№740 バスジャパン・ハンドブックシリーズR77 茨城交通(星雲社)
「バスジャパン・ハンドブックシリーズR」の27冊目は、茨城県の茨城交通。
前身の「バス・ジャパン」を含めても初めて取り上げられる事になります。
400台以上を保有する大規模な首都圏の事業者ながら、かなりローカル色が濃い所です。
◆ 久慈川・那珂川早春紀行
北部の袋田の滝から始まり、川を下って那珂湊へ抜ける2泊(金曜夕方出発)3日の小旅行。
太田大子線が馬次入口乗り換えになるのは、大子エリアが茨交県北バスの分社だった名残りでしょうか。
水戸周辺だから「水戸黄門」にちなんだ話もいくつか出てくるが、「助さん」(佐々宗淳)の墓所は出てきますが、「格さん」(安積澹泊)の墓って、どこにあるのだろう?
(佐々宗淳の墓碑文は、安積澹泊によるものだそう)
東日本大震災による影響もいまだそこかしこに残っているようですが、この紀行の最終日は3月11日、つまり大震災からちょうど1年。
ひたちなか海浜鉄道も長期の運休に追い込まれた訳だし、大洗も津波の被害にあっているし、それに茨城県にも原子力関係の施設がいくつかあります。
(帰りの東京行高速バスは原子力機構前が始発)
従って当日は様々な追悼や脱原発等の行事・行動が県内各地で行われていたと思うのですが、あえて触れなかったのでしょうか?
那珂川が関東地方3番目の大河とは知らなかった。
(多摩川は入らないんだ)
◆ 終点の構図 蛇穴(じゃけつ)
どうやら茨城交通のエリアでは最北端にあり、常陸大子駅から平日7本・土休日はそれぞれ5本ずつ運行されているようです。
黄門様ゆかりの地らしいが、写真だけ見ると、茶畑以外は何もないという感じ。
◆ 茨城交通の路線エリア
基本的には久慈川・那珂川に絡んで路線網が展開され、蛇穴の如く福島県等の県境に近い、かなりの奥まで路線が伸びているようです。
大子から一路線、盛泉行が栃木県那珂川町に乗り入れ、かつてのJRバス常野線の名残りになっているようです。
(ただし同じ那珂川町内なのに盛泉から先の路線バスがなく、馬頭・烏山方面への乗り継ぎは出来ない)
土休日のみ、水戸~ツインリンクもてぎ間の運転あり(1往復)。
先の紀行の様に大子はかろうじて大宮と路線がつながっているが、笠間は完全に孤立したエリアになっています。
笠間~友部を結ぶ一般路線はなくなりました。
昔は水戸~笠間を結ぶ路線とかもあったのでしょうか。
◆ 茨城交通のあゆみ
旧茨城交通は水浜電車が母体となり、周辺のバスや鉄道を統合して成立した会社のようです。
だから本来だったら今年は「創業90周年」と言っても良いのですが、今の茨城交通はみちのりホールディングスが設立して旧会社から引き継いだものなので、創立が「平成21年3月27日」、つまりまだ3年しか経っていない事になります。
残りの2鉄道が残っていたら、もっと水戸の乗り物も楽しかったのだろうけれど。
またJR水郡線は開業時は私鉄で、昭和になってから早々に国有化されたのだけれど、水郡線と、茨城交通の母体となった各事業者の関係はどうだったのか。
茨城県のバスというと、1985(S60)年の「つくば万博」が貸切・路線(シャトルバス運行)両面で営業的に無視できないと思うのですが、記述が全くありませんでした。
乗合車のカラー変更や、ダブルデッカーの導入はつくば万博を見据えての事ではなかったかと思いますが、どうでしょう。
今は茨城交通からは離れましたが、ひたちなか海浜鉄道は、湊鉄道からカウントして、来年の暮れで開業から100周年になります。
◆ 車両の現況
ここでは一般路線バス(乗合)を中心に分析してみます。
1. 一般路線バスの平均車齢は17.72年と出ました。
都心から遠いとは言え、関東地方の事業者としては相当高齢化しています。
(ちなみにR76の神姫バスは8.75年、R74のアルピコ交通で13.66年)
いまだ昭和50年代の車両が残っているのも驚き(一番遠い大子〔営〕とはいえ)。
営業所別で一番高齢化しているのは意外にも、本社に隣接する茨大前〔営〕(18.46年)でした。
