№890 思い出の海外旅行クロニクル 4.1995年オーストリア 1
「思い出の海外旅行クロニクル」の4回目は、1995(H6)年5月~6月のオーストリアです。
前回のスイス旅行の帰りをウィーン経由として、オーストリアに足を踏み入れていましたが、今回はオーストリア一本で訪れました。
ただし8日間と比較的短かったため全国津々浦々ともいかず、いくつかポイントを絞りました。
今回のプランニングも、前回のスイス同様、
「ヨーロッパアルプス 鉄道の旅」(長真弓/講談社カルチャーブックス)
を参考にしています。
これを読んで、プランを決めた、という部分もありました。
鉄道の乗り歩きを中心に地方を巡るプランを組んだため、ウィーン市内巡りは次の機会です。
20年も経てば日本も海外も、色々なものが様変わりします。
オーストリアとて例外ではなく、現状は旅行当時と大きく変わった所が少なくありません。
ある程度ネットで調べ、他の方のWebサイトを参考にして簡単に現状について書いた部分もありますが、基本的には当時の様子をそのまま記していますので、あらかじめご承知置きを。
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1995年 5月27日(土)
ウィーンまでのルートはちょっとひねって、前年9月に開港した関西空港を経由、羽田→関空→ロンドン→ウィーンとしてみました。
羽田発関西空港行のJAL113便、B747-300。
羽田8時30分発、関空9時45分着というダイヤでした。
当時のA滑走路・R/W34を離陸して右旋回してUターン。
右手に見下ろす羽田空港は、新C滑走路と第2ターミナルの造成工事の真っ只中。
当時は国内幹線でもある程度のリフレッシュメントサービスがあり、この便では一口サイズのサンドイッチとピザ風味のデニュシュ、パックの紅茶がサービスされました。
大手でコーヒー一杯さえ有料だった事もあった現代から見れば、いい時代でした…。
南紀白浜。
3月にジェット新空港が開港したばかり。
みさき公園をかすめるように降下し、ちょうど1時間のフライトで関空に着陸。
関西空港の国際線カウンター。
開港したばかりとあって、さすがに真新しくて斬新。
5月の終わりにしては旅客が多い。
1月17日の阪神大震災から半年も経っていないが、これを見る限り、大きな影響は感じられない。
関西空港に集う国際線フリートから、フィンエアーのDC-10「ムーミン」。
開港当時、JALは関空からヨーロッパへ、1日1便の就航がありました。
曜日によってロンドン・パリと行先が異なり、土曜日は421便ロンドン行。
関空11時40分出発、ヒースロー16時15分到着。
B747-400でアッパーデッキに乗ったのは初めて。
なんだかカマボコを連想させます。
管制の指示とかで、15分遅れて出発。
誘導路はあちこちひび割れの補修がされていました。
震災の影響でしょう。
離陸から5分ほどで明石上空。
左手後方に、当時は工事中だった明石海峡大橋を見ます。
震災の影響は…やはり上空からでは解らない、というのが率直な印象。
離陸後、1回目の食事。
牛フィレ肉ガストロノフ風ソース、フレッシュサラダ・サウザンアイランドドレッシング、シフォンケーキ、ロール・バター、日本風味(麺、白いご飯、玉子焼き、漬物)、コーヒー・紅茶・緑茶。
関空離陸から7時間30分程度で、ウラル山脈上空。
到着前の食事。
シーフードクレープ、フレッシュサラダ・和風胡麻風味ドレッシング、フルーツ、グァヴァプディング、コーヒー、紅茶、緑茶。
ドーバー海峡を越え、ヒースロー空港着陸の直前にロンドンの町並みを見下ろします。
中央を流れるのはテムズ川。
12時間強のフライトで、ヒースロー空港ターミナル3に到着。
ウィーン行BA便はターミナル1から出発するが、一旦「コネクションセンター」なる所へ行く必要があり、バスで移動。
ここでまた荷物検査を受けた後、次の搭乗券を受け取る事になります。
(ターミナル1はコネクションセンターと同じ建物)
ヒースローは全体的にボロく、雑然とした印象が否めなかった。
工事中という事もあっただろうが…。
ウィーン行BA706便が出発する38番ゲートも、インテリアがどこか安っぽい。
