№892 思い出の海外旅行クロニクル 4.1995年オーストリア 3
インスブルックの東約35㎞のイェンバッハからは、東西に2本のローカル鉄道が走り、どちらもSLが運行されています。
5日目はその両方に乗って、その後インスブルックに向かいます。
1995年 5月31日(水)
まずは北に向かう、アッヘンゼー鉄道。
純粋な観光路線で、初夏~秋のみの季節運転。
イェンバッハ駅では早朝からSLが準備をしていて、石炭の匂いがあたりに立ち込めていました。
途中までの上り急勾配では、SLが客車を押して走ります。
その客車。
車内には通路がなく、外から直接個室に出入りするスタイル。
出発すると、車掌は外のステップを渡って検札に回ってくる。
危ない!?何しろムチャクチャ遅い。
歩いた方が早いかも?と思う位ノロノロで森の中の急勾配を登っていきます。
SLが若干前のめりなのも、急勾配だからこそ。
サミットのイーベンで、SLが前方に付け替えられ、客車を引っ張っていきます。
平坦区間になるとその先は、山岳リゾートの佇まい。
湖畔に面した、終点のゼーシュピーツ駅。
みやげ物屋が入っている。
観光船に接続。
時刻表。
5月25日~11月1日の間は、SLは6往復運転。
(その前後は3往復)
硬券の乗車券。
往復220AUS。
一方、イェンバッハから南に延びるのが、ツィラータール鉄道。
こちらは日常の沿線住民の足としてディーゼルカーが走り、SL列車は観光用として走ります。
まず往路は、普通のDC列車に乗って行きました。
3連の内、最後部車両のみにエンジンが搭載されています。
アッヘンゼー鉄道とは異なって、特に急な勾配はない。
その車内。
終点のマイヤーホーフェン駅。
帰りはいよいよSL。
ごちゃ混ぜな小型客車16両。
ほぼ中間にあるビュッフェ車。
車内にはチロルの音楽が流れていました。
特に大げさなメニューはなし。
コーヒー25AUSだが、揺れるのでこぼれてしまうのはご愛嬌。
ツィラータール鉄道の絵葉書2種類。
夕方はインスブルックを経由し、イタリア国境のブレンナーを訪ねてみました。
ブレンナー駅の構内。
国境よりイタリア寄りにあり、イタリア語では「ブレンネロ」。
構内の各種表示もイタリアスタイル。
左側にイタリアのプッシュプルトレインがいます。
ブレンナー駅舎。
駅前の商店街の値段もイタリアリラ表示でした。
(AUSも使える)
インスブルック市内のホテルは、台湾からの団体でごった返していました。
開業したばかりのユーロスターにも乗ってきたみたいだった。
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1995年 6月 1日(木)
インスブルック市電や市内バスを乗り歩きます。
市電に乗りいれる小私鉄も。
インスブルック市電の、当時の新型。
その車内。
インスブルック市電の旧型。
街自体が比較的小さいからか、市電も2連接で小ぶり。
中央駅前の電停。
凱旋門前を行く1系統。
市電の内、6系統は、フンガーブルク~ベルギセル間を走る1系統の延長という形。
山岳路線まで直通するユニークな路線です。
ベルギセルから単線になり、森の中をグングン登って行きます。
木々の間からは、インスブルックの街並みもチラチラと見えます。
終点のイーグルスは森の中の静かな住宅地。
鳥のさえずりが聞こえてきました。
インスブルックにはもう一つ、小私鉄STB(シュッツバイタール鉄道 Stubaitalbahn)の路線があります。
中心部の3㎞は市電の線路に乗り入れます。
日中は50分間隔の変則的なパターンダイヤ。
電車も市電に似ているが、こちらは前後に運転台があるシャトルタイプ。
その車内。
右側のカウンターには、当時は車掌が乗って乗車券を発行していました。
フルプメスまで、往復68AUS。
スミマセン、ここもいきなり終点のフルプメス。
夫婦で切り盛りするビュッフェがあって、地元の人々らしき客と談笑しています。
コーヒー等が楽しめました。
ただし、駅員はいないみたい。
申し訳ない事に、ここも車窓の写真がないので、絵葉書でご勘弁を。
今回は市内バスにも乗ってみました。
このサイドでは解らないが、3ドアのワンステップ車。
その車内。乳母車のスペースも設けられています。
市内では、新色のノンステップ車も走っていました。
大型車だが、とんでもなく狭い道も入っていきます。
中央駅からのA系統の終点、ヘッディング・ザドラッハ。
丘の中腹の住宅地。
市内観光もしてみました。
市の塔。
20AUSで登れます。
実際にはそれほど高くはないはずだが、狭いのと柵が少し低めのせいで、結構恐怖心を煽られる感あり。
市の塔のてっぺんから見下ろす「金の屋根」。
さらにインスブルック市内。
大聖堂。
ヘルブリングハウス。
アンナ記念柱。
最後に、インスブルック中央駅。
お気づきの方も多いと思うが、ウィーン南も、グラーツ中央も、リンツ中央も、そしてここも、オーストリアの大駅は、他のヨーロッパ諸国のターミナルのような重圧な駅舎ではなく、中央部にガラス張りの吹き抜けを持つ構造になっています。
アルプスを望む、インスブルック中央駅ホーム。
ノルトケッテの山々が、まるで壁のよう。
インスブルックはイタリアだけでなくドイツも近く、小さいけれどクリーム+青色のDBのELがいるのが解るでしょうか。
オーストリア国鉄の電化方式はDBと同じで、機関車の相互乗り入れも行われています。
今回この記事を作りながら思ったのだけれど(ひょっとしたら当時もそう考えたかも知れない)、大きすぎず、小さすぎず、インスブルックの街は、私自身にとってちょうど良い規模の街なのかも知れません。
交通の便もそこそこ良いし、風景も美しいし、人が多すぎてゴミゴミしてもいないし。
今回のオーストリア旅行は、早くも終わりが近づきました。
翌日は早起き、朝6時過ぎのICでウィーンに戻り、KLMとJALを乗り継いで帰国の途に就きます。
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《今日見た・聞いた・思った事》
最近のドイツのプロサッカー「ブンデス・リーガ」は日本人選手の多数移籍で馴染みになっているが、ご多分に漏れずサポーター同士の乱闘が後を絶たず、特に会場への行き帰りの足の鉄道で治安対策が問題で、連邦警察の負担は限界になっていると、BSで放送されていたドイツのニュースが伝えていました。
警察の監視カメラには、試合開始の4時間も前だと言うのに、駅では相手サポーターに憎悪むき出しの罵声を浴びせ、殴り合いまでする連中の様子が映し出され、覆面・武器姿の者もいて、ホームから線路に転落する者もいました。
警備は限界だと、警察は各クラブに特別列車(サポーター専用列車?)に金を出してくれるよう要請しているとの事。
連邦警察長官は「選手やクラブ幹部に高額の報酬を出すのなら、同じ程度の金額を特別列車の運行に当てるべきだ」と話していたが、クラブ側は負担が重くなるとして、必ずしも協力的ではない所もあるとの事。
試合の後のDBの列車の様子も映し出されたが、座席も洗面台もボコボコで汚物だらけ。
たかだかスポーツの観戦だろ?と思う私は甘いのでしょうか?
でもこのままでは、家族連れなど、単に試合を楽しみたいだけなのに、という人々は会場に近づく事すらままならず、リーグ全体としてまずい傾向なのでは?
日本のJリーグは、決してこんな事にはならないように…!
《今日のニュースから》
安藤勝己騎手引退セレモニー 笠松競馬場で開催