№944 思い出の海外旅行クロニクル 6.1996年欧州縦横断5
最北端のナルヴィクへ向けて、ラストスパート。
ナルヴィクに着いたら、その日の内に航空便を乗り継いでオスロまで行く事になります。
せっかくの最北端なのに慌くてもったいないが、そうしないと翌日、パリからの成田行AF便に乗れなくなってしまうので。
1996年 7月17日(水)
翌朝、同じコンパートの若者達の話し声で目覚めたら、列車はもうフェリーの中。
外は寒い!
半袖なんてほとんど自分だけ。
トレレボリからはスウェーデンのELに牽引され、ノンストップで3年ぶりのマルメに到着。
列車は定刻だった、両替屋がオープンしたばかりで行列、自分の番になっても、随分しつこくトラベラーズチェックやパスポートを眺めるので、時間がなくなってしまった。
列車を乗り継いでエーテボリへ。
3年前にも通過したルートだが、あの時はオスロ行の夜行。
今回は昼間です。
マルメ~ヘルシンボリ周辺は曇り空。
どこか寒々しく見えて、夏という感じがしない。
しかし、エーテボリが近づくと、晴れてきた。
クングスバッカはもうエーテボリ近郊。
ここもまた3年ぶりのエーテボリ駅は、定刻の到着。
ここでストックホルムからの最後の列車、<ノルトピレン>を予約しようと思ったが、ナルヴィク(車両はキルナまで)直行の車両はもう満席だって。
一旦、3年前も訪れたルレオへ行って、後続のナルヴィク行ローカル乗車とプランを変更。
ただ、ナルヴィク滞在時間がただでさえほとんどなくなってしまうし、万一大幅に遅れると、航空便搭乗さえアウトと、少々厳しい。
最後は、寝台をおごってみます。
X2000は3年前も乗っているが、今回は1等車利用。
その1等車の車内。
私の他の客は1人だけでした。
出発するとすぐ、スタッフのお姉さんがイヤホンと、車内販売のカタログをくれる。
1等ではランチが提供される。航空便みたい。
コールドミールだがおいしい。
乗客は全然増えず、お姉さんも少々手持ち無沙汰そうだったが、この後コーヒーとクッキーのサービスもしてくれました。
(ビストロと兼務のようだが)
1等のみならず、列車全体がガラガラだったようで、ビストロも少々もてあまし気味の様子。
沿線は緑豊かな、穏やかな農村地帯が広がってすがすがしいが、時々一瞬サァーっと、雨が降ったりして、天気はなんだか不安定。
やがて高速新線に入り、トンネルが連続。
ストックホルムが近づいて、メーラレン湖。
ストックホルムは、雨…。
エーテボリから3時間12分でストックホルム中央駅到着。
ストックホルム中央駅構内。
通り雨だったのか、駅の外に出ると、また青空。
どうにも目まぐるしい空模様だが、これが北欧の夏なのか。
少々肌寒い。
ストックホルム駅停車中の<ノルトピレン>904列車。
最後の最後で寝台をおごってみたが、トイレ・シャワー付、オーディオシステムもあって素晴らしい旅になりそう。
インテリアもいいし。
定刻に出発、5分位でもう緑が多くなる。
しかししばらくは複々線で、途中アーランダ空港への新線の工事現場も見ました。
20分毎位に青空と雨が交互に繰り返される、目まぐるしい空模様の中…。
虹が見られました。
食堂車は、カフェテリア的な要素が強いよう。
一応、夕食になりそうなメニューもありました。
ジュークボックス(古いな…)もあって、「ダンシング・クィーン」(ABBA)とか、ビーチボーイズなんかも聞けました。
(2曲で5SEK)
その夕食はパスタ(サラダ・パン付 59SEK)、コーラ15SEK。コーヒーも15EK。
イェーヴレから先、沿線はまるで人の気配がなくなる。
時々こうして湖が現れて、ほとりにいくらかの民家は見えるけれど、後はひたすら森。
鹿さえ見られるが、駅は全然ない。
また結構雨が降ったりもするが、21時を回っても充分明るい。
これでは寝るのがもったいなく思えるが、せっかくの個室寝台だし、日付が変わる前には床に就きます。
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1994年 7月18日(木)
それでも途中で目を覚ましたりしてしまったが、1時30分に外を見ると、ボンヤリ明るい…。
朝起きると、ドアのノブの所に新聞が挟まっていました。
エルブスビュン駅。
食堂車の朝食のセット。
35SEKで、結構バラエティとボリュームがありました。
外はまたひたすら森と湖の繰り返し。
ボーデン駅のホームは、大勢の乗客でごった返していました。
登山客が多いようで、山岳リゾートを目指すのか。
キルナ行が別かれ、キルナ行の編成はルレオ発のナルヴィク行に連結される事になります。
こちらはそのままルレオまで。
ルレオ駅に定刻の到着。
3年前は17時過ぎで、もう真っ暗の冬場でした。
