№838 思い出の海外旅行クロニクル 2.1993年北欧4ヶ国 7

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「3ヶ月」と言っていたイズミさんほどではないが、当方の旅も、2週間になろうとしています。
 夜行で到着したストックホルムで市内交通(特に軽鉄道)を乗り歩き、翌日はスウェーデンの高速電車「X2000」に乗車。
 夕方には最後の訪問国、デンマークに渡ります。

1993年11月 3日(水)

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 改めてキルナ・ルレオ発ストックホルム行夜行列車〈ノルトピレン〉。

 夜が明けて、イェーヴレの先のどこかの信号所で、行き違いのため5分程の停車。
 窓の外は…。

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 樹氷ですよ!

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 ストックホルム中央駅は、定刻10時21分の到着でした。
 上野のように、行き止まりと、スルーの両方のタイプのホームがあります。

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 ストックホルム中央駅のコンコース。

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 今回市内交通乗り歩きで利用した、24時間有効の「ツーリストカード」。
 56SEK。署名が必要でした。

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 ストックホルム市の地下鉄。

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 その車内。

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 地下鉄の駅の中から、クングストラッドゴーダン駅。
 王立公園に近い、ブルーラインの始発駅です。

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 ストックホルムの地下鉄の駅は、素堀りの通路にアートが施されていて一般にも有名ですが、この駅も例外ではありません。

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 ホームはかなり深いようで、エスカレーターがとにかく長いです。
 それと、トイレ(有料・5SEK)がなかなか見つからなくて困りました。

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 ストックホルムでの最大の目的は、軽鉄道「ノッケビー・バナン」に乗る事でした。
 ストックホルムは、昔は路面電車が相当走っていたそうですが、ほとんど廃止になり、観光路線で残っているだけになっていました。
 郊外を走る「ノッケビー・バナン」のみが、路面電車的な古い小型電車で運行されていました。

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 その車内。

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 終点のノッケビー駅。
 一つ手前のノッケビー・torg Sparv駅のほうが繁華街で、こちらはそれこそ、公園の中にあるような閑静な駅です。

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 遡って起点のアルヴィク駅。
 地下鉄のグリーンラインと同じホームでの乗換えが可能でした。

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 スウェーデンの市内バスは、今も昔も、赤が基調です。

 ストックホルムでは、この7年後の2000(H12)年に同じアルヴィクから、「トゥヴォル・バナン」が開通、ノッケビー・バナンにも共通の新型車両が導入されています。
 いずれ当ブログでも書くと思いますが、トゥヴォル・バナンについては本体でも簡単に記しました。

 この後は地下鉄にいくらか乗った後、郊外のホテルに宿泊。
 このホテルの最寄り駅に行く電車が、地下鉄とはまた違う郊外鉄道線なのですが、これもまた別の機会に書きます。

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1993年11月 4日(木)

 早起きして、バスと地下鉄を乗り継いでストックホルム中央へ、8時05分中央駅出発の高速特急X2000でエーテボリへ向かいます。
 8時前後といったら日本ではラッシュの真っ只中ですが、ストックホルムではどの交通もかなりの余裕が感じられました。

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 ストックホルム~エーテボリの、X2000の時刻表。
 当時は平日は9往復(1往復はウプサラ発着)、土曜日は朝方の1往復のみ、日曜日は逆に午後の4往復のみというダイヤでした。
 X2000、ひいては鉄道に限りませんが、特に北欧では土曜日の午後~日曜日の午前中で、長距離交通が大幅に減便になる傾向があります。
 これは現在でも変わらないので、北欧での週末の移動は要注意。

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 ストックホルム中央駅出発直前の、X2000の407列車。

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 3号車のビストロバー。
 音楽を流していました。
 飲食物の他、ネクタイピンなどの記念品なども販売しています。

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 名前は解らなくなってしまったけれど、ビストロで食した軽食。
 コーヒー・紅茶のお代わりは無料のよう。

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 X2000の車内。
 見た限り車内の仕様は、1等と2等では差を見出せませんでした。
 1-2配置の座席が並んでいます。
 オーディオのサービスもあります。
 1等ではカートによるミールサービスや、新聞・ヘッドホンのサービスがあるようで、この辺で差をつけているようでした。
 子供の遊び場はありませんでした。
 動力集中方式で客車はM車ではないが、時々床下から「キューン」という音が聞こえてきました。
 振り子方式だから?

