№965 思い出の海外旅行クロニクル 7.1996年ヨーロッパ一周大旅行7
ポルトガル滞在は1日のみ、ポルトへ北上の後、再び夜行でスペイン、さらに国境で乗り継いでパリまで戻ります。
少々写真が少なくなってしまっているのはゴメンナサイ。
1996年10月29日(火)
幸い国境越えでパスポートコントロールのために叩き起こされる、という事はなかったが、リクライニングが少々中途半端で眠りづらい。
他の客もそう感じているのか、斜め後の女の子なんか、床に寝ちゃっている…。
食堂車では、何もオーダーを聞かれないまま、トーストとクロワッサンを出された。
メニューはこれしかなかったのだろう。
100%オレンジジュースではなく、やや砂糖の味が混ざったドリンクなのが残念 … とは贅沢?
サンタ・アポローニャ駅到着。
5分程度の遅れだったからまずまずか。
半年振りのサンタ・アポローニャ駅の界隈。
今回はリスボン観光はなし。
ローカル列車を3本乗り継いで、北部のポルトに向かいます。
エントロンカメントまでは、今来たルートを逆行する事になるが(トマル行)。
いきなりエントロンカメント駅。
広い構内の真ん中にある、ホームのさらに真ん中に駅舎があります。
当時のポルトガルの近郊電車。
電化区間なら、全国的に見られます。
車掌は乗務するが、ドアを開けるのは運転手の仕事らしい。
(半自動で、動き出した時点で自動的にロックされるように見えた)
エントロンカメントから、コインブラに向かう途中の車窓。
当時のポルトガルは、幹線区でも踏切が相当多かった。
しかも日本で言う「第3種」踏切が大半で、このような踏切番がいるのが普通だった。
それ以上に、踏切でない所を横断する公衆が非常に多い。
どこかの駅では、反対列車の警笛がけたたましく響くので何事と思っていたら、電車から降りたばかりの、足が非常に弱そうなおじいさんが、反対側のホームによじ登ろうとしていた所だった。
足がホームに上がるのと、列車が通過するのがほとんど同時のように見えて、思わず「危ない!」と(日本語で)叫んでしまった程でした。
(ポルトガルはホームが他の国より若干高い。おじいさんはホームと反対側のドアから降りたようだった)
さすがに幹線区だと、この後の「アルファ・ペンドラー」運行開始に合わせて、踏切の撤去などをかなり行ったようだが。
コインブラ B駅(コインブラは中心部が幹線から離れていて、シャトル電車が接続している)で、さらにポルトガル行に乗り換え。
ポルト到着直前のドゥーロ川。
終点のポルト・カンパーニャ駅。
この駅も中心部からは離れていて、「アズレージョ」が見事と言われるサンベント駅のほうが中心部に圧倒的に近いが、長距離列車は皆カンパーニャ発着になっていて、ここでもシャトル電車が運行されていました。
ポルトもあまり時間がなく、今回は市内観光はなし。
7年後にまた来る事になり、この後新設されるLRTに乗る事になります。
アンダイヨ行夜行ですぐポルトを後にします。
慌しい事…。
かつてはパリまで直通の<南急行>だったが、TGVアトランティックの開業以降、スペイン・フランスの国境で打ち切りになっていました。
ポルト発編成は、客車は2両だけ…。
2等クシェットの1室に落ち着きました。
出発してすぐ、左手にポルトの市街地を見ます。
右手に見える大きな橋は、ドン・ルイス1世橋。
パンピローサでリスボンからの編成を連結。
8両編成となって、ようやく国際列車らしくなりました。
リスボン発編成には、食堂車も連結。
食堂車の夕食。
ハム・ソーセージ・ポテト・トマト・オリーブにファンタとカフェオレ。
食事を終えてコンパートに戻ると、もう皆寝ていて、明かりが消されていた。
まだ21時前だったけれど…。
1年間で2度のポルトガル訪問だったが、この7年後の2003(H15)年1月に、本格的に乗り歩く事になります。
ポルトではLRTにも乗りましたが、別の機会に書きます。
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1996年10月30日(水)
列車は既にスペイン入り、スペイン時間7時に目を覚ますが、このクシェットのお客さんは早寝+朝寝坊の人が多い気がする。コンパートを抜け出すのに一苦労でした。
朝食のメニューは、前夜のタルゴと全く同じでした。
山間部を走っているようだが、バスクの近郊区間ですれ違う近郊列車は意外に多い。
イルンからさらに一駅、国境を越えてフランスに入ります。
アンダイエ駅。
構内にいた、フランスSNCFの電気機関車。
ここからパリまではTGV、ではなく、在来線の列車を乗り継いでパリへ向かいます。
ダックス行の列車の乗客の大半は高齢の方々で、とにかく皆やたら大荷物なので、車内に運び込むのが一苦労。
ダックス駅。
ここで、タルベス始発パリ行に乗り換え。
フランスはやはりイベリア半島とはかなり違って、緑が美しい。
19時目にパリ・オーステルリッツに戻ってきました。
今回は写真が非常に少なくて、申し訳ありませんでした。
さて、長旅も2/3程度が終わりました。
パリで1日、予備日を兼ねた休息日を作っています。
パリではYHに連泊、明日は丸一日パリ市内で過ごします。
パリ郊外にもLRT(当時はまだ、この3文字は一般的ではなかったが)が開業した、と聞いていたので、迷わず乗りにいこうと思います。
もちろん、地下鉄も。
明日は「クロニクル」はお休み、違う事を書きます。
「クロニクル」の次回は、来週月曜日の予定。
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《今日のニュースから》
「あべのハルカス」 近鉄百貨店開店
「あべのハルカス」は高さ300m・地上60階建て、横浜のランドマークタワーを抜いて、日本最大のビルとなります。
百貨店も良いのだが、大阪阿部野橋駅に乗り入れる近鉄南大阪線は車両の新陳代謝が進まず、一般通勤車両に至っては、2002(H14)年の6820系「シリーズ21」4両を最後に、新車両が全く入っていません。
6020系・6200系など在来通勤車両の老朽化が進んでいるし、他線からの転用もできないのだから、これを契機として、通勤車両の近代化を一気に進めるべき時ではないでしょうか。