今回は昼間だが、あんまり時間はなくて、駅周辺に留まるだけ。
駅前のバスターミナルで撮った写真を2枚。
後部が丸まる貨物室の貨客混載型バス。
以前もノルウェーの車両を御覧頂いたが、北欧のスケールの大きさを感じさせてくれます。
市内バスのバス停もあるが、広告が日本語で少々ビックリ。
日本人目当てとは、思えないけれどなあ。
いよいよナルヴィクを目指す最終走者、980列車。
最後部車両は子供の遊び場があったり、車椅子スペースやリフトもある多目的車両になっていました。
ボーデン・ムリェスクと停車して10分ほど、北極点突入のモニュメントの前を通過するが、ローカルだからか?放送もなかったし、減速もしませんでした。
これも以前御覧頂いたイェリヴァレ駅。
ここはストックホルムから1313㎞で、標高が359mらしい。
この路線も当然、湖と森の繰り返し。
その森の樹木は、だんだんと背が小さくなっていきます。
キルナ駅。
青空だが、ちょうど太陽が雲に隠れて陽射しがなくて、肌寒い。
駅にあるモニュメント。
お客さんがみな結構な重装備。
ほんと、出だしのリスボン・カスケイスとは180度違う。
この車窓だけでも、充分国立公園級。
山間部のストータレン駅は、こんな小屋だけ。
人影がまるでないし、周辺に人家も見られなくて、ここで乗り降りする乗客、いるの?
先に貨車52両の貨物列車がキルナに向かって下っていって、その後ルレオ行ローカルが来ました。
カタラヨーク付近。
この先で、ついに国境を越えてノルウェーへ。
ロムバック駅で行き違った、ノルウェー側だけの区間運転用の旧型電車。
フィヨルドが現れ、ナルヴィクが近づいてきた事を感じさせます。
ナルヴィク、ついに着いたー!
ここも3年前に来ているが、列車で北上するとまた違った感慨があるもの。
ナルヴィク駅の駅舎。
列車の到着を待っていたように窓口が終了し、最北端到達証明書が入手できなかったのは残念。
(3年前に入手しているからいいか)
せっかくの最北端の地なのに、ゆっくりしている時間がなく、やむなくタクシーで空港へ移動。
もう少し時間が欲しかった…。
タクシーは市中から住宅地を抜け、砂利道を下っていくと、海(フィヨルド?)に面して滑走路が見えてきた。
小さい空港です。
この数年前、旧南紀白浜空港から旧JASのYS-11に乗った事があるが、あれよりももっと小規模。
ここからボードー経由で、その日の内にオスロまで行ってしまいます。
ナルヴィクからボードーへは、ヴィーデロー航空(WF)便に乗ります。
この区間、以前種村直樹さんや長真弓さんが搭乗した時はDHC-6「ツインオター」だったと、各々著書で記されていたが、この便はDHC-8にグレードアップしていて、CAのお姉さんも乗務していました。
(トロムソからの経由便)
離陸直後、フィヨルドを見下ろして上昇。
フィヨルド、なのだろうが、地上部分はカール(大昔、氷河によってえぐられた谷)地形に見える。
この便ではドリンクとお菓子のサービスがありました。
フィヨルドを見下ろしながら、紅茶とクッキーで優雅なティータイム。
わずか30分でボーデー空港着陸。
バスで7時間かかる区間だから、コミューターとはいえ、さすがに空路は早い。
オスロ行SK355便(SK)が出発する、ボーデー空港の17番ゲート。
驚いた事に、手荷物検査が全くないまま、あっさりゲートに着きました。
スカンジナビア航空355便、オスロ行はMD-82。
そのキャビン。
ノルウェー国内線は、WFもSKも、座席を指定しない自由席でした。
最後部に近い席を選んでいます。全体的にガラガラ。
国内線ながら、きちんとした機内食が出たのがオドロキ。
かにと、豆腐みたいな口当たりの食べ物が日本人の口に合う気がしました。
21時を回っているのに、真昼間のような明るさ。
当時のオスロの空港、今のガーデモエンではなく、市中心部の南西側に位置していた、フォルネブ空港でした。
1時間強のフライトで到着。
市内のホテルまでバスで移動、翌朝のパリ行に備えます。
ホテルの部屋でTVをつけたら、ニュースはなんと、ニューヨーク発パリ行のTWAのB747が離陸後、ロングアイランド沖で墜落した、と伝えていた。
パリ行、かぁ…。
シャルル・ド・ゴール空港で悲嘆にくれる関係者の姿が、画面に映し出されていました。
当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
なお、当ブログに寄れない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
最終回は、オスロからパリ乗継で成田へ帰るAFのフライト。
ただし、明日・明後日はお休みします。
《今日のニュースから》
東京都猪瀬知事 イスタンブール批判記事でトルコに謝罪