№822 思い出の海外旅行クロニクル 1.1992年ヨーロッパ「入門編」 5〈終〉

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 初の海外旅行も終盤。
 TGVに乗ったのならこちらもだろうと、ドイツDBのICEにも初乗りです。
 ICEは、前の年(1991(H3)年6月)に営業運行を開始したばかりでした。

1992年10月24日(土)

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 フランクフルト駅。
 正確には「フランクフルト・アム・マイン」。
東、ベルリンの近郊に「フランクフルト・オーデル」がある)

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 フランクフルト駅のホーム。
 左はICE、右の奥に見えるのは103型。

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 ウィーン行の「EC」(国際特急)〈ヨハン・シュトラウス〉号。
 オーストリア国鉄(ÖBB)の編成です。
 この列車のコンパートでヴュルツブルグへ向かい、ローカルに乗り換えてミュンヘンへ。

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 ミュンヘン中央駅のコンコース。

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 ミュンヘンといえば、ソーセージとビールですよねー。

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 日本でも藤沢駅の売店が湘南電車を模していますが、ミュンヘン中央駅のキャンディ専門の売店は、機関車を模したユニークなスタイルです。

 ミュンヘン13時53分発のブレーメン行でICE初乗りです。
 当時のICEの時刻表は手元に残っていますが、この時点でミュンヘン~ヴュルツブルグ~ハノーファーが60分間隔、その先ハンブルグ発着とブレーメン発着が交互、というダイヤ。
 他にミュンヘン~フランクフルト~ハンブルグが60分間隔。
 ネットワークとしては、まだまだこれから、という段階でした。

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 2等車ですが、居住性はTGVと比較して圧倒的に上だと感じました。
 旅客機のようなオーディオ・プログラムもあります。

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 本格的な食堂車もあります。
 車体が大きい事もあって、厨房が真ん中にあり、反対側は立ち席中心のBARスタイルになっています。
 インテリアが素敵です。

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 食堂車で食べたランチ。スパゲッティとサラダ。

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 客室には、ハンガーもあります。

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 検札する車掌は女性。
 ドイツでは、日本よりはるか昔から、女性が鉄道業界に積極的に進出していたのでした。

 この後ハノーファーからパリに戻るのですが、真に遺憾ながら、どうやって帰ったか記憶にありません。
 夜行列車の座席だったろうとは思いますが、ディティールが浮かばない…。

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1992年10月25日(日)

 この日の晩にパリを出発するJAL便で帰国の途につく事になりますが、昼間はまだ動けます。
 とはいえあんまり遠くにも行けないし、時刻表を読んで、パリ→アミアン→ルーアン→パリと乗り歩く事としました。

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 スミマセン、いきなりアミアン駅です。
 この駅は一昨年にも訪れて、№381で書きましたが、当時は駅前の大きな屋根はありませんでした。

 アミアンからルーアンまではローカル列車。
 確かDCの2連で、本数が非常に少ないのに複線だった事に違和感を覚えた記憶があります。

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 ルーアン(・リブ・ドロット)駅。
 №389で書きましたが、こちらはほとんど変わっていないようです。
 駅前が工事中でしたが、今にして思えば、LRT(地下線)の工事だったのでしょうか。

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 パリのサン・ラザール駅。

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 サン・ラザール駅構内の近郊電車。
 この電車も、一昨年の時点ではまだバリバリ現役の様子。

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 帰国の途に就きます。
 第1ターミナルの搭乗口に、たまたまこれからJL406便に乗るキャビンクルーがいたので、「羽田のように、旅客機を見物できる場所(展望デッキ)がCDGにあるか」と質問してみたのですが、無いようです(実際に無い)、との返答に少々ガッカリした記憶があります。
 こんな質問自体、すでに旅客機への興味が芽生え始めていた証しかも知れない。

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 JL406便の、離陸直後の機内食。
 ところでポケットの新聞に「熱血(始動)」「秋の宮崎」の文字が見えますよね。
 この年のオフに長嶋茂雄さんがジャイアンツの監督に復帰、秋季練習から指揮を執っていたので、それを1面で報じている報知新聞です。
(日本から搭載されていた)
 ちなみにこの旅行の最中、西武vsヤクルトの日本シリーズが行われていました。

 この後免税品販売があり、それからキャビンの明かりが消されて延々夜間飛行が続きます。

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1992年10月26日(月)

 しばしの眠りの後、窓のシェードを開けると、いきなり外がまぶしくてビックリ。

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 シベリア上空。

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 到着前の機内食。

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 成田空港到着。
 つつがなく、初の海外旅行は終わりました。

 初の海外旅行では、後々の趣味の世界を大きく変える事となりました。
 海外に積極的に目を向けるようになった事、旅客機の趣味に目覚めさせた事です。
 最も海外旅行の行先は、しばらくはヨーロッパだけになるのですが。

 それにしても、メモ書きが見当たらなかった事であやふやな記憶ばかりを頼りにせざるを得なくなり、非常に見苦しくさせてしまったことは申し訳なく思います。
 書いてみて改めて痛感したのだけれど、「画像」がメディアの中で一番雄弁であるかのような錯覚も最近はあるのですが、やなり「テキスト」次第ですよね。
 画像の性格は、テキストによって大きく変わってしまいますから。
 次回のクロニクルは、1993(H5)年の北欧について、11月に書く予定です。
 北欧はメモ書きが残っていますから、もう少しマトモなものが書けると思います。

 今回の連載は、

「世界のスーパーエクスプレス」(三浦幹男・原口隆行)
「スイスの鉄道」(長真弓)
(いずれもJTBキャンブックス)


等を参考にさせて頂きました。


 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

《今日のニュースから》
洋上風力発電の実験用風車 千葉県銚子沖で公開

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