№871 思い出の海外旅行クロニクル 3.1994年スイス 3

画像

 昨日はお休みしましたが、1994(H6)年スイス旅行の「クロニクル」、続けます。
 この日はMOB(モントルー・オーベルラン・ベルノワ鉄道 Monteux-Oberland Bernois)のグシュタードからポストバスで峠越えして反対側の小私鉄に乗車。
 ヴェヴェイに泊まって、翌日から4日間はフランス語圏の私鉄や路面電車を訪ねます。

1994年10月24日(月)
 夜な夜な廊下で他の客?らがガンガン騒ぎまくってうるさいのなんの。
 おかげで寝不足気味。

画像

 2年前の乗り継ぎ(№820)でも御覧頂いたが、改めてツヴァイシンメン駅。
 MOBとSEZ(シュピーツ・エーレンバッハ・ツヴァイシンメン鉄道 Spiez-Erlenbach-Zweisimmen)の接続駅。
 前日は既に暗くなっていたから後回しにしていましたが、先にSEZを訪ねてみました。

画像

 改めて、シュピーツ駅。
 南北を結ぶ幹線と、「ゴールデンパス」の十字路に位置します。

画像

 トゥーン湖。

画像

 SEZの電車。
 国鉄の近郊形と同系。

 ツヴァイシンメンに戻って、MOBに乗り換え。

画像

 シェーンリード駅。

画像

 フランス語圏に入ってシャトー・デー駅。
 改築されたばかりなのか、きれいでした。
 MOBは、ここで降ります。

画像

 MOBの絵葉書。
 塗装が若干異なっていて、旧塗装?

画像

 ここからポストバスで峠を越え、ル・セペーに向かいます。
 せっかくのバスなのに、車窓の写真が全くありません。ゴメンナサイ。

 ASD(エーグル・セペ・ディアブルレ鉄道 Aigle-Sepéy-Diablerets)はエーグルとレ・ディアブルレの間を、ル・セペー経由で結ぶ鉄道ですが、途中レース・ブランヘスからル・セペーに向かい、進行方向を変えて再びレース・ブランヘスからレ・ディアブルレに向かう線形です。
 ところが、半分程度の列車はル・セペーに寄らず、レース・ブランヘスでスイッチバックしてレ・ディアブルレ(またはエーグル)に向かい、ル・セペーとの間はバス代行になります。
 シャトー・デーからのポストバスがル・セペーからそのままその代行バスになって、レース・ブランヘスまで走りました。

画像

 そのレース・ブランヘス駅。
 といっても何だか、路面電車の電停に毛が生えたような雰囲気。
 スイッチバックの際のポイント切り換えは、運転士の仕事です。

画像

 ASDの電車。

画像

 この区間は、グランドオーの谷を高い橋で渡ります。
 この橋が、これまた路面電車的な併用軌道。

画像

 終点のレ・ディアブルレ駅。
 雄大な感じがします。

画像

 帰りの電車はル・セペーを経由して行きます。
 ちょうど学校帰りの時間になり、子供達を乗せてきたポストバスが3台もいました。
 電車は所々、なんと駅ではない所で降ろしてもらっていました。
 いくら路面電車的、とは言ってもねぇ。

画像

 谷を下ってたどり着いたエーグルは、国鉄の駅前の広場に、ASDと他2私鉄の電車が発着。
 左はAOMC(エーグル・オロン・モンティ・シャンペリ鉄道 Aigle-Ollon-Monthey-Champéry)、右はAL(エーグル・レザン鉄道 Aigle-Leysin)。
 どちらも面白そうだが、残念ながらもう夕方。
 国鉄でヴェヴェイに移動し、駅前のシャワー・バス・トイレ共同の安宿に投宿しました。

********************

1994年10月25日(火)
 午前中はCEV(ヴェヴェイ電気鉄道 Chemin de fer Electriques Veveysans)を訪ねました。

画像

 当時はスイス的デザインの電車が単行で走っていました。

画像

 車内は簡素なビニールシートが並び、テーブルには路線図が書かれています。

 ヴェヴェイを出ると、グングン山を登っていきます。
 スピードが全然出ない。

画像

 その名の通りブローネイ城がすぐそばにあるシャトー・デ・ブローネイ駅。

画像

 中間の主要駅、ブローネイ。
 ここから先はスイスパスが通用しません。
 ラックレール区間となり、まるで散策路の中に線路が敷いてあるよう。

画像

 終点のレ・プレイヤード駅付近は人影がほとんどない。
 モンブランやレマン湖、ヴェヴェイの街、農村地帯の眺めが素晴らしい。
 付近は鳥のさえずりの他はほとんど何も聞こえず、静寂そのもの。

画像

 モンブラン。

画像

 レマン湖。

画像

 車窓から改めて、ブローネイ城。

画像

 ヴェヴェイで買った絵葉書から。
 ファイオー付近だそうです。

画像

 ヴェヴェイ駅。

画像

 ここから国鉄の列車をプードゥで乗り継ぎ、北のパレジューへ向かいます。

画像

 パレジュー駅。

画像

 駅前の広場から出発する私鉄は、当時はGFM(フリブール・グリュイエール-フリブール-モラ鉄道 Chemins de fer Fribourgeois Gruyère-Fribourg-Morat)と称していました。
 地方私鉄としては大規模な路線網を持ちます。
 当時のGFM路線全線を、2日間かけて訪ねました。

画像

 GFMは標準軌(レール幅1,435㎜)とメーターゲージ(1,000㎜)、両方の路線があり、これはメーターゲージ路線の電車。
 前日のASDの電車と同系。

画像

 その車内。

画像

 パレジューからのメーターゲージ路線の終点、モンボーヴォン。
 MOBと共用で、ツヴァイシンメンやモントルー方面へ乗り継いで行けます。
(ダイヤ上の接続はあまり考慮されていなかった様子)

画像

 一方、ビュルとの間を結ぶ標準軌路線は、ロモンを起点とします。
 そのロモン駅。

画像

 国鉄のロモン駅。
 スイスはどこも、駅舎がいいなあ。
 ロモンの町自体は意外に近代的なビルが多かったのですが、駅は集落から離れていて、連絡のバスが発着しています。

画像

 車窓はやはり素晴らしいです。

画像

 やけに近代的な、GFMビュル駅。
 標準軌線とメーターゲージ線が合流する、GFMネットワークの拠点です。
 この日はビュルに宿泊します。

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 なお、当ブログに寄れない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

《今日のニュースから》
安倍首相 フェイスブックに公式ページを開設

この記事へのトラックバック