№734 2年ぶり 秋田を訪ねて 2.由利高原鉄道再訪

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5月21日(月)
 今回の旅の最大の目的は、由利高原鉄道の再訪でした。
 由利高原鉄道は何度か訪れていて、前回2年前の4月の訪問は№196で書きましたが、あの時はあいにくの天気でした。
 今日は快晴という予報で期待できそうです。

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 由利高原の前に、羽後本荘駅近辺でバスを撮ります。
 その中でおやっと思ったのがこのバス。
 庄内交通の、多分昼行高速バスだと思うのですが、どうやら酒田南高校のスクールバスの運用のようです。
 こんな場所から…?

 ところでこの日の朝はご存知の通り、太平洋側は「金冠日食」の大フィーバーで、羽後本荘駅の待合室のTVでも中継していました。
 関東地方は場所によって明暗が分かれたようですが、事前の予報よりは見られる場所が多くなったようです。
 秋田県は金冠日食ではありませんが「部分日食」にはなり、最大日食時には相当暗くなりました。

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 矢島から来た、羽後交通バス。
 貸切格下げと思われる、小型車。
 先に書いてしまうと、翌日も同じ時刻でやってきたので、ダイヤ限定かも知れません。

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 7時46分発3Dで出発。
 YR2002+YR2001の2連。
 左側3番線は秋田行533M。

 まず黒沢で下車してみます。

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 由利高原鉄道では前回訪問の頃から各駅の駅舎の建替が進められていますが、黒沢駅も同様に建て替えられていました。

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 待合室には、由利本荘市製作の津波ハザードマップが掲げられていました。
 これに寄れば、津波の規模によっては黒沢駅周辺も決して安全ではないようです。
 海岸からは遠いし、山に囲まれているので津波はイメージしにくいのが正直な感想ですが、一方で秋田県でも日本海中部地震で男鹿半島が津波の直撃を受け、小学生が多数犠牲になった、と言う事もあるので油断はならないよなあとも感じたりしました。
(このマップは、由利本荘市の公式Webサイトでも見られます)

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 次の5Dが、YR1501の単行で接近してきました。

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 YR1501は初列車の2D→1DではYR1502と2連を組んでいましたが、矢島から単行になって6Dで折返し、さらに羽後本荘から来た所です。
 YR1500は、YR3000形デビューにより、既に2両が廃車になっているとの事。
 撮って、乗るのは今の内。

 ここで一旦羽後交通バスに乗って、子吉駅まで戻ります。

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 この秋田200か652号車は、多分臨港バスで、前方はサイドシートになっています。
 乗客は顔なじみの高齢者が大半だろうから、案外サロン風にも感じられて、悪くないかも。
 子吉駅前にあるバス停は「玉ヶ池」。

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 子吉駅も、駅舎が建て替えられていました。
 立替前から駅舎に簡易郵便局が入っていたと言う事は№196でも書きましたが、新駅舎では、というより何だか郵便局が駅舎を兼ねているという感じ。
(郵便局が開いていない時は、脇の通路を利用するよう)

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 この駅舎は去年の暮れに立替が完了したようです。
 その記念植樹がありました。
 5年後、10年後にはどこまで成長するでしょうか。

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 子吉からは7D(YR1502)に乗って、薬師堂まで戻りました。
 この列車、ごく普通のローカル便のはずですが、「おばこ」姿のお姉さんが乗っていて、お客さんに手取り足取り色々教えていました。

 薬師堂駅も既に駅舎が建て替えられている事は、これも前回書きました。
 ここにも記念植樹がありました。
 それにしても、「こどもの日」はとっくに過ぎているのに、各駅とも駅前にはいまだ鯉のぼりが泳いでいます。
 列車は折返しの7D。

 さらに羽後交通バスで一度羽後本荘駅に戻って、羽後交通のバスを撮ります。

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 11時52分発の9Dは、YR2001の単行。
 前回乗ったときは「釣りキチ三平」のラッピング車でしたが、今回は「宇宙戦艦ヤマト」に衣替えしていました。

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 その車内。
「ヤマト」のキャラクターに鯉のぼりや星座と、どうにもチグハグな印象がぬぐえません。
 何より乗客がまるでいない。
 私の他には1人だけ。
 子吉で一人乗ったけれど、前郷で一人降りて、3人を越える事なく矢島に着く事になりました。
 平日の昼間と言う事もあるが、どうにも不安だなあ。

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 それは並行する羽後交通のバスの影響もあるだろうと思えます。
 この9Dの6分前には矢島(経由鳥海菜(さい)ランド)行の便があり、ほとんど同時刻で抜きつ抜かれつになります。
 子吉~鮎川では、ちょうど羽後本荘行の便とすれ違う光景が見られました。
 私が知る限り、現状で全線バスと併走する第3セクター鉄道はこの由利高原鉄道だけなのですが、この点は鉄道・バスが話し合ってダイヤをある程度は調整するとかはしないと、そんなに乗客が多くないエリアでは共倒れでは…。

