№835 思い出の海外旅行クロニクル 2.1993年北欧4ヶ国 4
飛び飛びになってしまいましたが、1993(H5)年北欧旅行のクロニクル、続けます。
マルメからの夜行列車で、ノルウェーのオスロへ向かいました。
1993年10月28日(木)
当時はスウェーデンとデンマークを隔てるエーレ海峡を越える鉄道の開通がまだで、コペンハーゲンからスウェーデン各地に向かう列車は、ヘルシンゴア(デンマーク)~ヘルシンボリ(スウェーデン)間はフェリー航送でした。
(最後半で私も乗ります)
マルメから出発したオスロ行夜行は、ヘルシンボリでコペンハーゲンからの6両を迎え、複雑な入れ換えを繰り返して、客車10両の堂々とした編成になりました。
しかしエーテボリでストックホルム行を切り離し、別に1両加えたものの、客車6両となって、オスロへ向かいます。
ノルウェーに入り、モスで急に乗客が増えました。オスロへの通勤でしょうか。
そのうちの一人が読んでいた新聞には、ナムソスでウィーデロー航空機が事故を起こしたと伝えていました。
(詳細はちょっと不明です)
ノルウェー中央駅は少々遅れて到着。
一息つく間もなく、ベルゲン行き61列車に乗り換え、ソグネフィヨルドを訪ねます。
指定券。
北欧、特にスウェーデンとノルウェーは全体的な列車本数が少ないためか、大半の列車で事前の指定券の確保が必要になります。
西に向かうに連れて、だんだん景色が荒涼としてきました。
オール駅は、島式ホームの真ん中に駅舎があります。
さらに進むと木々が少なくなり、雪が見られるようになりました。
ウスタオーセを過ぎると、木々がほとんどなくなりました。
こういう光景は見た事がなかったから、驚きの連続です。
当時はショートカットの新線の工事中でした。
ミュルダール駅。
カール地形の中にある、と言えば、山が好きな人は解るでしょうか。
ここで降りて、ソグネ・フィヨルドの麓、フロムへ行く支線に乗り換えます。
駅付近は人家がほとんど、と言うか全く見当たらないのだけれど…。
フラム支線はプッシュプルトレイン。
当時はパス類でもそのまま乗れました。
(今はNSB(Norges Statsbaner)とは別の運営会社になり、パスは割引での乗車。いずれ再び取り上げるでしょう)
本来は途中、滝がある駅で途中停車して見学してもらうはずなのですが、水の量が少なかったからか、減速するだけで通過でした。
終点、フロム駅の前に広がる、ソグネ・フィヨルド。
湖と錯覚してしまいますが、なめてみるとしょっぱいので、海の続きだとわかります。
たまに大型クルーズ船も入ってくる事があります。
今回は列車でそのままミュルダールに戻りますが、9年後の再訪ではここから船とバスでヴォスまで周遊します。
これもいずれ書くでしょう。
ノルウェーでは翌1994(H6)年、リレハンメルで冬期オリンピックが開催されます。
開催が目前に近づき、NSBの車両の大半に、オリンピックの装飾が施されていました。
ミュルダールからベルゲンに向かう急行の食堂車。
ベルゲン駅についた時には、もう夜になってしまいました。
とにかく北欧の秋~冬は夜が早くって。
そのホーム。
オスロへの帰りは、ここでも夜行列車。
2段式寝台2両・3段式寝台3両・2等座席車3両、それにサロンカー。
ただし、座席車からサロンカーへ行く事は出来ませんでした。寝台客専用?
座席車の車内。
深くリクライニングして、良く眠れそうです。
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1993年10月29日(金)
途中ミュルダールを出発する所とか、他のどこかの駅で長い間停車していた事は覚えていました。
街の明かりが美しかったドランマンで、東の空が赤みを帯びてきました。
夜明けのオスロ中央駅。
ガスが出ていて、外に出るとものすごく寒い…。
中央駅構内の、コンコース。
小型のSLが1台、静態保存されていました。
ところで、たまたま手にした地元の新聞のスポーツ面には、当時行われていたサッカーW杯(1994年アメリカ大会)の各地域の試合のスコアが記されていて、日本対イラクも掲載されていました。
2対2の引き分けに終わって日本の大会進出はならなかったのですが、同点にしたイラクの選手の名前の横の数字が「90」だったのには、唖然…。
ドーハの悲劇…!
ガスはすぐに消えて、青空が広がりました。
オスロ中央駅のホーム。
ホームに停車中の列車ですが、どこへ行く列車だったかな?
機関車にも五輪の装飾が施されています。
今日は1日かけて、市内交通を乗り歩きます。
24時間乗車券は35NOK(ノルウェー・クローネ)。
ノルウェー市電の、当時としては新型。
その車内。
単車の旧型で、2連で運行される事もあります。
旧型にはこの他にもいくつか別のタイプがあるようでした。
昔の市電の写真の絵ハガキ。
郊外電車「Tバーン」でも、15系統は相当年代物の車両が使われていました。
(1951(S26)年製だそう)
その車内。
この路線はホルメンコッレンを経由して、北部の郊外フロッグナーズタレンへ行く路線。
急坂を登っていくので、だんだん見晴らしが良くなります。
終点フロッグナーズタレンは標高469メートル?相当上った事になります。
こちらは14系統の電車でやや新型。
メジャーストゥーアン駅で撮ったのですが、注意したいのは、普通の架線と、第三軌条が混在している事。
具体的な事は解らなかったですが、Tバーンでは架線集電と第三軌条集電の系統が混在し、中心部の地下線では両方を併用しているようでした。
Tバーンは地下鉄という言い方もされるようですが、地下区間はあまり長くはなく、たぶん郊外をターミナルとした各鉄道を中心部まで直通させるために、両方式併用の地下線を建設したのではないか、そう見ています。
(神戸高速鉄道的な性格か)
一部の系統の郊外では市電とレールを共用、広電宮島線のような高低両方あるホームの駅も見られました。
この晩は4日ぶりに、地上のホテルに宿泊。
ところが少々体調を崩したようで咳が止まらず、夜中に一度目が覚めてしまいました。
翌日からは鉄道2本とバスを乗り継ぎ、3日かけてナルヴィクに向かう、ノルウェーにおけるハイライト、だと言うのに。
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