BA706便はB757-200。
№807で少し書きました。
ほぼ定刻に出発、R/W27Lからテイクオフして左旋回すると、広大なヒースロー空港全体を見下ろす事ができます。
機内食はハム中心の軽食。
B757のキャビンは、どこか古ぼけているようにも感じられました。
ヨーロッパの夏は昼がとても長くてビックリさせられるが、21時近くになると、さすがに夕暮れになってきました。
時差のせいで頭がもうろう…。
半年振りのウィーン・シェベヒャート空港も、まだぼんやりと明るい…。
到着するとコクピットのドアが開け放たれていて、撮影をお願いすると即OKしてくれました。
「9.11」6年前の良い時代…。
ターミナルまではバス移動になりました。
南駅まで空港バスで向かい、駅から徒歩15分のホテルに投宿。
さっさと床に就きました。
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1995年 5月28日(日)
南部のグラーツへはゼンメリンク経由でダイレクト、ではなく、ハルトベルク経由の裏道を走る急行に乗ります。
ウィーン南駅。
2009(H21)年に新駅工事のために廃止になったそうだけれど、当時は南部へ向かう始発駅でした。
行き止まり式のホームが左右2箇所に分かれていて、グラーツ方面は左側の3階・16番線から出発します。
ハルトベルク経由グラーツ行の急行E1851列車。
客車7両だったが、前4両はミュルツツーシュラーク(ゼンメリンクの先にある町)行で、後の3両がグラーツ行。
ウィーナー・ノイシュタットで切り離され、こちらはDLが反対側に連結されました。
なんと重連。客車たった3両なのに。
風光明媚な田園地帯。
確かに急勾配が連続するようになって、オメガカーブで今走ってきた所を見下ろすような区間も。
車窓も美しい。
ウィーンから約4時間40分でグラーツ中央駅に到着。
午後は市電乗り歩き。
グラーツ中央駅。
グラーツ市電の、当時の最新鋭。
その車内。
旧型はいくつかタイプがあって、これは2連接で前ドアが広くなっています。
中央駅前にある、市電・市バスの案内小屋。
1日乗車券。36AS(オーストリア・シリング)。
日曜日の市電はどの系統も15分間隔、平日の半分。
いくつか電停を御覧頂きます。
中央駅近くのエッゲンベルガー・ギュルテル電停。
ガラス張りの上屋が斬新に感じられました。
3系統の終点、クレンガッセ。
メインストリートから外れた、街路樹が並ぶ美しい場所。
住宅地でしょうか。
ハウプトプラッツ電停。
7系統の終点、ヴェッツェルスドルフ電停。
こちらも閑静な住宅街。
市内バスと接続。
1系統は途中からローカル線のような専用軌道の単線となり、停留所付近以外は草ぼうぼう。
終点のマリアトロスト電停付近も、田舎と言う感じ。
「市電保存館」なる、車庫みたいな建物があったが、開いていなかった。
電停の近くには「Mariatrost Basilica」という大教会があるが(山の上に見えます)、坂道をフーフー言いながら登っていかなければならない。
その坂道の途中で見かけた、キリスト像?
「Mariatrost Basilica」。
中は驚くほど涼しい。
何しろ街中が案外暑かったので。
グラーツの市内バス。
ネオプランのノンステップ車。
この日はユースホステルに宿泊。
翌日は電車特急でリンツを目指します。
当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
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三連休はどこも賑やかだったようですが、個人的には年のせいか、人込みがだんだん苦痛に思えるようになってきました。
海外でも、日本でもいいから、静かな所に行きたいな…。
《今日のニュースから》
セントレア制限区域 写真撮影趣味の女性航空ファンに特別開放
こういうイベントも良いのだけれど、何回か旅行記に書いている通り、最近は地方空港を中心に、展望デッキに明らかに中途半端な「柵」が設けられて、撮影環境が悪くなる傾向にあるので、そちらの方を何とかして欲しい。
セントレアの展望デッキは、まだ良い方だと思いますが。