先日資料をひっくり返していましたら、昔の都営バスの路線図がいくつか見つかりました。
今回は1985(S60)年発行(と思われる)の「都バスガイドブック」を基に、過去の都営バス路線を簡単に振り返ってみようと思います。
「都バスガイドブック」はB5版32ページの冊子で、路線図が12のエリアに分割されて掲載、反対のページに主要な乗場と沿線のガイド、定期券発売所の案内がありました。
巻末には各系統の運転区間と始発・最終の時刻の一覧が掲載されています。
全部見て頂くのも大変なので、基本的に路線図の部分を御覧頂きます。
当然今とは様相が相当異なり、既に過去のものになった系統、逆に最近になって走り出した系統と色々あります。
なおファイリングのためのパンチ孔と、いたずら書き的な鉛筆の線があって見苦しいのは申し訳ありません。無視して御覧下さい。
表紙は、霞ヶ関の旧文部省前を走る〔都01〕「グリーンシャトル」。
「グリーンシャトル」は前年の1984(S59)年3月31日、旧〔橋89〕系統に代えて運行を開始した、都市新バスの1号路線です。
都営バス路線網は、地下鉄ネットワークを抜きにして語れないので、まず当時の地下鉄路線図を掲げておきます。
都営の大江戸線に営団(メトロ)南北線・副都心線は影も形もなし。
他にも工事中の路線が多数あります。
まず東京駅周辺の千代田区・中央区。
都庁が今の国際フォーラムの場所にあった頃です。
今の「みんくるガイド」もそうですが、このガイドの路線図では、運行回数に応じて線の太さを変えていました。
(最太…3~10分間隔、太…5~20分間隔、細…15~60分間隔)
当時は銀座通りにも路線があり、今は実質東京タワーまでの〔橋86〕系統は、日本橋三越まで運行されていました。
〔銀71〕は今の〔都03〕「グリーンアローズ」で、〔銀16〕は〔都04〕。
乗場の案内図は何箇所か掲載されているのですが、ここでは東京駅だけ掲げます。
八重洲口に丸ノ内の南北、どこも系統数が多くありました。
(これでも最盛期よりは減っているだろうが)
この中で(東京駅発着で)現存しているのは、八重洲口では〔東15〕〔東42〕、丸の内の北口は〔東22〕〔東43〕、南口は〔銀16〕(→〔都04〕)〔東98〕。
(他に〔東16〕〔東20〕〔都05〕「グリーンアローズ」〔S-01〕が新設)
「国鉄本社」の文字が懐かしい。
当時の高速バスは国鉄の東名ハイウェイバスが発着するだけで、東京駅周辺のバスの主役は都営でした。
山手線より東の、中央区。
まだ晴海に見本市会場があった頃。
今は両国止まりの〔錦27〕は、当時は箱崎町発着で循環形態になっていました。
渋谷区と港区の北部。
地下鉄の開業によって運行がなくなったり、運行区間を変更したりした系統も数多くみられます。
後に各区のコミュニティバスでカバーされている区間も少なくありません。
一方で田町駅東口は後に交通広場が整備され、都営バスが乗り入れるようになっています。
〔橋85〕は現〔都06〕「グリーンエコー」。
「みんくる」はもちろんまだなく、都のマークも今の「いちょう」模様になる前で、営業所を示す記号は古いマークになっています。
なお山手線の西側が黄色く塗られていますが、民営バス運賃適用区域を表しています。
港区南部や品川区。
ここは八潮パークタウンの入居の進展や天王洲地区の開発、太田市場の開業等により、後に系統が数多く新設される事になります。
品川駅東口のターミナルも、新幹線新駅設置に合わせて大きく変わりました。
目黒駅前にあった目黒〔営〕は、支所→分駐所への格下げを経て廃止になりました。
逆に港南〔支〕が分駐所からの格上げで開設されます。
新宿区・中野区です。
この付近の系統体系もかなり変わりました。
今は高田馬場駅~九段下間を運行する〔高71〕系統は、当時は〔東71〕系統として、大久保駅~東京駅丸ノ内北口間を運行していました。
国立国際医療センター(現国立国際医療研究センター)~下田橋間の〔中63〕系統は、本数はわずかながら京王帝都電鉄と共同運行になっていました。
〔秋76〕系統は大江戸線開通時に丸々廃止になりましたが、後に一部区間を〔飯62〕系統が代替しています。
「飯田橋終点」が今の「都営飯田橋駅」。
文京区・豊島区です。
今は池袋駅東口が終点の〔池86〕系統は、サンシャインシティ開業時にサンシャインシティまで乗り入れるようになりました。
