「私鉄の車両シリーズ」、今回は芝山鉄道3600形です。
3月一杯まで、京成電鉄よりリースで移籍していました。
芝山鉄道は2002(H14)年10月27日、芝山町に対する成田空港建設の見返りとして開業した鉄道。
東成田~芝山千代田間の全長2.2㎞は日本最短。
3600形は、同社が保有する唯一の車両だった。
京成電鉄3600形は1982(S57)~1989(H元)年にかけ、6連×9本の54両が日本車両及び東急車輛で製造された。
省エネルギー対策を見据えて、同社の通勤車両では初の界磁チョッパ制御を採用。
電動機の出力を100kw(3500形)→140kwに増強し、両端の先頭車をTcとした4M2T組成とした。
車番は将来増結による8連化を見込んで付与されていた。
車体は3500形と同じステンレス車体だが、大型の一段下降窓を採用し、独特の見付けになっている。
車体裾部の形状が日本車両製と東急車輛製で異なる。
正面は折妻構造となり、ヘッドライトは尾灯と一体のケースに収まっている。
運転台はT字形ワンハンドル、パンタグラフは下枠交差型を、いずれも京成の通勤車両として初めて採用している。
台車はS形ミンデン。
車内は3500形同様のロングシートで、蛍光灯・吊手・扇風機の増設が行われている。
冷房は分散型で、パンタグラフ搭載車両は台数が少なくなったため、容量を大きくしている。
1997(H9)~1999(H11)年にかけ、8連化が編成替えによって実施された。
6連の内の中間M-Mユニットを抜き出し、別の6連の中間に組み込む手法を取っている。
8連が6編成製作され、余剰のTc車は一部を電装した上で6連にまとめられた。
芝山鉄道開業時、3611F編成が京成電鉄より同社にリースされた。
この編成は日本車両製の6連に東急車輛製のM-Mユニットを組み込んだため、車体裾の形状が編成内で異なっているのが特徴。
(画像で、4・5両目のみ、裾が一部はみ出した格好になっているのが解るでしょうか)
京成では赤一色の帯をまとった車体に、成田空港ターミナル新駅乗り入れを機に青帯を追加していたが、この青帯を緑に変更していた。
正面にシンボルマークを追加し、側面の社名表記も「Keisei」→「芝山鉄道」に変更した。
しかし他は京成編成と異なる所はなく、京成の他編成と完全に共通で、主に京成本線の快速特急・特急・快速に運用されていた。
芝山鉄道の現状は4・6連の京成編成による京成成田~芝山千代田間の区間運転が中心で、3600形は自社が保有する編成ながら自社線の走行はまれ、京成・都営浅草線と他者区間の運用の方が多くなっていた。
今年4月1日より、芝山鉄道に対する京成からのリース車両は、3500形4連(3537F)に変更された。
3611Fは京成に返却された模様。
【編成】
←東成田方 芝山千代田方→
Tc2 3618 - M2 3617 - *M1 3616* - M2 3607 - *M1 3606 - M2 3613 - *M1 3612* - Tc1 3611
* パンタグラフ
今回の記事は
「私鉄の車両12 京成電鉄」(保育社 ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻)
「鉄道ピクトリアル1997年1月臨時増刊号 【特集】京成電鉄」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2007年3月臨時増刊号 【特集】京成電鉄」(鉄道図書刊行会)
「週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄13 京成電鉄」「同 公営鉄道・私鉄06 新京成電鉄(朝日新聞出版)
「京成電鉄完全データ」(メディアックス) 等を参考にさせて頂きました。
次回は北陸の「LRT」、万葉線の1000形MLRVです。
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《今日見た・聞いた・思った事》
ユナイテッド航空(UA)のB787が、現地20日のヒューストン~シカゴ線で営業運航を再開しました。
(その前にエチオピア航空で営業運航を再開しているそうだが、詳細は不明)
再開初便にはボーイング社のCEOも同乗、安全性をアピールしたと伝えられています。
とはいえ、これ程の大事になってしまった以上、この先トラブルがなくても、ボーイング社は損害の補償などで大変な苦難を余儀なくされるのではないでしょうか。
UAはこの後日本線でも就航を再開、6月10日現地発より、デンバー~成田線を開設する事としています。
そういえば成田空港にはUAのB787も1機留め置かれたままになっていたらしいが、どうなったのだろう。
もう改修を終えて、本国に帰ったのだろうか。
ともあれ、成田での撮影を楽しみに待ちたいと思います。
《今日のニュースから》
みんなの党・日本維新の会 東京都議選の協力を解消
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