№928 思い出の海外旅行クロニクル 5.1995年イタリア 6
1995年11月30日(木)
初めにお断りしますが、ミラノから夜行で到着後、この日は北部のコモ湖からノヴァーラ方面を周遊、ミラノのYHに宿泊しました。
しかし、この日に関しては画像が全くなく、メモのみを頼りに記しているため、かなりあやふやな記述が多くなります。
画像がない理由は次回書きます。
ご了承下さい。
ミラノ中央着後、北駅に移動、北部の湖の街、コモまでは私鉄「北ミラノ鉄道」で行きます。
(後に空港アクセス鉄道「マルペンサ・エクスプレス」の運行を始める鉄道で、15年後に乗車した事は、№390で書きました。
かなり大規模な路線網を持つが、かなりてんでバラバラな車両が多い上に、ほとんどの車両の落書きが酷い…。
(それは15年後もあまり変わっていなかったのだが)
沿線は雑木林の中の複々線で、どこか東武東上線を連想させた。
この後サロンノを経由し、別ルートでやってきたFS(№868で書いた、キアッソまでの路線)ともつれるようにコモのN.Lago駅に到着。
サロンノまで戻って、ノヴァーラまで行くが、途中は工事だったのかバス代行。
20分ほどで着いた駅にはFSのローカル電車がいたが、とんでもなくボロボロ、黒茶色のカラーもあって、なにか不気味ささえ感じられた。
ノヴァーラからはFSでミラノに戻り、この晩はYHに宿泊。
中心部からは少々遠く、サッカーのジュゼッペ・メアッツァスタジアム(ACミランやインテルのホーム)が見える場所。
日本人もいたのだけれど、なんだか暖房が効かないし、廊下の明かりも切れて消えたまま、翌朝の朝食のコーヒーはスープのようなボウルに入れられたりして、YHとしても正直あまり居心地が良いとは感じられませんでした。
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1995年12月 1日(金)
ミラノ・ガリバルディ駅からマントヴァ・パドヴァと乗り継いで、ベネチアに向かいました。
海の上の町として有名なのは終点のサンタルチア駅付近だが、都市そのものの中心は海を渡る前のメストレ駅付近。
島と島を結ぶ交通は、水上乗合バスの「ヴァポレット」。
ヴェネチアの観光名所からいくつか、まずリアルト橋。
ドゥカーレ宮殿。
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の銅像。
運河。
広場。どこだったっけ?
夕方、ヴェネチアからトリエステまで列車で移動、ここからまた夜行でローマに戻ります。
夜のトリエステ中央駅。
中は改装工事中でした。
今回の旅行では何回も利用したけれど、改めて2等クシェットの室内(夜の状態)。
長い旅ももうすぐ終わり。
イタリア最終日はいよいよメインイベントの高速鉄道、そしてミラノから再度スイス・チューリヒへ抜けて帰国の途に就く、のですが、最後の最後に大事件が待ち受けていました。
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《今日見た・聞いた・思った事》
4日間休んだ間に、日本で、世界で、不穏な事、悲惨な事が多発しているようです。
ボストンマラソンの爆発事件なんて、気がめいいっぱい滅入ってしまう、というのが本当の心境。
(正しい日本語になっているか?)
そもそも、今年のボストンは年明けから、色々な事がありすぎ。
JALのB787連続トラブルに始まり、記録的悪天候、インフルエンザ大流行で非常事態宣言、そして今回の事件…。
ボストンにもLRTがあるし、ニューヨーク経由ワシントンD.C行高速特急「アーセラ・エクスプレス」もあって魅力的な都市のようにも思え、昨年のJAL就航を機に行ってみたいなー、なんて密かに思っているのですが…。
三宅島の地震については、津波はなくて良かったけれど、今度は火山の噴火が心配?
先日の淡路島もそうで、皆「南海トラフ」って騒いでいるが、全然口にされない所で大きな地震が起こる傾向にあるように見えるのは気のせい?
(阪神大震災だってそうだったはず)
宮城でもまた震度5弱、一昨年の余震だって…。
もうイヤ、というのが、本当に正直な印象…。
《今日のニュースから》
アウン・サン・スー・チー氏 東大で公演 母国憲法改正の必要性を強調