 オーディオサービスにはラジオも入るのですが、ニュース(音声は英語)では、中華航空機が香港で事故を起こしたと伝えていました。
 拙い英語力では詳細はわからなかったのですが。

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 エーテボリ駅。
 今回エーテボリの地に足を踏み入れるのは2回目(行きの航空便の経由も含めたら3回目)。
 頭端式。

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 ここでも夕方まで、市電に乗って歩きます。
 24時間有効の乗車券は35SEK。

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 当時のエーテボリでは、これが一番新しいタイプでした。
 北欧らしく?どこか無骨です。
「Ej i trafik」とは、「回送」の意味、のはず。

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 その車内。

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 単車の旧型。
 たいていは2両連結です。

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 その車内。

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 中央駅前を行き交う市電。

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 6系統の一方の終点、Doktor Sydows Gata(読み方解らない…)電停。
 郊外の団地の中の終点です。

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 もう一方の終点、Aprilgatan。
 こちらも郊外の団地の近く、公園の中のような折返場。

 エーテボリの市電はオスロと並び、恐らく北欧では最大級のネットワークを持ちます。
 しかし純粋な路面電車区間は少なく、かなりの部分が郊外電車的な、専用軌道の区間でした。

 夕方になり、ステナラインのフェリーでデンマークのフレデリクスハウンへ渡ります。

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 所要3時間15分と青函連絡船程度しかかからないから、先のシリアラインほどの豪華さはありません。
 ですが設備は非常に充実しています。
 ここはカフェテリア。

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 エンターテイメントもあるのです。
 北欧の船旅、いいなあ。

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 当然北欧の夕方だから真っ暗になってしまったけれど、フレデリクスハウンが近づくと、街の明かりがオーラを発しているようにも感じられました。
 ターミナルは賑わっていたけれど、街自体は案外ひっそり。
 それでも鉄道の駅の近くにホテルを見つけて投宿。

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 今回乗船したフェリー「ステナ・ユトランディカ」の絵葉書。

 中華航空の香港での事故ですが、着陸しようとしたB747-400が滑走路をオーバーラン、その先の海中に突っ込んだという事でした。
 当時の香港は啓徳空港で、「香港カーブ」で航空ファンの垂涎の的ではあったものの、安全運航の面で問題が多く、度々事故も起きていたようです。
チェック・ラップ・コク空港への移転は1998(H10)年)

 フィンランド・スウェーデン・ノルウェーと来て、2週間で最後の訪問国、デンマークまで到達しました。
 フレデリクスハウンで一泊、翌日ICでコペンハーゲンに向かいます。
 ただし明日は「クロニクル」はお休み、次回は月曜日の予定。
 明日は違う事を書きます。

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 なお、当ブログに寄れない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

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《今日見た・聞いた・思った事》
 ジェットスター・ジャパン(JST)が、来月6日からの新ダイヤ移行を見送り、来年3月30日までの間に合計で262便が運休する事になりました。
「資格がない整備士に出発前の点検をさせていた」として国土交通省から厳重注意を受けた事を受け、関西空港ベースの設置を延期するためとしています。
 新規就航予定だった関空~沖縄線は12月22日に延期して時刻も大幅変更、成田~関空・成田~沖縄線でも運休や大幅な時刻の変更が発生する事になります。
 就航前から一部で懸念されていた新規LCCの弱さが出ていますが、国際線に進出済みのピーチやエアアジア・ジャパンも含め、まだ就航から半年そこらしか経っていないのに、どこか展開を急ぎすぎているのではないかという気がします。
 もう少しペースダウンして、じっくり事業拡大を図ったほうが良いと考えますが、色々な所に数多くのライバルがいるので、焦ってしまうのでしょうか。

《今日のニュースから》
パナソニック・ソニー両社 大手格付け会社が「投機的」水準に格下げ

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