続いて18.14年の笠間〔営〕、18.10年の那珂湊〔営〕。
乗合車全体では1996(H8)年式が全体の15%と一番多いのですが、茨大前〔営〕は1991(H3)年式が配置車両中の13.5%と一番多く、これが車齢の平均を押し上げているのかと思います。
高速は8.78年、貸切は12.17年、特定は6.64年でした。
特定は21世紀に入ってから、旧オートが積極的に新車を導入して、平均車齢を引き下げたようです。
2. 他社からの譲渡車(茨城オート・茨交タクシー・自治体からの移籍は除く)は、一般路線車は183台で65.12%、貸切車で1台あって2.04%。
路線車は29事業者(西武観光バス・西武総合企画は西武バスに含めた)から譲渡されていますが、西武バスの割合が極めて高く、77台在籍して譲渡車の40%以上、路線車全体でも1/4を占めています。
次が都営バスで23台。
ただし、21世紀に入ってから、一気に譲渡元の多様化が進んでいます。
一番遠い譲渡元は阪急バス。
3. ノンステップ車はまだ15台、しかもうち6台は那珂湊市のコミュニティバス及び「かさま観光周遊バス」用のポンチョで、純粋な一般路線車ではまだ9台。
9台とも市内の茨大前・浜田両営業所に配置されています。
2010(H22)年のエルガ2台(表紙の車両)が、初の大型ノンステップ車になりました。
高速車には「ユーロツアー」が3台ありますが、バスジャパン・ハンドブックシリーズでは初登場(R72の富士急バスはリタイア済みだった)、恐らく今後も出てこないでしょう。
(形式が画像と解説で食い違っていた)
今後の茨城交通ですが、郊外で排気ガス規制がなく、丁寧な手入れがなされているとはいえ、やはり車両の経年化はそろそろ何とかした方が良いと思われます(少なくとも水戸市内は)。
一般路線車の新製導入が2年程途絶えていて、CNGやハイブリッドといった低公害車もなく、バラエティに富んでいるのは趣味的には面白いのですが、サービスや環境の面ではどうでしょう。
とはいえ当分はやはり中古車両による代替が中心となるのか。
今後都心の事業者でKL-以降の規制の車両の代替が始まる事になり、ノンステップ車も既に中古市場に出回っているので、この辺の車両を導入して近代化という事になるのでしょう。
営業的には、福島交通に加えて先日、関東自動車もみちのりホールディングス入りしており、隣接するグループ内3社の連携が期待されます。
もっとも対福島県では、浜通りとは結びつきが強いものの、福島交通の中通りはそうでもないので(JR水郡線しかない)、どういうものがあるのかと問われれば難しいかも知れませんが。
次回はジェイ・アール北海道バス、続いて函館バスと、一気に北海道の事業者2社が予告されました。
「北海道の事業者は取り上げられないでしょうか」と書いたばかりでしたが。
「『バス・ジャパン』時代から含めて、北海道の事業者は出てきていない」と書いてしまいましたが、これは大ウソで、1996年の「バスジャパン・ハンドブックシリーズ8」で北海道旅客鉄道(JR北海道)が取り上げられていました。
ゴメンナサイ。
この当時は既に路線の縮小が加速していたものの、まだ帯広と厚岸に路線が残っていました。
あれから16年、さらに札幌近郊への一極集中が進んでいる訳ですが、それは車両面ではどのように反映されているでしょうか。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
明日は当ブログの更新はお休みし、本体の更新を行います。
秋田中央交通の画像を新規に公開するほか、関東地方を中心に画像を追加します。
また今回の「BJハンドブックシリーズ」から、茨城交通でデータの追加や訂正を行います。
バラエティに富んだ車両群に対して、画像数が少なくて恥ずかしいなあ。
《今日のニュースから》
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