大輪田1駅間のみの区間運転がありました。

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南大阪線
 阿部野橋駅。ここは一見して、現在とはパターンがまるっきり違います。
 一応12分サイクルで準急・普通を運行する形態になっているが、特急が30~60分間隔と不規則だし、長野線・御所線は15分間隔なのでサイクルが合わず、若干統一性を欠いた感があります。
 急行は1時間間隔と少なく、準急も吉野行が1時間間隔で設定されています。準急は終日御所直通も設定されています。
 現在に通じる30分サイクル(準急・普通10分間隔)ダイヤの確立は、1990(H2)年3月改正時です。

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名古屋線
 名古屋駅です。
 こちらも名伊甲特急が、ほぼ1時間間隔で運行されていました。
 一般列車の本数が今と比べるとかなり多く、準急・普通が共に15分間隔で運行。
 急行は鈴鹿線直通が日中も1時間間隔で運行されています。鈴鹿線は普通電車でも四日市直通が多く設定されていました。
 湯の山線は、当時は特急が3往復あり、難波直通1.5往復(難波~白子は名阪乙と併結)、名古屋行1本、線内折り返しが1往復設定されていました。普通電車は約20分間隔。
 養老鉄道の養老線は、桑名~大垣通しで約40分間隔。
 現在は三岐鉄道が運営する北勢線は、日中は阿下喜行・七和(一部北大社)折返し・西別所折り返しを40分サイクルで運行していました。
 逆に、来年より「四日市あすなろう鉄道」が運営する内部・八王子線は、現在とほとんど変わっていません。線路設備からしても、変えようがないとも言えます。

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 近鉄ダイヤでは伊勢志摩方面への観光輸送が外せないので、ここでは賢島駅の時刻表を掲げてみました。
 当時の鳥羽線は改良に手がつく直前で、大半の区間はローカル線然とした、急カーブが多い単線でした。
 なので本数も少なく、特急も最大で20分間隔。当時の主役は、本数的には京伊特急だった事が解ります。
 普通電車は40~60分間隔。一部宮町折返しがありました。宮町折返しは、この後もダイヤ改正によって時々設定される事があります。
 当時の賢島駅は、特急は高台にあるホームからだったが、普通電車は三重電気鉄道時代からの地平のホームで発着していました。

 時刻表欄外には広告のほかに、毎号コラムが掲載されて鉄道ファンを楽しませてくれるのだが、この号では「近鉄沿線 ハイキングコース」が掲載されていました。

◆ 近鉄 便利ガイド
 巻末のブルーのページ。
 路線概要駅間所要時分に続いて、各種運賃・料金表などの営業案内が記されています。
 運賃は、初乗り(3kmまで)90円(2014年4月1日からは150円)、難波~奈良410円(同560円)、難波~名古屋1,730円(同2,360円)。
 特急料金は難波~鳥羽1,000円(同1,610円)、難波~名古屋1,200円(同1,900円)。
 乗車券は、当時は運賃額が800円を超えると2日間有効、途中下車も800円以下は指定駅で、それ以上は一部例外を除き可能でした。
 また、前年に第一世代の磁気カード「パールカード」の発売が始まったが、当時は利用できる駅が少なく、奈良線・生駒線・天理線・東大阪線と、京都線(新田辺~大和西大寺)・橿原線(大和西大寺~平端)のみ。
「主要駅連絡図」を見ると、大和西大寺駅は5番線が行き止まり、6番線がまだありませんでした。
 特急の車内販売も当時は活発で、朝晩の一部を除いて各系統で営業していました。缶ビール240円、牛肉弁当1,000円の値段が並んでいます。
 近鉄グループ各社のうち、交通輸送事業者の中には、廃業してしまった井笠鉄道や、東京近鉄観光バスの名前もあります。

 近鉄バス(当時は鉄道直営)は扱いが軽く(まだ夜行高速バスへの参入はなかった)、案内図も簡単なものだけ記されていました。ただこれだけ見ても、路線網は密だし、今は走っていない奈良や天理への路線もあります。どの程度の便数があったかは記されていませんが。
 近鉄バスは観光にあまり利用されないからでしょう。系列の奈良交通・三重交通の方が扱いが大きいのは、今も変わりません。有名な八木~新宮の特急バス(2往復)は愛称があり、八木発<はやたま>・新宮発<やまとじ>、当時は運行があった八木~川湯温泉系統(2往復)は、八木発<いでゆ>・川湯温泉発<まほろば>。
 また当時は北山峡・熊野市経由の路線も2往復あり、八木発<みくまの>・新宮発<あおがき>の愛称でした。
 両社とも、定期観光バスのコースが今よりかなり多く設定されていました。三重交通には、ボンネットバスを利用した「ぶらり松坂」のコースもありました。
(8月を除く4月~11月、コースによって週1~2日運行)
 広告では、ゴルフ場が後半に集中して掲載されていました。
 他社の時刻表は、三岐鉄道以外は東海道新幹線<ひかり>の一部列車・駅のみ掲載されていました。

 以上、本当に簡単ながら、27年前の時刻表より、近鉄の姿を振り返ってみました。
 鉄道に限るが、近鉄はこの後、スペイン村オープンなどで一時は特急を中心にダイヤの拡充が図られるが、特に21世紀に入ってからは一転して縮小に向かう事になります。
 大まかな流れとしては、「アーバンライナー」「伊勢志摩ライナー」デビューや「スペイン村」オープンによる特急ネットワークの充実→一転して利用減少により伊勢方面特急の削減・一般列車も種別統合や停車駅増により削減、となってしまうのかなあと思います。
 混雑が緩和されてゆったり乗れるようになるのは結構ながら、行き過ぎて朝ラッシュ時でさえ削減が相次ぐようだと、逆に心配にもなったりします。若干矛盾するけれど、ゆとりを保ったまま、輸送量の増加が図られるような施策が求められます。ただ、沿線の人口そのものの伸びが非常に小さいので、内部から需要を生み出すのは、難しいのかもしれないが。
 あと、何度か書いているが、特に通勤車の新陳代謝が非常にスローモーで(阪神直通対策で奈良線を優先させているからそう見えるかも知れないが)、特に南大阪線は「ハルカス」オープンもあったのに、10年以上新車両の導入がありません。ぜひ、関西大手私鉄の雄・近鉄らしい新型車両の導入を期待したいと思います。

 ところで、例年3月に行うダイヤ改正(近鉄は「ダイヤ変更」と称している)は、今春は行わないと、近鉄自身も18日に発表しています。
 次回改正は未定、としているが、「しまかぜ」増備で京伊系統にも導入される秋口には行われるのではないか、と思われます。

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

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