食事休憩のダイヤもあったはずです。
(開業時は他にも乗り入れの系統があったはず)
〔水59〕系統は完全に同じ都営の三田線と併走するのですが、割と本数があったようです。
〔塚20〕系統はこの直後に〔都02〕「グリーンライナー」となりました。
台東区です。
2階建てバスが上野~浅草間を運行していました。
もし現代まで持ちこたえられていれば、間違いなくスカイツリータウンまで延伸していたでしょう。
〔上26〕系統は、当時は今井まで直通運転を行っていました。
(トロリーバスの名残り)
〔里23〕系統が今の〔都08〕「グリーンリバー」。
南千住付近の再開発が進み、ここは後に系統がいくつか増える事になります。
墨田区です。
もちろん世界最大の電波塔が出来るなどと、当時は誰一人考えなかったはずで、スカイツリータウンになったエリアは、当時は東武鉄道の貨物列車の駅でした。
〔亀24乙〕系統は、現在は〔草24〕系統、〔平23乙〕系統も運転区間を変更して、〔上23〕系統として独立しています。
江東区です。
お台場はまだ開発途上で見所は船の科学館程度、港区南部でも出てきましたが、〔海01〕系統が東京港トンネル経由で門前仲町と品川駅を結ぶのみでした。
何より有楽町線も京葉線もりんかい線もまだ開通しておらず、新木場付近は〔木11〕系統のみが細々走る程度。
〔錦14〕系統が、今の〔都07〕系統「グリーンエース」。
北・足立・荒川区です。
当時の足立区役所は、北千住駅のそばにありました。
〔王45〕系統は、当時は北千住駅には入らず、旧足立区役所付近を循環する形態で折り返していました。
ここでも駒込駅~王子駅間など、後に都営バスが廃止になった後、コミュニティバスが運行されるようになった区間がいくつか見られます。
江戸川区は都営新宿線の延伸や、JR京葉線の開通により大きく形態が変わっていく事になります。
何より自動車営業所の配置が変わり、船堀駅に隣接していた旧江戸川〔営〕と今井〔支〕が統合の上移転、臨海〔営〕となります。
(現在は、葛西〔営〕が改称した新江戸川〔営〕配下の支所)
今は京成バスが独占の篠崎付近は、〔新小24〕系統がわずかですが運行されていたようです。
(新宿線篠崎延伸時に篠崎駅止まりとなったが、現在は廃止)
多摩地域です。
なんといっても、〔立73〕系統がまだ運行されていた、というのが見所ではないでしょうか。
立川駅~日野駅間はそれなりに本数も多かったようで、一度は見て、乗ってみたかったところです。
(現在は日野駅で系統を分割された上で、京王バスが運行)
特に〔梅74〕系統には「青梅○小」「青梅○中」と言うバス停が多数ありましたが、現在は統合で少なくなり、改称している所がほとんどです。
最後に「城西各区」と証した、中野・杉並・練馬などの各区、山手線の北東部のエリアです。
現在でも都内最長路線である〔梅70〕系統は、阿佐ヶ谷~青梅間を結んでいた時代が長かったのですが、この内阿佐ヶ谷~田無本町二丁目間が廃止になっていました。
(体裁からすると、廃止から間がなく、この区間を消しただけか)
現在は西武線の柳沢までの乗り入れで一部復活しています。
以上、本当に簡単に昔の都営バス路線を振り返ってみました。
もう少し突っ込んで書くべきでしょうが、解らない部分も多いし、あまりダラダラ書くとかえって解りにくくなるだろうからこの位にしておきます。
地下鉄路線網の延伸などで、特に山手線の内側は路線がどんどん少なくなっていって、港区の港南や江戸川区といった臨海部にシフトして行く様子が解るかと思います。
一応副都心線や日暮里・舎人ライナーの開業を持って、都営バスに直接影響を与えるだろう鉄道路線の開業は一段落したと思われます。
従って今後の都営バスは、コミュニティバスとの連携も模索しつつ、現状の路線網・ダイヤを維持しながら質的な向上を図る事が求められると思います。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
明日・明後日の更新はお休みし、5日から先日の秋田旅行について書きます。
《今日のニュースから》
「波平さん」銅像 桜新町商店街が「植毛式」
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