№998 小田急 向ヶ丘遊園モノレール線

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「モノレール」というと、黎明期には「遊園地の遊戯的乗り物」というイメージが付きまといました。
 最寄の駅からのアクセスとして建設されたり(横浜ドリームランドや犬山遊園とか)、遊園地内のアトラクション的な乗り物だったり(よみうりランドなど)したのが大半なので、そのようなイメージが持たれたのでしょう。
 東京モノレールや湘南モノレールの例もあるが、本格的に都市交通としてのモノレールが建設されるのは、1985(S60)年開業の北九州以降の事ではないでしょうか。

 小田急が運営していた向ヶ丘遊園モノレールも、典型的な「遊園地へのアクセス」としてのモノレールでした。
 1966(S41)年4月23日に開業(東急田園都市線とほぼ同じ時期)し、遊園地へのアクセスとして四半世紀の間運行されてきました。
「ロッキード式」と呼ばれる、軌道上にレールがある独特の方式でした。
 日本では、他には姫路市営での短期間営業の例があるだけ。
 500形2両編成が1.1㎞の短区間を行ったり来たり。
 運転台付近の形態が独特で、いかにも「遊園地の乗り物」でした。
 川崎航空製造の試作車両を購入したとの事です。

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 始発の向ヶ丘遊園駅。
 小田原線の駅南口の広場上にありました。
 北口駅舎と共通性がある「マンサード」スタイルだが、多少安普請かな。

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 すぐに、終点の向ヶ丘遊園正門駅。

 例年、冬期の一部期間に定期的に運休期間を設けて検査を行ってきたが、2000(H12)年の定期検査において重大な不具合が発見。
 修復に莫大な費用がかかる事(全体的に老朽化している)、短区間で市営バスや東急バス路線もある事から、結局運転再開ができないまま、翌2001(H13)年1月31日をもって廃止になりました。

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 理由が理由だからお別れ運転などはなかったが、正式廃止の後にイベントで車両が公開された他、記念の磁気カード「パスネット」も発売されました。
(モノレールは最初からパスネットは利用できなかった)

 この時期は小田急に限らず遊園地事業自体が全国的に不振で、小田急でも1999(H11)年の御殿場ファミリーランドに続いて、モノレール正式廃線の翌年、2002(H14)年の3月一杯で営業を終了する事になりました。

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 この時にも、記念のパスネットが発売されています。
 モノレールも映っているが、2枚目の方はウルトラマンの仮面を被っているのに注目。

 廃線後、軌道はしばらくして撤去されていきました。

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 500形を撮影した時と同じ、相生橋の軌道撤去時の様子。
(どちらも歩道橋から撮った)

 向ヶ丘遊園はこの後、ばら苑が川崎市の生田緑地に組み込まれ、後に跡地の整備計画について小田急と市の間で合意。
 また、2011(H23)年には、向ヶ丘遊園正門駅の跡地に「藤子・F・不二夫ミュージアム」がオープンし、登戸駅前からアクセスのバスが運行されています。
 姫路と違って車両も駅も解体され、遊歩道以外にモノレールがあった事をしのばせるものはほとんどないようで、黎明期のモノレールは、地元の人や鉄道ファン以外からは、だんだんと忘れられていくのでしょうか。

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 大韓航空機の新潟空港オーバーラン事故は、発生からまだ間がなく、映像だけではまだ何とも言えないし、言ってはいけないと思います。
 とりあえず大惨事でなくて良かった。

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