№926 思い出の海外旅行クロニクル 5.1995年イタリア 4
フランスとの国境付近には、山岳地帯を走るローカル線があり、ところどころ国境を跨ぐ区間もあります。
この路線に乗るつもりだったのに…。
晩はまた夜行で南下、翌日は一気にメッシーナ海峡を渡り、シチリア島に入ります。
1995年11月26日(日)
耳栓して寝ていたのがたたり、寝坊してしまった!
時計は7時を回っていた。
ヴェンチミリアに行く列車は、次は9時前までない…。
それでも定刻に走ってくれれば、ヴェンチミリアからの列車には乗り継げるのですが…。
ジェノヴァ・プリンシペ駅は神殿のような駅舎。
行き止まりと、トンネルの先へスルーする線路があります。
ヴェンチミリアに行くICは国境を越える列車で、客車はフランスの編成でした。
何度か途中で停止。
ヴェンチミリア近くの海岸線。
遠くはモナコではないか、と思うのですが…。
ヴェンチミリア
は17分遅れ。
ところが、接続するはずのクーネオ行は、とっくに出発してしまった!
ローカル列車がICを待ってくれないとは、日本ならこの程度だったら待ってくれると思うのだけれど。
本数が少ない路線で、今後の乗換えを考えると次の列車は待てず、サヴォナ経由のルートでトリノに向かう他はなくなりました。
ヴェンチミリアからサヴォナまでIR、ここからトリノまでこのD2528列車で戻ります。
ひたすら曇り空…。
さすがに今はなくなったようだけれど、当時はトリノ発パレルモ行の長距離夜行列車がありました。
北部からローマ・ナポリを経由、一気に南端、そして海峡を渡ってシチリア島へ。
客車は寝台3両と2等クシェットが10両。
そのうちパレルモ行は寝台1両とクシェット3両。
この列車では、本格的な寝台を利用しました。
その指定券。
トリノ・ポルタ・ヌォーヴァ駅は16時55分出発とあるのに、出発時刻を過ぎても機関車が連結されない…。
いきなり32分遅れで出発、先が思いやられる…。
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1995年11月27日(月)
寝台車。
側面には「TEN」の3文字があります。
このロゴ自体は欧州共通だが、N(夜)が国によって異なり、イタリア語では「Notte」。
寝台コンパートの昼間の様子。
夜はこんな感じになります。
かつての<出雲>のシングルDXに似ていると感じました。
ベッドメイクは車掌がやってくれて、ついでに翌朝コーヒーが必要か?と聞いてくれます。
翌朝、ヴィラ・サンジョヴァンニ到着後、レッジョ・デ・カラブリア行が切り離された後、カターニア行1両と共に、フェリーに積み込まれます。
30分ほどの航行。
メッシーナ海峡には、フェリーの他、FS直営の高速船もあります。
対岸のメッシーナ到着後、座席車両2両を増結。
遅れが48分に増幅。
カマロ駅でローマ行ICを待ち合わせ。
ミラッツィオでは、ついに遅れが1時間以上に拡大してしまいました。
右手は海。
とにかく澄み切ったブルーで美しい。
終点、パレルモ中央駅は、ちょうど1時間遅れの13時05分着。
トリノから、約19時間の長旅でした。
駅前の銅像。誰でしょうかね?
山間部のローカル線を行く、カターニア行のD3938列車。
カルタニセッタまでは3連、その先は単行でした。
沿線はほとんど木々がなくてノッペリとした感じ。
所々、イタリア南部特有の山上集落を見かけます。
冬の欧州は夜の訪れが早く、17時40分定刻到着のカターニアはもう真っ暗。
大聖堂がライトアップされていました。
最初はここに泊まるつもりだったが、駅付近には宿が見当たらず、土地勘がない悲しさ、大荷物で宿探しにウロウロするのがバカバカしく思えてきて、夜行でさっさとローマに戻る事としました。
クシェットを確保し、ひたすら爆睡。
海峡越えに全く気付かないほどでした。
今回の「クロニクル」、写真が極めて少ないと言うか、全くない場面が多いのですが、撮っていない訳ではなくて、実は理由があります。
口を濁す訳にはいかないのだが、それについては終盤で書きます。
お察しの方、多いと思いますが…。
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《今日のニュースから》
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