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 2年ぶりの矢島駅です。
 2年前は曇り空だったけれど、今日はスッキリ青空。

 駅の中にある観光案内所では、「おばこ」役として乗務するという佐藤さんが「さくら茶」を振る舞ってくださいました。
 一昨日・昨日(5月19・20日)は秋田内陸縦貫鉄道の「秋田内陸のりものまつり」に参加されていたそうです。
 いろいろあれこれ話を聞いてみたが、去年の東日本大震災の時、由利高原鉄道はちょうど矢島・羽後本荘とも列車が出発する直前で、しばらくは停止していたものの、すぐに運行を再開できたと言う事です。
 黒沢駅のハザードマップが頭にあったので、津波の話も出すと、「川を遡ってくるので怖いわよ」(沿線はほぼ全線子吉川に沿っている)とも。
 確かに去年の大津波も、川を遡った津波が被害を拡大させたという部分がありました。
 それと、こどもの日が過ぎても各駅に鯉のぼりが泳いでいるのはどうして?とも聞いてみましたが、旧暦の名残りなのだそうです。
 こんな話が聞けるのも、田舎巡りのいい所でしょうか。
 最後に、秋田内陸のイベントでもらってきたという「バター餅」をプレゼントして下さいました。
 お礼に使用済み乗車券が入っているという缶詰を購入します。

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 1缶500円ですが、お分かりの通り、在籍する車両のカラー4種を再現しています。
 なので合計で4缶(2,000円)購入しました。
 どんなものが入っているか、来週書いてみたいと思います。

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 矢島駅を出発する、YR2002。

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 改めてYR2001。
 あくまで個人的な意見なのだけれど、純粋なローカル鉄道に、こういうラッピングはやっぱり合わないと思うけれどなあ。
 もっとオリジナルのカラーを大切にして欲しい。

 ところで、このYR2001は矢島14時50分発の16Dで出発しました。
 しかし、Webサイトに寄れば、この列車から新型YR3000が運用に入るはず。
 この点について佐藤さんが駅の人に聞いてくれたのですが、検査のため3日間運用を休止するという事でした。
 残念ですが、まあこれからの形式だし、この後赤・青のカラーも出てくる事でまた再訪する事になるはずだから、そこに期待しましょう。

 矢島駅前からの羽後交通バスは、ローカル路線が全てなくなり、「鳥海菜ランド」行のみ、本荘からの便の一部が直通する形で運行されるだけになっています。
 その「鳥海菜ランド」行に乗ってみました。
 これまで見た事がなかった行先でしたが。
 駅前からの便は国道から外れ、旧道沿いの集落によりながら鳥海総合支所を経由。
 終点の「鳥海菜ランド」は、再び戻った国道沿いにありました。
 観光物産店のようです。
 その傍らの広場が折返場になっていました。

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 ここには上野宅行の白ナンバーのポンチョが待っていて(新車、ポスト新長期規制だ)、乗客がパラパラ乗り継いで行きました。
 上野宅って、確か以前は羽後交通バスの行先にあったはずだが、帰宅後色々調べてみたら、どうやらこの4月からこういう運行形態になったようです。

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 バス停からは鳥海山が存分に眺められます。
 矢島へ戻る途中、鳥海総合支所から別路線のワゴン車が出て行くのが見えました。

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 この本荘~矢島~菜ランドの便は、矢島付近で一部区間を重複して運行します。

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 その重複する区間にある豊町バス停ですが、古い時刻表(下)が残されたままなのがちょっと問題。
 他のバス停にはなかったので、撤去し忘れ?
 これ時刻表からも、この運行形態になったのがこの4月からだった事が解ります。
 矢島案内所からのローカル線が自治体運営のコミュニティバスとなり、代わりに本荘からの路線が総合支所を経由して鳥海菜ランドまで直通運行して自治体の白ナンバーの路線に接続、という形になっているのでしょう。

 矢島17時45分発22Dで、今回は羽後本荘に帰ります。
 YR2002の単行。

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 YR2002の車内。
 イベント対応ですが、車内はほとんど学生。

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「おばこ号」の案内。
 先の佐藤さんのチャーミングな姿も映っていますね。
 またお会いできる日を楽しみにしております。

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 前郷でYR2000形同士の交換。

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 由利高原鉄道からの鳥海山は、とりあえず今回はこれで見納め。
 YR3000形が3色揃った時点で、また訪れる事にしましょう。

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 夕焼けに染まる羽後本荘駅。
 今日はこの町に泊まります。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

 相当闘病生活が長期化されたようです。
 ご冥福をお祈り申し上げます。
《今日のニュースから》
「ひげの殿下」三笠宮寛仁様 ご逝去

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